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ニムル・イル・アルディヤ⑩『穏やかなファーバス』と『町長の娘:カムサ』と『始まりの終わり』の話

 ニムルが登場しません(二回目)

『アシムス神』は酒の神であり、また航海の安全を保障する神でもある。

 神話の時代、美の神ラクレミスがアシムスに賭けをもちかけた。

「お前は海の神だから『中つ海』の波の数が分かるだろ? 間違ったらお前の妻を貰おう。もし合ってたら私の妻をやろう」

 アシムス神は一度も波を数えたことが無かったから、一生懸命数えることにした。だが波は産まれては消えるものだ。彼はいくら数えても終わることがなかった。

 その間にラクレミス神はまんまと妻を寝取ってしまった。それにすら気づかずアシムス神は今でも波を数え続けているという……。

『ファーバス』に伝わる伝説である。



 ファーバス町長の1人娘、カムサは『イル・アルセーナ(麝香)』の香りに気づいて驚いた。

 ここは彼女の家の廊下だ。町長家は町で一番大きな屋敷で、特徴は本家と離れを繋ぐ長いこの廊下だった。

 廊下は中庭をぶち抜いているので、この春に廊下を歩くと左右に花が咲きほこってなんとも景色が良い。カムサは早朝と夕方にこの廊下から庭を眺めるのが好きだった。

 カムサは日課の廊下からの庭鑑賞をしようと歩いていたら、嗅ぎなれない麝香の香りを察知したのだ。

 途端に興奮して、

「まぁ! 麝香なんて希少品、エレブ(西方)じゃ中々手に入らないのに! この前のお香市かしら? 一体誰なのこんな素敵な香りをさせているお方は!?」

 もはや庭の鑑賞なんてしてる暇はなかった。すぐに彼女は使用人を捕まえて質問攻めにした。

「今廊下で麝香の香りがしてたわよ!? 誰かお客様!? それとも親戚が私へのプレゼントに持ってきたの!?」

「お、お嬢様……! 今旦那様が離れでお客様を接待しているのです、お静かにお願いします」

 使用人の視線の先の離れの扉の前にカムサが張り付いた。

『……っ! そんな……しい! ……だが……』

 父が何か叫んでるのが聞こえた。だがそれ以外は何も聞こえない。

 ガタンッ!

