この街には猫の交番がある
この町には猫の交番がある。警察といえば犬、という方々驚くなかれ。ちゃんと正真正銘猫が勤めている交番である。猫のやることといえば日向で寝ていることや猫じゃらしで遊ぶことなど挙げられると思うがもちろんそのような『猫の務め』も果たしている。しかし猫の交番が行うことはそれだけではない。道に迷った人への路地裏案内や不審者への威嚇、猫同士のコミュニティ「にゃっとわーく」を使ったなくしものの調査など造作でもないのである。きちんと交番の役目も果たしているといえよう。困ったとき、もしも人間の手ではどうしようもないとあきらめかけたときはぜひ猫の交番をお試しあれ。
「あー、ひまですにゃ」
そういって白黒の八割れの猫はのびをした。外は快晴。すばらしい日向ぼっこ日和である。白黒の八割れ猫、通称ハチは猫としての本分を果たそうとしていた。もちろんお昼寝タイムである。ハチはお昼寝に最適な日向を探していると、派出所の奥から大柄のトラ柄の猫が現れた。
「こらこら、猫の交番たるものそうやすやすと昼寝してはいけにゃいぞ、新人」
その大きさから貫禄が感じられるが、それもそのはずハチの上司にあたる巡査部長である。ハチははっと飛び起きて、ピシッとトラ柄の猫に向かって敬礼した。
「これは失礼しました。トラさん」
「うむ。だが少し制服が乱れているぞ」
ハチは慌てて制服を整えた。ハチもすごく気に入っている空のように青いおろしたての制服だ。猫にズボンは不似合いだから、ジャケットだけ羽織っている。よれよれになっていたジャケットの襟を整えると、胸につけた猫警察のバッチがピカピカと光ったように感じた。
「それでよいだろう」
トラさんはハチが制服をぴっしり整えると満足そうににこっと笑った。
「近頃、ここらへんでは人間の不審者が出ると聞いている。猫の交番としてこれを放っておくわけにはいかにゃい。見た目も大切だ。きちっとした服を着て、ちゃんと威厳を保たないといかぬぞ。なぜなら私たちは猫の交番だからにゃ。ただの猫だと思われても困る。」
「わかりましたにゃ。猫の交番であるもの、ただの猫と思われないようにこれから気を付けます。」
トラの言っていることはもっともだと感心したハチは改めて猫の交番に配属された喜びをかみしめながらうなずいた。
「わかればよろしい。では私はここで待機をしているとしよう。君はパトロールに行ってきたまえ」
「かしこまりましたにゃ。」
そうハチに命令するとトラさんはくるりと踵を返し、さっきまでハチが日向ぼっこしようとしていたひだまりにはいって丸くなった。ひだまりの中で恍惚とした表情のトラさんをしり目にハチはパトロールの準備をした。
「ハチ、ハチ」
外からハチを呼ぶ声がした。ハチはパトロールの持ち物確認をしていたが、視線を上げると見慣れた顔があった。飼い主の佐藤さんである。佐藤さんは手招きしながら、小声でハチを外に呼び出していた。トラさんをちらりとみて気にしているが、当のトラさんは恍惚とした表情からピクリとも動かないでいる。たぶん、気づいてない。ハチは慌てて荷物をポケットにしまい、トラさんに「行ってきます」とだけ伝えて、派出所の外にいる佐藤さんに駆け寄った。
「佐藤さん、何しているんですか」
「心配して見に来たんだよ!けど、なんにもなさそうでよかった。トラ猫はお昼寝しているみたいだし。ハチもパトロールって言ってもただの散歩だろ。そうなるとおもってちょうどいいものをもってきたんだ。」
そういって佐藤さんが懐の中からとりだすものをみて、ハチはまたか、とおもった。猫用のリードと首輪である。佐藤さんは猫を飼い始めたのは最近だ。またハチが来る前は犬を飼っていたため、いつも散歩といえばリードを持ってきていた。
「佐藤さん、パトロールは散歩じゃないですにゃ。それにそのリードは猫としてもダサいですし、もちろん猫の交番に務めている私には不必要ですにゃ」
「そうはいっても、いろいろ危険な場所もあるだろう。僕が危険じゃないルートを選んで散歩すれば問題ないはずだ。そのためのリードだよ。」
