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それいけ! メイドレス・スリー  作者: みやしん
■第二章 ヒトミ
7/32

■■ 「あれは君の趣味か?」

 しかし教室で公太郎を待っていたのは、華子との緊迫した状態だけで無かった。

 窓際最後尾、華子と会話していなければさほど目立つ席でも無いのだが、今日はそうはいかない。彼の真後ろにたたずむフタバの存在によって級友の注目をいやがおうでも浴びていた。

『ハムの後ろに居る美少女は誰だ?』

 しかも知的美少女と言う雰囲気が満載だ。まん丸メガネの奥の大きな瞳が少したれた目尻とあいまってとてもチャーミングなのである。切れ毛も枝毛も乱れ毛も無い黒髪ストレートは鏡のようだ。

 さらに教室に入ってもコートを脱がず頭の上にあまり見ないアクセサリーを着けていた。なおかつあのハムタロウの後ろにいて彼に対し何やらいつも優しい眼差しを向けている。

 ホームルームが始まるまでのわずかな時間に、フタバの存在感はとても大きなものになっていた。

 おまけに公太郎の右隣にも笑顔なのに不気味なオーラを吹き出している華子が居た。顔は正面一時の方角を向いているのだが、怒りの波動はまっすぐ公太郎に向いている。それがあまりに激しいため華子の友だちもおいそれと声をかけることができない。

 チャイムが鳴ると担任の碧が教室に入ってすぐフタバに目を向けた。

「みんなも気がついているかもしれないが、今日は転入予定の生徒が見学と言う形で授業に参加する。彼女が判らないことがあったら教えてあげるように」

「せんせー、自己紹介してもらったらどーでしょうか?」

「おい、こらへーぞー」

「うむそうだな……今後同じクラスになることも考えられるし、萌葱がよければそうするか」

「へ? どうしてタロウが関係あるの?」

 平蔵は手を挙げたままぽかんと公太郎の顔を見た。

「いや、自己紹介までは……」

「はい、わたしは一向にかまいません」

 と、窓際最後尾とさらにその後ろから声が上がった。

「あ、でもフタバ」

「何か不都合がありますでしょうか、ご主人様」

「えー!」

 その爽やかな笑顔から軽やかな声で「ご主人様」なる単語が奏でられると、教室の中にざわめきが走った。

 平蔵の掲げられていた手もゆっくりと机の上に落ちる。教室内で動揺していないように見えるのは公太郎とフタバ、それに華子だろう。

 それともう一人、碧も生徒の様子を気にすること無くフタバを教壇の上に手招きした。

「それでは、悪いが前に出て簡単に自己紹介をしてくれ」

 碧に言われ、フタバはしずしずと教室の前に立つと、チョークを持って黒板に『萌葱フタバ』と美しい楷書体で書いた。

「名前は萌葱フタバと申します。本日はみなさまのご迷惑にならないよう勤めたいと思いますのでよろしくお願いします」

 そのあと礼儀正しくお辞儀をしてみせた。

 教室の中ではいくつかの私語が飛び交う――「萌葱? ハムの親戚か?」「あいつ確か一人っ子だよな、妹とか姉で無いよな」「兄妹だったらご主人様なんて言わないだろう」――その言葉は何となく窓際最後尾に向いているのだが、彼は知らんぷりを決め込んでいる。

 そんな教室のざわつきが収まるのを待って、碧が壇上に声をかけた。

「この部屋、寒いのか?」

「寒いとはどういうことでしょう?」

「コートを着ているから空調が合っていないのかと思ってね」

 フタバが改めて教室内を見回すと、確かにコートを着ている者は居ない。

「失礼しました。配慮のつもりでしたがコートは必要ありません」

 言うが速いかコートのボタンを外しそっと脱いで手元にまとめていた。

「おー!」

 その下から現れたのはメイド喫茶でもなかなか見かけることができない、完璧に着こなされた深緑色のメイド服であった。サイズもぴったりでしかもよく似合っている。コートを着ていた時も十分可愛らしく見えたが今は比較できないほどの輝きがあった。

