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それいけ! メイドレス・スリー  作者: みやしん
■第五章 華子
28/32

■■ 「わたしの娘たちをよろしくお願いします」

「俺たちだけになったぜ」

 正確には公太郎だけだが彼にしてもディスプレイの中の祖父は窓越しに実在しているように見えた。

『うむ……まずはこの設備のことだ。もうヒトミ辺りは気づいているだろうが祐太郎が家をリフォームすると言うので、儂が無理矢理こさえたものだ』

「父さんも良い迷惑だっただろうな」

『そうでも無い。わりに喜んでいたぞ、改装費用は全て儂が出したからな』

 そこは父親もこの祖父の息子と言うことだろうか。

『儂の研究所にもしものことがあった場合のバックアップも含め、メイドレスのメンテナンスとそれに携わる全ての記録をここに残している。おまえがここに来たと言うことは儂の研究所に何か起きたのだろうな』

 公太郎はそれに答えられずただ画面の祖父を見ていた。

『ここの設備の内容についてはフタバに聞けばよい。補充する必要があればその発注方法も手順として記録しておる』

「ずいぶんと手回しがよいな」

『それが天才科学者と言うものだ』

 科学者と言う言葉が出てきたことでヒトミとフタバの告白を思い出した公太郎は、彼女らに代わりその質問をぶつけてみる。

「ヒトミたちは言っていた、なぜ自分たちにMETAなんて言うとんでもない力があるのかと」

『それに答えるためにはMETAと「学会」について説明せねばなるまい』

 公太郎はうなずいて答えた。むしろその話を求めていたのだ。

『その組織が儂の所に接触してきたのは六年前になる。当時の儂はおまえとの約束である完全人間型ロボットの開発と共に新型エネルギーである反物質に注目していた。

 その当時はMETAの原理こそ考えついていたが実用できるものでは無かった。真空を歪ませるには膨大なエネルギーを必要とするからな。それこそエネルギー源として反物質がどれほどいるか判らん。

 儂の研究所に四六時中雷雲が立ちこめているのは人工降雨装置で落雷によるエネルギーを得るためだったんだよ。

 金については特許があったのでさして困ることも無かったが設備とそのほかの知識に欠けていた。儂は技術の袋小路に入ってしまったのだ』

 資金については以前、買い物をするヒトミに祖父の口座残高を見せられているので良く理解していた。ただ全ての口座を見ていないから総額がいくらになるか想像できない。

『その時、「学会」が儂に接触してきた。何の学会か聞いてみたが答えはいつも曖昧だった。しかしそれが提供したロボット、完全人間型アンドロイドの技術に儂はとりこになった。その見返りにMETAの基礎理論の提供と共同開発を申し出てきたのだ。

 相手方はアンドロイドの動力源について模索しておる最中だったようだ。そのため実現性の無いものまで含めありとあらゆるところにオファーを送っていたようだ。

 もちろん悪い話では無いので儂はその話に乗ったのだよ』

「『学会』の協力でMETAを開発したのか」

『そうだ……フタバかヒトミに聞いているかも知れないが、METAは元々一期の装置で完結するはずだった。

 しかし入力ゲートと電荷反転トンネル、それに出口ゲートを同じ仮想空間に割り付けると電荷反転がおこなわれないと言う問題が持ち上がった。

 理由はそれぞれのゲートが相互干渉しておるからだった。そこで四次元的な連結を保ったままそれぞれのゲートを分離し動作をおこなうと、かろうじて電荷反転がおこなわれるようになった。

 それらの電荷反転を効率的におこなうため三種類のゲートをお互いにリンクさせるシステムを作ったのだ』

 その説明はフタバに聞いていたが、祖父から解説を受けても素直に理解できない。

 ただ気になる言葉がある。

「フタバも言っていたけど、仮想空間ってどういう技術なの?」

『残念だがそれはわしにも判らん。四次元的な連結を行ったまま物理的距離を離す方法について「学会」に問題点として報告したときに、ブラックボックスとして提供されたのだよ。

 ただ提供された者は未完成だったのか、空間連結を保てる時間もそこを通る物質の質量にも問題があった。そこに投入するエネルギーに比例して制度はあがるが一般的なエネルギーでは実用にならん。つまりは対消滅で発生するような高エネルギーが前提になっているようだ』

