番外編84『キュトン・タルマリクの歴史編』と『暗黒時代:レーム・テルビアナ諸国期~暗黒時代:フラッガルの戦い』の話
前回直してます(すみません)。
『東方大遠征:レーム北部戦役』、『キュトン・タルマリクの歴史編』
前回の続き。『オリシア人』が歴史に登場したのは『海の人魚族』による『大破壊』からおおよそ『100年後』である。この『オリシア人』と呼ばれる人々が本当に『トゥルエデ人』の一派なのか、それともそれ以前から『レーム南部』に住んでいた土着民だったのかはよくわからない。彼らの由緒については『はるか南のレビーニ半島の南部からやってきた』と『もともとこの地域に住んでいた民族』の両方があり、どうやらどっちも正解なのではないかとされていた。つまり上記の二つの民族が混血してうまれたのではいかということだ。
そしてまた『トゥルエデ人』たちも実は『二タール半島』からやってきたのではなく、『オリシア人』と同じく『レビーニ半島からやってきた』という説がある。だが『トゥルエデ人』たち自身はあまりそのことを覚えていないようだった。彼らの『原郷』は本来なら植民して占領した土地であるはずの『ゲミナ』の町になっていたのである(余談)。
まあ『トゥルエデ人』についてもこの程度でいいだろう。こうやって『トゥルエデ人』が『レーム北部』に定着して『100年』も経過すれば『キュトン』にも多くの『トゥルエデ人』が植民して『同化』が進み、このころ『トゥルエデ人貴族』と『ラニエ語を話すキュトン人貴族』が『王位』をめぐって常に『党争』を繰り広げていたらしい。だが一方で『キュトン』は対外的には『ラエズリア』を中心とする『レーム・テルビアナ諸国』としばしば『戦争』を行っており、この時期彼らにとって『二回目の戦国時代』だったそうである。そしてこの期間はさらに『300年』、つまり『暗黒時代』が到来してから『400年』ほどそんな状態が続いたそうだ。そしてどうやらこのころの『ガラニア人』たちは『キュトン人』にとって『敵』だったらしく、両者は激しい抗争を何度も演じていたそうだ。直接的なこの両者の対立はこの時代に起因しているらしい。
また『キュトン』の近隣では『海の人魚族』に焼き払われた『ラエズリア』や『フィズミク』、『ルトリア』などはラニエ語を話すテルビアナ人たちによって復興し、いっぽう『サマーヘル』はそのテルビアナ人とさらには『トゥルエデ人』たちによって再興されて住民たちは『自分たちはネイア王国の子孫だ』と名乗るようになり、『トゥーランジ』は外からやってきた『龍族』の支配下にはいってその龍族たちは『ハリスコ龍族』とよばれるようになる。また同じく『海の人魚族』によって消滅した『リプリ』や『ウレナ』の町はこの地域に植民した『オリシア人』たちの町として復活した。以上のように『レーム北部』の様相はさまざまであるが、全体的には『レーム・テルビアナ人』の都市が多く、ゆえに『テルビアナ・ラニエ語』が優勢だったそうである。
だがそんな『暗黒時代』は『東』から上る『太陽』によって晴れ渡り始める。なぜなら『暗黒時代の突入』によって衰退し大幅に領土を縮小させていた『カルシャーナ王国』が再度『大国化』へと舵を切り始め、まず半分以上を『トゥルエデ人』に占領されていた『ギルミーナ地方』を『再統一』したからである。
しかしまだこの時代の『カルシャーナ』は『帝国化』はしていない。あくまで『自分たちの固有領土』である『ギルミーナ地方』を『取り返した』だけである。
だが実は『カルシャーナ人』たちが『ギルミーナ地方』全域を支配下に置いた時点で『東方諸国』の中でこの国に対抗できるほどの国力を持つ国は『ムンディ・アクナ』だけになっていたのである。だがその『ムンディ・アクナ』は非常に遠いところにあり、『ギルミーナ地方』に隣接する『サルザリア地方』や『レーム北部地方』は小さな王国が無数に林立していて、一つ一つの国は『都市国家』──しかも多くは本当に町一つ分程度──の規模が精々だったのである。なのですでにこの時点で『カルシャーナ人』の『干渉』をはねつけられる国は近隣には存在していなかったわけだ。
このことが『聖戦の大魔帝国』の『世界征服』を可能とする下地を作ったのであると『キュトン人』はまことしやかに語る。そしてこの時期から『カルシャーナ王国』は『カルシャーナ帝国』と『他称』が変化するが、実際のところ王国は『一貫性』を保っており完全に同じ国だったそうだ。
