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それいけ! メイドレス・スリー  作者: みやしん
■第一章 公太郎
4/32

■■ 「はじめましてご主人様」

 公太郎にとっては悪夢のような光景だった。

 夜の街を突っ走る少女、その腕の中にいて見えるものはレースゲームでも体験できないスピード感である。

 それも公道だけを走ってくれれば良いものを、最短距離を選んでいるのだろう建物の屋根や休眠中の畑や立教や、果ては河原までも駆け抜けるため作りの悪いジェットコースターの先頭に乗っている気分だ。

 さらに走る速度が速すぎて視野狭窄を起こしている、進行方向中央から放射線状にいくつもの光が後方に飛んでいた。

 耳元に風邪が流れる轟音がする、悲鳴でもあげたいところだが口を開くと舌を噛むに違いない。

 少女の首に手を回せず、自分のカバンと祖父から受け取ったバインダーを落とさないように握りしめていた。それでも視界が思ったほど振動していないのは、少女の走り方が巧妙だったからかもしれない。

 祖父はアンドロイドだと言っていた。しかし自分を抱きかかえている腕と接している身体は人間のように柔らかく、ほんのりと暖かく感じる。少女の瞳はまっすぐ前だけ見ているが、その輝きも不自然さは無いように思えた。

〈じいちゃん、大丈夫なのか?〉

 この子に抱き上げられた直後、背後で大きな爆発音を聞き、少女の肩越しに閃光を見た。間違いなくそれは東大野の方向、そして祖父の屋敷があった場所だ。

〈追って、それに学会、いったい何のことなんだ〉

 不意に目の前に乗用車のヘッドライトが現れた。距離が近すぎる上にお互いのスピードが出ている。

 正面衝突が必至に思え公太郎はまぶたを固く閉じたが、その次に彼を包んだのは浮遊感と真下から聞こえてきたクラクションの音だった。

 ゆっくり目を開けると自分は夜空の中にあった。とっさにジャンプしたのだろう満月が間近に見えるように思える。

 足下に町の明かりが見えていた。その町並は彼もよく知っていたのだが上空から見たのは初めてである。

 いつの間にか滝田川に着いていたのだ。

 だんだんと近づくアスファルト……ジャンプした時と同じように柔らかく着地し、また走り出した。ゴールはもうすぐである。

 彼女は公太郎の家に近づくと走る速度をゆっくり落とし、そのまま扉の前まで進み鍵を使わずに開けていた。ロックが外れる小さな音が聞こえていたのでドアノブは壊していない。しかしどのように開けたか少女の腕の中ではそれを見られなかった。

 扉を開けたまま玄関に入るとパンプスを脱いで家の中にあがる、リビングに移動するとソファにそっと公太郎の身体を座らせた。

 呆気にとられた彼の間抜けな表情を見て、にっこりとほほえんだあと、

「Command complete,system shutdown(命令終了、システム停止)」

 はっきりとした声で呟くとその場にすとんと腰を落とす。彼女はそのまま動かなくなった。

 何から何まで混乱している彼はリビングの置き時計を見た。現時刻は午後六時一五分。少女に抱きかかえられてからおよそ一五分が過ぎている。

 祖父の家からここまで電車で一時間ほど、車ならどんなに交通事情が良くても四五分かかるのだ。確か直線距離で二〇キロだったはず……すると平均時速は八〇キロを超えていたのだろうか。途中の光景を思い出しいまさら彼の腕が粟だった。

 そんな自分の様子と比べ彼女の腕は震えることも無く、額に汗すら浮かんでいなかった。

 どれくらい呆けていたのだろう、置き時計は時間がそれなりに流れていることを示している。

 改めて室内を見るとテーブルの上に丈太郎から渡されたA四サイズのバインダーがあった。

 表紙に『M』をモチーフにしたロゴマークが大きく描かれており、その下に「MAIDReSS OPERATION MANUAL」と記載されている。

 さらに視線を部屋の奥に向けると、メイド姿の少女が目を閉じ女の子座りをしていた。

 背筋がピンと伸び、両手を膝の上に添えている。いつの間にか彼も上半身は同じ姿勢をとっていた。

〈……何があったんだっけ?〉

 とりあえず学校の帰りからの記憶をたどって整理してみよう。

 放課後になって目を覚まして、華子に「おじいちゃんによろしくね」と言われたあと、電車に乗って、駅を降りてタクシーとか使うのがもったいないから歩いて高台までいって……

