■■ 「才能なんて何かの勘違いかもしれないとお父様が言っていたわ」
彼は自らの指輪を見た。そして指を閉じ拳を握った。
「……じいちゃん、サポートしてくれ」
『うむ、フタバ、工作ユニット・AT03を展開、光神経ケーブル・O002とバランサーモジュール・BM003、腹部アクチュエーター・MB01-300Rを用意するように』
「判りました」
『ミカ、公太郎に作業用衣服を着させてやれ』
「判りましたですぅ!」
公太郎はミカに連れられ部屋の隅にあるロッカーに誘導された。
扉が自動で開き中から取りだしたLLサイズの手術着を衣服の上から着させていく。鼻と口を覆う立体形状のマスクを着けたあと、頭にマイクロライトとカメラ、それに透過型モニタが一体になったゴーグルを装着し、最後に極薄のゴム手袋を両手に着けた。
「ご主人様、こちらの準備は完了しました」
フタバの声にうなずくと彼は培養槽の前まで進んだ。カバーは開いておりチューブが彼の膝の高さまでせり上がってくる。
右脇腹以外はブルーのシートで隠れていた。首から上と膝から下がそのまま見えているが先ほどより血色が悪い。
「姉さんの対人間疑似モードをオフにしました。呼吸と鼓動が停止していますがシステムに問題ありません。体温は現在降下中、目標摂氏二〇度」
なるほど身体が微動だにしていないのはそれが理由のようだ。
公太郎が用意されたイスに腰掛けると彼の右側に工具が横一列に並んだトレイが、左側に交換部品が並んだトレイが置いてある。ミカがゴーグルから引き延ばしたケーブルを培養槽に繋げた。
「治療システムと連動しますぅ、おにいちゃま、透過モニターを見てくださいですぅ」
彼の目の前にいくつもの文字が表示される。それを見てミカにほほえんだ。
それで準備は完了のようだ。
『落ち着いておこなえ。まず右トレイ左端にあるカッターで上皮組織を剥離し除去する』
彼は指示されたボールペン状の器具を取り上げる。すると目の前のゴーグルにどの部分を除去するのかがヒトミの身体に覆うように表示された。さらに工具の使用方法も解説されている。
操作方法はわりに単純だった。剥離装置のスイッチを入れ表示に従って切り裂いていく。刃先がぶれて見え切断箇所から耳障りな音が聞こえているため高速で振動しているのかもしれない。
出血機能はブロックされているが冷却循環液がにじみ出してうっすらと濡れている。表皮の内側に付着しているやや厚みのある黄色のシリコン状の物質は人間の皮下脂肪にあたる衝撃緩衝材だろう。
時々表皮に繋がる極細の神経をカッターで切ると、小さいながら甲高い音が聞こえてくる。そのたびにこちらの呼吸が止まる。祖父の警告が無いためミスでは無いと思うが心臓に良くなかった。
ふとヒトミの顔を見ると彼女はソッポを向いていた。
「……痛くないか?」
「もうとっくに知覚しないようにしてるわよ」
人間の局所麻酔のようなものなのだろう。いつもながらの言い方に公太郎は安心し作業を続けた。
慣れない作業であるが指示通りに上皮組織を切り取ると、彼は剥離装置を元あったところに納めた。
完全に露出した人工筋肉は有機的な材質では無いが、色合いと感触は人の筋肉に似せているようだ。
『腹筋の右ユニットは交換した方がよさそうだな。左から二番目の箱を取り上げて肋骨のすぐ下に押し当てるように。それでアクチュエータの接合が解除される』
彼はその指示に従ってスタンプ台状の装置を肋骨の下部に押し当てた。小さな動作音のあと、腹筋に相当する部品の接合部分が外れた。さらに鼠蹊部近くにも押し当てると筋肉は完全に分離した。
それをフタバに渡して患部を見ると、そこに現れたのはピンク色のビニール状の膜だった。表面にブロックを示す線と注意書きのような文字が描かれている。
その一部に裂け目ができてわずかに内部が見えていた。
『左から三番目の吸盤を裂け目の四方に貼り付けてケーブルをフタバに渡すのだ』
「そうするとどうなるの?」
『シールドが無効になり中の部品を交換できるようになる』
