■■ 「さっさと乗らないと遅れるぞ」
※本日はこの前のエピソードが追加されています。
まだ未見の方は前の話をご覧ください。
休みも開けた月曜日。
いよいよ今日から後期中間試験である。二年生にとっては受験まであと一年余裕があるがあと一年しか無いとも言える。
そんな大切な日に試験に遅刻してはいけないと彼女、桜庭華子は大きな責任感を抱き公太郎の部屋に忍び込んだ。
懲りていないと言えばちっとも懲りていない。それが華子なのだ。
時刻は朝七時、ベットの中の公太郎は布団をすっぽりかぶって顔はあっちを向いている。そして穏やかな寝息を立てていた。
ある意味寝ていてもらわないと困るので、にんまりとほくそ笑んだ。彼の身体を布団越しに揺らそうと手を伸ばしたのだが、掛け布団が作るシルエットが変だ。
身体は左腕を上に横向きになっているのにどうも太さがありすぎる。しかもおなかの辺りで細かく動いているような、そもそも少し見えているロングのまとめ髪はなんだ?
華子が布団を腰の位置までそっとめくって見ると、公太郎と寄り添うように寝ていたのは当然のようにヒトミだった。
彼女は下着の上に男物と思われる大きめのワイシャツを着ているだけの姿である。
「……何してるの?」
華子は不気味なくらい静かな目で彼女を見ながらそうたずねた。
それに対してヒトミはぽっと頬を赤く染めると上目遣いに華子を見ながら、
「いやーん、メイドが朝、ご主人様の布団の中にいたとしたら、理由はひとつでしょ」
「何よ」
「もちろん、朝の、ご・ほ・う・し」
「嘘つくな、この電撃女!」
華子はそう叫んで掛け布団をはぎ取っていた。
「だってマスターの命令に逆らえないしー」
「このバカタロウがそんな命令するかっ! そのワイシャツだってわざわざ男物を購入して着てるでしょう」
「ちい、良く判ったわね、このストーカー幼なじみ」
「誰がストーカーよ、エロメイド!」
「んー、何か騒がしい……」
さすがに耳元で女の子が二人、フルボリュームで怒鳴りあい、掛け布団もはぎ取られたので公太郎はむっくりと起きて寝癖のまま目をこすっていた。まだ頭は半分以上寝ているだろう。
その彼にヒトミはにっこりとほほえんでいつにないさわやかな笑顔を向けた。
「おはよー、公太郎」
「んー、あれハナ、どうしたんだ?」
「そっちはヒトミでしょうに、髪見なさいよ、髪!」
「ええと……あー、ホントだ」
「ほーら、マスターにとってあんたなんてそんなものよ」
「うるさいうるさい、今日はあんたがあたしに間違われたんでしょう!」
などと二人が言い争いを再開する中、公太郎ははぎ取られた掛け布団を胸元に引き寄せるとそれを肩まですっぽりとかぶって横になった。
「……おやすみー」
するとヒトミと華子は二人同時に布団に手をかけてこう叫んでいた。
「ちょっと、お気楽に寝てるんじゃないの、居眠りハムタロウ!」
「へっくし」
再び布団を取られた公太郎は大きなくしゃみをしていた。
§
「ごちそうさま……ふーねむい」
「お粗末様ですぅ、お弁当用意しないとですぅ」
「ごちそうさまでした、ご主人様お茶をどうぞ」
「ごちそーさまー、あたしにもお茶ちょうだい」
そんな声がダイニングに響く。食費が無駄かもしれないが公太郎の提案通り四人そろっての朝食を終えて、あとはフタバと二人で学校に向かうのだ。
中間試験はフタバの転入試験も兼ねている。成績上は問題無いのだが、彼女は少し緊張しているようだった。
今は学生服に着替えるために彼女らの部屋に戻っていた。
「ハァイ、これおにいちゃまとフタバおねえちゃまのお弁当ですぅ」
エプロン姿のミカが公太郎の前に大小二つのおそろいの弁当箱を差し出した。
それらを包む袋もおそろいだ。公太郎のものは白地、フタバのものは緑地にそれぞれの名前がローマ字で刺繍されている。もちろんミカのお手製だ。
「今日は試験だから三時間目で終わりだけど、これを食べてから帰ってくるか」
「フタバのお弁当まで持っていく必要があるの?」
ヒトミはどこかあきれたような表情で小さな弁当箱を見ていた。
「学校でフタバが何も食べないのはおかしいだろ?」
「それはそうだけど」
「あの、お待たせしました」
フタバの声が聞こえてくる。末禅高校の女子制服に着替えた彼女がダイニングにやってきたのだが、どこか今までと違いがある。
それが気になって彼女の姿をじっと見ていた公太郎だが、
「あれ、フリルが無くなっている」
そう、フタバが決して外すことがなかったフリル付きのカチューシャが無く、代わりに緑色のヘアバンドを着けていた。そのため髪型に大きな変化はない。
「あの……おかしくありませんか?」
恥ずかしそうにうつむくフタバに公太郎は強くうなずいた。
「良く似合っているよ」
「はいおねえちゃま、ばっちりですぅ」
「フタバも思い切ったわね」
どこかうらやましそうに彼女の制服を見ながらヒトミが呟いたのだが、
