マルを貰う日
『ねえ、○○くん、落ち着いて聞いてね』
ギャルゲーの周回プレイをやってる最中に、ひらめいてしまった。
死のう。なんでもいいから死のう。
思いつきにしては名案すぎた。有言実行。即座に、女の子を助け口説き結婚する世界からログアウトする。
永遠の別れにしてはあっけないワンクリックでウィンドウは閉じた。
青白い光だけが照らす部屋。俺にとっての世界の中心ともいえるその部屋だ。くすんだ壁を隠すようにそびえたつ本棚。
その三段目から、貯めに貯めた薬を取り出した。薬局で適当に買いあさった薬。なけなしの貯金を崩して買ったんだから、役立ってほしいものだ。
埃被ったリュックサックに、小銭とかお菓子とか薬とか、まあ色々詰める。
どうせだし外に出てやろうなんて気になったので、久しぶりにドアノブをひねる。どうせならトラックに轢かれて異世界転生するのも悪くない。
実に三日ぶりだ。人間はペットボトルとカップラーメンとパソコンで生きていける。俺がその生きた証明だ。
「あら。ご飯取りに来たの? やきそば好きねぇ」
リビングでババアが1人くつろいでいた。ソースのべっとりとした匂いが充満している。ついでに熱中症だなんだとテレビが騒がしい。五感全てで不快感を受けて第六感が覚醒しそうだ。
だから電源を消す。ゴミより価値のない映像だ。
「ちょっと」
だから、こんなの価値なんてないって言ってるだろ! 小言がうるさい。まあ慣れているからこのくらいの罵倒で勘弁してやろう。
「出るの?」
逆に黒パーカーとかいうオシャレパーカーを着て外以外どこにでるのだと聞きたい。
「じゃあ、帰りに卵買っておいてもらえる?」
ふん。帰るんだったら買ってきてやるよ。帰るんだったらな! もう帰ってこないけどな!
俺はそういう顔をしながら、玄関に出て後悔する。
うわ。暑い。パーカーが邪魔だった。黒が熱を吸収する。今すぐ脱ぎ捨てて冷風の吹く自室へ引きこもりたかった。
でもババアに悟られても面倒で、そのまま蜃気楼が立つ外界へと、俺は飛び立った。
いや比喩でもなく外気が揺れている。外に出たのは、退職届を出した時以来だった。
どうやら俺が目を離している間に、外は人が生きられないサバンナと化していたらしい。くそぅ、もう少し早く気付いていれば世界を救ってやれたんだがな。
外は人気が全くない。車さえない。信号なんて待つ理由もない。くそ。死因:トラック作戦はすでに失敗したみたいだ。
コンクリートからの照りかえしが痛すぎる。いつしか夏は俺の敵になっていた。
夏は俺のことを殺したくて殺したくてたまらないらしい。昔はお前と遊んでやった仲なのに。
この時期、親友のタケちゃんと蝉を爆発させたものだ。
よくよく考えれば俺達は残酷だった。自分自身の為に何かを壊すことに、まっったく負い目を感じてなかった。
「ねえ、お兄さん、何してるの?」
夏は、俺達を引き合わせた。
運命でさえ虜にしてしまうのが、俺の魅力ってやつかな。うん、罪。
平成最後の酷暑。なんともまぁ、ボーイミーツガールに相応しすぎる天候。
振り向くと、麦わら帽子を被った白いワンピースの女の子がいた。年齢的には、幼女と少女の中間くらいだ。顔はもちろん美少女級だ。とてもかわいい。
しかし周りには嫉妬から「醜い」と言われ続け、自己肯定感が低い。という設定がついているに違いないんだ。とてもかわいい。
「お兄さん、何してるの?」
いけない、キミに見惚れて返事をしていなかったね。お兄さんはね、キミに見惚れていたんだよ。
「ふーん、お兄さん、変だねぇ」
オンリーワンと言ってくれないか。お兄さんはトラックに轢かれたらハーレムを作れる側の人間なんだよ。
変と言われるのは、あまり好きじゃないんだ。別に好きでこういう風に生きてるわけじゃないのに、非難されるこっちの身にもなってくれ。
その点、同期の女性は俺に『それも魅力だ』と言ってくれたいい人だ。彼女は俺に惚れていたに違いないな、うん。
「お兄さん、もしかして信号が変わるのを待ってるの? そういうのを『いいおとな』っていうんだって! えらいね!」
本当はトラックを待っていたのだが。褒められるのは嫌いじゃない。しかたないので少女と信号を待つことにした。
「お兄さん、名前はなんていうの」
ふむ。名前。そうだな。ここは敢えて隠しておこうかな。
「あのね、まるは、まるっていうんだよ」
へぇ、まるちゃん。変わった名前だな。親にぜひとも由来を聞きたいところだ。バツとか三角じゃだめだったのかね。
「まるは、まるなの!」