 丈太郎としてはかみ砕いて説明しているように見えるが、当然公太郎の理解を超えている。

 それでも今は原理の講釈が聞きたいわけでは無いので追加の質問はしなかった。

『当初ゲートの制御システムは三機とも同じものでおこなえると考えたのだが、ゲートを安定させる要素にカオスな条件が重なりうまくいかなかった。

 儂はその方法を求め日々実験にあけくれていた。

 その解明のヒントを見いだしたのは珠代だった』

 

 

「うむ、今回も駄目か」

 丈太郎は実験結果を表示したディスプレイを見ながら腕組みしていた。三機のMETAの連携によって電荷反転トンネルを形成することに成功したが、その維持時間はどうやっても六六六マイクロ秒より長くならない。

 さらにそこに投入できる物質もかなり微量であり、META自身を連続稼働させるだけのエネルギーを生成できなかった。

 二つのゲートと電荷飯店トンネルを連結するパイプラインを、四時限的に繋げたままの状態を維持するのにも困難をしいた。わずかでも意想がずれると連結が壊れてしまう。しかも物理的距離も六六六ミリメートルを超えると切断され六六六マイクロメートルより近づくと相互干渉を起こす。

「真空歪曲そのものは量子物理の範疇だからのう……全て確率で事象が決定できるはずだが」

 だがわずかな時間形成したトンネルですらその維持のためのコントロールは複雑を極め、なぜこのような量子的場を形成する必要があるのかいまだ不明と言う状況なのだ。

 これを確率に置き換えると平坦化し実態が掴めなくなる。もしくは実証地がノイズ扱いになってしまうのだ。

 理論はある程度正しいのだが、それが数学的に証明できない。それは物理学として欠陥を抱えていることになる。

 最大の問題は真空である。いくら電荷的地平線と言え何も無いはずの状態が何らかの壁となっている、存在しないはずの壁をどうねじる。

「〇を相手にすると言うのは難儀だのう。変換テンソルの中に無限代項が現れてはこちらとしてもお手上げか」

 時計を見るとすでに深夜である。彼は端末の電源を落とそうとしたが、

「丈太郎さん、あまり無理はいけませんよ」

 背後からの声に彼もふうと息を吐いた。

「儂のことが言えるのか珠代。どうせ娘たちの教育をおこなっていたのだろう」

 丈太郎と違い珠代は笑顔である。

「判りますか?」

「疲れておるのに楽しそうだ。それはそれでうらやましいがな」

「あの子たちも姉妹と言う概念を覚えつつありますよ。心理回路の動きは不安定ですけど」

 珠代は丈太郎の隣に腰掛けて彼女用の端末の電源を入れた。

 ディスプレイにはいくつかの波形が表示されている。青、緑、赤のカーブがそれぞれの心理回路の動きを示しており、それらは複雑な曲線を描いていた。

「どうもこの曲線、意味がありそうなのですけどスペクトル分析をおこなっても一様分布してしまい、周波数を素因数分解しても項が多すぎて刈り取る高周波帯のしきい値が求まらないのです」

「何とか四限数にまとめたがそれでは解析しきれんと言うことか……うむ?」

 そのグラフを見ていた丈太郎が何かを思いついたのか再度自らのディスプレイに目を向けた。

「どうしました?」

「いや、そのグラフとこちらのMETAの真空歪曲テンソルが何となく似ておってな……この部分だ」

 丈太郎が表示した三本の曲線、しかしその軌跡に相似点は無いように見えた。

「うーむ、似ていると思ったのだが思い違いだったか」

「そうですね……このままでは相似形でありませんが次元を入れ替え相互変換行列を組みアフィン変換してみれば……」

 次に珠代がキーボードを叩いた。計算結果はすぐに表示されたが、

「なるほど、大分近づいたがまだ何かが足りないのう」

「では次元を一組追加しましょう。気になっているパラメータがあるのですよ」

 珠代は楽しそうにほほえむとさらにキーボードを叩く。ややあって表示されたのは丈太郎のグラフとほぼ同じ形になっていた。

「これは驚いた。ほぼ合致しておる。この制御を応用すればMETAを長時間稼働できるかもしれん……珠代、この追加したパラメータは何なのだ?」

「まだ秘密ですよ、丈太郎さん。それよりもこの続きは明日検証しましょう」

 