「あの、その、では、一緒に学校にいきましょう、その、あの」
彼にしてみるとなぜそんなに緊張しているのか判らないが、フタバはぱちぱちと瞬きを繰り返したあと、
「こ、ここ、こ、こー、ここ、こーっこ、こここ、ここ、こ……」
まるで鶏のように『こ』を繰り返した。
公太郎とヒトミにミカはフリルを外した反動でフタバの発音機能が故障したのかと思っていた。
当のフタバはごくんと唾を飲み込んだあと、目をかっと開いてこう叫んでいた。
「一緒にいきましょう、公太郎さん!」
しばしの静寂のあとダイニングに顔を真っ赤にしてうつむくフタバの姿があった。
公太郎は彼女用の小さな弁当箱を取り上げフタバにさしだした。
「んー、じゃいこうかフタバ」
「……はい、参りましょう」
何となく甘い雰囲気の二人にミカは喜んで笑っているが、それをむっとした表情で見るヒトミである。
「ヒトミおねえちゃまも一緒に学校にいきたいですかぁ?」
「うるさいわね……あーあ、これだったら朝、あのまま華子を帰すんじゃなかったわ」
冗談に聞こえないヒトミの言葉に背筋が寒くなった公太郎は肩を落としていた。
「恐ろしいことを言うなよ。家でおとなしくしてろ」
「了解!」
公太郎の命令にヒトミはいやいやうなずいていた。
「それじゃ、いってらっしゃいですぅ!」
ミカに見送られ玄関から出た公太郎は、半歩後ろのフタバに向かって語りかける。
「フタバ、少し急ごうか」
「まだ時間には間に合いますけど」
「何となく呼ばれているんだ」
公太郎はほほえんで足を速めた。
§
「くっしゅん」
華子は滝田川駅の上りホームで電車を待ちながら小さなくしゃみをしていた。
本日の服装も外から見えるのはベージュのコートとカバンについでの弁当を収めた巾着袋である。
今日のおかずは迷いに迷って肉団子をメインにした。タンパク質がどうのこうのと言われると悔しいしあんかけなので当初の予定通り和食である。
ただ問題なのはこれがきちんと公太郎の口に入るかだ。
〈今回は大丈夫、昨日いろいろ研究したんだし人間としての維持を見せてあげるわ、チビッ子!〉
彼女は反対側の下りホームに向かって鋭い視線を飛ばしたあと拳を握っていた。
ほどなくしてホームにアナウンスが響くと上り普通電車がやってくる。通勤通学時間帯なので当然満員、乗車率は一二〇パーセントを超えているだろう。
扉が開いて人がスシ詰め状態を見ると、つい自分の右側に目を向けてしまう。先週までならそこに眠そうな大男の姿があったのに今日はスーツ姿の中年男性だった。
〈満員電車か……しかたないわね、これであたしも自由時間が増えたんだから〉
だが彼女の足取りは重い。周りの乗客は華子をスルーしどんどん列車に乗っていく、比較的前に並んでいたのにすっかり最後尾になっていた。
しかしここでためらっていても学校に遅れる。彼女は目を閉じ口をヘの字にしたのだが、
「ほらハナ、さっさと乗らないと遅れるぞ」
「ヘ?」
華子はその声に押されるように列車の中に入っていた。驚いて右側を見ると去年の冬にあげた白いセーターを着た大男が眠そうに自分を見ている。
「あ、あれ?」
「おはようございます華子さん」
その軽やかな声に左側を見ると、まん丸メガネをかけた女の子が笑顔で自分を見ていた。
「フタバさん?」
「どうせここから学校まで一緒なんだし三人なら噂にもならないと思うぞ」
公太郎は車内にも関わらず大きなあくびをしてみせた。フタバがそれを楽しそうに見ている、華子はどこかぽかんと口を開いていた。
ホームにベルが鳴り響く。そろそろ扉が閉まる、その時だ。
「しししし失礼しまーす!」
どこかで聞いた声がホームに響いていた。小柄なのにベルの音をかき消すような音量である。
華子たち三人はもれなくその声の方向を見ていた。
本日は平日なので制服であるブレザーを着て、右手にかなりよれた封筒を握りしめダッシュで駆け寄って来るのは、吉木工業高校の一年生、田中であった。
「きょきょきょ今日こそは、これを読んででででくださーい!」
まるで直訴状のように封筒を差し出して近づいてくる田中、辺りはスローモーションになって彼の周りだけキラキラと輝いている。
それがあと一歩で華子に届くその瞬間。
“二番線、発射しマース”
アナウンスと同時に扉が閉じた。華子と封筒はそれに遮られていた。
やがてゆっくりと加速する列車、窓越しにホームに残され膝から崩れ落ちる田中を見ている車内の乗客一同。
ついに滝田川駅のホームが見えなくなると華子は公太郎を見てふっと笑って見せた。
「どうしよっかな、今度はあの手紙、受け取ってみようかな」
「手紙なら学校でもたくさん貰っているだろう。まだ欲しいのか?」
〈やっぱやっぱ、こいつダメだわ〉
ため息をつきつつうなだれる華子、それを不思議そうに見ている公太郎、その二人にメガネを反射させて怪しくほほえむフタバ。
三人の一週間は、始まったばかりだ。
■ 【おしまい】