胡乱な目線に不満そうなまるちゃん。信号が変わったので、俺は無視して歩き出した。
ああでも、行く当てがない。
オーバードーズで死ぬならわざわざ外に出なくて良いし。
こんなに暑いとすぐ死体って腐るんだろうなぁ。三時間後の臭いを想像するだけで吐き気するわ。
「お兄さん、どこいくの」
ふっ、強いて言えば、人生の終着点、かな。
「まる、ついていっていい?」
やれやれ。やっかいな女にひっかかったなと俺はため息をついた。
しかし旅は道づれというし。しょうがないので手を繋いでやることにする。事案ではない。
なに、子供の頃はよく走り回った街だ。とりあえず広場にでも行こうじゃないか。あそこには大きなイチョウの木があったはずだから、そこで涼もう。
もしかしたら、そこで旧友に出会えるかもしれない。タケちゃんは東京へと行ってしまったけど、まだ残ってるやつだって居るはずだ。
たわいない昔話なんか出来たら、きっと笑い転げたくなる。人生最期の日は、楽しい方がいい。
右、左と景色を眺め、広場のある方角を確認。右、左。右、左。……前、後。
「お兄さん、たいようがある方が南だよ」
うん。流石にそれは分かってる。嗚呼、十年ぽっちじゃ太陽は変わらないのに、町並みはこんなにぐちゃぐちゃだ。
スマホを取り出して、マップを開く。そして地図を見る。
……もういいや、まるちゃん、お前が行きたい場所に行ってくれ。出来ればクーラーが効いてるところ。
「まる、あっちにいきたいなー」
俺をひっぱるまるちゃん、結構力が強い。こどもパワー怖い。
細い道とかフェンスの間とか、都市化が進んでも残ったこどもの通り道。
通り通った先は、小さな空き地だった。マンションとマンションの間にあって、薄暗い。
ベンチとか謎のアスレチックとかがおいてある、今じゃよくみかける謎の土地だ。
「こーえんにとうちゃっく!」
えっ嘘。最近のこどもってこんな狭いとこで遊んでんのか。俺としては涼しければなんでもいいけどさ。
「ここねー、前はおっきな木があったんだよ」
まるちゃんはぴょんぴょん跳ねる。俺はベンチに腰掛けて休憩、ではなく黄昏れるつもりだ。別に疲れてなんてない。
新しめのベンチは、腰を勢いよく落としてもケツに鈍い痛みが来ただけだった。腰にも来た。
「でもね、くさいー! ってとっちゃった!」
え、それ、イチョウの木じゃん。確かに臭いけどさ。銀杏取ってババアに喜ばれたりしてたから、ちょっと複雑だ。
ああ、そっか、ここ、広場だったとこか。昔はこの空き地の十倍はあったのにな。
無論懐かしい顔ぶれなど居なかった。そもそも俺とまるちゃんしかいない。静かな静かな場所だった。
まるちゃんは謎のアスレチックに手を伸ばす。だが、届かなくてむすっとした。正直かわいい。
横に立てかけている看板には、使い方が書かれているが、まるちゃんには漢字だらけで読めないのだろう。何の変哲もない大人用のストレッチ用具だ。
……ホントにこどもが遊ぶのに向いてねぇな、この町。
「ねえお兄ちゃん、満足した?」
こどもの不満は収まることを知らない。俺に飛び火しないでくれ。俺はまるちゃんの案内でここに来ただけなんだよ。
「本当は、お兄ちゃんが来たいから来ただけなのに?」
もしかして、俺が広場に来たいって言ったから連れて来てくれたのか? 優しいな、まるちゃんは。
でもなぁ俺、スマホで地図見た時に、本当は気付いちゃってたんだよ。
もうここは、ただの空き地でしかないんだって。蝉一匹もいない、寂しい場所でしかないんだって。
「お兄ちゃんは、何も口にしてないよ」
ああ、俺。こんな子供にまで気を使われてるなぁ。そりゃ、こんなちっぽけな所になってるなんて、ちょっとショックだけどさぁ。
でも、『ちょっとショック』なだけなんだよ。まるちゃん。
子供の俺に言ったらぎゃん泣きするかもしれないけど、少なくとも今の俺はこういう出来事に慣れてしまった。
大切な思い出の場所がなくなっても。頑張った物事がうまくいかなくても。同僚の女の人に『あの人は変だよね』と影口を叩かれていたとしても。
ちょっとショックだなあ、って思えるくらいに無感動になっちゃったんだよ。それが積み重なってるだけで死のうとしてる俺のメンタルは問題かもしれないけどさぁ。
良いんだよ、まるちゃん。仮にここが昔と同じだったからって、友達と会えたからって、俺はその時別の『ちょっとショック』があっただけなんだから。
「お兄ちゃんは何も言ってない。まるに会った後から、一言も口に出してなんていない」