 またそれが現れたことで、彼女の髪飾りの意味が判ったとばかりにうなずく生徒もいる。何となく浮かんでいた違和感も一掃されていた。

 もちろん先ほどと別の動揺が走った。その衝撃波が最終的に行き着く先は公太郎である。

 碧はふむとうなずき、フタバを教壇からおろしてホームルームを終了したあと、

「萌葱公太郎、ちょっといいか」

 そう彼を呼んだ。フルネームだったのはフタバと区別するためだろう。

 いったい何を言われるのかと思ったがとりあえず自分の席にフタバを座らせおとなしく教室を出た。碧は廊下で待っており彼の姿を見ると付いてこいとばかりに歩き出す。

 クラスの中で一番背が高い男子と、教員の中で一番背が低い教師、三〇センチ近くの身長差の二人が前後に並んで廊下を進んでいた。

「あれは君の趣味か?」

 碧は背を向けたまま公太郎にたずねた。からかっている様子は無い。

「いえ、彼女があの制服に仕事の誇りがあるとかで……」

「そうか。学校の中にはいろいろな機材があるからひらひらに引っかからないように注意するように伝えてくれ。あと面会バッチも見やすいところにつけるようにな」

 碧は事務的にそう言っただけだった。

「あの服装は問題無いんですか?」

「うん? 良く似合っていると言うべきかな?」

「いや、そうで無くて、風紀的に問題無いんでしょうか?」

 そこでようやく振り向いた碧だが足は止まらず笑顔である。

「服装規定を知らないのか? この学校の制服を着用しないのであれば見えるところに身分証さえついていれば良い。全裸とかトップレスなど公然わいせつに引っかかるようなものはまずいがその点では問題無いだろう」

 彼女はそう告げると前を向いた。この発言は学校側としてフタバの服装に問題が無いと言うお墨付きになる。

 近松碧は学校側の風紀担当教員でもあるのだ。

 以前からかなりいい加減な学校だと感じていたがここまでと思っていなかった公太郎である。ある意味自由に徹しているとも言えた。

「じゃあ俺をどこに連れていくんです?」

「突然のことなので机が用意できなくてな。イスだけでも調達しにいくのだよ」

 つまり荷物持ちと言うことだ。

 彼は碧とA組の教室で空いているイスをもらい受け、一人自分の教室に戻った。

 目立たないように後ろの扉からこっそりと入ったつもりが、教室内のほとんどの視線がレーザー光線のように彼の額に集中する。

 それも無視して自分の席に戻ると、平蔵が何やら早口でフタバに話しかけている。彼女はにこやかにそれに対応していたのだが、公太郎に気がつくとすぐさま席を立った。

「フタバ、今日はこのイスで我慢してほしいとのことだ」

「イスを運んでいただいて申し訳ありません、ご主人様」

 そのキーワードが彼女の口から放たれるごとに教室内がざわめいている。しかし当のフタバは受け取ったイスに静かに腰掛けるだけだった。

 公太郎は平蔵からあふれる興味を向けられていた。

「なあ、フタバちゃんってホントのところおまえとの関係は何なんだよ」

「俺の家で働いてもらっている家政婦さんだって」

「それってホントなの、フタバちゃん」

 公太郎を通り越して平蔵がフタバにたずねると、今朝と同じように首を左右に振ってみせる。

「いえ、わたしはご主人様だけのメイドです」

 あまりに自信のある言い方に、平蔵も感心しただけで二の句を忘れている。

 そして公太郎の右隣の華子は無関心を装うため、正面二時の方角に顔を向け握り拳を振るわせていた。


  §


 その日の昼休み、華子の荒れ具合はピークに達していた。

 彼女は友人の女子生徒二人と『サクラの間』と言う小スペースに来ていた。

 ここは体育館と体育用具倉庫・旧部室の間にできた一〇坪にも満たない空間だ。桜の老木の周りに芝生が植えられ、ベンチが一脚置いてある。

 春先から秋口まではこの芝生に陣取って昼食を食べる生徒がいるために、先着順で取り合いになる。さすがに一二月ともなると風が冷たく外で食べられないが、隣接した旧部室長屋がフリースペースとして改造されており、ここで食事をする者もいる。

