ニムル・イル・アルディヤ㉕『東の果てのユースティオ(永遠の楽園)』の話
ファーバスの町の近くにある山の中に、石を積んだだけの小さな墓が3つある。
墓からはファーバスの町が良く見えた。
春になっても、夏になっても、秋になっても、冬になっても、
じっと墓達はファーバスの町を見守っていた。
夕飯のクルチ(パン)と虫を食べながらハッシュが言った。
「なぁ、これから何する?」
場所は山の小屋の中だ。陶器の皿の上に載せた木の枝につけた火だけが明かりだった。
「そうね……ここに居てもどうしようないし、移動するべきね」とカムサ。
すでに山小屋周辺の食糧は取り尽くしていた。
「まあ、こんな山の中に引き籠っててもどうしようもねぇわなぁ……でもどこの町も受けいれてくれねぇだろうしなぁ……」
「だったら『イル・ザーラ(救世主)』になろうよ!」
ニムルが立ち上がって叫び、天井に向かって剣を掲げた。
「はぁ? 救世主? 何言ってんだお前?」とハッシュ。
「昔夢で見たんだよ、僕はこの世界を救う救世主なんだって! これから旅に出て、沢山の人達を救うんだよ! そうすれば皆から感謝されて家とかプレゼントされるよきっと! アルディヤ家の祖先がそうだったように!」
カムサが呆れて、
「……興奮してるようねニムル、つまり『冒険者』になろうってこと?」
「『冒険者』って……あたしらみたいな小娘3人じゃあ舐められて誰も相手にしねぇし、第一お前以外ろくに戦えねぇだろ?」とハッシュ。
「私は体力に自信ないわよ?」とカムサ。
「そんなもの後から鍛えればオッケーだし、ていうか2人は既に十分強いよ! 救世主が保障するから大丈夫ダイジョーブ!」
ニムルが自分の胸をどんと叩く。
「また適当なことを……第一冒険者って言っても、どこを冒険するんだよ? あたしどこに遺跡があるとか知らねぇぜ?」とハッシュ。
「どっか適当に歩いてれば見つかるよ多分!」
「あほか! 『商業都市』に行って情報や地図を買うんだよ普通は! そもそもお前どこに『商業都市』があるか知らねぇだろ!」
「救世主……そうね、じゃあ、『ユースティオ』を探す旅、なんてのはどう?」とカムサ。
ハッシュとニムルが顔を見合わせた。
『ユースティオ(楽しい国)?』
「あら知らないの? 『ユースティオ(理想郷)』よ。『ローメイダ』にも登場する『永遠の楽園』よ。ニムルの『救世主』で思い出したわ」
『ユースティオ(ユースティオン)』はクノム神話で語られる理想郷の名前だ。『東の果ての太陽が産まれる場所』にあるとされていた。
そして『ローメイダ』はクノム人が生み出した一大叙事詩だ。クノム神話の神々や英雄が大活躍する壮大な物語で、あまりの傑作さに『ローメイダを暗唱すれば神々も涙を流してどんな罪人であっても許してしまう』と言われるほどの文学作品だった(大げさ)
ハッシュが唸って、
「ああ~、そういえばなんか聞いたことあるな。そんで? その理想郷ってやつにはどうやって行けばいいんだ?」
「ずっと東に向かって歩き続ければそのうち見つかるらしいわ」とカムサ。
「えぇ……そんなの分からないって言ってるのと同じじゃねぇか」
「どうせ特に目的もないんだし、そのユーなんちゃらを目指すのでもいいんじゃない?」とニムル。
「本当勢いで生きてるなお前……少しは後先考えろよ」
「なんだよ~! 別に間違ってないじゃんか~! ハッシュは海賊の癖に心配性すぎ~!」
「海に出るならむしろ慎重に慎重を重ねなきゃいけねぇんだよ! これだから陸から出たことねぇ奴は……」
「あー! あー! お姉ちゃんを馬鹿にするな~!」
「だったらもっと姉らしく落ち着け! カムサの方がよっぽど姉らしいわ!」
じゃれ合ってる2人を見てカムサがクスクス笑った。
「ふふ、すっかり友達ね。でもその方がいいわ、いつまでもピリピリしてたら身が持たないもの」
ニムルが満面の笑みを浮かべ、ハッシュが鼻の下を掻いてから、
「……へっ、友達ぃ? 海賊に友達なんて必要ねぇんだよ。お前らは友達なんかじゃねぇ……」
ウィンクしてからキメ顔で言った。
「仲間だ。これからの新しい仲間と船出を祝って神々に感謝だ!」
2人がすぐに反応しなかったので少し照れてから、
「……んだよ、ちょっとは乗れよ、恥ずかしいだろ……」
「あははは! ごめんごめん! え~とじゃあ神々に感謝だね!」とニムル。
「ええ、素敵な仲間をくれた神々に感謝を」とカムサ。
3人が掌を重ねた。
ニムル達はすぐに今まで寝泊まりした山小屋を出る準備を進めた。
ハッシュが鍋をベルトで縛って担ぎ、
「鉄鍋はいるだろ? 後他にはなんだ? なんか小屋の中の物で使えそうなやつ持ってこうぜ」
カムサは難しい顔で埃まみれの物品をひっくり返しながら、
「……そうねぇ、鍋くらいかしら……? 陶器の皿とかあるけどかさばるからダメね。あ、上着があるからそれだけ持っていきましょう」
彼女に言われてニムルが毛皮の上着三人分を持ち上げると、