公太郎は祖父の説明にうなずいて裂け目を囲むように吸盤を配置した。それに繋がるケーブルをフタバに渡すと彼女はその先を培養槽のコネクターに接続する。
「耐衝撃シールドを無効化します。内部から衝撃緩衝ゲルが湧きでます」
フタバの言葉の直後、吸盤に囲まれている箇所がわずかに震えた。色が白くなり材質もより柔らかくなったように思えた。
そして裂け目から透明で粘土がある液体がしみ出てくる。これが衝撃緩衝ゲルなのだとすぐに判った。
その粘液の中にとても小さい粒が無数に見えた。それは小さいながら素早く動いている。
「メンテナンスミリマシンを動作停止、ポッドに収容します」
フタバの声のあと、見えていた粒がヒトミの腹部に吸い込まれるように移動した。これがミリマシンと言うものなのだろう。
『左から四番目の鉗子を使って裂け目を少し広げる』
公太郎は先端がへらのように広がったはさみを取り上げた。
それを裂け目に押し入れてゆっくり広げて固定する。使用した鉗子は二つ、肋骨部と鼠蹊部だ。上下で傷口を広げると内部がよりはっきり見えた。
『腹部を見て左のトレイの右端にある部品と同じものを探すのだ』
開腹部から中を覗き込むとゴーグルのライトが点灯した。
〈これがアンドロイドの……ヒトミの内部なのか〉
人間と違って内臓が折り畳まれておらず何層にも重なった薄い膜で区切られているそこに部品が収まっているようだ。
腹部なので表面に現れている骨格は無い。ゲル部室が充填されているためライトの光りを浴びてそれが照り返していた。先ほど見えたミリマシンも数える程度にゲルの中に浮かんでいる。
疑似的な鼓動や蠕動運動が無いため内部は少しも動いていないがそれがかえって不自然に見えた。
ロボットの内部と言うより未知の生物の体内を覗いているように感じる。
内部の色合いはほぼ白色だ。部品をつなぐケーブルが判りやすく原色に塗り分けられている。それが動脈や静脈に見えた。
目につくのは胸部から股関節に走るやや太めのケーブル類だ。数本が結束バンドでまとめられているがゴーグルの情報では制御信号と下半身の駆動系列へのエネルギーチューブらしい。
それを取り巻くいくつかの部品の中に損傷を受けている小さな箱状のものがあった。そこには光神経が数本、束になって接続されている。
『コネクターに極性があるから間違えることは無い。その部品を差し替えるのだ』
「注意事項は?」
『無理に外そうとして他の部品を壊さないように』
彼はふうと息を吐くと、右のトレイからピンセットを二本取り上げそれを体内に送り込む。
ゴーグルの左目の表示が拡大され状況をアシストする中、二つのピンセットを器用に扱って彼は壊れた部品を取り上げた。
それをフタバに渡すと左のトレイから新しい部品を取り上げ、ゆっくりと体内に納めていく。
外すより取り付ける方が難しいのだが、周りのケーブルや部品に緩衝しないように慎重にピンセットを動かした。
コネクターが部品に繋がると彼は大きく深呼吸していた。どうやら息を止めていたらしい。
「ご主人様、姉さんのバランサーが復帰状態になりました」
『安心するのは早いぞ、視界の中に見えておる光神経のうち、断線しているものが判るか』
彼は瞬きしたあと拡大した画像からささくれている光神経を見つけ、それをピンセットでつまんだ。
「これかな?」
『そうだ。それの根本と先端を探して新しいものと交換する。それは六神経で一組になっているから注意するように』
彼はそれを切断しないように末端を探していた。寸法は短いのだが身体の内側に入り込んでいる。どうやら脊柱から分岐している神経系列のようだ。
先ほどの部品は同じ形状のものが無かったので判別しやすかったが、この神経は同じ形状のケーブルがいくつも並んでいる。しかもゲルの中で視認がとてもしづらい。
他の部品を外さないようにピンセットを潜らせ、両端を見つけると右のトレイからもう二本のピンセットを取り上げコネクターをマーキングした。
