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カムサ・イル・アサランシス68『東方大遠征:サガサ族からの逃避行』と『現実世界を例にあげる『実験しない(語弊あり)科学の発展』』の話。

『東方大遠征:レーム北部戦役』、『彼女たちのサガサ族からの逃避行』



 ここで『浅学』の作者が知っている範囲の知識で『現実世界』での『科学の法則は『純粋に机上の議論』で発見された』ことを説明していきたい。


 前回の続き、『重い物体と軽い物体の落下速度の比較』で最も重要になる『空気抵抗』の概念についてだが、そもそも『中世以前』になぜ『空気抵抗』の概念がなかったかというと、単純な話で『完全な真空』という状態が『そもそも原理的にあり得ない』とされていたからである。


 ……いや、この上記の説明は少々『語弊』があるだろう。そもそも昔の人たちはなぜ『完全な真空』を想定できなかったかというと、『空気』が『生命の源』であるという『宗教的なイメージ』や、『空の上まで空気が存在する』ことを前提とした『論理的(科学的ではないが)宇宙観』が当時支配的だったからである。つまり『空気』は当時の人たちにとっては『世界に満遍なく存在するもの』だったのだ。そしてその『思い込み』の背景には『地球が世界の中心にあること』や『実際に宇宙に飛び出したことがなかったので地球の外を想像できなかった』というべきだろうか。あくまで『空』とは『大地(地球)』と対比されるものであり、例えば古代ギリシャ人は『空は世界の端にいくと大地と近接しているので『巨人アトラース』が空を支えることができる』と考えていたようである。


 そのため『古代ギリシャ』では『太陽の大きさ』や『太陽と地球の距離』も計算されていたのだが、実際の数値よりかなり太陽は小さく、また太陽までの距離も短く算出されていたそうだ。だがこれは上記の『世界観』が前提にあったのでそもそも正確な数値が出ていたとしても計算結果を『拒絶』さてしまったり、『わざとバイアスをかけて計算したり』していたのではないかと思われる。これはそののちの『中世』でも引き継がれていたらしい。だが実際のところ『地球が宇宙の中心でない』ことも『広大な宇宙』が『地球』の外側に広がっていることも『有人宇宙飛行』が可能になるずっと前から『予言』されていたのであるのでこの説明はかなり不適切だと思われる(汗)。


 そしてこれは実は『地動説』の受容にも関係が深い『重力の概念』の発見とも絡んでいるわけだが……まあこれは割愛する。つまり『近代科学以前』の人々は我々『現代人』とは全く別の『法則』によって『宇宙の成り立ち』を説明していたということだ。


 なので『空気の定義』一つを『革新』して『空気抵抗』の概念を『近代以前』の人々に『納得』させようとしても、その『既存の空気の定義』は『その当時信じられていた『世界観・宇宙観・宗教観全体を示す巨大なパズル』を構成する『ピース』の一つであるため、一つの『ピース』が抜けても『パズル』は『完成』しなくなるのだ。ゆえに結局『当時の人々が信じていた宇宙観・世界観・宗教観』をすべて否定する必要が出てきてしまい、その『革新』はなかなか進まなかったし、多くの血と涙が流れる結果になったようである。これは我々『転生者』も『日本文化はすべて糞だから破壊しないといけない』とか言われたら怒る人が多いだろう(と作者は思う)。



 なので『近代以前』の人たちが『完全な真空状態』では存在しない『空気抵抗』なる概念を想定する意味もなかったし、また『風を受けて走る帆船』などを見て『『向かい風』ではなくて空気は常に運動する物体に対して抵抗する力を持っている』などという発想も『直観に反していた』からであった。当時の『科学』は『直観に反している』ことを受け入れない学問だったのだ。


 なのでもしこの時代に本当に『完全な真空』状態を作って『重い物体と軽い物体』を落としてみたとしてもおそらく誰も信じなかったと思われる。まずおそらく真っ先に指摘されるのが『その『完全な真空』が本当に『完全な真空』なのか証明しろ』ではないだろうか。だがこんなものは『悪魔の証明』であるし、おそらく『チート』を用いて我々の時代に存在する『計器』を持ち込んでもその『計器』が信用されないだろう。そもそもあり得ない状況を計測する機械を信じる理由がないからである。