 

『当時珠代は「学会」から提供された筐体をもとに三体のアンドロイドを調整していた。

 それぞれを仁美[ひとみ]、双葉[ふたば]、美佳[みか]と名付け個性豊かなプロフィールを設定しておったのだ』

「もしかしたらそれが五年前のタイムスタンプなのかな」

『そうだ。そして珠代が調整していた心理プログラムのコントロールフローを元にMETAの制御をおこなう事で電荷反転トンネルを維持することに成功したのだ。

 ゲートの物理的条件も緩和され六.六六メートルまで離せるようになった。実験もようやく起動に乗り始めた、しかしそこで事故が起きた』

 

 

「駄目です、三号機のコントロールができません!」

 METAの実験室を遠隔で制御するこの部屋の中に緊張が走っていた。

 連続稼働を一秒を目標に起動したMETAは予備実験では順調に稼働し一マイクログラムの正物質を電荷反転させることに成功していた。

 ところが本実験に取りかかった直後、電源系列のアクシデントでMETAの制御がおこなえなくなったのだ。

 三機あるMETAのうち三号機は遠隔制御がおこなえない状態に陥っている。

「ドライブ電源を矯正遮断しろ! 物理的にエネルギーの供給を断つのだ」

 丈太郎は端末を操作している助手に向かって怒鳴っていた。このままではMETAが無秩序な電荷反転をおこないかねない。

 まだ入力ゲートが狭いので制限があるが、それでも今のうちに停止する必要がある。

「二号機からの電荷反転物質が自己供給しています、このままでは一号機のコントロールもおこなえません!」

「萌葱博士、ここは危険です、すぐに待避してください」

 丈太郎はその言葉に激高した。

「ふざけるな、このままほっておけるか! 儂は実験室にいくぞ!」

「駄目です! おい、誰か博士を止めろ」

 丈太郎はそのまま制御室を出ていこうとするが助手がそれを何とか抑えている。

「放せ、儂の作品の責任は自分で取るのだ!」

「待ってください、第三実験室に誰かが入室しました!」

 実験室をモニターしていた助手が声をあげた。

「誰だ、IDは判るか?」

「……萌葱珠代博士です!」

『丈太郎さん、聞こえますか。これからわたしが仮想空間を制御します。わたしの言うとおりにそちらで一号機と二号機を制御してください』

 その声は実験室をモニターしているスピーカーから流れてきた。

「珠代、今すぐそこから出るのだ、儂がいく!」

『時間がありません、わたしは三号機の制御を直接おこないます。そちらでも同時に制御する必要があるのです』

 丈太郎は実験装置が出力する稼働状態を見て珠代の判断が正しいと感じた。ここで躊躇している時間は無いだろう。

「……よし、判った、手順を知らせるのだ」

『良いですか、真空歪曲テンソルの四-三-二の剪断要素にこれから送る数値を設定してください、それから二号機でおこなっているたたみ込み処理をピークから一一一マイクロ秒停止してください』

 丈太郎は珠代から送られた数値を見て驚愕する。

「待て、こんなことをしたらMETAの歪曲領域が全て虚数空間に持っていかれるぞ!」

 珠代はMETAの電荷反転システムをそのまま真空の向こう側に消し去ろうとしている。しかしそれは珠代まで含める危険があるのだ。

『チャンスは一回です。こちらでも三号機の真空途絶をおこないますから生存確率はそれなりにあります』

「珠代……」

『あなたは天才科学者であり、わたしはあなたが見初めた妻ですよ、信じてください』

 丈太郎は珠代のはっきりとした地震の有る言葉に賭けた。

「よし、タイミングはシビアだぞ」

 そして端末を助手から奪うと珠代が送ってきた数値を実験装置に送った。

『こちらの準備は整いました』

「よし、こちらも整った! カウントダウン開始、五秒前」

『……丈太郎さん、わたしの娘たちをよろしくお願いします』

「なんだと!」

 丈太郎はどこか落ち着いた珠代の声を聞いた瞬間、自分が騙されたことに気がついた。

 珠代の計算でも生存確率は低いのだ。普段決して自分に制御させなかったアンドロイドを頼むことなど考えられない。

『それと、あまり女性を待たせないでくださいね……』

「珠代……珠代!」

 マイクを掴んで絶叫する、その時カウントは〇になった。

 