 華子たち三人も旧茶道部部室の畳の上に座り輪になって食事していた。その中で華子は食べ方が非常に豪快だった。

 弁当箱は公太郎用の大きなものだ。それを抱え込んで箸でがつがつと口に放り込んでいく。あまりに男前な食べ方に同席している二人はただぽかんとその様子を見ていた。

「ハナちゃん、それってハムちゃんのお弁当でしょ」

 華子の右隣でサンドイッチをつまんでいた、同じクラスの伊達千代子[だて・ちよこ]は流し目で華子の膝の上に乗っている小さな弁当箱を見ていた。その小さい方が本来華子がいつも食べているものである。

 華子は一瞬箸の動きを止めた。

「いいのよ、どうせこっちはついでに作った方だから」

「ホントか? 小さい弁当の方がついでじゃないのか?」

 華子の目の前、C組の西御寺可憐[さいおんじ・かれん]は小首をかしげる。名前はカレンなのだが身長は華子より高く合気道部の花であり、髪も「うざいから」とショートカットにしているため普段は今の華子よりよほど男前である。

 可憐の言葉にまたぴたりと箸を止めた。

「そんなわけ、無いじゃない」

「ふーん、そのついでで無い方の弁当、俺にくれよ」

「いいよいいよ、勝手に持っていって」

「そーだよね、ハナちゃんでもそんなに食べるとあとで体重減らすの大変だよね」

「そんなこと無いわよ。ダイエットなんて簡単なんだから」

 華子の返事に全体的にぽっちゃり体型の千代子が興味津々と耳を向けた。三人の中では一番背が低いがそれでも一六〇センチある。本人はそれなりに気にしている体型も太めと言うよりややグラマラスである。髪もロングでふわふわの毛先は背中を隠していた。

「あたしなんかもう何回もダイエットしているから」

 それじゃダメジャンと思ったのか千代子は、視線を可憐がもらい受けた華子の小さな弁当箱に向けた。

 可憐はもらった弁当をさっそく食べ始めていたが、こちらも実に男前にがつがつと箸を動かしている。しかし華子と違いとても満足げにほほえんでいた。

「もったいないよね、ハムちゃんもこんなにおいしそうなお弁当食べないんだから」

「いいのよ、あいつはあのメイドさんのお弁当を食べているんだから」

 可憐は箸の動きを止めずに華子を見た。

「そのメイドさんってホントに萌葱のメイドさんなのか?」

「あたしだって良く知らないわよ。そもそもあたしに聞かないでよ!」

 しかし二年生女子の間でその質問をできそうなのが華子だけなのである。

 ハムタロウがとっても可愛いメイドさんを連れ学校に来ていると言う噂は、すぐさま二年生の間に広まり、E組の教室には休み時間ごとに見学者が適当な言い訳を作って訪れていた。

 その来客は男子が多いように見え、華子の人脈のおかげか女子が圧倒的に多くなおかつ言い訳に華子が使われるため、彼女のイライラは時間をおうごとにひどくなったのである。

 噂のフタバはと言うと休み時間も授業中も、イスに腰掛けたままおとなしくしている。

 一度三時間目の休み時間に公太郎がトイレに立つと、それに従って一歩分離れて付いていった。彼と一緒に男子トイレに入ることは無いが、入り口を少し離れて静かに立って待っている。用を済ませた彼が出てくると、真っ白なハンカチを取り出しさりげなく渡していた。

 それを自然に振る舞う姿はまさしく主人に仕えるメイドなのだが、どう見ても彼女の年齢は自分たちと同じくらいだ。いったいどんな紹介ルートなら彼女みたいな、メガネっ子美少女メイドさんを斡旋してもらえるのか、男子はいろいろと想像する。だがいつもフタバが公太郎のそばに寄り添っており、聞くこともできなかった。

 そう言う空気を全く読まないことで有名な平蔵は、休み時間ごとにフタバにいろいろと質問している。彼女は秘守義務を考え詳しいことまで話さない。ただ、その区分が微妙に一般常識とずれていた。

