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それいけ! メイドレス・スリー  作者: みやしん
■第五章 華子
24/32

■■ 「じいちゃんによろしくって頼まれたからな」

 滝田川は住宅地である。商店があっても駅前だけ、その他は自動販売機とコンビニエンスストアが点在していた。

 学校などの公共機関以外は大小形態が異なる住宅が並んでいる。

 都心からちょうどよい距離にあり土地も手頃と言うことで一〇年前から宅地が進み、以前は畑もあったが今では空き地がほとんど無くなってしまった。

 そのために人口がやたら増えたのだが急激に拡大したため、住人同士のコミニュティは意外と狭く、わりに閑静な町並みとなっていた。

 住宅地が何より優先されたので遊興施設もほとんど無い。ある意味とても健全なベットタウンと言える。

 公太郎とヒトミは並んで大通りを歩いているが、昼前にも関わらず人の数はまばらだった。

 外に出ると風がそれなりに冷たい。

 だが天気が良いので日なたを歩いていれば身をすくめるほどでは無かった。

 たまに通り過ぎる人々は、冬のわりにきちんと働いている太陽に合わせてそれほど厚着では無い。

 マフラーとコートを併用しているヒトミの装いは、やや寒がりを印象づける。

「ヒトミならマフラーとかいらないだろう」

「ご命令ならマフラーだけで歩いてもよろしくてよ」

 生暖かい目でほほえむヒトミにいつか命令してやると思いながらも、それができないことが判る自分が口惜しかった。

 彼女はそれについて関心が無いのか、コートのポケットから取り出した真っ赤ながま口を見ていた。

「普段は四桁の数字が出ただけで目を回すのに、こう言う家事が絡むと三二桁同士のかけ算でも楽にこなすのよね」

「そのアンバランスさがミカちゃんらしいけど」

「アンバランスか……普通のメイドが原子力の数百倍のパワーを持っているのもその一つかしら」

 ヒトミはマフラーで口元を隠している。サイドテイルの毛先が北風に揺れていた。

「フタバに聞いたのね、METAのこと」

「ああ……それなんだけど、ヒトミに確認したいことがある」

 公太郎の口調はいつに無く堅かった。ヒトミの口元がマフラーで隠れているので表情を読みづらいが動揺の気配は無い。

「フタバから貰ったドキュメントから、いくつかファイルを消したの、おまえか?」

「よく判ったわね。痕跡は残さなかったつもりだけど」

「昨日の朝に一度ドキュメントのファイル一覧を見ていた。そして学校から帰ってからもう一度見たらファイルの数が減っていたからな。その間に何かできるのは家に居たヒトミだけだ」

「ふうん、それなりに鋭いのね」

「何のファイルを消したんだ?」

「使用上の注意に関係して体内充電池の説明を少し。あのドキュメントにはMETAに関する直接的な説明は無いわ。ただ用心で連想できそうな記事を消しただけよ。それでマスターは、おいたをしたメイドに摂関の一つでもして下さるのかしら?」

 相変わらずヒトミは悪びれず目を細めていた。

「あとで考えるさ。それより何でそんなことをしたんだ?」

「知られたく無かったからよ。ちょっとやり方が幼稚すぎたわね、やっぱりフタバに頼めば良かった」

「……おまえもMETAのことを知ってたのか?」

「フタバが説明した程度でしか知らないわ。知りたいとも思わないし」

 不思議なことにヒトミの口調に感情がこもっていない。METAを嫌がっていると言うより無視していると言う雰囲気だ。

 直後、ヒトミは公園の入り口を見つけそこで立ち止まった。そして声も無く中を指さしているので公太郎も小さくうなずいた。

 そこは宅地として中途半端な面積を埋めるため、区役所で作った小さな子供用の公園だった。

 広さは末禅公園と比べるまでもないが、平地に遊具とベンチを置いただけの住宅地にありがちなものだった。以前はドッチボールや三角ベースで遊ぶ子供たちが居たのだが、いつの間にか球技が禁止となり、休日に関わらず中はひっそりしている。