 

『METAの暴走は止まった。しかし三号機は実験室と珠代を含め全てが消失しておった。この珠代のメガネを残してな』

 丈太郎はそれを懐かしむように、そしてとても悲しそうな表情を浮かべていた。

「ばあちゃんの事故ってそれが原因だったのか?」

 丈太郎はゆっくりうなずいて見せた。

『METAに飲み込まれその身体は真空の向こう側にいってしまったのだろうと皆が言った。儂もそう思っておる。それでも珠代がこの世に居なくなったことに変わり無い』

 公太郎にしてみると祖母の葬儀でなぜお別れが無かったのか判った。挨拶しようにも棺桶の中は空っぽだったのだろう。

 そして今も……毎年墓参りしている墓標の舌には何も無いのだ。

『事故で珠代を失った儂にはMETAもロボットもどうでもよいことだったんだよ。

 そこに追い打ちをかけるように「学会」内部から、安定性に欠けるMETAの開発を疑問視する声があがった。すでにおまえも逢っているかもしれないが「教授」と呼ばれる男と、それが組する主流派だ』

 やはりその名前が出てくるのか……公太郎は無意識に拳を握っていた。

 

 

「今何と言った、METAの開発を凍結するだと!」

『その理由はあなたも十分判っているはずだ、萌葱丈太郎博士。METAの理論にはまだ無理がある。確かに巨大なエネルギーを生み出すことが可能だが、わたしたちの求めるアンドロイドには過ぎたものだ』

 そこは『学会』の会議室だ。ただそこに居るのは丈太郎一人であり、その他は音声だけで参加している。

 今語りかけているのは単なるスピーカーだ。そこに「事務局長」と印刷されたネームプレートがあった。

『しかも実験中に人身事故が発生している。わたしたち「学会」と共同開発するにあたり取り交わした協定はご存じでしょうな』

「判っておる。研究内容については公表禁止、存在そのものを臭わすこともならん」

『その通り。今回の事故も形式として萌葱珠代博士は研究所内で心臓発作を起こしたことになっている。きちんとした診断書と検死をかいくぐるのにかなり目立ってしまった』

 珠代の事故に対して冷徹な語りに、丈太郎は拳を振り上げていた。

「珠代の犠牲があったからこそMETAは完成させる必要があるのだ!」

『もはやそれは博士だけの思い込みですな。わたしたち「学会」の総意としてMETAの研究は凍結する。もちろん今日まで協力して頂いたあなたには最大の敬意を払っている。他に研究を進めるのであればこれまでと同じく協力を惜しまない』

「儂の研究はMETAだけだ!」

『それではお互いの関係はこれまでと言うことですな』

 丈太郎が相手をにらもうと思ってもあるのはスピーカーだけだ。

『ああ、それと』

 今度は「教授」と書かれたスピーカーから音声が流れた。

『萌葱珠代博士が調整していた三体のアンドロイドについて、こちらで調査した結果カテゴリー扱いとなった。本来であればそのまま廃棄処分となるが、希望があれば筐体をそちらにお渡しする用意がある。もっとも電子頭脳に問題があり起動もろくにできないようだが』

「それが敬意のつもりか!」

『どう捉えてもらってもかまわないがこれは特例なのだよ。わたしたちは例外を嫌う。それだけあなたには敬意を示しているのだ』

「ではその言葉通りアンドロイドを受け取ろう。それは儂がどう扱おうと勝手なのだな!」

『そう思ってもらってかまわない。ただ覚えておいて欲しい』

 そこで一拍おいて、

『目立つことは困る』

 

 

『儂は諦めきれなかった。珠代が育て命をかけてまで守ったシステムをそのまま捨てることができなかった。それを「学会」で何度も主張し続けついに儂は危険人物として追放されたのだよ。

