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ニムル・イル・アルディヤ⑧『穏やかなファーバス』と『演劇:戦争のない平和』と『手拭きパン』と『トイレ』の話

 クノム人が最も好む娯楽は2つ、『スポーツ』と『演劇』だ。

 演劇は『ファーバス』の町の中心部にある『市民広場』の隣にある劇場で上演されている。『劇場』と言っても客席と楕円形の大きな石の舞台があるだけで壁も屋根すらもない。

 風が強い日は舞台から遠い席に座ると台詞が何も聞こえないのが本当にネックだと思うんだ……(僕の経験談)



 アルディヤ家は『ファーバス劇場』に演劇を見に来ていた。

『……夏が来れば蝉の美しい調べを耳にするでしょう。浜辺で恋人たちは愛を語らい、女はますます艶々として、男はますますやつれはてる。葡萄酒の旨い季節がやってまいりました!』

 舞台の上で男の役者が高らかに声を張り上げる。ニムルが隣に座っている父に小声できいた。

「ねぇねぇ。『女は艶々して男はやつれはてる』ってどういう意味?」

 すると父アルキアデスは引き攣った顔で、

「え、えっとだな……そのなんだ? ほら、暑いと海を泳ぎたくなるだろ? それで泳いで疲れるってことだよ……」

 ニムルがますます首をひねって、

「?? 泳ぐなら男女関係なく疲れるよね? なんで女の方は元気になってるの?」

「あー、その……母さんなんて答えればいい!?」

 父が母メムサに助けを求めると母も困惑した顔で、

「そ、そうねぇ……ほら、女は日焼けするとなんだか健康的に見えるでしょ? 男は、その……ほら男の子ってすぐ泳ぎの競争するじゃない? だぶんそれで疲れるってことよ……」

「え~? なんかおかしくない?」

 ニムルは納得しなかった。母は父に向かって『なんで私に振るのよ!?』と言って何やら口論を始めた。

 ニムルがマーシスを見ると弟はものすごく焦った顔で、

「その……姉さんにはまだ早いよ」

「僕お姉ちゃんなんですけど!? マーシスより年上なんですけど!? ねぇねぇどういう意味なの!? 教えてよ~!」

 元々現代日本でもニムル(大輔)は国語が得意だったわけではないので、言葉の微妙な機微がよく分からなかった。

(それに日本語じゃなくてクノム語だし。こっちの世界では学校に行ってないから全然わかんな~い!)

 アラトア語なら家庭教師からみっちり語学を習っているのでお堅い文章も書ける。だがクノム語は一応文字は書けるが女子故にまともな教育を施されておらずよく分からなかった。


 ニムルのデカい声に周りの客が睨んできている。うろたえるマーシスを見かねてカムサが教えてくれた。

「……あのね、お姉ちゃん。そもそも『恋人同士が愛を語らう』てどういう意味か分かってる?」

「そんなの『愛してるよ』とかお互いに囁き合ってるんでしょ?」

 姉の純粋無垢な答えにマーシスは肩を竦め、カムサは母性溢れる微笑みを浮かべて、

「ふふ、お姉ちゃんらしくて可愛らしい答えね。でも違うの。『愛を語らう』ていうのはね、つまり、アレをしてるのよ」

「『アレ』? なんのこと?」

「だからアレなのよ。ほら、男女で抱き合うとあら不思議、可愛らしい赤ちゃんが産まれるという、アレよ」

 予想外の答えにニムルが固まった。

「……じゃあつまり、『女は艶々、男はやつれる』てのは……」

 マーシスとカムサが真剣な顔で頷いて、

「そう、『アレ』のしすぎでそうなるの。夏と言えば『アレ』よ。お酒なんかが入るとより『アレ』になるわね」

 ニムルが顔を赤くして黙り、カムサも恥じらって俯いた。

 マーシスは滝のような汗を流しながら思った。

(家族間でアレの話はメッチャ気まずい……!)

 彼が父を見て小声で責めた。

(なんでまた喜劇を見ようなんて提案したんですか!? 喜劇なんて『アレ』と下ネタか社会風刺ばっかりじゃないですか!? 姉さんの教育に悪いですよ!)

(だってカミスで大人気の劇だって聞いたから……まさかこんな過激な内容だとは思わなかったんだよ。劇の題名も『戦争のない平和』だし! 教訓的な話だと思ったの! お父さんも騙されたの!)

(またナチュラルに僕を子供扱いしてる……)とニムル。


 劇の場面が切り替わり、役者たちと一緒に登壇している『合唱隊』の歌からそこがある男の家の中だということが知れた。

『ファーバス』の演劇には大道具や小道具、舞台セットという概念は存在しない。一応神官や兵士を表現する衣装があるだけで、後は役者と『合唱隊』の台詞回しだけでそこがどこで何をしているのかを想像するのだ。

(なんで大道具とか作らないんだろう?)

