六・高校生と組長
「ねえ、やっぱりこんなのまずいよ、ニノ」
暴力団北白川組の組長である北白川弓弦の暮らす屋敷の前に車を停めた千尋は、助手席に座る二宮に対して訴えるようにいうと、二宮はめんどくさいなあとでもいいたげな顔をした。
「別にいいじゃん、何が問題なの」
「問題しかないんだよ、暴力団の組長と高校生を会わせるなんてさ! そんなのばれたらあたし、懲戒処分どころの騒ぎじゃなくなるんだよ」
「じゃあばれなきゃいいじゃん」
「ばれなきゃいいって話じゃなくってさあ!」
「もう、別にその暴力団に入るって話じゃないんだし」
「だからって、そんなの……」
「心配しすぎなんだよ、大川さんは。話が終わったらすぐ帰るからさ。ほら、行こうよ」
そういって二宮はさっさと車から出てしまい、そさくさと屋敷の門のなかに入ってしまった。
「ちょっ、勝手に行かないでよっ」
千尋が二宮を追うように車から飛び出て屋敷の敷地に入ると、二宮は玄関にあるインターホンのボタンを押した。
「ああ、もう知らない!」
ピンポーン、という音が鳴るなか千尋が喚いていると、インターホンに付いているスピーカーから野太い男性の声が流れた。
『どちらさん?』
それを聴いた二宮が千尋に目配せした。
「ほら、大川さん」
「えっ、なんであたしなの」
「僕が答えてどうするのさ。ほら、早く」
そういわれた千尋はしぶしぶ警察手帳をポケットから取り出すと、それをインターホンについているカメラに向けた。
「あの、警察の者です。北白川さんにお会いしたいのですが」
千尋がそういうと、スピーカーから『ああ』という声が聞こえた。
『うちの組長から話は聞いてますよ。今開けます』
そして横開きの扉になっている玄関が開かれると、千尋と二宮はインターホンに出てきた大柄な男性に組長の弓弦がいるという書斎の前まで案内された。
「お嬢、デカが来ました」
男性が書斎の扉の向こう側に向かって声をかけると、そのなかからすぐに返事が聞こえてきた。
「判った。開けてくれ」
扉を開けると部屋には机に座る弓弦と、その隣に立つ奏がいた。
「ど、どうもっ」
部屋に入った千尋が弓弦に向かって会釈をした。
「どうも。そこのソファーに座ってくれよ。宗弥、戻っていいぞ」
千尋たちをここまで案内した男性に弓弦がそういうと、彼は静かにお辞儀をしてそのまま玄関のほうへと戻っていった。
千尋と二宮が部屋の一角にあるソファーに座ると、弓弦はテーブルを挟んで彼らの向かいにあるもうひとつのソファーに深く腰掛けた。
「わざわざここまで来させて悪かったな」
「いえ、とんでもないっ。捜査への協力、感謝してますっ」
千尋が弓弦に深く頭を下げると、彼女は困ったような顔をした。
「おいおい。そんなかしこまるなって。サツがヤクザに頭下げてどうするんだよ」
そういって弓弦が苦笑すると、目線を千尋から彼女の隣に座っている二宮に向けた。
「それと、さっきから気になってるんだが、そこの少年……」
「僕のことですか」
二宮が自分で自分を指さした。
「そうだ。昨日も病院で気がするが、どうも君、刑事にはみえないな」
「よくいわれます」
「ああ、すまん。刑事さんだったか」
「いえ、ただの高校生です。二宮と申します」
「高校生?」
弓弦が不思議そうに呟くと、二宮の隣にいる千尋が「ただの高校生ではないでしょ……」とぼやいた。
「それで、なにがどうしてただの高校生がこんなところに? ここは子供が遊び半分で来ていいところじゃないぜ」
弓弦が挑発的なまなざしでそういうと、二宮は「ううん」と唸った。
「話せば長くなるのですが、僕、警察と一緒に浅羽さんの事件を追っていまして」
「だからここに来たと」
「はい、決して遊び半分で来たわけではございません」
妙に丁寧な口調でそう話す二宮の言葉を聴いた弓弦は、彼がただの高校生だとはとても思えなかった。
とはいえ、興味本位で来たわけではないのは本当らしい。ならばこちらも彼に対して真剣に接するべきだと弓弦は思った。
「そうか。じゃあその辺りの詳しい話はまた聞くとして、二宮君、下の名前は?」