十分温度管理されているのだが額に汗が流れる。マスクの中も生ぬるく器具を扱うゴム手袋の中にも水分がにじんで感覚を鈍くしそうだった。
左のトレイから新しい光神経を取り上げると、まず根本を体内に送り込んで損傷したケーブルと差し替えた。さらにそこから六本に分岐している先端を一つずつ差し替えていく。
体内のゲル物質がピンセットに絡みついて細かい作業が難しくなる。瞬きが多くなり呼吸も荒くなっていた。
しかし……祖父はこんなことは朝飯前だったはずだ。少なくとも自分はその遺伝子を四分の一も引き継いでいるのだ。できないことは無い。
五本目の分岐神経を交換する瞬間、焦りからかピンセットを掴む指先に僅かに力がかかる。
「しまった」
その声と同時に光神経を切断していた。
緊張感が抜けて思わず肩が下がる。しかしそれ以上内部を壊さないようにゆっくりとピンセットを引き抜いた。
『焦るな公太郎。ミスは誰にでもある』
「ご主人様、汗を拭きます」
フタバがガーゼで彼の顔に浮き出ている汗を拭き取った。もう一度大きく深呼吸すると、再びピンセットを持って新しい光神経を左のトレイからヒトミの体内に送り込む。
「ずいぶんと細くてもろいんだな」
『ヒトミが全身をシールドしておればそれなりの硬度を保てるのだが、それでは神経の交換ができないからな』
「それじゃ、しかたないか」
公太郎は意識を集中し口をつむった。
先ほどと同じような手順で新しい光神経を交換していく。今度は力が入りすぎないように、なるべく緩やかにピンセットを動かし続けた。
しかし根本は差し替えられても、分岐のケーブルは極端に細いせいかどうしても途中で切断してしまう。
部品は十分ストックがあるのか、交換に失敗するとフタバが新しいものをトレイに補充するがそのたびに焦りがつのっていく。祖父は何も言わず公太郎の作業を見守るだけだった。
七回目の交換で二本目の分岐を切断すると公太郎は室内に響くような舌打ちをしていた。
額に浮かぶ汗をぬぐおうとするフタバのガーゼですら邪魔に思える。
その顔を見てミカが怯える様子が目に入りなおさら表情を硬くするのだ。
ピンセットを床に投げ捨てたい気分だった。やはり自分に無理な作業だったのだろうか。
《あたしはいつまでも待っているわよ》
ヒトミの声が彼の頭の中に流れていた。
音声では無い、マッスルゥと闘っている時にも伝わってきた頭の中に直接聞こえてきた声だ。だから彼は自分の気持ちを頭の中に投げかけていた。
《しかし俺には難しすぎる。やっぱり才能が無いのかもしれない》
《才能なんて何かの勘違いかもしれないとお父様が言っていたわ》
ヒトミの言葉に公太郎は祖父が映ったディスプレイを見ていた。
《才能が有っても無くてもそれは大きな問題で無いと。あとは意志しだいよ》
《意志?》
《マスターはあたしを直したいの? それとも壊したいの?》
そこでヒトミの言葉は止まった。
公太郎は小さく頷くとフタバを見た。
「すまない、もう一度額の汗をぬぐってくれるか?」
「かしこまりました、ご主人様」
彼はピンセットを握り直すと新しい神経をヒトミの体内に送り込んだ。
まず、根本を交換しそれをたどって奥にある交換しづらい分岐から手をつける。
そこまでは何度目かの挑戦の分スムーズにできたがそれに安心してはいけない。
一本目、交換。二本目、交換。三本目、やや手間取ったが交換。
四本目、ケーブルの配置が難しいが交換、五本目、コネクターが少し堅かったが交換。
そして六本目、ピンセットの先がかなり絡まっている複数のケーブルの間を縫いさらに奥にある小さなコネクターに触れていた。
ゴーグルの拡大率があがる中、ゆっくりと確実にコネクターを外す、ふと何かが気になって倍率を下げると左手で操作しているピンセットの先端が三本目の分岐に負荷をかけていた。
彼は力を抜くとマイクロメートル単位の範囲で部品を操作している。今、考えるのは一つ。
〈俺はヒトミを直すんだ〉
六本目……交換完了!