 場所は二年E組の教室に変わって。

 公太郎はフタバが持ってきたお弁当を食べていた。中身はおにぎりと簡単なおかずである。華子の弁当を見慣れた他の男子にしてみると、わりに質素で期待はずれな勘があったが、華子と違うのはフタバが彼のそばにいていろいろと介助してくれることだ。

 別段一人で食べることもできるのだが、フタバのメイド意識がそれを許さないらしい。さすがに「あーんしてください」は無いがお弁当箱の中に彼が直接手を入れることを許さなかった。

 どれを食べたいかフタバに指示する、彼女が取り皿にそれを移す、それを公太郎が食べると言う手順だ。

 あまりな光景にクラスの男子は犯罪者を見るような視線を公太郎に送っている。平蔵だけが購買部で買ってきたコロッケパンを食べながら、フタバに質問を続けていた。

「フタバちゃんってこいつの家でも、そんなに丁寧に食事を手伝っているの?」

「わたしはまだメイドになりたてですので、どこまでお手伝いすれば良いのか判らず、ご主人様にいろいろと教えていただいている最中なのです」

「ふーん、ねえねえ、どんなお世話をしているの?」

「お食事の支度やお洗濯、お掃除などですよ」

「まさか一緒にお風呂に入っていたりして!」

 公太郎は思わず口の中のおにぎりを平蔵の顔めがけて噴霧するところだったが、ぐっと堪えているとフタバは首を左右に振った。

「いえ、ご主人様とご一緒に入ることなどできません」

 フタバが常識があって良かったと思う公太郎なのだが、反面何かを期待していた平蔵はどこかつまらなそうな顔をしている。ところが、

「ですがご主人様の身体はわたしが隅々まで洗わせていただいています」

 やっぱり少しだけ噴いた。

 米粒が一つだけ平蔵に向かって飛んだのだが、飛距離は短く自分の机の上に落ちた。

「大丈夫ですか、ご主人様!」

 驚いたフタバはハンカチを取り出すと公太郎の口元を心配そうに拭いている。平蔵プラスその他大勢の男子はもれなく公太郎の入浴中の姿……ではなく、自分の全身をくまなく洗ってくれるフタバの姿を想像していたであろう。

「……フタバ、そう言うのは秘守対象だよ」

「かしこまりました」

 彼女の場合、公太郎に関するプライベートは秘守項目に当たるため聞かれても答えない。ところが自分に関してはその基準が曖昧だった。なので先ほどから「秘守項目」を追加しているのだが、いっそ彼女には何もしゃべらせない方が良いかなと思う公太郎である。

 場所は『サクラの間』に戻って。

 さすがに公太郎用の弁当は量が多かったのか、全部食べた華子は少し苦しそうにおなかを押さえていた。

 三人とも食事を終えている。可憐が貰い受けた小さな弁当箱は五分も保たずに空っぽである。

 千代子はコーヒー牛乳のパックを両手に抱えて華子の様子を見ていた。

「でもいいの? このままだとメイドさんにハムちゃんのお世話、取られちゃうよ」

「べ、別にいいのよ、それが目的なんだから。これからあたしも自由時間が増えて勉強もできるんだから」

「そっかなー、ハナちゃんたちが二人で学校に来るようになってから、朝とかとっても機嫌良さそうだもん」

 何気ない問いかけだったのだが華子は一瞬手を止めていた。

「それは……一人で満員電車に乗らなくて済むからよ」

 その後、何とか食べ尽くした公太郎用の弁当箱を見ている華子に、千代子がさらに話しかける。

「そしたら、メイドさんが居るからハナちゃんはもうハムちゃんのお世話をしなくていいんだね」

 その言葉に華子はうなずくのをためらっていた。

「ちょこの話を聞いていると仕事熱心なメイドなんだろ? 華子も一安心と言うところだな」

 可憐の言葉にも何となくうなずくのをためらっていた。

 すると二人の瞳がじーっと華子を見つめる圧力に耐えられなくなり目を閉じる。

「そ、そうね。まあ、あれよ、公太郎のだらしなさに耐えきれなくて、メイドさんが辞めなければね」

「ふーん」これは千代子。

「ヘー」これは可憐。

「だ、だから、大変なんだからあいつの世話するの! 朝起きないし、食事にうるさいし、減らず口だし。あんたたちが思っている以上にすっごいすっごいエネルギーがいるのよ!」