ハチは何にもわかっていないと首を振った。
「危険なところにはいってこそパトロールですにゃ。なぜなら我々は猫の警察。ただの猫であるわけにはいかにゃいのです。」
「猫の警察といっても猫であるのはかわりないだろ。トラ猫も猫らしくお昼寝しているし」
そういって佐藤さんはトラさんを横目でちらりと見た。トラさんは相変わらず丸くなったまま大きなあくびをしている。
「とにかく猫の警官として、いや、それ以前に猫としてこんなリードを付けられているのを見られるわけにはいきません。佐藤さんは帰ってくださいにゃ」
そういってハチは佐藤さんをぎゅむぎゅむと肉球で押して追い返した。不満そうな顔を佐藤さんがしているのを重々承知だったがしょうがない。このままではパトロールどころか猫らしい散歩も果たそうにないからだ。
「しょうがないな…じゃあおうちで待っているよ。あ、けど町のはずれの野原にだけは行っちゃだめだよ。あそこには大量の猫じゃらしが自生しているらしいから。ねこじゃらしに夢中になって今朝からあのへんで子供が迷子になってるってご近所さんが言ってたよ」
「わかりましたにゃ。丘の上の野原ですね。気を付けますにゃ」
ハチはうんうんとかわいらしく素直に頷いた。しかし内心ではこれで行く場所が決まった、と思った。とぼとぼと帰っていく佐藤さんの背中を見送るとハチはそそくさ町のはずれの野原へと向かった。
町のはずれの野原はそれはもう天国のようだった。ハチは視界いっぱいにひろがる猫じゃらしを見て、目を輝かせた。こんな住まいのちかくに猫じゃらし天国があったなんて知らなかった。猫じゃらしは左をむいても右をむいても風に揺れてゆらゆらと動いていた。ハチは全力で走り、猫じゃらしの野原へ飛び込んでいった。そして360度ぐるりと猫じゃらしに囲まれてみる。猫じゃらしは背が高くハチの目線より上の高さでゆらゆら揺れている。ついついハチはその猫じゃらしにじゃれていき、捕まえようとした。一つ捕まえると、また目の前の猫じゃらしが捕まえてごらんとハチの目の前で揺れ動く。ハチはそうして次から次へと猫じゃらしにじゃれていった。
ふと気が付くと、町へ向かう道路からだいぶ離れてしまった。元居たところに戻れるだろうかと不安になったときハチはハッと我に返った。やっと自分が猫警察の警官であることと、ここに来た理由を思い出したのである。ここには迷子の子猫がいるかもしれないという噂だ。子猫を見つけられないまま、自分が迷子になってしまうなんてほかの猫たちに聞かれたら笑われるに決まっている。こんな猫じゃらしに翻弄されている場合ではない。ハチはしゃきっと背筋を伸ばすと、意識を猫じゃらしではなく、音に向けることにした。
目をつむりよくよく耳を澄ますと、風の音とともにかすかに声がした。その方角へ猫じゃらしをかき分けながら歩を進める。だんだんなき声が大きくなるが途中で途切れた。また耳を澄ます。またなき始める。猫じゃらしをかき分け進む。そうしてようやくなき声の主にたどり着いた。
なき声の主は赤いワンピースをきた小さな人間の女の子だった。泣きながら地面にうずくまっている。あれっ、とハチは思ったがそういえば佐藤さんは子供といっただけであって子猫とは言っていなかったことを思いだした。
「こんにちは」
そう声をかけると女の子は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を勢いよく上げた。びっくりした表情をしている。
「こん・・にちは」
そうおどろいた表情のまま挨拶にこたえると目をこすりながら、こちらをみつめてきた。真ん丸に目を見開いている。
「ねこちゃん・・・?」
困惑の表情である。大体ハチを初めて見た人間の反応はこんな感じであった。ハチはいくつかこういう局面に出くわしているから、そういった反応には慣れっこだった。ハチはなるべく優しい声色で少女に話しかけた。
「そうですにゃ。猫の交番から来たハチという名前の猫ですにゃ」
「猫の・・交番?」
