災難は向こうからやってくるものだ
学校のチャイムが鳴り響き、今日の授業(と言っても入学式なので、殆んどこれからの高校生活の説明)の終わりを告げる。
筆記具や最後に渡されたプリント等をカバンへ収める。
朱音ちゃんと一緒に帰りたい所ではあるが、もう気の合う友人を作ってしまったようで、誘うのは難しいだろうか。
「???」
全て収めたカバンを持って、それとなく朱音ちゃんの様子を見ようと視線をやるも朱音ちゃんは居なかった。
しかも驚くことに朱音ちゃんだけじゃない、クラス中の人間が居なくなっていた。
俺がカバンに物を入れている、そのほんの一瞬の間に全員が帰れるものか?
いや、ないな。
理由として考えられるのは、俺を含め異種族の上級者が扱える異空間だ。
これは戦闘をする上で、現実世界に傷を与えないように自分と任意の対象者を全く同じ風景の別次元の空間に入れる事が出来る。
だが、その場合は入った時点で異変に気付く。
空間に魔力が漂ってしまうので、視認しなくてもハッキリと気付く事が出来る。
ならば皆が俺の事を嫌い過ぎて、そそくさと帰ったか。
流石にそれはないよね?
「んー? なんだろうな、幻影術の類いかな?」
「その通りよ」
背後から割りと綺麗でハキハキと心地の良ささえ感じる女性の声が聞こえてきて、振り返る。
「…………」
そこに居たのは、ウネウネ女子高生だった。
その見た目で、なんて声を出しやがるんだ!
「急にこんな事をして、ごめんなさい。私は神崎美麗、別に敵意がある訳じゃないから、安心してね」
ま、敵意があるなら隙だらけの背後から一思いに殺ってただろうね。
ウネウネと手の触手を動かしているが、そこに意図があるのかどうかは分からない。
ひょっとしたら、止めておく方が難しいのかも知れない。
神崎の名前は美麗か……違和感しかないな。
「安達翠君。単刀直輸入に言いますが、あなた私の正体を看破していますよね?」
どこの国から輸入してきたんだよ、というツッコミはさておこう。
「してるも何も見たままだからね」
全身が触手みたいなので顔の表情も分からないが、溜め息をついて肩を竦める姿を見る限り、落ち込んでいるんだろうか。
「大丈夫か?」
「えぇ……こんな初日から見抜かれるなんて、もう少し強めに掛けないと駄目ね」
独白を溢している内容から、やはり周囲には普通の女子高生に見えるように幻影術を掛けているんだろう。
しかも矢重手が好きになってしまうくらいだから、かなり美化しているようだ。
ただの詐欺じゃん。
「落ち込む事はないと思うよ。俺はこれでも妖魔族の王である吸血鬼の息子だ。そしてその幻影術は吸血鬼の十八番だからな。むしろ今こうして掛けられている事が信じられないくらいだ」
「そういう事ね。人の姿に見せる幻影術は日常的に掛けておかないといけないから、弱めに掛けているの。それでも並の幻影術使い相手でも充分なレベルなんたけどね」
「それで目的はなんだよ?」
俺を、いや、クラス全体を幻影術に嵌めて、俺を孤立させる意味は何なのか。
別段、戦闘シーンに突入するような雰囲気もないし、平和主義の俺としては高校生活初日から最悪の事態にはならないだろう。
表情が全く窺えない触手のような顔からは、勿論何も読み取る事が出来ず、静かに返答を待つ。
両手の触手を下で合わせて、俯いているように見える。
何かを思い詰めているのか、暫くは幻影術の影響によって作り出された教室の静寂の中固唾を飲む音が響く。
項垂れた顔が正面の俺へと向き合う。
その勢いに圧されて、身体が少し仰け反ってしまった。
「私はどうやら翠君の事を一目惚れしてしまったようです」
「はい?」
「あなたに恋しちゃいました。私と付き合いましょう」
悪寒と虫酸が全速力で全身を縦横無尽に駆け巡る。
想定していた『最悪の事態』を軽く超えてくるなよ!
「えと、あ、それは、あぁ~、そう! ちょっと用事があったのでこの辺で失礼させてもらいますっ!」
神崎の返事を待つ前に、何かアクションを起こされるその前にもうダッシュで教室を出て、廊下を駆け抜ける。
見掛けで人を判断してはいけない、とは言うが種族が違えば感性だって違うんだ。
触手人間を受け入れる度量は俺にはない!
そこで妥協してしまってはお互いが後々不幸になるだけ、ここは心を鬼にして逃げ去るのみ!
「あら、結構シャイなのね。恥ずかしくなって逃げちゃうなんて」
「え?」
教室に置き去りにしたはずの神崎の声が聞こえて隣を見ると、ヤツは俺と並走していた。
そんなはずは……スピードには自信があるんだぞ。
妖魔族最強の吸血鬼の速さは、他種族であろうと簡単に追い付けるはずがない!
だが、現実にはなに食わぬ様子で、こちらのペースに合わせるかのように走っている。
「さすがは私が見惚れた男だけあって、追い付くのに数秒掛かってしまったわ。さぁ、このまま帰るなら私の両親に挨拶へ行きましょう」
脚も速ければ、話の展開も早いぞ!
「ま、待て! まだ俺は返事をしてない!」
「そんなの分かってるわ。今日ずっとあなたから熱い視線を受けていたのですもの」
なんて曲解、とんだ誤解、いや全ては俺の失態か。
そんなつもりじゃなかった。
誰がこんな展開を予測出来るだろうものか。
早くこの勘違いを正さねばならない。
「違うんだ! 俺はそんなつもりで見ていた訳じゃな――」
「大丈夫、全部分かっているわ」
誤解を解く前に神崎の左手の触手が俺を力強く拘束し、妖魔族の王の息子であるはずの俺はいとも容易く身動きが取れなくなってしまった。
今日初めて会ったばかりの俺の何を分かっていて、どう大丈夫だと言うんだ。
一切安心出来る要素が見当たらない。
「因みに周りからは、仲良く手を繋いでるように見えてるわ」
俺の人生をめちゃくちゃにするつもりかっ?!
「止めてくれ! もう逃げないから放してくれ!」
「だぁ~め。さ、このまま私の家へ招待するわね」
それは招待じゃない! 誘拐だ!
終わった……俺の始まったばかりの高校生活及びに人生の終了のお知らせ。
頭の中で蛍の光が流れる。
俺の希望に満ちた人生のシャッターか閉まっていく。
「なんて日だ……」