「メイドさん、長続きするといいねー」

「全くだな」

 二人の悪友に励まされ、華子はうつむいて肩を落としていた。


  §


 その日の授業は五時間目で終了、公太郎はフタバの代わりに職員室にいくと碧に面会表のハンコをもらった。

 どうやら美少女メイドの話は職員室でも盛り上がっていたらしく、ハンコをもらいに来たのが公太郎だったことで男性教師の中にはあからさまに肩を落としている者もいた。

 ただ廊下で公太郎を待っていたフタバは、すでにコートを羽織っておりメイド衣装は隠れている。

 帰りの電車の中、うまい具合に二人は短いシートに並んで腰掛けることができた。混雑状態は五〇パーセント、立っている乗客はほとんどおらずシルバーシート以外に空きは無かった。

 そこで公太郎はフタバに耳打ちした。

「どうしてあの学校に転入予定になっているんだ?」

「わたしが朝、頂いたお時間でネットから学校のコンピュータを若干操作しました」

 彼女は悪びれる様子も無く結果だけを淡々と説明する。どうせそんなことだろうと思っていた彼だったが、ほほえんでいる彼女の顔を見ていると勝ち誇った様子は無く当たり前のことをしただけだと言っているようだった。

「コンピュータに第三社が不正侵入すると犯罪だぞ」

「学校でわたしがご主人様をお守りするのに一番の手段と考えたのですが……」

「んー、その気持ちはうれしいけど法に逆らうようなことは避けること、いいね」

「かしこまりました」

「それとこれ」

 フタバの前に差し出したのは職員室で碧に貰った末禅高校の制服パンフレットだった。

「これを注文したからこの制服を着て学校にいくように」

「今の服装では法に触れるのでしょうか?」

「いや私服は許可されているけど、君のメイド服だと学校の機材をひっかけて危ないかもしれないと担任の先生に注意されたんだ。その学校の制服なら同じ制服と言うカテゴリーなんだし、フタバにも良く似合うと思うよ」

 フタバはパンフレットの女子制服を見ながら何かを考えているようだった。

「……ご主人様の言われることでしたら」

 その言葉はどこか寂しそうであった。

「それと俺のことは『ご主人様』で無くせめて『公太郎さん』と呼んでくれないか?」

 彼女の耳元でぼそぼそと呟くと彼女はさらに困惑した目を彼に向けた。

「なぜですか?」

「日本だとメイドはあまり居ない職業だし、雇い主をご主人様って呼ぶことも少ないんだよ」

「ですがご主人様はわたしの雇い主とは違います」

 やや興奮したのか彼女の声が電車の中に響く。公太郎は指を建て自分の口に当てた。

「慣れるのに時間がかかるかもしれないけど、これから学校に来るとしたら名前を呼べるように努力してくれ」

「……かしこまりました」

 うつむくフタバは泣きそうな表情だった。それと同時になぜかその寂しさが公太郎の中にもあふれてくる。

〈何で俺がこんな気持ちになるんだ?〉

 不思議な感覚だがもしこれから先、彼女が学校に来るのならそこは守ってもらわないとと言うことで、心を鬼にした――つもりだ。

「あと、これからじいちゃんの研究室跡にいこうと思うんだ」

 その提案にフタバの瞳が曇ったのが判った。彼はそれを説得するように言葉を繋げた。

「まだ日が高いしそこでは警察と消防が現場検証を続けているから、襲われることは無いと思うよ」

 確かにまだ外は明るい。駅から歩いても日が暮れることは無いだろう。

「あそこがどうなっているかこの目で見ておきたい」

「判りました。わたしもお付き合いします」

「もちろんだ、付き合ってくれ」

 そんなわけで、二人は滝田川で降りずにそのまま東大野に向かうのであった。


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