「はい?」
「下の名前を教えてくれ。基本的にひとの名前は下の名前で呼ぶようにしてるんだ」
「ああ、そうですか。では改めまして、二宮浩太郎です」
「あっ、はいっ。あたし、大川千尋ですっ」
二宮に続いて、千尋も自分の名前をフルネームで名乗った。
「浩太郎に千尋だな。判った」
そういって弓弦が頷くと、ソファーの隣に立っている奏が彼女に冊子を手渡した。
「姐さん、例のリストです」
「ああ。ありがとう」
弓弦が奏から冊子を受け取ると、二宮が尋ねてきた。
「ええと、それは?」
「昨日いったリストだよ。このなかに心当たりのあるやつの名前と連絡先が書いてある。もし気になるところがあったら遠慮なくいってくれ」
弓弦が冊子を目の前のテーブルの上に置くと、千尋がそれを手に取ってパラパラとめくりながら中身をざっとみた。
「わあ……ご協力、感謝しますっ」
「いいって。普段人様に迷惑ばっかりかけてるから、こうでもしないと社会貢献なんてできやしないからな」
そういうと、弓弦はごくりと唾を呑んで話の本題に入ろうとした。
「それで、捜査はどんな感じだ。犯人の目星とかはついたのか」
弓弦がそう尋ねると、千尋と二宮はお互いに顔を見合わせて気まずそうな顔をした。そして千尋のほうから弓弦に説明を始めた。
「それが……犯人らしき人物が今朝、殺害されまして」
「殺害? どういうことだ?」
弓弦が訊き返すと、千尋の代わりに二宮がいった。
「森田晃敏さんです」
「はあ?」
声をあげて、弓弦は二宮たちに向かって驚いているふりをしてみせた。
「待ってくれ、晃敏が誰かに殺されたっていうのか」
「何者かに銃に撃たれたそうです」
千尋が補足すると、弓弦はソファーから立ち上がって二宮たちに背を向けた。
「犯人は判らないのか」
「それがまだ調べ始めたばっかりで、なんとも……」
千尋がそういうと、二宮が続けた。
「とりあえず、この件について北白川さんに相談をしたくて伺ったわけでして」
「おれにか?」
「はい。事件現場で発見された森田さんの携帯の着信履歴に、あなたの携帯番号がありまして。その件についてお話をお聞かせ願いたいのですが」
二宮がそう詰め寄ってきたが、弓弦としてはこれは想定内の質問だった。むしろ訊いてこないほうがおかしいとさえ思っていた。まさか訊いてくるのが高校生だとは思わなかったが。
「ああ。昨日病院から戻ってきてから、いろんなやつに電話をかけまくったんだよ。それで晃敏にも電話をかけたってわけだ」
「なるほど、そうでしたか」
二宮がそういって頷いた。
もちろん、警察が裏を取ることも想定して弓弦は実際に昨夜のうちにほうぼうに電話をかけておいた。とりあえず、一つ目の関門は潜り抜けられたと考えていいだろう。
「だけど判らないな。どうして邦弘を殺したのが晃敏だって判ったんだ?」
「森田さんの住んでいた部屋から、浅羽さんの血液が付いた包丁がみつかったんです」
千尋が答えると、「そうか」と弓弦は呟いた。
やはり邦弘を殺したのは晃敏だったのか。殺す前に彼の口から明かされたとはいえ、弓弦は改めてそのことを深く実感した。
「あの、森田さんってどういうかたなんですか。彼と浅羽さんとの間になにかトラブルでもあったのでしょうか」
二宮がそう尋ねると、弓弦は口を開いて彼らに晃敏の話を始めた。
「……晃敏はむかし、うちの組の組員だったんだよ」
「だった、ということはもうそうではなかったと」
「何年か前に先代、つまりおれの親父が死んだ時にいろいろ物を整理してたんだが、晃敏のやつ、そのなかから金目のものをちょろまかそうとしたんだよ」
「それで森田さんを追い出したと」
「そうだ。そしてそのときに晃敏を告発したのが邦弘だった。だからあいつ、邦弘のことを相当恨んでたんだろうな。まったく、自業自得だってのによ」
そういいながら、弓弦のなかに再び怒りの炎が燃えあがった。
そのとき、隣にいる奏が彼女に「姐さん」と短く声をかけた。
「……悪い。ちょっと熱くなっちまったな」
