ニムル・イル・アルディヤ㉔『友情に必要な物』の話
死体達に襲われた兵士達は、しばらくした後動く死体に変った。
カムサは悲鳴を上げていた。止めようとしたが既に遅く、生きた人間がいたことに気づいた死体達が一斉に襲い掛かる。
ハッシュはその中に、父の部下の海賊達の顔を認めた。
部下達がハッシュの身体にかじりつく。
「やめろ! やめろおおおおお!」
そこでハッシュの意識も暗転した。
ハッシュは1人、暗闇の中を歩いていた。
「ニムル!? カムサ!? どこだ!? 生きてるなら返事をしろ!」
辺りにはカムサやニムルどころか、死体達も町すらない。
ただただ真っ暗闇の何もない空間が広がっているだけだった。
「くそったれ……幻覚か? あたしは一体どこに居るんだ……?」
『ハッシュ』
声がしたので振り返ると父アンタルマスが立っていた。
「お、親父……!? なんであんたが……」
彼女はたじろぐ。アンタルマスは無表情で、
『俺は本当のアンタルマスじゃねぇ、ここはお前の心の中だ。そして俺はお前が心に中に思い描く父親の影だ』
ハッシュが何もない空間を見渡してから、自嘲気味に笑った。
「……へへ、そうかい、ここはあたしの心の中か……何にもねぇな。まあだろうな」
そう言って地面に座り込んだ。地面は温かくも冷たくも無かった。
『疲れてるな』と父の影。
「当たり前だろ? ここ一カ月半ずっと山に籠ってたんだ。そんでやっとあいつらが同意したから親父を埋葬しに来たってのに、今度は死体が動き出すし……あーあ、もう嫌になったぜ。生きるのに疲れちまったよ……」
ハッシュはごろ寝した。父の影は言う。
『……お前が父の死体を埋葬するのはいい、だがその後何をするつもりだったのだ?』
「あん? その後? そんなもん何にもねぇよ。空っぽだよ空っぽ」
ハッシュは生気のない声で、
「町が崩壊しちまって、私は海賊にもなれなくなった。船を操る技術なんてないし、ろくに戦ったこともねぇ。あたしは親父がいないと何にもできねぇんだ……生きる意味なんてねーんだよ」
ハッシュは将来海賊になりたかったし、なるものだと思っていた。
父は優しかったから、反対しつつもきっと海賊団に入れてくれると信じていた。
だがその夢は故郷と共に永遠に消え失せた。
あとはただ、惰性で生きている肉の塊が居るにすぎなかった。
「じゃあ、死にましょう」
ふと気が付くと、少し離れた所にカムサが座っていた。
手にはニムルが持っていたはずの血まみれの剣を握っていた。ハッシュが上体を起こして、
「……死ぬ? 自殺するってか?」
「ええ、これ以上生きていた所でなんにもなりません。どうせ長生きできないのですから、今死ぬのも後で死ぬのも変わりはありませんわ」
「……お前はカムサか? それともあたしの中のカムサの影か?」
「……さぁ? 私自身、自分が何なのか分かりませんわ。自分の存在ってなんなんでしょう? 神々に見捨てられても生きる私は何? 男に産まれなかった私は一体なんなんでしょう……?」
じくじくと『絶望』が心を支配する。カムサの顔は泣きそうにも笑い出しそうにも見える不思議な表情をしていた。
ハッシュも俯いて、
「……そうだな。あたしも分かんねぇ。てかもうどーでもいいや。考えれば考えるほどなんで生きてるのか分かんねぇ。もういいか、疲れたしな……いっそここで楽になるか……」
ハッシュがカムサに近づいて、剣を受け取った。
剣には沢山の人達の血がついている。なら自分くらいが加わっても大したことないだろう。彼女が自分の喉元に剣を当てた。
だが、いつまでたってもハッシュは喉を斬らない。父の影が訝しんだ。
『……何をしているのだハッシュ? 楽になるのではなかったのか?』
ハッシュの手は震えていた。どれだけ力んでも剣が動かない。
「あれ? なんでだ? なんで出来ねぇんだ……?」
『何を怖がっているのだ!? お前は海賊になりたかったのだろう!? 海の男がそれくらい怖がると思うか!? 命知らずの荒くれ者達だろうが!』
「分かってる……分かってるよ……でも動かねぇんだ……!」
ハッシュの目から大粒の涙があふれた。
『海賊の恥さらしめ! さんざん普段から強がっておきながら何もできないのか!? 黒装束相手に武器無しでも戦った海賊達に申し訳ないと思わないのか!?』
「うう、ひぐ……分かってる……分かってるよ……でも、でも……」
ハッシュが剣を落として、地面に膝をついた。
「怖いんだよ……! あたしは強くも無ければ度胸もねぇ……! 死ぬのが怖いんだ、生きてて何の意味もねぇと分かってるけど、でも死ぬのが怖いんだよ!」
そばで茫然としてたカムサが、そこでハッとした。
『ただどうしてもお前には生きていて欲しい。愚かで自分勝手な父を許してくれ……』
最期の別れの時に、『生きろ』と言った父の言葉が脳裏をよぎったからだ。
ボロボロと泣くハッシュを抱きしめてカムサが囁いた。
「……ありがとうハッシュ、私も、大事なことを忘れてましたわ……」
ハッシュの手を握ると、強く握り返された。
カムサは一筋の涙と共に、やっと自分の過去と向き合えた気がした。
だが、アンタルマスの影が怒りの表情になった。
『軟弱な小娘どもめ……! 自殺出来ないなら私が楽にしてやろう!』
みるみるシルリスが正体を現す。カムサが目撃した二本足でたつ狼という姿をした魔族、鎌のような爪を光らせながらハッシュ達に近寄っていく。
「カムサ立て! 逃げるぞ!」
ハッシュがカムサの腕を引いて走り出した。
その後を魔物が追いかけてくる!