 いきなり目の前の扉が開いてカムサが固まった。扉を開けたのは白い仮面を被った男だった。

 男は部屋の中に向かって、

「それでは私はこれで。今回のお話を突っぱねたこと、後で悔やんでも遅いですからね?」

 涼やかでよく通る声だった。部屋の中でシルリスは立ち上がりながら、

「何を言うか! この町の長としてそんな要求は受けられない! 帰れ帰れ!」

 そう叫んでから父はカムサが扉の前で固まっていることに気づいた。

「カムサ!? そんなところで何をしてるんだ!? 女子供はあっちに行ってなさい!」

 カムサが客人を見上げると、仮面の男と目が合った。

 被っているのは白い仮面に目と口の部分に穴を開けただけのシンプルな物だ。

 男は優雅な身のこなしでカムサを避け、

「失礼、お嬢さん。また会う日まで」

 そのままもったいぶった歩き方で家を出て行った。ただ麝香の甘い香りだけを残して……。

 カムサが父に振りむいて、

「お父様、今の不思議な殿方は一体……?」

 父は一瞬怒鳴ろうとして、悲しみで顔を歪ませた。

「……お前は女だが、いざという時のために文字や計算や色々な勉強をさせて来た。だから大丈夫、大丈夫なはずだ……」

 あたかも神に見捨てられたかのような青ざめた顔で父は娘を抱きしめた。何が何だか分からず混乱するカムサ。それから父は涙を流しながらクノム語で詩を詠んだ。


 愚かなる長シルリスは、狂気の沙汰、勇気無く、戦士の心欠けたり。

 されどその娘に至っては、才能豊かにして、いとも優しき心に恵まれし女なり。

 されど、見よ、彼女はその手に灯なくんば歩まず。

 かくして泥の歩き方を知らず、街道の埃を避けず、夜の森で獣の牙の鋭さを思わず……。


 そう詠んだあと、何も説明せずにため息を吐きながら本家に戻って行った。


 その日の夜、カムサが父の部屋をノックすると、鍵はかかっていなかった。

「お父様、お邪魔しますわ……」

 父は窓から夜空を眺めていた。娘を見ると涙を拭ってから、

「む……一体どうしたのだ? もう寝る時間だぞ?」

 カムサは無言で父の横に立って一緒に夜空を眺めた

「……さっきの殿方は麝香の香りがしておりましたわ。あれはエレブ(西方)ではとても希少な物で、奉公人に調べさせたらこの前の『お香市』でも取り扱ってる商人は居ませんでしたわ。あんなものを手に入れられる者は東方アッスの者か、そうでなければ『カミス』の貴族か、そんな所ですわね……?」

 全く証拠のない推理だったが、父は否定しなかった。

「……ファーバスは小さく弱い都市だ。これまでは『アシムス神』の導きで周辺都市と同盟を結びなんとか独立を保ってきた。『英雄』ゲイラスの我儘に耐えすらしてな……だが周辺の強大国はそれを見過ごしてはくれん。すでにゲイラスとその手下達でもどうしようもできない規模になっている……我が町にもついに使者がやってきたのだ。『カミス』と『バンドゥーラ』と『コロコス』のどれに着くか? とな……」

『コロコス』とは東方アッス南方ドノト大陸を治める『超大国』だ。たびたびクノムティオに侵略してきていた。

そして『バンドゥーラ』とはクノム人の都市国家だ。


「お父様? それでなんと答えたのですか?」とカムサ。

 父は無言だった。暫くしてカムサに言った。

「カムサよ、いや『シエナ』よ。お前には本当にすまないことをした。これは私の我儘だ。ゲイラスを追放したのもそうだ、私はどうしてもお前をあんな奴の嫁に出したくなかった。ただお前に幸せになってほしいと……だが今となっては全てが遅い。それでも私はお前にだけは生きていて欲しい。だから許してくれ、愚かで自分勝手な父を許してくれ……」


『シエナ』はカムサの本名だった。まだ親しか知らない彼女の本当の名前。母は既に他界しているので、知っているのは父だけだった。

 カムサは訳が分からず、

「お父様! 私にはなにがなんだかさっぱり分かりませんわ! さっきの男は何者ですの!? なぜお父様はそうも悲しんでおられるのですの!? 私に分かるように教えてください!」

「すまない……本当にすまない……」

 結局父は泣くだけで何も言わなかった。

 そしてこの夜が彼女にとって父との最後の夜になった。


 真夜中のこと。ファーバスの町を囲う城壁の外に、100人ほどの集団が静かに集結していた。

 全身黒ずくめで仮面を被り沢山の武器を持っている。なのに全く足音を立てずに歩くので、彼らが熟練した兵士達であることが知れた。

 明かりも持たずにじっと闇の中で待っていると、突如目の前の城門が開いた。

「……ご苦労さん『地獄のハゲタカ』さん達。そしてまた一つ私が自殺する理由が増えたわけね。私はあんた達が親の仇に見えるわ」

 ハッシュが親切で拾った、あの怪しげな女だった。兵士達の隊長が言った。

「門の解放ご苦労。よく追っ手をかわして町の中に潜んでられたな」

「例え人間は目の前であり得ないジャンプを見せつけられても、私が普通の人間なら隠れられないような高い場所に潜んでいる可能性を考えられないのよ。簡単だったわ」

「さすがだな。さっさと仕事を済ませるぞ。町長の家は分かるか? 私を案内しろ」

「はいはい」と女。

 隊長は控えている部下達に告げた。

「それでは今から作戦行動を開始する! 第一部隊は門番の詰め所、第二部隊は警察、残りの部隊は町の東側から放火しろ。終わったら全部隊城門に集結、そこからは『追い込み漁』だ! いけ!」

 無言で兵士達がファーバスの町中に殺到する。

 すぐさま火の手が上がり、滅びの夜がやってきたのだった


前回の『霊猫香』は、現実世界だとジャコウネコから採取するお香で、『麝香』はジャコウジカから採取するお香です。

作中の詩は日本語訳してると分からないですが、クノム語だとちゃんと韻を踏んでる設定です(汗)


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