 インターフォンのボタンを二回おしたら、屋敷が爆発して、その中からじいちゃんを抱えたメイドさんが飛んできて、じいちゃんにバインダーを渡されて、メイドさんに抱きかかえられて、この家まで来て、ソファに座っている。

 記憶は確かだ、全てを思い出せる。映像を間違えなく記憶できるのは彼の得意技でもあった。そのおかげで成績が良いのかも知れない。

 問題は後半に起きたことがあまりにも現実離れしているため、素直に信じられないことだった。

 ところが、現実を突きつけられることになる電話が鳴った。

 彼がしつこく鳴り続けるそれを取り上げると、

『夜分遅く失礼します。こちらは大野署の者ですが、萌葱祐太郎さんのお宅ですか?』

「はい、そうですけど……」

『実は萌葱丈太郎さん名義の家が原因不明の爆発を起こしまして今、丈太郎さんの所在を調べているのです』

 公太郎は受話器を握りしめたまま、傍らの眠り続ける美少女を見ていた。

『建物の内部を調査しましたが全くの無人でした。住人の丈太郎さんは見つかっていません。そちらに伺っていますでしょうか?』

 公太郎は本当のことを告げるべきか迷ったが目を閉じ首を左右に振った。きちんと説明できる自信が無かったのだ。

「いえ、こちらに来てません。そちらに伺っても大丈夫ですか?」

『そうですね、近隣住宅に被害が無かったのですが、家そのものは全壊状態です。これから消防と警察で現場検証をおこないますからこちらには明日、明るくなってからの方が良いでしょう』

 そのあとケガ人が居ないことを再確認し、相手から電話番号を教えられ受話器を置いた。

〈やっぱりホントだったんだ〉

 ケガ人が居ないと言うことは遺体も見つからなかったと言うことだ。大丈夫、あのじいちゃんが簡単にくたばるはずが無いと思い、腰を落としている少女の姿に目を向ける。

〈本当にロボットなのだろうか?〉

 当然の疑問である。まずそれを確かめてみようと彼女のそばに近づいて、じっとその姿を見る。

 可愛い女の子が座ったまま寝ているようにしか見えない。失礼と思いながら肩を揺さぶってみたが起きる様子は無く、物音に耳を傾けてみても鼓動はおろか呼吸音も聞こえてこない。

 試しに両肩を持ってそっと立ち上がらせようとすると、操り人形のように腰が上がるのだが、そこで手を離すとゆっくりと元の女の子座り姿勢に戻ってしまった。

 公太郎は小さくうなって両腕を組んだ。見ようによっては良くできた等身大の人形のようだが、肌や髪の質感は、人間そのものだった。

 熟睡しているのならここまで姿勢を崩さずにいるのは不可能だ。自分が「居眠りハムタロウ」と呼ばれているのは知っているし自覚があるが、そんな眠りのスペシャリストにしてもこの姿勢維持能力は驚嘆すべきものである。

 彼女の顔を見ていると、メガネを外したらどんな顔なのだろうとつるに手をかけてみたのだが、まるで一体化しているか強力な接着剤で固定しているようにぴくりとも動かなかった。

 さらに思ったこと。

〈この子、何となく珠代ばあちゃんに顔が似ているような〉

 年齢が大きく異なるが珠代を一〇代にすればこのような顔立ちになるのではないだろうか。特に丸メガネは珠代のトレードマークであった。

 ただ珠代が亡くなってから彼女の遺品なのか、丈太郎が丸メガネをかけていた。

 ともかくこちらの応答に反応しないと言うことは、ロボットとして機能していないことになる。

 公太郎はいったんソファに戻ってテーブルの上のバインダーを手に取った。

 あの時……

『お掃除洗濯料理、おまえが望めばなんだってしちゃうぞ』

 いや、そちらでは無くて。

『おまえは、悪魔にも神にもなれる』

 自分が作り出したとんでもない遺産を、子供や孫に譲り渡す常套句のようなものだ。ただ引っかかる。

〈普通は神にも悪魔にもなれる、じゃないのかな?〉

 なぜ順番が逆なのだろうと思いつつ硬化プラスティック製の表紙をめくる。その一ページ目に現れた文章に思わず声を上げていた。

 