『馬鹿め! お前らは絶対に逃げられん!』
全力で駆けながら、決して離れないように強く握る。カムサもすぐに力強く走り出す。
確かな光が2人の目にはあった。生きようとする意思の光だ。
その目に色のついた世界が映る。彼女達はいつの間にかファーバスの町中を走っていた。
「ファーバス……!? でもこれは……」
だがカムサとハッシュはすぐに『異常』に気づいた。広がる町並みが破壊される前の状態になっていたからだ。
綺麗だが無人の町の中を2人は走る。だが怪物が徐々に追いあげてきていた。
「こっちですわ!」
カムサが急に方向転換する。引きずられたハッシュの目の前に町長の屋敷の門が開かれた。
「ここはお前の家じゃねぇか!?」とハッシュ。
「庭の蔵ですわ!」とカムサ。
2人は蔵の中に飛び込んで、化け物の目の前で扉を閉めた。
『ぐおおおおおお!? こんな物!』
ゴンッ! ガンッ!
ものすごい力で扉がひしゃげる。カムサはハッシュを倉庫の奥にある『隠し部屋』の中に押し込んで自分も入り、隠し戸を閉めた。
中は真っ暗で、何も見えなかった。
「この中なら簡単には見つかりませんわ」とカムサ。
「こんな所にこんなもんがあったのかよ……まさかお前『あの夜』はここに居たのか?」
「そんな所ですわ……静かに!」
ガチャンッ!
致命的な音と共に扉が開く音がした。化け物が中に入ってきて獰猛な唸り声を上げる。
『グルルルルゥ……どこだ…? 隠れても臭いで分かるぞ……!』
魔族が鼻をひくつかせる。カムサが青ざめた。
「匂いって……ここだと逃げ場がない……やってしまいましたわ……」
「チッ、こうなったら仕方ねぇ……戦うしかねぇな……」
剣を握り締めるハッシュ。
その時声が聞こえた。
『カムサ、ハッシュ、どこ?』
ニムルの声だった。思わずハッシュが叫ぶ。
「ニムル!? お前どこにいるんだ!?」
隠し部屋の中は暗すぎて、どれくらいの広さなのかも分からない。声は何度も反響してどこから聞こえてくるのか分からなかった。
『2人こそどこにいるの!? もっと声を出して! 居場所が分からないから助けに行けないよ! お願い!』
カムサが恐怖でハッシュの手を強く握る。ハッシュは剣を構えてから静かに言った。
「……お前本当にニムルか?」
ニムルが困惑しているのが分かった。
『本当だよ! 僕が本物のニムルだよ! ほら証拠に、ほら!』
暗闇の中にすっと光る手が見えた。手首から下だけの手だ。
『これ僕の手だって分かる!? この手を掴んで! そうしたら助けられる! 2人は今あの魔族に幻覚を見せられてるんだよ! でもこの手を掴んでくれれば大丈夫だから!』
「そんなの信じられるかよ!」
ハッシュが叫んだ。
「手なんか見せられても本人かどうかなんて分かんねぇよ! お前が魔族が見せてる幻覚かもしれねぇじゃねぇか! 証明したいならあたしらの本名でも言ってみろ! そうしたら信じてやるよ!」
『僕が2人の本名知ってるわけないじゃん……』
「ああそうだったな! むしろ本名当てた方が疑わしいな! 魔族の中には人の心を読む奴もいるしな!」
『確かに証明なんて出来ない……でも信じて欲しい! 僕は本物のニムル・イル・アルディヤだよ! ただ2人を助けたい、死なせたくないだけなんだよ! だから僕の言葉を信じて欲しい!』
「そもそもお前が本物のニムルだったとしても信じられねぇんだよ!」
ニムルが息をのむ音が聞こえた。ハッシュは恐怖余りパニックになって本音をぶちまけた。
