西の砦
さほど大きくないこの国は、ぐるりを山嶺に囲まれた、いわゆる盆地の中に在る。
内外を繋ぐ街道は多くなく、要所毎に立派な関門は設けられているものの、それらは今では、概ね無人の城塞であった。
規模の大きなものともなるとちょっとした町が栄えていたりもするが、それでも、城塞そのものの管理状態となると、たまに領主が視察団を差し向ける程度にすぎない。
まがりなりにも手入れがあるので、妙な者が長々棲みついたりはしていなかったが、平素は旅行者達の手頃な休憩所と化しているのが実情だ。
俺のように、あまり堂々と宿をとれない者にとっては、これは、非常にありがたかった。
屋根があり、かつ、大昔の遺物とはいえ文化的な設備と言えなくもない環境が、そこにはある。
なにしろ、水のしみるテントや、焚火での煮炊きは、そうそう楽しめるものではない。
もちろん魔力で補正することはできるが、連日毎夜の野天生活は、多少不便を取り繕ったところで、やはり着々と心を疲弊させて行く。
ましてや、長大な人生の大半を一つ部屋に引きこもって暮らしてきた俺だ。
解放感?
そんなもの、苦痛の種に過ぎない。
よく、動物はすべからく野生に解放すべきだと論じる奴らがいるが、俺に言わせれば、青天井の自由なんて、保証された安楽がなければただの地獄だ。
野生の動物だって、満ち足りた食と安全さえあれば、たいていは飼育に甘んじるのだ。
自由が至高だなんて言う連中は、餓えて彷徨う恐怖と絶望など知りもしないのだろう。
うろうろすること、しばし。
さほど探さぬうちに見つけた。
井戸のある小さな内庭に面して、旧式ながらも立派な竈を備えた厨房があった。
こうした場所には後人のために、何かれとなく善意の物資が残されているものなのだが、ここも例外ではない。
所狭しと置かれた調理器具の数々は、その辺の民家の比ではないほど充実している。
ふと、手の込んだ美味い料理の数々が脳裏を過ったが、ダメダメ、こんなところで、変に目立ちかねない行動をとるわけにはいかない。
そうは言っても……
竈が、俺を呼んでいる。
記憶もおぼろな大昔、飯なんかたいして食いたくもなかった自分が、今となっては理解できない。
ちょっと手をかけさえすれば美味いものが食えるというのに、薄揚げの芋ばっかり食っていたなんて、それ、本当に俺か?
とはいえ、魔王(他称)として目覚めるまでの遠い記憶は、刻一刻と薄れて行くばかり。
あたかも、今の俺には過去など不必要だと言わんばかりだ。
俺は、やっぱり、本能に従う事にした。
薪を一掴み拝借すると、早速、竈に火を入れた。
焚火では作る事のできないものは、なんだかんだ多いのだ。
手間は、ちっとも苦にはならない。
むしろ、楽しい。
いつかは旅を終えて、また、自分の家の厨房で……。
ふと、食卓を共にした時のジローマルの顔が、脳裏に浮かんだ。
俺の秘蔵の果実酒を根こそぎにしてくれたっけ。
新たな樽の中身が熟す頃、たらふく振舞ってやろうと思っていたのだけれど、あれが無駄になってしまうと思うと悲しい。
とりあえずやり場のない気持ちは掌の力へと昇華させ、ちょっと硬めのビスケット種を捏ねて行く。
マイナス感情の発散で、美味い物が食えるならば重畳だ。
あの家も、あの街も、今では遠い過去のものとなってしまったけれど。
あれは、俺の家だった。
大切な居場所だったのだ。