『メイドレスご購入誠にありがとうございます。ご使用にあたって、この操作説明書に書かれている注意事項を良くお読みください』

 

 ……祖父はこの子の量産を考えていたのだろうか?

 どう見ても電化製品の取り扱い説明書のような出だしに、どこか腰を砕かれていた。

 その次のページ以降にも、見慣れた文言が現れる。

『お手入れはシンナーなどの揮発性のものをご使用になると、表皮を痛める原因となります』とか……

『通産省の電磁波漏洩規定をクリアしております』とか……

『本体を移動させる時には足下に十分ご注意ください』とか……

 ところが、その途中に赤い文字で修正が入っていたり、Sの字で単語の入れ替えを指示してあったり、写真かイラストが入るべきところが四角い枠に×印だけだったり、あるいは付箋がつけられていたり……更生中のゲラ刷りにしか見えない。

〈大丈夫なのかな、じいちゃん〉

 何ページかめくっていると『初期起動の方法』と言う項目が現れる。そのタイトルには緑色の蛍光ペンでマーキングしており、ボールペンで必読と追加表記してあった。

 つまり、絶対に読めと言うことだろう。

 

『【重要】:メイドレスをご使用にあたり、最初に使用者であるお客様の個人特定情報を登録する必要があります。これはメイドレスが第三者に誤って使用されることを防ぐために大切な手順ですので必ずおこなってください。

 まず、メイドレスが待機状態であることをご確認ください』

 

 公太郎は操作説明書を開いたままのっそりと立ち上がり、再度少女の前で向かい合うように腰を落としあぐらをかいた。

 確か彼女がここにしゃがみ込む前に「system shutdown」と呟いていた。つまり今は待機状態なのだろう。

 

『次に待機状態を解除するためにメイドレスの額にお客様の右手の手のひらを当て【図一-二参照】、設定された言語で覚醒コマンドを投入します。

 注意:本体初期出荷時は設定言語は英語(UK)となっております。この場合「wake up」が覚醒コマンドです』

 

 本文中のイラストに手の当て方が描かれている。公太郎もそれにならいやや広めの額に右手を添えた。

 この子が稼働中は英語を話していたから、設定言語は初期状態になっているはずだ。

「ウエイクアップ」

 ところが全く反応しない。

 何が原因か判らないが少女はぴくりともしなかった。発音や手のひらの当て方に問題があるのかと、いろいろと試してみたが結果は同じだ。

 さて、どうしたものかと思ったが、

〈んー、待てよ。確か最後に言ったのはスタンバイで無くシャットダウンだったような〉

 だとすれば今は「待機状態」で無く「電源断状態」のはずだ。

 さらにページをめくり、ついに『電源投入方法』と言う項目を見つけた。このタイトルにもブルーの蛍光ペンでマーキングしてあるのだが、追加で記入してあるのは大きなクエスチョンマークだ。

 

『メイドレスが電源断状態にある場合は、以下の手順によって電源投入をおこなってください。

 Ⅰ.まずメイドレスの胸部にお客様の両手を添えます。この場合、前面からであれば図一-六を、背面からであれば図一-七を参考に添えてください』

 

「胸部?」

 指示されたイラストを見たが、裸の女の子の胸に手のひらを添えているそのものの絵だった。

 まさか服を脱がすのか? しかしすぐ下にこう書いてあった。

 

『注意:イラストにはボディがそのまま描かれていますが、着衣の上からでもかまいません』

 

 それを読んで安心したが、結局胸を触る必要があるのかと再認識する。続けて読むと、

 