気分を落ち着かせようと、弓弦は自分の机の上に置いてある、青が混ざったような紫がプリントされた小さな箱を開けて、そこに入っている煙草を一本取り出して口に咥えた。
だがジッポーで煙草に火をつけようとしたとき、二宮と目が合った弓弦は手を止めた。
「すまん。未成年のいる前で吸うもんじゃなかったな」
「いえ、お気になさらず」
二宮が微笑みを浮かべると、弓弦は咥えていたタバコをもとの箱に戻した。
「あの、北白川さん、もうひとつお願いがあるんですけど」
千尋が弓弦にいった。
「何だ」
「さっきもらったリストとは別に、森田さんに関する詳しい資料とかって持っていませんか。捜査の参考にしたいので、あれば嬉しいんですけど……」
「晃敏の資料か。たぶんどっかのファイルにあったはずだけどな」
そういって弓弦は書斎にある棚から、十冊ほどあるファイルのうちのひとつを指さした。そのファイルの背表紙には”04”と数字が書いてあった。
「……奏、この四番のファイルを千尋と浩太郎にみせてやってくれ」
「はい」
弓弦にそういわれた奏はファイルを引き抜くと千尋たちの目の前にあるテーブルの上に広げ、晃敏の経歴が書かれたページをめくって開いた。
「これでどうですか」
「わっ。これ、警察で借りてもいいですか」
千尋がそういうと、弓弦が返した。
「丁寧に扱ってくれよ」
「はいっ」
よいしょ、と千尋は重いファイルを抱えてソファーから立ちあがった。
「どうもありがとうございました。今日はこれで失礼します。ファイルはコピー取ったらすぐ返しますので」
「そっちも捜査のほう、頑張ってくれよ」
「はいっ! ニノ、帰るよ」
千尋が座ったままの二宮の肩を叩いた。
「ああ、うん。それじゃ、僕もおいとまします」
そういってソファから立ち上がった二宮だったが、部屋から出る直前、「そういえば」といって扉の前立ち止まった。
「どうしたんだ」
弓弦が二宮にそう尋ねた時、彼女のなかでなにか嫌な予感がした。
「帰る前に北白川さんにひとついいたいことがありまして」
「いいたいことって?」
「北白川さん、記憶力が大変よろしいんですね」
「はあ?」
何言ってるんだ、こいつ、と弓弦が困惑するなか、二宮は話を続けた。
「いえ、森田さんの資料を出してもらった時、棚にはあんなたくさんファイルが入ってたのに、あなたは一発でお目当てのファイルを探し当てたものですから、ちょっとびっくりしまして」
しまった、と弓弦は動揺した。
もし自分が犯人でなかったのなら、晃敏が殺されたことなんて、本来知っているはずがないのだ。だというのに自分は最初からそれと矛盾してしまうような行動をとってしまった。
おれは馬鹿か。弓弦は心のなかで自分を罵ったが、そんなことをしても仕方がないとすぐさま二宮への反論を考えて口にした。
「……さっき渡したリストを作るときに探したからな。それで覚えてたんだろ。べつにおれの記憶力がいいわけじゃないさ」
「そんな、謙遜しなくてもいいじゃないですか。僕はただ、あなたの記憶力が素晴らしいといっただけなんですから」
二宮はどこか気味の悪い笑みを浮かべると、「それでは」と軽く弓弦に向かって頭を下げて、そのまま屋敷を出て行ってしまった。
「どうします、姐さん」
二宮たちが帰ったあと、奏がいった。
「どうもしないさ。シラを切り通すしかない」
「だけどあのガキ、姐さんが犯人だって勘づいてますよ」
「安心しろよ。向こうはまだ何のネタも挙がっちゃいないんだから」
そういって弓弦は机の引き出しを開き、そこに戻しておいた拳銃をみつめた。
本当なら犯行現場に置き去りにしたかったところだが、一発で晃敏にとどめをさせなかった以上、意識が残っている彼の近くに置いておくのは危険だと思い、そのまま持ち帰ってしまったのだ。
「泰一の製鉄工場に行くのは明日だよな」
「ええ」
「それまでこいつを隠しておけば、あとは工場で溶かして終わりだ。証拠は完全になくなる」
……とはいえ、浩太郎とはまた会うことになりそうだ。
そして弓弦のその予感は、とても早くに的中することになった。なぜなら次に二宮たちが屋敷に訪ねてきたのは、この日の昼過ぎだったからである。