すでに『カルシャーナ帝国』が『ギルミーナ地方』を統一した時点で『四方世界』にその『功業』が知れ渡り近隣諸国は『恐れ警戒する』か、あるいは『援軍や自国の後ろ盾として頼る』かのどちらかを強制的に選択させられることになる。さらには『レーム北部』に限っては、以前『暗黒時代』の始まりに『カルシャーナ王国』が『辺境伯(大宰相)』の地位を与えてから『自衛』を命じてたことを述べた通り、そもそもカルシャーナ人たちはこの地域を『放棄』したつもりは全くなかった。なので『古の法(過去の事実)』に従って『改めてカルシャーナ王家に忠誠を誓え』と要求したわけである。
これがすべての始まりだったのである。だが『キュトン人』たちをはじめとする『旧カルシャーナ王国領』の都市群は『自分たちは見棄てられた』と認識していたし、すでに『400年間』独立王国でいたため『今更そんなの無効だ』と突っぱねたのであった。
また『キュトン人』たちが『カルシャーナ帝国』の支配を受け入れなかった『実際的な理由』は『トゥルエデ人』たちが関係していた。この時期すでに『レーム・テルビアナ諸国』の中に『トゥルエデ系王家』が立ち始めており、もちろん『トゥルエデ人の王』が立った都市国家は『テルビアナ文化』を捨て去っていた。なので彼らのアイデンティティーも『レーム南部』に起源があるため、『自分たちは過去に一度も『カルシャーナ人』に忠誠を誓ったことはない』と考えたのである。またこの時代は『オリシア人』の活動によって『東方諸国』の交易路が変化しており、『ギルミーナ地方』が主要な交易路から外れていたことも大きかった。つまり『カルシャーナ人に忠誠を誓う文化的な理由も経済的理由もない』と当時の『レーム北部』の諸民族は考えていたのだ。
よって彼らは『カルシャーナ帝国に抵抗する』選択肢を選び、それに対して『カルシャーナ帝国』が軍隊を差し向けて発生したのが『フラッガルの戦い』である。といってもこの戦争は局所的な戦闘が一回あっただけで終わったわけではなく、『フラッガルの戦い』の前後にも多くの戦闘が起こっていたそうだ。それによれば最初は『カルシャーナ帝国軍』が『レーム北部』の奥深く、『コロコス帝国』期の『フィズミク州』にまで侵攻したそうだが、この土地の『湿地帯』に苦しめられて進むことも戻ることもできなくなり、そこに『レーム北部』の主要な『12の国』の連合軍に強襲されて敗退したのであった。
さらに『12国連合軍』は激しい追撃を行ったため『カルシャーナ帝国軍』は大打撃を受けて『ギルミーナ地方』まで後退したそうだ。なので『12国連合軍』はかつて『エダイラ王国』の本拠地があり、この時代はすでに『トゥルエデ人の王家』が支配する都市国家が林立していた『カハル川』に『タルキュア市』を建設したのである。
実はこの時にかつての『エダイラ王国』の記憶が掘り起こされて『エダイラ文化ルネサンス』とでもいうべき現象が起こったのだが……『キュトン人』にはあまり関係ない話に思えて実は彼らも触発されて『キュトン文化ルネサンス』に励んでいたそうである。そしてこの時は『キュトン』は『独立』を保ったわけだが、その後今度は『レーム北部』の各地で『内紛』や『戦争』が続発して『混乱』が起こったそうだ。実は『カルシャーナ帝国』は軍事支配をいったんあきらめて『外交』に力を入れ始め、また『12国連合』の中で『さらにギルミーナ地方に侵攻するべき』と考えた国と『これ以上の侵攻は逆に自分たちが負ける』と方針が対立したのが原因であった。
結果後世の『レーム北部』の諸民族にとって大変不本意なことに、『帝国殺しの12国連合』は早々に『崩壊』してしまったのであった。次回へ続く。
ニムル『『逃れの町』以外にもいろいろと説明されてないことがあるけど……まあそれもおいおい説明がどこかででてくるだろうということで(汗)。でも『2~30年も一滴も雨が降らない』って恐ろしいね……(畏怖)』
イスティ「『氷河期』とかもそうですが、一年や二年ならなんとかできても『数十年から数百年単位』で『異常気象』が続くともう『人間族』に手の打ちようはないですね。実際『魔族』にだってそうなるとできることはほとんどないそうです。気まぐれな神々に祈るくらいでしょうかね……(皮肉気)」
カムサ「『東方諸国が交易で活況を呈していた時代』に『有名な王や英雄』はいなかったの? 全然名前がでてきないけど?」
イスティ「いますよたくさん。例えば『ディール・キルト・ハリエンナ』を建設した『カルシャーナ王キルト・ハリエンナ一世』とか、『ムンディ・アクナ』の『最大版図』を実現した『ゲメネス三世』とか。ただ『英傑』がこの時代は何人もいるからこそ省略しているらしいです。一人一人の功績をあげていくと長くなるので」
ハッシュ「なんか聞いたことある名前だなその王名は……はてさてどこで聞いたやら……(うろ覚え)」