『Ⅱ.図一-八を参考に、お客様の手のひらをメイドレスの胸部で回転させてください。右胸の胸部は左回転(時計と逆方向)、左の胸部は右回転(時計と同じ方向)に回転します。回転する大きさは半径三センチ程度、速度は五秒間で一回転を目安におこないます。

 注意:着衣の上からおこなう場合、メイドレスの胸部を回転する必要があることにご注意ください。着衣だけを回転しても電源は入りません。また、前面から電源投入をおこなう場合、お客様の左右とメイドレスの左右が逆になることにご注意ください。

 Ⅲ.電源投入準備が進みますと、それに応じてメイドレスのまぶたが開きます。まぶたが完全に開きますと電源投入完了となります』

 

 さらに投入方法を書いたイラストは『美少女の胸の愛撫方法』を解説しているようにしか見えない。しかし説明書がこうなっている以上、方法は一つなのだろう。

 公太郎は決断した。肩をぐるりと回し、イラスト一-六に従って彼女の前から胸部に両手を添え、わずかに力を加えてみた。

 衣装のメイド服越しに伝わる何とも柔らかくてふかふかの感触……これ本当にロボットなのだろうかと思ってしまう。いっそのこと直接触れて確実な電源投入もいいかなとか、イケナイ考えに染まりそうになりつつも手のひらを左右逆にゆっくりと回転してみる。

 注意事項にあるように衣服だけでなく、その奥にあるふくらみも包み込むように動かした。

 何となく感触が心地良くて目的と手段が逆になりそうだ。そこをぐっとこらえて手を動かしていると、ほんの少しまぶたが開いて黒い瞳が見えた。

「やったかな?」

 思わず手を止めるとまたゆっくり閉じていくまぶた。どうやら完全に開くまで手を動かし続ける必要があるようだ。

 よーしそれならばと両腕に力を込め鼻息も荒くし目の前の美少女の胸を、これでもかとこねくり回した。

 ただ単に力を込めれば良いとか、回転を速くすれば良いとか、大きく動かせば良いとかそう言う事でも無いらしい。正しいリズムと力加減が大切なようだ。

 彼が我を忘れどうすれば速く目覚めるかを追求するために身を乗り出し手を盛んに動かしていると、玄関から物音が聞こえてきた。

「公太郎、いるのー」

 華子の声なのだが聞き慣れているせいか、今の彼の耳に届かなかった。それほど目の前の胸に神経を集中していたのである。

「もう、玄関開けっ放しで……だらしないなあ」

 確かにメイドの少女は扉を開けたが閉めてない。

 華子にとって勝手知ったる幼なじみの家である。扉が閉じる音のあと、スリッパの音を響かせ彼女は何の躊躇も無くリビングに入ってきた。

「ほら昼間、タンパク質が足りないって言うからしかたなく作ってきたわよ、ビーフシチュー……」

 口では嫌そうに言いながら、どこか笑顔の華子がお鍋を両手に持って見た光景……メガネをかけた知的なメイド服姿の女の子を前に、その胸に両手を押し当て激しくもむ幼なじみの男の子の姿だった。

 しかも額に汗をかき鼻息もとても荒い。おまけに学校では決して見せない真剣な表情だった。

 華子は語るべき言葉を無くし握力も消失していた。

 哀れタンパク質は彼女の両手を離れ、リビングの床にまき散らされていた。しかたないと言いながら高い肉を使ったらしく、とても良い匂いがする。

〈……あー、もったいない〉

 床に転がるビーフシチューの鍋を見て、公太郎はそんなことを思った。もっと他に考えることがあるのだろうが、あまりの状態に目の前のことにしか意識が集中できないのだろう。

