イスティ・イル・フィズラース96『東方大遠征:サガサ族からの逃避行』と『魔法に関する思弁的議論と研究についての補足説明』の話
『東方大遠征:レーム北部戦役』、『彼女たちのサガサ族からの逃避行』
『光る幌』の中で『二人のニムル』が会話しており、それを眺めながらふとカムサとイスティが『魔法』に関しての考察を行い始める。
ちなみにも『余談』だが、『夢の世界』における『実験や研究』というのは基本的には今イスティとカムサが行っているような『議論』が主である(これは以前も説明したが一応)。なので実は『議論する際に言葉の意味を厳密に定義する』必要が認識されており、そのために『知識人』たちは『イルブルス通史』で何度か登場したように『似た意味の単語を明確に区別する』という議論を行っていたのである(いわゆる『教養人的議論』と呼ばれるものである)。
そしてなぜ『実験は言語が主』であるかと問われると……そもそもこれは『現実世界』でも同じであるらしいのだが、あえてここで『古代ギリシャ』を例にとってみたいと思う。『紀元前3世紀』のギリシャ人である『哲学者・科学者アルキメデス』はある時『シュラクサイ(シラクサ)の僭主ヒエロン二世』から『金細工職人に黄金を与えて『黄金製の王冠』を作らせたが、金細工職人が黄金を『ネコババ』しているかもしれないから調べる方法はないか』と問われたという。金細工職人はよく『依頼人』から預かった『黄金』に『鉛』を混ぜて『金細工』を作り、その分の黄金を『誤魔化して自分の物にする』ことが多かったからである。
だが『ヒエロン二世』は『黄金の冠を鋳つぶさずに調べろ』と『注文』をつけてきたので『アルキメデス』は大いに悩んでしまう。鋳つぶさずに使われた黄金の量を調べる方法は当時知られていなかったからだ。だが『アルキメデス』は風呂の湯舟に浸かった『黄金の冠』に何もせずに『使用された黄金の量』を調べる方法を思いつき、裸のまま外に飛び出して『発見したぞ!』と叫んだという。
その『方法』とはまず『湯舟』を用意して『黄金の塊』を沈めて『湯船から漏れ出た水の量』を計り、さらに次には『鉛の塊』を同じ量の水が入った『湯舟』に沈めてこっちも漏れた水量を計る。その後最後に『王冠』をこれまた同じ量の水に沈めて見せるというものである。実は『アルキメデス』は事前に『湯船に物体を沈めればその物体の『質量』と同じだけの水が『浮力』によって外に漏れる』ことを知っており、さらには『黄金』は『鉛』よりも『密度』が、というか『すべての金属の中で最も密度が大きい』ことを知っていたのである。
なのでもし『王冠』が『黄金100パーセント』なら『王冠』は『黄金の塊』と同じ量の水が外に漏れるはずであるが、実際に『実験』したところ『王冠』によって漏れ出た水は『黄金の塊』より多いが『鉛の塊』よりは少なかったのである。これはつまり『王冠の黄金の中にこっそり鉛が混ぜられている』ことの証拠となり、『ヒエロン二世』はこれを受けて『アルキメデス』を讃え、また『金細工職人』を捕まえて処刑したという。
……という話が一般的な『アルキメデスの原理』とも称される『浮力の原理』の発見譚だそうだが、実際のところ『アルキメデス』は『古代ギリシャ』では全く知られておらず、『近代』になってようやく発見された『浮力』や『質量』や『密度』という概念を『1000年以上前に発見していて』この方法を採用したわけでは当然ながら無い。
彼が知っていたのは『黄金は同じ『重さ』なら『全金属』の中で最も『容積が小さい』』ことと『鉛は同じ重さなら黄金に比べて容積が大きくなる』、そして『水の中に物体を沈めるとその物体の『容積』と同じだけの『容積』の水が外に漏れ出る』という『ごく初歩的な物理現象』だけであった。だから『水の上に物体が乗るとその『物体』の『質量』に対して同じだけの『浮力』という反対方向の力が発生する』という『浮力』を知っていたわけではないのである。そもそも実際『黄金』は『全金属の中で密度が高い』わけでもない。ただ『古代ギリシャ人』にとって身近な金属であった『金、銀、銅、鉄、錫、鉛、亜鉛、水銀』の中で『黄金』が最も『同じ重さだと一番容積が小さくなる』というだけである。
なので『アルキメデス』はこの『黄金の含有率の測定方法』を考案してのそこから『浮力』の性質を研究したりはしなかったし当然ながら『浮力』の概念を提唱したわけでもない。そして当時『哲学者』たちを大いに悩ませていた『なぜ船は水に浮くのか』という『議論』に自分の『功績』をもって参戦したりもしなかった。この当時の『哲学者』たちは『なぜ船が水に浮くのか』には『哲学者アリストテレス』が提唱していた『水が船を浮かせようとしているから(超意訳かつ語弊がある)』を批判し『超克』しようとしたができずに『行き詰まり』に陥っていたのである。
またその『アリストテレス』の例をあげると、彼は自分の著書の中で『物体は重いほど早く落ちる』と述べているわけだが、もちろんこれは『事実に反して』いて、『物体は重さ』は『物体の落下速度』に何の影響も与えない。なので『真空の中』で『重い物体』と『軽い物体』を同時に落とすと全く同じタイミングで着地するのである。そして一般的には『ガリレオ・ガリレイ』がこれをアリストテレスの説を否定して『落体の法則』を導き出したとされているが、実際のところ彼はこの『落体の法則』を『実験』で発見しておらず、純粋に『頭の中で考えた』だけで発見しているのだ。
いや、正確には『発見』もしておらず、実は『古代ギリシャ人』の間でもアリストテレスの説に対する『批判』が多く、『本当に重い物体ほど早く落ちるのか? そんなことなくないか?』と指摘されていたのだ。これに関して最も有名な批判は『例えば『重い物体』と『軽い物体』の落ちる速さを比べるとして、もし本当に『重い物体』の方が早く落ちるのなら、『重い物体』に『軽い物体』を『合体』させたもののほうが『重い物体』単独より早く落ちるはずだ。だが実際はそうはならないじゃないか』というものである。
こういった『批判』はそののちの『中世イスラム世界』や『中世ヨーロッパ世界』でも引き継がれたわけだが、ここで『重大な事実』を指摘しなければならない。実は『古代ギリシャ人』は『空気抵抗』を発見することができなかったし、実はそののちの『中世イスラム世界』も『中世ヨーロッパ世界』も同じこの発想に至れなかった……というか実はその説も提唱されてはいたのだが『拒絶』されていたそうである。そして実際『空気抵抗』は『運動する物体の速度と空気との接触面積』や『空気の密度』によって決定されるものなので『運動する物体の重さ』は全く影響しないのだ。なので『空気抵抗』のもとでは『重くて小さい物体』が『軽くて大きい物体』より早く落ちることになり、結果『勘違い』されていたそうである。
急な脱線だがもう少しお付き合いいただきたい。次回へ続く。