 そこで儂は引き取った珠代のアンドロイドを研究所で開発し続けたのだ、METAと共に』

 カテゴリーがアンドロイドの廃棄に関係していると何となく判った。

 そこを詳しく聞こうかと思ったが丈太郎はさらに話を続けた。

『外界からの全てを遮断しメイドレスを初めて起動したのはもう二年も前になる。ちょうど今の季節、一二月のことだった。

 儂は狂喜乱舞したよ。儂の理論と珠代の想いが全て叶ったように思えたからだ。

 それと同時に悪魔か神になれると思っていた』

 その言葉はあの研究所でフタバを指さしながら丈太郎が呟いたものだった。

 あの時と口調は全く異なるが悪魔と神の順番は同じだった。

 それと二年前のタイムスタンプはメイドレスとしての初回起動のものなのだろう。

『METAがもたらす大きな可能性に今となっては必要も無い機能まで彼女らに追加した。それができるのもうれしくてしょうがなかった。

 儂はあらゆる意味で狂っていた、研究所の近所に居る子供たちが噂するとおりのキチガイじじいになっていたのだ。

 珠代が居なくなったと同時にまともな科学者としての儂も死んでいたのだよ。儂の形のアンドロイドに研究と言う亡霊を乗せただそれだけに動いていた、ただの機械に成りはてていた。

 それを僅かに引き戻してくれたのは公太郎との約束だった』

「俺との約束?」

 ディスプレイの中の丈太郎はゆっくりうなずいた。

『祐太郎におまえの世話をする家政婦の紹介を頼まれた時、儂がしゃかりきになって開発してきた娘たちはおまえに送るべき存在だと気がついたのだ』

 

 

『久しぶりだね、父さん』

 気まぐれに取り上げた受話器から息子である祐太郎の声を聞くのはどれくらいぶりだろうか。そもそも自分が人から「父さん」と呼ばれることに妙な違和感があった。

 丈太郎はどこか実感の伴わない浮遊感に包まれていた。

 メイドレスを起動して二年余り、膨大なエネルギーは自分の想像を叶えてくれる、全てが手に入る。

 それは同時に、本当に望む物は何も手に入らないと思い知らされた。

 起動直後の狂気も今では存在しない。今は大切な存在がどこにも無いと言う消失感だけがあった。だから普段は無視する電話のベルがうるさく聞こえコードを切断する前に受話器を上げていたのだろう。

 ある種の予感があったのかもしれない。

「……何の用だ」

『元気にしているかと思ってね。もうずいぶん顔を合わさなかったから』

 自分にカレンダーなど関係ない。四年前から時間など停まっていた。

 暗い部屋の中、彼は机の上の小さなポートレートをじっと見た。

 自分にほほえみかける珠代。真空の向こう側に消えたその声も今ではよく思い出せない。

『実は父さんに頼みがあるんだ』

「金でも貸せと言うのか? それとも新しい家を建てると言うのか?」

『それはもう十分さ。去年、増改築したおかげで住みやすくなったしかな子も喜んでいる。俺としてはかかった費用を返したいんだ』

 この息子は知らないだろうが改築費用は一〇桁の金額だ。それを告げても冗談と思われるだけだ。

「それが頼みだと言うならもう切るぞ」

『いや……頼みと言うのは公太郎のことなんだ』

 たった一人の孫の名前が出ると丈太郎の手が少し震えた。

『俺がこっちで動けないのは父さんも知っていると思う。俺の世話をしにかな子も来ているから公太郎は今、一人暮らしをしている。本人は至って普通に生活していると言っていたけどそれは桜庭さんの華子ちゃんにだいぶ面倒見てもらっているからなんだ』

 桜庭華子……覚えている。しかし今となってはヒトミとの区別が付かない。

『でも公太郎のことで華子ちゃんにばかり面倒かけるのも悪いと思ってね。あの子は真面目だから自分を差し置いて他人の面倒を引き受けてしまいそうだから』

「……それで」

『よければ父さんの方で公太郎の面倒を見てくれるお手伝いさんを手配してもらえないだろうか。もちろん費用はこちらで出すよ。年末か悪くても来年の一月に俺たちも日本に戻れるからそれまででいいんだ』