 一拍置いて……

「こーたろー!」

 絶叫である。耳をつんざくと言うのはこういうことかと実感した。まさしく声の圧力に彼の大きな上半身が、わずかに揺らいだほどだ。

「あんたねえ、夜寝て無いなんてそんなことばっかりやってるの!」

「あー、いや、これは、いろいろな理由があるんだが」

「好きにしてればいいわ、このバカタロウ!」

 華子はそう叫ぶと玄関まで駆け出し扉を蹴破った。ただ根が真面目なのできちんと扉を閉じて帰ったようだ。

 あとに残されたのは静寂と、唖然とする公太郎と、リビングに漂うビーフシチューの匂い。彼はがくりと背中を丸めていた。

〈いいさ、悪魔にも神にもなってやる〉

 何となく祖父がその順番で言ったことに意味があるように思えてきた。

 ともかくこの子を起動できれば掃除や料理もできるはずである。極上ビーフシチューを片付けたあと新たに夕食を作ってもらえば良いと考え、より真剣に彼女の胸をもんでいた。

 華子との間にも無意識に手を動かしていたせいか、まぶたは半分以上開いている。頬も血色が良くなっていた。

 今のところ彼女の表情は、勉強しすぎで少し眠そうと言う雰囲気だった。元の顔の作りが良いのとつやつやして大きな瞳が印象的なのだろう、かなり可愛く見えた。

〈あともう少し〉

 それでも焦らないように、慌てないように、慎重に、それこそ機械のように手を動かし続けている。するとついに彼女のまぶたが完全に開き数回瞬きした。

 やがてどこも見ていなかった瞳が小さく動くと辺りを見回す。それが公太郎の顔を見つけると動きを止め、彼の顔に視線を集中していた。

 もう良いだろうと思い手を胸から外すと、メイド服にしわが寄っている。自分の手も動かしすぎてしびれていた。

 さてこの続きはどうすれば良いのだろう……彼が操作説明書に目を向けると、

「MAIDReSS start up,Into initialize section.please select your language(メイドレス稼働、初期化開始、ご使用の言語を選んでください)」