 ニムルは前々からこれが不思議でしょうがなかった。それがあればもっと表現できることが増えるのに、と。

 場面は戦争を終えて家に帰ってきた『バンドゥーラ』という街の戦士が久しぶりに妻を抱こうとすると、妻が皮肉を連発して拒否するという内容だった。

『そんなにご自分の槍でお突きになりたいのでしたら、馬の尻でもお突きになられたら如何!? あそこの将軍の家は沢山軍馬がいるので相手に困りませんわよ!』

『戦争で腕を失えば勇者の証、ならば男の象徴を失えば英雄の証ですわね! 家庭という戦場で妻という敵将があなたを英雄にしてさしあげましょうか!?』

『戦争にでても女を犯しても血はでるものです。どうせなら豚を解体して血を出してくださいな。そうすれば子供達は飢えずに済みますわ!』

 皮肉たっぷりの妻役の台詞が出るたびに会場は爆笑の渦に包まれた。ニムルの母も大笑いしている。

 アルディヤ家が見ているのはクノム演劇『戦争のない平和』という作品で、内容は『カミス』と『バンドゥーラ』という2つの都市で戦争に反対する女達が従軍する夫たちを止めるために『戦争に行く男とは金輪際『アレ』をしません!』とストライキに打って出るという喜劇だった。


 演劇を楽しんだ後、アルディヤ家は家に帰って食事をした。劇場が開くのは『祝祭』の時だけなので夕飯は豪華になる。

「今日はちょっと奮発してサフランとラクダ肉を買ってきたぞ~!」

 父が市場でサフラン(バシャーリス)と東方アッスから取り寄せたラクダ肉を買い付けてきたので、母が早速調理し始めた。

「ラクダ肉……? ラクダ(アックルス)てなんですか?」とマーシス。

「『レビーニ』の砂漠に生息しているという馬のように騎乗できる獣だよ。父さんも現物は見たことないが、絵なら見たことあるぞ。大変気性が荒くてよく唾を吐くんだそうだ」

 父がジェスチャーでラクダを表現した。

「レビーニって名前は聞いたことあるけどどこにあるの?」とカムサ。

「詳しくは知らん。東方にあるそうだ」

(レビーニって、確か石田が転生してた土地……)

 ニムルは内心驚いたが、それ以上何を聞いても分からなさそうなので黙っていた。

「はいご飯が出来たわよ!」

 この日の晩御飯は焼いたラクダ肉にサフラン、オリーブオイルをかけレモンをそえた『ラクダ肉のサフランソース』だった。

「おお! 美味しい!」

 子供達が珍しい肉に舌鼓を打つ。食事が済んだ後、ニムルがサフランで黄色くなった手をパンで拭きながら、

「サフランは美味しいけど、手に匂いがつくのがな~」

 クノムの一般市民は食事で汚れた手をパンで拭く。『手拭きパン』と呼ばれ、拭いた後は皿や壺に集めておいて食事が終わったら外に撒いて犬や猫や鳥などの餌にするのだ。

 ニムルが手拭きパンを見て、ふいに食べようとしたら母に叱られた。

「お馬鹿! 手拭きパンは犬の餌よ! 奴隷すら食べないものをやめなさい!」

「え~!? だって食べれるんだよ~!? 手が綺麗になって食べれるのになんでダメなの~!?」

「ダメなものはダメよ! あんたはすぐそうやって手拭きパンを食べようとするんだから……」

 母がブツブツ言い、弟と妹が笑った。

(アラトアにはない文化なんだからどうも慣れないんだよなぁ)とニムル。

 実はアラトアの一般市民もパンで手を拭き、香りがついた水で洗うのは貴族だけなのだが(冒険者はパンが貴重なので近くにある適当な葉っぱや土などで拭く)、ニムルは知らなかった。

 マーシスがラクダの骨を眺めながら、

「『レビーニ』かぁ、砂漠の国だと聞いてるけどどんな所なんだろう? 一度世界中を冒険してみたいなぁ……」

 ニムルも窓から空を眺めて、

「冒険者、いいねぇ……お姉ちゃんも大冒険に繰り出したいなぁ」

 そこで母が思い出して、

「あ、忘れてたわ。ニムル、まだ夕暮れ時だしちょっと『糞壺』を捨ててきてちょうだい。今日はうちが担当なのよ」

『糞壺』とは知っての通りトイレのことだ。『ファーバス』の一般家庭にはトイレはなく、公衆便所(糞壺が仕切り板に囲まれてるだけだが)が外にあってそこで用を足すのだ。中身は各家庭が輪番制で城壁の中に引き込まれた小川に捨てに行くことになっていた。

「うげ!? なんで僕が!?」

 ニムルが悲鳴を上げるが、母は怖い顔になって、

「手拭きパンを食べようとした罰よ。ほら暗くなる前にさっさと行きなさい!」

「お母さんの鬼族~! 人食い鬼~!」

「はは、夜の大冒険だと思えばきっと楽しいぞニムル」と父。

「僕の両親はどっちも鬼だ~~!」

 ニムルは半泣きなりながら糞壺を捨てにでかけた。

ラクダってどんな味がするんでしょうね?

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