「なぜ儂にそんなことを頼む?」

『父さん、もうどれくらい公太郎と逢ってないのかな?』

 四年。最後に孫に逢ったのは珠代の葬式だった。あの時は結局何も話せなかった。

『あいつ末禅高校に入学したよ。俺が出た高校で何より父さんが居た高校だ。レベルが高くてどうなるかと思ったけどそれこそ必至になって勉強して何とか合格できた。それで入学したことを父さんにも報告しようとしていたけど、連絡が取れなくてとてもがっかりしていたよ』

 知っている。何回も電話が来た。何通も電子メールと普通郵便をよこした。だが自分が逢うことを拒んだのだ。

『もう高校二年生になっているけど久しぶりに公太郎に逢ってくれないか? そして話してみないか? お手伝いさんは公太郎への入学祝いに紹介してくれないか』

〈末禅高校か。まさか大学は普天大学を受験するのか〉

『公太郎さ、今パーソナルロボットを作っているんだよ。末禅高校に入ってからパソコンパーツ屋のアルバイトを始めて金貯めて、キットを購入してからずっとロボットをいじっている。俺には言わないけど父さんに近づくって』

 ロボット……そうまだ公太郎の身長が自分の腹程度の頃、自分の作った小型ロボットを欲しがった。

『昔約束したんだろ? 父さんと公太郎でロボットを完成させるって。公太郎は覚えているんだ。まだまだ完成にほど遠いけど途中経過だけでも父さんに見てもらいたいんだよ』

「おまえが褒めればよい話ではないか。おまえだって最新鋭の人型ロボットを取り扱っているだろう」

『いや、公太郎は父さんと約束しているんだ。父さんは昔から言っているだろう、自分は嘘をつかないと、約束は破らないと』

「……儂はもう公太郎に逢う資格など無い」

『そう思っているのは父さんだけさ。だから改めてお願いだ。公太郎のためにお手伝いさんをお世話して欲しい。そして公太郎と逢ってほしい』

「……考えさせてくれ」

 今の丈太郎はその声を絞り出すので限界だった。

『判った。日本に戻ったらかな子と一緒にお礼にいくからね』

 そっと電話を切った丈太郎は照明の切れた部屋の中でうつむいていた。

 部屋の中は荒れ果てとても人が住んでいるように思えない。丈太郎も人としての生活を送っていなかった。

〈儂は公太郎にロボットが完成したらくれてやると約束したのだ〉

 彼はゆっくりと腰を上げ床に撒き散らされたゴミをかきわけると部屋を出た。

 向かったのはこの屋敷の中で唯一人の住める環境にある場所。メイドレスの実験室だ。

 そこには三体の女性型アンドロイドが眠っている。彼女等はマスターである丈太郎が入室すると同時にまぶたを開き待機状態から復帰した。

 丈太郎はその中の一体、桜庭華子をベースデザインにしたコードネーム・ヒトミの前に立った。

「マスター、コマンドを」

 ヒトミは無表情にそうたずねる。しかし丈太郎はその美しい顔をじっと見るだけだった。

「……約束か」

 まだこの子たちの両手は血にぬれていない。両足は誰も踏みにじっていない。

 記憶さえ戻せば戻れる。自分とは違う……孫と共に未来を歩む権利を持っている。

 それは公太郎との約束であり珠代に頼まれたことでは無いか。自分の愛する二人の願いを無視できるのか。

 例え自分に孫と逢うための資格が無くとも、この子たちは違う。

 丈太郎は大きくうなずいた。丸メガネの奥の瞳は科学者の輝きをわずかに含んでいた。

「ヒトミ、フタバ、ミカ。儂からのコマンドを与える。今日をもってMAIDReSSの全ての試験を終了する。そして新たなる記憶と共におまえたちは生まれ変わるのだ」

「了解」

 三体のアンドロイドは同時に返事をした。

 そしてこの瞬間、三人の娘たちに復帰したのだ。

 

 