 彼女の小さな唇が動きそう告げていた。静かなリビングに良く通り響く綺麗な声だった。

 ヒアリングは苦手なのだがきちんとした発音のおかげで聞き取ることができた。特に最後の一文はコンピューター関係の初期設定の定型句である。

「ええと、日本語、ジャパニーズでお願い」

 公太郎は片言で答えたが彼女にはきちんと伝わったのか目の前でうなずいた。

「かしこまりました、これより対応言語を日本語・標準語に切り替えます。よろしいですか?」

 英語なまりの変な日本語だったらどうしようと思っていたが、彼女の日本語もしっかりと正しい発音だった。公太郎もほっとし身体ごとうなずいていた。

「はい……それでお願いします」

「では、続けてご主人様の個人識別情報を登録します。お名前をちょうだいできますか?」

「萌葱公太郎です」

「漢字ではどのように表記しますか?」

「もえもえの萌とタマネギの葱、それにカタカナのハムを上下に合わせた公と普通に太郎です」

「判りました、同時にご主人様の声紋を登録しました。では次に、ご主人様の指紋を登録します。わたしの指にご主人様の指を重ねてください」

 彼女は手のひらを向けて両手を差し出した。その細い指先はきちんと指紋まで再現されている。手相は左右で微妙に異なるようだ。

 目立つのは両手の中指にはめている黄金色の指輪だろうか。装飾品としてはやや幅が広く、中央に小さなエメラルドが付いていた。

 公太郎も両手を差し出すとゆっくり指と指を重ねた。彼の指先にほんの少しだけ圧力がかかると、彼女はそっと手を離した。

「登録完了しました。続いて眼底を登録します。わたしの目を見てください」

 彼女の瞬きが止まるとじっと公太郎の顔を見ている。彼も言われた通り彼女の澄んだ瞳を見ていると、それが一瞬だけ光ったように思えた。

「撮影終了しました。また顔紋パターンを登録しました」

〈……ずいぶんと登録するんだな〉

「では最後にご主人様のDNA情報を登録します。準備はよろしいですか?」

 にこやかに聞かれても何のことかさっぱり判らない。それについては操作説明書に載っているのかと思ったが、少しくらい血を取るくらいだろう。

「いつでもいいよ」

「では失礼します」

 彼女はそのまま細い腕を伸ばし彼の首に絡ませた。そのあと顔を近づけると唇と唇を重ねる。

〈……ヘ?〉

 あっというまのことなので何もできずに硬直する公太郎……開け放たれている口の中に彼女の舌が伸びてきて、歯茎の裏をそっと舐めていた。

 すぐに離れる顔と顔、彼女は先ほどと同じように平然とし公太郎は呆然となった。

「ご主人様のDNAを口内の粘液より採取し登録しました」

 彼女に冷静に説明され、そう言うことなのねと納得しつつもロボットの唇と舌に気持ちを踊らされたことが、何となく恥ずかしい。

「登録作業は以上で終了です。お疲れ様でした」

 彼女は深々と頭を下げる、フリルの飾りが彼に近づくと、公太郎も反射的に頭を下げていた。

「はじめましてご主人様、わたしはメイドレス・カテゴリーK、パーソナルネームはフタバです。これからよろしくお願いします」

 はて、カテゴリーってなんだろう? そう思いながら彼女の名前を確認する。

「それじゃ、君のことはフタバって呼べばいいのかな?」

「わたしのパーソナルネームは変更可能です。新しい名前を設定しますか?」

「んー、でも俺ってゲームとかでも名前考えるの苦手なんだよな。今のままでいいや」

「かしこまりました。それではわたしたちの緊急停止用のパスワードを設定してください」

「パスワード?」

「はい、もしもの時に未然に事故を防ぐため、ご主人様の声紋で定められたキーワードを発音されるとわたしたちが一時的に機能を停止するものです」

 となると、判りにくい言葉の方が良いのだろう。かといって覚えにくかったり発音しづらくてもダメだろうしと考えて頭に浮かんだ一言は、

「華子は俺の幼なじみ」

「……復唱します『ハナコワオレノオサナナジミ』これでよろしいですか?」

「うん……ところで緊急停止したあとどうやって復活するの?」

「待機状態からの復帰と同様ですが、これも特別なパスワードを必要とします。それはいかがしますか?」

 またパスワードかとため息ついた。ネーミングに限らずこう言うキーワードを決めるのが苦手な公太郎は腕組みして考える。

 そもそも緊急停止なんてしないだろうし、さっきのビーフシチューの一件があるので停止時とペアになるようにふざけてみた。

「華子は俺の嫁」

「……復唱します『ハナコワオレノヨメ』、以上でよろしいですか?」

「いいよ」

「パスワードを登録しました。あと、これをお渡しします」

 フタバは彼女の右手に嵌めている黄金色の指輪を外すと、公太郎の前に差し出した。

「この指輪はわたしたちとご主人様をつなぐ絆になります。是非これを着けてください」

「でもフタバの中指の太さだと俺に合わないよ」

 すると彼女の手の中の指輪が小さく震え、明らかに直径が大きくなった。今度は彼の親指より太くどの指にも嵌めることができるだろう。

 公太郎は指輪を取り上げ自分の左手中指にはめ込んだ。その指を選んだのはフタバの残っている指輪とペアにした方が良いのかなと考えてのことだ。