「だいたいあたし達はまだお互いに知り合って二か月くらいしか経ってねぇ! そんな短期間ちょっと関わっただけの奴の言葉を信じられるわけないだろ! お前はそんな奴の言葉に命を賭けられるのかよ! あたしは無理だ! そんな無鉄砲じゃないし、命だって1つしかねぇんだ! ただのか弱い小娘にそんなことが出来るかよ!」
「ハッシュ……」
隣にいたカムサが声を漏らす。ハッシュが荒い息を吐いていると、闇の中でニムルが言った。
『……な~んだ、そんなことかぁ、そんなことどうだっていいじゃん』
「はぁ!? お前ふざけんのもいい加減に……」
『ふざけてない! ハッシュは勘違いしてる!』
ハッシュよりもさらに大きな声でニムルが怒鳴った。
『信用出来るかどうかに一緒にいた期間は関係ない! 家族の間でも本音で話せないことだってあるし、隠し事をしてることだってある! 一番重要なのは本音で話すことなんだよ! じゃあ僕達は本音で話したことなかった? 違うでしょ!?』
カムサの手が緩む。ハッシュがぽかんとし、ニムルは怒鳴り続ける。
『この二カ月、僕達は本音をぶつけ合わせてきた! そうだったでしょ!? ごまかしが効かない限界の生活の中で、僕達はいつも喧嘩ばっかりしてた! でもそれはお互いの本音をさらけ出してたからに決まってるじゃん! だから僕はハッシュもカムサも本当は生きたいってことを知ってる! だから助けに来た! 僕は何か間違ったこと言ってる!? 合ってるでしょ!?』
もう一度、光る手が差し伸べられた。
『だから……ほんのちょっとの勇気をだして、僕を信じて欲しい……!』
「う、うぅ……」
ハッシュはどうすればいいのか分からなかった。すがるようにカムサの服を掴むと、カムサは彼女の腕を持って呟いた。
「ハッシュ、私は賭けてみようと思うわ……」
その言葉で、ハッシュも勇気が湧いてきた。
「……分かった、じゃあ2人で一緒にだ」
「ええ……行きますわよ?」
2人が一緒に手を伸ばし、ニムルの手を掴んだ。
瞬間世界が崩壊した。
まやかしのファーバスの町が消え去り、ハッシュは自分とカムサが狼の魔族に掴まって食われかけていた所をニムルに助けられたことを知った。
「剣を!」
「お、おう!」
ニムルにハッシュが剣を渡す。獲物を奪われた狼の魔族が怒りの声を上げてニムルに襲い掛かる!
『ぐおおおおおおああああああ!! 人間ぶぜいがああああああ!』
「……魔族は皆そう言うね、全部倒したけどね!」
ザシュッ!
『GOAAAAAAAAA!?』
首筋に剣を突き刺されて悲鳴を上げる魔族。さらにそのまま剣を捻って頸椎を破壊した。
ドズーン……。
魔族は地面に倒れて動かなくなった。見渡せば先ほどやってきていた兵士達は全員腹を食い破られて死んでいた。
「うわぁ、まじか……」とハッシュ。
「この魔族の見せた幻影に負けたみたいだね。さあすぐに用事を済ませて行こう! また他の魔族が来るよ!」
ニムルに急かされて、ハッシュは慌てて走り出して父が死んだ通りの辺りを探した。
すると見覚えのある腕輪をした白骨死体を見つけた。死体はすでに腐って全て骨に変っている。
「よし……カムサの親父さんはいいのか!?」とハッシュ。
「……ごめんなさい、私もお墓を作りたいですわ」とカムサ。
「よしきた!」とニムル。
そのままカムサの家に行ってシルリスの頭蓋骨を拾った。ニムルは弟と妹は海の底で回収できないので、両親が潰された辺りを探してそれらしい骨を拾った。
「……さぁ帰ろう! こんな町は早くおさらばだよ!」
3人は足早にファーバスの町を後にした。
もう二度と戻ることはない、未練を振り切るように走り去ったのだった……。