彼は断線した神経を彼女の体内からゆっくりと引き抜いた。
腹部の損傷した部品は全て交換した。あとは傷を塞ぐだけだが彼の目が何かを見つけていた。ゴーグルの倍率をぎりぎりまで引き上げ慎重にピンセットを潜らせていく。
『何をしている公太郎?』
祖父の声にも答えず彼はそれを見つめていた。毛髪ほどの神経群をすり抜け、エネルギー伝達ケーブルをそっとよけ、ゲルの中に漂う小さな破片をピンセットの先端でつまんでいた。
それは人間であれば腎臓がある身体の深い部分だ。いくつもの絡みついてくるケーブルを傷つけないようにそっと引き上げる。
ピンセットの先には長さが五ミリ程度の小さな樹脂製の破片があった。マッスルゥの腕が爆発した時に散らばったものだろう。それが上皮組織や人工筋肉の繊維をすり抜け入ったに違いない。
「スキャナーでも発見できませんでした」
フタバが目を見開いている。ディスプレイの中の祖父もうれしそうにうなづいていた。
「こいつが残ったままだとあの変態マッチョが身体の中に居るのと同じだからな」
公太郎はピンセットと鉗子を全て抜き取ると右のトレイに納める。
「この裂け目はどうするんだ?」
『自然に修復するがパッチを張っておけ』
左のトレイに少し大きめのバンソウ膏がある。その裏面をピンセットで剥くと腹部の形状に合わせ貼り付けた。
さらに吸盤を外すと色が全体的にピンク色に戻り小さく蠕動した。
「姉さんの神経系が復帰したようです」
フタバの言葉に安心しつつもまだ終わっていない。
「新しい筋肉はどうやって付けるんだ?」
『外した時と同じ要領でかまわん。上下があるからそれに注意せよ』
左のトレイから人工筋肉のかたまりを取り上げ、そこに張られた方向確認シールを見ながら慎重にヒトミの脇腹に納めた。細かい接続はスタンプ台がおこなうようだ。上下を固定するとそれがぴくんと波打って見せた。
『よし、それで終了だ。あとは培養液がヒトミの上皮組織を含め再生するだろう』
「目の方はどうなるんだ?」
『それは培養液のミリマシンに任せないと徒手では難しい』
フタバがヒトミの身体を隠していたブルーシートを取り除いたため彼はうつむいた。
「……マスター、あまり待たなくて済んだみたいね」
その声に振り向くとヒトミが公太郎を見ていた。
「何とか終わったよ。どうなっても責任取れないけどね」
それに応えるようにヒトミが首を左右に振った。
「あたしの全部、見たのよね」
「ええと、それはその通りだけど」
「そんなことしたら、どうするかいつも言っているわよね」
つまりあの物騒な警告のことだろうか。一応マスターとして身体を治したのは自分なのにどこか理不尽と思って苦笑いを浮かべていると、
「でも責任取るからここにずっと居てくれとあたしに泣いて懇願するのなら許してあげてよ」
そんな彼女のお願いに彼が返事を忘れていると、彼女の目が笑っている。
「……コマンドは?」
「判ったよ。泣くのは勘弁だがヒトミはずっとここに居てくれ、そしてともかく今は寝ること」
「了解!」
ヒトミがうなずくと培養槽のカバーが閉じゆっくりとチューブ全体が床に降りた。密閉されたその中に淡いグルーの液体が充填され、ヒトミの筋肉がむき出された部分から細かく気泡があふれる。
それがチューブ全体に広がって彼女の裸身を隠していった。
「ご主人様、修復過程に入りました。予想される最低稼働状態まで……あと六三分です」
「その時間で直るのか?」
「完全ではありませんがあとはこの設備で自動的に修復されます」
「……判った」
公太郎が大きく息を吐くとミカが近づいて彼の手術着を脱がしていく。フタバは工具と交換した部品を片付けていた。
「おにいちゃま、すごかったですぅ」
「細かい作業はロボットの組み立てで慣れていたつもりだったけど、やっぱり難しい」
右手のゴム手袋を外そうとしたミカだが、薬指の先を見つめ顔を険しくした。なんだろうと公太郎も顔を近づけるとマッスルゥの破片がゲルと共に張り付いていた。
「どうやらこいつ、よほど俺につきまといたいらしいな」
「変態オヤジ、しつこいですぅ!」
「今度逢った時に返してみるか」
公太郎は破片を、すでに手袋を外した左手親指の爪に貼り付けた。
『良くやった公太郎。見事な腕前だったぞ』
彼は改めてディスプレイの祖父を見ていた。
「……じいちゃんなのか?」
『これは儂の生存時の情報を元にメイドレスの対人インターフェースを応用したものだ。彼女たちに対して問題が起きた時に公太郎を支援するためのサポート窓口のようなものだよ』
「さっきのICカードは?」
『この施設に拠点を移動するための最終更新情報だよ。日々アップデートをしておるがおそらく最後となるものだろう』
公太郎にもその意味が判った。思い出したのは爆破する洋館だった。
『大きくなったな公太郎。儂の若い頃に良く似ておる。ところでこれを最初に起動した時におまえにだけ伝えておかなければならないことがある』
彼はそう言われ、ディスプレイを見ているフタバとミカの方に目を向けた。
『フタバにミカ、おまえたちともいろいろ話がしたいが今だけ公太郎と二人だけにさせてくれないか?』
フタバはそれにうなずいた。ミカは少しぐずっていたがフタバに支えられゆっくりと階段を上がってその部屋から出ていった。
公太郎はその二人の背中を静かに見送っていた。