『珠代が儂に託したのは反物質をエネルギーにするモンスターでは無く、珠代が育てた三姉妹だ。

 そのため儂が刻み込んだ陰鬱たる記憶を消し去り、メイドレスの名にちなんでメイドとして生きるように再設定を決意した。

 だから余分な機能など外しても普通のメイドとして働けるように改造することも考えていた。今でも彼女らの中にそれがあるのならそれもできない状態にあったのだろう』

「METAは外さないのか?」

『METAはあの子たちの心そのものだよ』

「心?」

『心理回路がMETAをコントロールするのと同じように、METAの振る舞いは心理回路に影響を与える。だから外したとたん彼女らは彼女らで無くなってしまうだろう』

「そうだったのか」

『儂はあの子たちに余計な力を与えたままこの世に送り出してしまった。

 もし、可能であればおまえがその力を、その圧迫をとりはらってくれればと考えておる。祐太郎に聞いたぞ、ロボットを作っているそうだな』

「俺のロボットなんてただのおもちゃだよ」

 苦笑する公太郎に、祖父は首を左右に振って見せた。

『最初はどんな人間でも無の状態から始まる。それを恥じることは無い。

 おまえならその器になみなみと知識を貯めることができると思っておる。先ほどヒトミを直したようにな』

 祖父はそう言うが本当にそんなことができるようになるのか、今の彼には自信が無かった。

 丈太郎はどことなく照れた顔を浮かべた。

『親馬鹿かもしれんが娘たちはみな良い子だ。

 ヒトミは聡明な子だ。一見素直でないが誰よりもいろいろなことに気を配っておる。そして妹たちに対してとても優しい姉だ。おまえのガールフレンドをモデルにしたからな。

 フタバは賢い子だ。融通が効かないように見えるがそれだけいつも慎重に考え続けている不器用な子なのだ。珠代が自分をモデルにしていただけある。

 ミカは明るい子だ。無邪気さの中に全てを受け入れて自分のものにするおおらかな心がある。祐太郎がいつか作ってくれるであろう孫娘を思って作り上げたのだ。なぜか萌葱の家系は男ばかりが生まれるからのう。

 皆おまえと仲良くすることを望むだろう。公太郎が皆を受け入れてくれればの話だが』

「俺はもう受け入れている」

 彼は自分の指輪を見せた。

 ヒトミ、フタバ、ミカから受け取った黄金色の指輪が一つになり公太郎の左手中指に輝いている。それが受け入れた証なのだ。

『そうか……それは良かった』

「あまり良くない。華子が『学会』の連中に浚われ、人質になっているかもしれない」

 その言葉の直後、先ほど差し込んだICカードがせり出した。

『そのカードに今までの研究成果が全て記録されておる。交換条件にでもすればよい。しかし覚えておくのだ。

 メイドレスは定型のシステムでは無い、ヒトミ、フタバ、ミカがそれぞれの個性で常に変化し続ける存在なのだ。それぞれの心理回路が同じベクトルを示す時、その力は無限大になるだろう。

 人の能力は有限だが、心は無限の可能性を秘めているように』

 はたして彼女らが見せる無限大の力がどのようなものか想像もできなかった。

『そして覚えておけ、人に摸して作られたアンドロイドは、その思考においてもまた人間に近いと言うことを。良く観察しそして考えるのだ』

 その言葉のあと、公太郎はうつむいて何かを思い出していた。

「俺はフタバを紹介された時、じいちゃんにメイドレスを理解すれば、悪魔にも神にもなれるって言われた。俺も彼女らを見ているとホントにそう思う」

『そしておまえはどちらを選ぶのだ?』

「……どちらでも無い、俺は人のままでいると思う。萌葱公太郎として彼女らに接し続ける」

 彼の答えに丈太郎はあの時と同じ……燃えさかる研究所をバックに自分を見送りながら見せた満面の笑顔を浮かべていた。

『良い答えだ。さすが祐太郎の子供、そして儂の孫だ』

「じいちゃん、ヒトミを頼む。俺はまだやらなければいけないことがある」

『任せていろ、そしておまえも努力するのだ』

 公太郎はうなずいて振り返るとヒトミの培養槽を見た。

 それから唇を噛みしめ、拳を強く握った。


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