そういって女の子はずびーっと鼻水をすすった。ハチはゆっくりと女の子に近づく。
「猫の交番は猫が警官を勤めているところですにゃ。キミはなんていう名前なの?」
「ユーコっていうの。お巡りさんは犬じゃないの?」
そういってハチを赤く腫れあがった眼で穴が開くほどみつめている。ハチは困ったように肩をすくめた。
「犬のお巡りさんもいるかもしれないけど、ハチは猫ですにゃ。それより、どこかけがしているのかにゃ?」
「そうなの。さっき転んでひざをすりむいちゃった」
女の子の膝を見てみるとそんなに傷は深くないように見えた。擦り剝けて血は出ているが、どれも浅い。
「痛かったかにゃ?よく頑張ったにゃ。子猫なら舐めてあげれるけど、ユーコちゃんの場合はこの絆創膏張ってあげるにゃ。」
そういってジャケットのポケットから用意してあった絆創膏をとりだし、貼ってあげた。かわいい肉球の柄をした絆創膏だ。
「さてさてユーコちゃんのおうちはどこかにゃ?」
「おうち・・・」
そういうと少女は思い出したように、目を潤ました。次から次へと涙があふれ出てきて、止まらない。しゃっくりをあげ、手を目に当てて本格的に泣き出してしまった。
「わからないの・・・えっく…えっく…」
たしかに周りはどこを向いても背丈ほどある猫じゃらしがゆらゆらとうごめいているだけである。ここでは猫でなくとも人間の子供が迷い込んで出れなくなってしまうこともあるかもしれない。
「とりあえず町につけば何とかなるんだけどにゃ…」
なにか目印がないかハチはもういちどぐるりと見渡したが猫じゃらしがこっちにおいで、といたずらに誘惑してくるだけであった。ハチは誘惑に負けないように、パチッと自分の両ほほを叩いたがどうも集中できない。
「‥‥ねこのお巡りさんならかえれるんじゃないの?」
ひととおり泣き終わるとまたずびずび鼻をすすりながらユーコちゃんはハチに向いていった。
「なんでそう思うんにゃ?」
「だって近所のおにーさんが猫にはキソーホンノ―があるって言っていたもん。キソーホンノーがあるから自由におでかけしても家に迷わず帰れるんだって」
「キソーホンノー…」
ユーコちゃんに言われてハチはなんとなく思い当たる節があった。ハチは散歩に出ることがある。そのとき見知らぬ道に迷い込むことも多々あるが、いつも不思議と帰ることができるのである。どこにいても家への方角がなんとなくわかる。猫としての本能の一つだ。体の中のコンパスに従えばおのずと向かう場所がわかる。
「たしかにいつもならわかるんだけどにゃ…」
ハチはそう言って周りを見回した。目の前には遊ぼうとささやくように揺れる猫じゃらしばかり。あっちのねこじゃらしであそぼうか、それともこっちのねこじゃらしであそぼうか。そうやってくすぐられたように楽しい気持ちになる。
「うーん、集中できにゃい…」
ハチは頭を抱え込んでしまった。いつもの方向感覚が完全にくるってしまっている。それどころか、このジャケットを脱ぎ捨てて目の前の猫じゃらしにじゃれつきたい気持ちもどこかにある。
「猫のお巡りさん大丈夫?」
ユーコちゃんは心配してハチを覗き込んだ。ユーコちゃんは本当はしっかり者なのかもしれない、とハチが思ったとき、ユーコちゃんはそうだ!と叫んだ。
「ねえねえ、お母さんがよく困ったときはまずは落ち着くことが大事っていってた。おちつくために寝転んでりらっくすするのがいいんだって。こっちきて寝転んでみようよ」
そういってユーコは草原の上に寝転んだ。ハチはユーコが言っていることも一理あるなと納得して続けてユーコの横に寝転んでみた。
さっきと変わらない青空がハチの上に広がっていることに気が付いた。風が吹き、猫じゃらしがなびく音がする。日が傾き秋の虫が鳴いている。ハチはふうっと息をついた。たしかに寝転ぶと気持ちがいい。そうして寝転んだまま猫じゃらしをさかさまに見てみた。こうやって見てみると、くすぐったくなるような誘惑は収まっていた。代わりに猫じゃらしの根元に少し空間が開いていることに気が付く。