 だが一方でちゃんと当時も『アリストテレスの説への批判』に対する『批判』もちゃんと存在したらしく、とくに有名なものは『物体には種類ごとに固有の『質』が存在し、この『質』によって落下速度が決まっている』というものだったそうだ(これは以前本編に似たよう話が出ていた記憶がある)。


 なので例えば『同じ重さの羽と鉄球を落としてみても『質』は『鉄球』の方が重いので必然鉄球が先に落ちるはず』だった。そして実際のところ『羽』を『鉄球』と同じ重さにするためにはどうしても『容積』が増えて『空気抵抗』が増大するのでその時だけは『アリストテレスの説』通りになるのである。この『質』は『近代科学』で発見される『質量』の概念に似ていなくもないが厳密な定義は全く違う別物であり、『近代』になると存在を否定されたものだ。


 そして今上記であげた通り、たとえ『実験』するとしてもそもそもその『実験』を始める前の『理論(仮説)』によって得られた『実験結果』が『180度変わる』ことが明示されたのではないかと思う。『空気がある状態の中で同じ重さの『羽と鉄球』を落としてみた』としても『そもそも『完全な真空』が存在しない』のなら『空気が存在する中で~』という『実験の条件』を付ける意味もなくなり(なので『完全な真空状態』を作っても『物理的に不可能なのだからそれは『完全な真空』ではない』とみなされ徹底的にケチをつけられる)、また『質』と言われる実際には存在しない概念を用いることで『誤った理論』が『証明』されてしまうのである。そしてこの『アリストテレスの説』が長い間世界中で信じられていた根本的な理由は『アリストテレスの説を否定することは直観に反している』からであったそうだ(しかしアリストテレスの説自体もおかしいので批判は絶えなかったそうだ)。


 ともなれば『科学』にとって最も必要なことは『まず『実験』する前に『理論』を構築すること』ということになる。そしてこれは『夢の世界』における『魔法』も全く同じであり、イスティとカムサは目の前の『ニムル』の肉体起こっている『現象』を『どのように解釈』し、そこから『どのように理論を構築するか』を『議論』していたのである。



 長くなったので閑話休題。『光る幌』にうつる『二人のニムル』を見ながらイスティとカムサが『魂』について『理論構築』を行って……いや行おうと『議論』を続けている。


「『幻術』には『変身魔法』も含まれていますので、例えば『自分の体の一部を分離し、その一部の『変身魔法』を使って他人に化けさせる』も『幻術』に分類されます。といっても『魔力』を『血』にたとえた場合の『膏血(魔力)の流れ出る量(つまり『消費量』)』とんでもなく増えてしまい『非効率』ですので普通はそんな魔法は使いませんが……まぁこれは『魔術師ギルド』が定義した区分ですのでクノム人が受け入れるかどうかはまた別の話でしょうが……」とイスティ。


「なるほどね。確かに『精神支配』とかもあるから『幻術』って『実態のない幻を見せる魔法を』とは限らないわね」とカムサ。

「『非魔法使い』にはよくある勘違いですから仕方ないですよ」とイスティ。


 次回へ続く。

 イスティ「作者からです、『前回説明したことは本当にあってるのか自信がありません』だそうです(呆れ)」


 ニムル『いつもの奴だね(汗)』


 ハッシュ「なんで『古代ギリシャ人』は『空気抵抗』を発見できなかったし提唱されても拒絶したんだろうな? 頭が悪すぎるんじゃねーの??」


 カムサ「そもそも『風』は『後ろから押す』から『船』は前に進み、『前から押し返す』と『船』は逆方向に進むでしょ? なら『空気抵抗』って『何』ってならないかしら? 『向かい風』との違いをどうやって説明するつもりかしらハッシュは?」


 ハッシュ「古代ギリシャ人は馬鹿なんかじゃないとあたしが証言するぜ、うん(納得)」


 デージャ『諦めるの速すぎでしょ☆』

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