ああ、ごめん。すねちゃったの、俺のせい? 俺、喋るの苦手なんだ。
だって俺、思ったことを口に出すと嫌われるから。叱られるから。変だって思われちゃうから。無駄に言い回しがくどいだとか汚いだとか。
だから無口でいることにしたよ。
俺は普通の人とは違うんだよ。人に疎まれてしまうくらいの才能があるんじゃなくて、ただ平均より下の能力しかないんだ。
それと引き換えにした素晴らしい技能もありはしないんだ。優しい人の手を煩わせて、困らせてしまうだけなんだ。
「でもね、まるちゃんはまるちゃんなの! バツでも三角でもなく、まるだから」
そういえばまるちゃん、声も綺麗だね。声優さんばりというか、むしろ俺の好きな声優さんそのもの。
うん、そっか。それは当たり前か。
白いワンピースに、麦わら帽子。にっこりと笑う彼女は、つい先ほどまで遊んでいたゲームのキャラクターにそっくりだった。
俺が思い描いた理想のキャラクター、そのものだ。
別にロリコンなわけじゃない。
ただ彼女の純粋さが好きだ。まるちゃんは俺を否定しないから好きだ。まるちゃんは俺のことを知らないから好きだ。
俺は『お兄ちゃん』じゃないから、まるちゃんのことが好きだ。
でも、まるちゃんがもし実在していたのならきっと、俺のことを嫌いだって言うだろうなぁ。
「お兄ちゃんに、マルをあげます。それも大きなハナマル!」
その言葉は俺が欲しい言葉のはずなのに。気付いてしまったから、もう意味のない言葉だった。
「だから、お兄ちゃん。もういいんだよ」
「一緒に逝こうよ、お兄ちゃん」
その気持ちが本物なら嬉しかったよ、まるちゃん。
空き地を出ればそこは道路だった。飛び出していけばきっと車に轢かれて死ぬと思っていたのに、中々車は来ない。
まるちゃんは追って来ない。そもそもそんなやつ、最初からいない。
そうだね、まるちゃん。俺はまるちゃんからハナマルを貰ったから、もう死んでもいいね。
炎天下のせいで中々車が通らない。でも、来た。おあつらえ向きのトラックが来た。
なんでいつも、轢かれるのはトラックだと相場が決まっているのか分かった。仕事で車を使う人が居るんだ。俺なんかより十二分に偉い人がいて、その人がこんな暑い日も働いているんだ。
道路の真ん中に立つ。
本当、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。なんて月並みな言葉だろう。どうして俺はそんな謝罪でいままでの全てが帳消しになると思っていたんだろう。
歯がガチガチ鳴った。パーカーまで来ているのにやけに寒い。保冷材になった気分だった。
クラクションが鳴った。俺は聞いていた。
でも、だから。
俺ぼ足は、勝手に動いた。全力で歩道へと走った。
転んで、無様にスライディングした。
轢かれなかった。
肌が擦れて血がにじんだ。
トラックは走り去っていった。自分の心臓の音が今更煩くなった。
リュックから薬がぶちまけられていた。拾う気にはなれなかった。
「しねない」
嗚咽混じりに、口から洩れた言葉が、自分の耳に入って来る。嘘じゃないと確信してしまう。
死ねるわけ、ないじゃないか。
だって、俺なんかを轢いた奴が可哀想だ。なんにもしれないのに罪に問われて、職を失って、人を殺した時の感触だけ残ってるなんて、そんなの。
死ぬ最後まで誰かを困らせるなんて、それこそ俺がいちばんやりたくないことだ。
「ああ、そうか、俺、最初から死ぬ気なんてないんだ」
ただ、褒められたくて。マルを貰いたくて外に出ただけだった。
でもこんな俺に、それだけのことでマルをくれるのはまるちゃんくらいだ。俺自身くらいだ。
「ありがとうぉ、まるちゃんっ! 俺にマルをくれてありがとうっ!」
絶対に届かない言葉だ。妄想にお礼を言うとか、大声出しながら泣くとか、頭おかしいわ俺。きっと暑さのせいでネジが飛んでるんだ。
俺は次の行き先を決めた。スーパーに行こう。他意はない。冷房が効いていて涼しいからだ。
「あら、卵買ってきてくれたの? ありがとう」
ババアの声は無視だ無視。すぐさま俺の世界へと篭って、ウィンドウを開く。セーブデータをロードして、選択肢を黙々と選んでいく。
『ねえ、○○くん、落ち着いて聞いてね』
『まるちゃん、トラックに轢かれて死んじゃったって』
まるちゃんはいつも通り、物語の世界の住人だった。
そして俺はいつも通り、現実の世界の住人だった。
明日はハローワークに行こう。穏和なババアもキレると面倒だから。
最後まで読んで下さりありがとうございました。