「重い……これ担ぐと余計な体力消耗すると思う……」
「毛皮は無理だぜ。いくら何でも重すぎる。馬かロバでもいればいいけどよ」とハッシュ。
「馬があったらこんな山奥にずっと籠ってないわね……持っていける食糧とかないかしら?」
「いつも一食分探すのにすごい時間かけてるよ? 二食分探してくるともっと時間がかかるし疲れるけど……?」とニムル。
食糧を探すのにも体力を使うし、備蓄できるほどの量を確保するためには一日中山中を歩き回っても足りないだろう。カムサは頭を抱えて、
「……町の市場に行けば明日の分まで買えるのに……仕方ないわね。食料を探しながら旅をしましょう」
ニムルが山小屋の中を見回して、
「……結局持っていける物は鍋だけだね……。ここも思えば結構長く住んでたね……」
少女達は暫くの間感傷に浸っていた。
ハッシュが言った。
「……とりあえず明日出発しようぜ。ここで寝るのはこれで最後だ。存分に寝ようぜ」
「存分に寝るって……藁のベッドはチクチクして正直好きじゃないわ……」
寝具として使っていた藁の山を指してカムサが嫌そうな顔をして、ニムルとハッシュが笑った。
夜になると、カムサは昼間採集したラズベリーを潰して汁を山小屋にあった陶製の盃に入れた。
「……本当は葡萄酒なんですけど、そんなもの手に入らないのでこっちで代替しますわ。お許しくださいお父様……」
少女達は山小屋の近くに作った石を積んだだけの墓の前にやってきていた。
そばには焚火を用意し、墓の前に盃を捧げてカムサが『神々への賛歌』を歌う。
ハッシュは焚火の前で眼を閉じて聞き入っている。ニムルは剣を持って辺りを警戒しつつも夜空を眺めていた。
(……クノムティオの夜空って、こんなに綺麗だったんだ……)
真っ暗な夜なのに、ニムルの眼には光を放つものしかなかった。
月が教えてくれる過ぎ去った時間に思いを馳せ、星座が教えてくれる方角に従ってどこへ行こうか?
ただ美しいだけではない、俯かなければこんなに多くのことを教えてもらえることをニムルは知った。
「……ハッシュ、僕達はこれからどこへ行こうか?」
空を見続けながらニムルが言う。ハッシュが目を開けてからふと森の中を見て、
「いや、だから東だろ? ……まあ、どうやら親切に教えてくれる奴が来てるみたいだから聞いてみるか?」
「え?」
ニムルと歌を中断したカムサがハッシュの指した先を見ると、少し離れた森の中を漂う『タコの炎』が見えた。
カムサがニムルの腕を掴んで、
「ま、また魔族なの? もう崖から落とされそうになるのは御免だわ……」
ハッシュが笑って、
「ほっとけ。『タコの炎』は誘ってくるだけで危害はくわえてこねぇよ。無視すりゃあいいさ。そのうち諦めて消えるだろ」
三人は無視することにした。すると『タコの炎』は少しづつ数を増やし始め、さらにどんどんこちらに近づいてくるようだった。
「増えてるわよ。それにこっちに来てるわ……」とカムサ。
「無視しろ。あたしらの気を引きたいんだ。なぁにあれがあいつらの限界だぜ。もうすぐ消えるぞ見てろよ」
ハッシュはそう言ったが『タコの炎』は消えない。それどころかまるで三人を包囲するように増殖し始め、四方が青緑色の怪しげな光で満たされ始めた。
カムサが血相を変えてハッシュに詰め寄った。
「ちょっと!? すぐ消えるんじゃなかったの!? なんで囲まれてるのよ!?」
「あたしに聞くな! ていうか囲まれたからどうしたって言うんだよ! ただ周りでフラフラ漂ってるだけじゃねーか! これなら蜂の方がずっと怖いね! ビビってんじゃ……きゃああ!?」
『タコの炎』の一つがハッシュの肩にくっついて彼女が悲鳴を上げて払う。だが怪しい炎は振り払われても消えず、またハッシュの身体に纏わりつこうとする。
「うわわわわ寄るな! 触んな! うわあああああ!?」
青緑の火の粉に包まれて転げまわるハッシュ。だがニムルは自分の右肩にくっついた炎に触れて、
「……これ全然熱くないし、服も燃えてないよ。不思議な炎……」
ハッシュが自分の身体が燃えていないことを確認して、
「……マジだ。本当にただくっついてるだけだ……」
カムサも自分達の周りを飛び回り火の粉を散らす『タコの炎』見て呟いた。
「綺麗だわ……地上に星空が落ちてきたみたい……」
森の中は辺り一面光のイルミネーションのようだ。飛び回る炎はまるで鱗粉を振りまく蝶々のようで、ニムルは自分が花畑の中にいるような気分になった。
「『タコの炎』って不吉な魔物なんでしょ? でもまるで私達のことを祝福してるみたいだわ……」とカムサ。
「不吉の前兆なのか福音(良い知らせ)なのか分からねぇな……実際どっちなんだろうな?」とハッシュ。
『きっとどっちでもあるんだろうね』
ニムルはそう思いながら夜空から東の方向を割り出してそちらの空を見る。
前世で憧れた『冒険者』という生き方がそこにあるのだ。
『永遠の楽園 (ユースティオ)』を目指す少女達の長い冒険の始まりの夜だった。