 二人はジャングルジムを目の前にしたベンチに並んで腰掛けた。北風に冷やされているので公太郎が座るとおしりが少し冷たい。

「ヒトミはMETAのこと、どう思っているんだ?」

「面倒ね。METAもそうだけどレールガンを含めたあたしの攻撃オプションは全て」

 もしかしてああ言った攻撃能力を歓迎しているかと思っていた公太郎にしてみると、彼女の反応は少し意外だった。

 彼は前かがみになり顔だけ彼女に向けると話を続けた。

「フタバが言っていたけど、どうしてお手伝いさんにそんなとんでもないエネルギーや能力を付けたんだろう。ヒトミたちが産まれた時からあったのかな?」

「産まれた時か……それについては人間に比べると少し複雑かも」

 彼女は人差し指を伸ばし顎先に付けて考えていた。

「今のあたしたちが目覚めたのは二ヶ月前、気がつくとわたしは青の、フタバは緑の、ミカは赤のメイド服を着てお父様の前に居たわ。その時点でわたしたちが姉妹であることやそれぞれの役目について知っていた。それからお父様はこれから萌葱公太郎と言う一七才の男の子と一緒に暮らすことを教えてくれたのよ」

 二ヶ月前と言えば自分の父親である祐太郎が、祖父の丈太郎にお手伝いさんについて相談した頃だろう。

 しかし短い時間でヒトミたちを作ったとは思えない。もっと以前から準備があったと見るのが自然だ。

「それ以前の記憶は?」

「その時点では何も。あとでいろいろ調べてみたら封印している記憶があって、メイドレスとしてのタイムスタンプは二年前の一二月、それに筐体の電子頭脳の一番古いログは五年前の一〇月だったわ」

 二年前……昨日、可憐に年齢を問われたミカは二つと答えていた。それに関係があるのかもしれない。

「二ヶ月前の話に戻るわね。あたしたちはそれからお父様とあのお屋敷で、公太郎と暮らすための予行演習をしていたわ。ミカは家事全般、フタバは同級生として一緒に学校に付き添い、あたしはその他の諸々の欲求に答えるために」

 その欲求の種類が気になるが、聞き出すと罠にはまりそうなのであえて止めた。

「その間にどんな演出であたしたちを公太郎に紹介するかをみんなで考えた。その一つがあの操作説明書よ。体格は立派でも運動関係が苦手でロボットを作っているのを知っていたから、マニュアルを読むのが好きだろうとお父様が提案したの」

「まあ好きだけど」

 さすが同じ趣味の近親者である、孫の好みそうなことをよく心得ている。実は母親のかな子は機械に弱いが年間千冊近くの本を読む活字中毒なのでその血も引いているのだろう。

「二ヶ月間はとても楽しかった。お父様はホントにお父様だったしフタバともミカとも姉妹だったと思う。日常の生活に必要なことや常識などを教わったわ、それも少しも辛くなかった」

 確かにその時の記憶を掘り起こしているヒトミの顔は楽しそうだった。できればどんな過ごし方だったのかを詳しく聞きたいくらいだ。

 だが途中で表情が曇りだした。

「四日前、あのお屋敷にあなたが訪れたときにあたしたちを紹介するための最終予行演習……その時、あいつらが襲撃してきた」

「『学会』のロボットかな」

 ヒトミは小さくうなずいた。

「実はその時まであたしたちは何も知らなかった。自分たちがアンドロイドであることは理解していたけど、METAがそんなにとんでもないエネルギーであることや、単なるお色気担当だと思っていたあたしがレールガンを発射できることも」

「それが判ったのは屋敷が爆破された時なのか?」

 しかしヒトミは力なく首を振った。

「そこもよく判らないの。予行演習に入った時一時的にあたしたちは初期状態にいたわ。そこに緊急事態が起きてお父様があたしたちに何かを語りかけた。その瞬間、自分たちの機能を知ることになったのよ」