はっとしてハチは起き上がり、その空間に近づいた。何か足元を通ったような狭い空間。それはまるで道かのように見える。
「獣道だにゃ!」
ハチは思わず声を上げた。ついでにうれしくて飛び上がった。ユーコちゃんもおきあがってハチのそばに来た。
「けものみち?」首をかしげながらユーコは聞いた。
「そうだにゃ。けものみちは森や林の中にある道だにゃ。我々のような猫も使う四つ足特有の道だにゃ」
そういってハチは前足を付き四つ足で獣道の中に入った。なるほど、獣道は猫じゃらしの根元を開いてひたすら続いていた。においをかぐといろいろな「仲間」のにおいがする。ハチ以外のなにものかの足跡もついていた。どうやらほかの四つ足仲間御用達の道なのかもしれない。ハチはどうやらねこじゃらしの群生から抜け出せそうだとさとると急いでユーコちゃんを呼び寄せた。
「ユーコちゃんも四つ足になってこっちにくるにゃ」
ユーコは膝を付き、四つん這いになると狭い獣道に入っていった。先にハチが四つ足で進み、そのあとにユーコが付いていく。ハチは時々振り返り、ユーコが付いてきていることを確認する。ユーコはゆっくりだが、しっかりした足取りでついてきた。ハチはユーコちゃんを励ましながら、獣道を進んでいった。
「それでやっとぬけだせたわけですにゃ」
ハチはそう言ってトラさんに説明した。制服は寝転んだ時に汚れてしまっていたが、気持ちは制服と同じぐらい青色の晴れやかな気持ちだった。ハチたちはねこじゃらしの群生を抜け出した後、無事に派出所に到着することができた。派出所にはユーコちゃんのお母さんが来ており、ユーコちゃんは感動の再会を果たしていた。ちょうど捜索願を届けようとしていたところだったという。ユーコちゃんはそれまで泣かなかったがお母さんと会うと途端に泣き虫に戻ってしまっていた。つられてハチもほろりと泣きそうになったが、我慢した。
「とりあえず戻ってこれてよかったにゃ。」
トラさんもニコニコ笑って出迎えてくれた。ハチはほっと胸をなでおろした。しかし、トラさんは次の瞬間には顔を引き締めた。
「けど次からはちゃんとトランシーバー、もっていくことだにゃ。警察は仲間を信頼し連携することも大切にゃ。」
そういってトラさんはハチの机の上に置かれたトランシーバーをちらりと見た。ハチは慌ててトランシーバーを左胸にぶら下げた。実はあの時持ち物確認する際に取り出したまま、忘れて行ってしまったのである。つまり、これを忘れなければハチたちはトランシーバーでSOSをトラさんに伝えられ、見つけてもらうことができたのである。ハチはそれを聞いたとき謝るしかなかった。
「すいません。以後気を付けますにゃ。」
「うむ。それでよい。けど今日は疲れたろう。もう帰って休んだらどうだね」
そういうとトラさんはまたやわらかい笑顔に戻っていた。ハチはありがたくその言葉をいただいて帰らせてもらうことにした。なんとなく佐藤さんが心配してまってくれているようかに思えたからだ。今日の話をしたら佐藤さんは何というだろう。怒るだろうか。心配するだろうか。いやいや、きっとやっぱり猫にもリードが必要だとまた持ち出してくるに違いない。そうやって考えていると、ハチははやく佐藤さんの顔を見たくなってきた。誤解のないように言っておくが、リードを付けたいからではない。ハチには理由はまだよくわからなったが、ユーコちゃんとお母さんが楽しそうに手をつないで帰っているのを見送ったあとだったからかもしれないとなんとなく思った。ハチは帰り道を四つ足になって駆け出した。ハチの向かう先には大きな夕焼けがゆっくりと沈んでいっていた。
この町には猫の交番がある。迷子がいれば駆けつけて案内してくれる猫がいる。ちょっと抜けているところもあるが、それでも一生懸命助けようとしてくれる。あのだだっ広いねこじゃらしの野原にもう一度行って心行くまま遊んでいても何にも心配いらない。またあの真っ青の制服を着た八割れ猫が探しに来てくれるからである。今度はもちろんトランシーバーを胸に。リードはやっぱりつけないで。