「やっぱり太すぎるみたいだよ」

 指輪はくるくる回るほど余裕があり、指を下に向けるとそのまま落ちてしまうだろう。

「この指輪に認証すればぴったりになります」

 フタバは彼の左手を取り、ゆるゆるの指輪にそっと口づけた。

 すると指輪全体が一瞬光り、直径がすぼまると彼の指に緩やかに巻き付いた。装着感がまるで無いが手を振ってみても落ちることが無かった。

「これで指輪がご主人様に慣れれば、わたしたちとの絆になります」

 どんな絆なのだろうと思ったが、指輪を着けるのが初めてなのでどこか照れくさい。

 それでも一応起動に成功したわけだ。

 次にどんなふうに仕事を頼めばよいかを調べるために、操作説明書をめくってみた。

 だが起動方法の次のページから、全くの白紙になっている。

「なんだ、このマニュアル」

「いかがしましたか?」

「いや、この本が途中から何も書いて無くて」

「お借りしてよろしいですか?」

 フタバに操作説明書を差し出すと、彼女はページをめくりながら内容を確認した。

「これは校正途中の未完成版ですね……慌てていたので間違って持ち出したのでしょう」

「すると、操作説明書は無しか……」

「いえ、わたしの中にも完成版のドキュメント一式を保存していますから、パソコンとアクロバットドキュメントが参照できればすぐにご覧になれます」

 公太郎は少し考えた。今まで自分の日本語でコミニュケーションできているのだし、普通に頼めばよいかもしれない。

「とりあえず、そこのビーフシチューの片付けをお願いできるかな。そのあとでドキュメントを見てみよう」

「かしこまりました、ではお掃除用具をお借りします」

 フタバは頭を下げるとさっそく作業に取りかかった。

 予想どおりキーボードもマウスも必要無い。彼の言葉を理解し現状を判断している。

 さらに言語を日本語に変えたとたん、礼儀と慣習も日本対応に切り替わっている。

 良くできたものだと思いながら、華子への言い訳はどうするかなと頭をかいた。


  §


 それはとあるビルの一室。

 不景気が影響し入居者も無くなったその建物の地下に、うなりを上げる電源施設があった。

 当然無人のビルだ、そのような供給をする必要は無い。そこから生み出されたエネルギーはいずこに向かうかと言うと、電源室のさらに下、巧妙に隠された地下室であった。

 広さは二〇坪ほど、そこには各種計測機器をはじめ、形式不明のコンピュータ、今は懐かしい磁気記録テープ装置、そして部屋の中央に手術台を思わせるテーブルがあった。

 部屋の隅に執務机があり、その上にいくつもの図面が散乱している。その隅にある電話に一人の白衣姿の老人がかぶりついていた。

 歳のころなら七〇前後、背丈はさほど高く無く標準体重だが腹の出っ張りが少々気になる。顔はやや丸く皺がたれブルドックのように見えた。頭髪は頭頂部が無く側頭部に少し残っているが頭皮を確認できるほどである。

 目が細く三白眼になっているのはその電話の内容に原因があった。

『どういうことだ、誰が研究所を爆破しろと言った!』

 受話器から飛び込んできた罵声に、白衣の老人は眉をひそめながらため息をついた。

「詳しく知らんがこちらがしたので無い、あっちが勝手に自爆したのだろう」

『どちらでも結果は同じだ! ドクトルの勝手なプログラムで我々が目を付けられてしまったぞ』

「そんな弱気な覚悟でわたしのアンドロイドに頼る方が悪いわ!」

『いずれにせよこの責任、とってもらうからな!』

 電話はそこで切れた。ドクトルと呼ばれた男は受話器を投げ捨てるように置き、懐から写真入れを取り出すとそれを見て実にいやらしい笑い顔を浮かべ心を落ち着かせた。

 その後席を立ち部屋の中ほどまで進む。

 そこに白衣姿の男が数人、テーブルの上の機械の残骸を手分けし分解している。

「回収できたドロイドの様子は!」

「正常動作するものは一体もありません。記録も残っていません!」

「うーむ、萌葱め、洒落たことをしおって」

 やや気弱そうな男が今にも泣きそうな表情で近づいてくる。ドクトルはそれをにらみつけ威圧した。

「ドクトル、先ほどの電話はクライアントからですか?」

「ああそうだ。いまさらびびりおって、そんなに『学会』が怖いのならわたしに相談しなければよかろう」

「わたしたちは大丈夫なのでしょうか?」

「知らん! 命が惜しいのなら荷物をまとめてさっさとここから去れ!」

 ドクトルの声が響くとそこに詰めていた白衣の男たちの身体が震えた。

 彼はそんな様子を一瞥すると部屋の奥に設置された透明なチューブの前まで進み、磨き上げられたそれを拳で叩いていた。

 高さが三メートルほど、太さは一メートル半に達するそれは、床から天井まで突き抜ける大きさである。チューブを支える金属部分に「PM0012-346JM」と書かれたプレートがはめ込まれていた。

 中にはピンク色の液体が満たされているが、気泡が充満しており何があるのか判らない。

「どれ、次はこいつを起動するか……」

 ドクトルは顔をほころばせた。それに答えるようにチューブの中の気泡がうごめいていた。


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