「じいちゃんは機能のプロテクトを解除したのかな」

「たぶんね。それもかなり中途半端だけど」

 彼女は誰も遊んでいないジャングルジムに瞳を向けた。

「自分の機能全てを知らないのか?」

「きっと二年前から封印されたログの中に答えがあると思うわ。なぜMETAが必要なのか変な能力があるのか。今はその理由は判らないけど使うことができる。まさかあなたとの生活でその機能を使うと思わなかったけどね」

 それは彼も同じだ。ヒトミの砲撃も、ミカの格闘も、フタバの障壁も普通のメイドであれば全く縁の無い話だ。

「フタバは自分の力を嫌がっていた。ヒトミもそうなのか?」

「そうかもね。だからお父様をあのお屋敷から脱出させるためにおとりになったあと、あたしは廃棄されたコンテナの中でずっと隠れていようと思ったわ」

「ずっと?」

「よく判らない力があっても迷惑だもの。そのために別のロボットに狙われるのもばかばかしいことだわ。だからフタバやミカが語りかけても答えるつもりは無かったの」

 そのためフタバが姉の信号を見つけた時にも、探し出すのが難しかったのだろう。

「でもそれならなぜあの時、俺たちの前に現れたんだ?」

「あなたの声を聞いたからよ」

 ヒトミの顔は公太郎の方に向いていた。そして左手中指を彼に見せた。

 サファイヤがはめ込まれた黄金色の指輪が冬の日の中で緩やかに輝いている。

「じいちゃんによろしくって頼まれたからな」

 ヒトミの声であったがそれは確かに公太郎の言葉だった。

「指輪が伝えてくれた想い、自分の命も危ういのに公太郎はフタバを守ろうとしてくれた。運動が苦手で格闘なんてできなくて、普通の人間だから特殊な能力が無いのにそう叫んで妹を助けようとしていたら、姉として黙っていられる?」

「俺はただ大好きなじいちゃんから預かった女の子だからそう思ったんだ」

 するとヒトミはうつむいてどこかつらそうな表情を浮かべた。左手は彼女の心臓に触れるように胸に当てている。

「そうね……でもあたしたちはアンドロイドなのよ。普通のアンドロイドと違うけど所詮ロボットなの。公太郎のお世話をするために好意を抱くようにプログラムされたね」

「人間だって時間をかけてプログラムされたようなものだよ」

 公太郎の声にヒトミの両肩がわずかに震えた。

「生まれたばっかりの赤ん坊は生きるための最低限度のプログラムしかインストールされていない状態と同じだよ。それから数十年かけていろいろなデバイスドライバーや常駐プログラムやアプリケーションを組み込んだり外したりパッチを当てたりする。データベースだって拡張したり更新したり間違って削除したり。途中でコンフリクトを起こす場合だってあるしバグで機能不全を起こすことだってある」

 話を聞きながら顎を上げたヒトミは目を見開いてぽかんとしていた。

「特に人間の赤ん坊は弱い存在だから自分の家族に対して本能的に好感度が高くなって関係を示すプライオリティも高い。その後の経過で好感度も上下する。場合によってはリレーションが外れるかもしれない。新たにプライオリティの高い人物が登場して全く新しいリンクを張ることになる」

 一気に言葉をつなげた彼はここで深く息を吸った。

「ヒトミ……もし俺に対して好感度が高く設定されているとしたら、それは俺とヒトミたちが家族である証拠だと思う」

「……家族?」

 公太郎はゆっくりとうなずきどこか寂しげな表情を浮かべた。

「それでも家族になるのが嫌なら……好感度が高くてわずらわしいと思うのなら、俺が何とかして設定値を下げてみる。それができるようになるために努力してみるよ」

 ヒトミはマフラーを引き上げ口を隠して小さく笑った。ただし瞳はどこかうつろに見えた。

「あんたつくずくバカね。元々高い好感度をあえて下げるなんてどんなプレイなの? そのままならあたしを好き放題できるのよ」

「そう言うのってチートみたいだろ、俺ってあんまり好きじゃ無いんだ」

「チート? でもしかたないでしょう、公太郎用のメイドロボットなんだもん」

「んー、その言い方はどうかなあ。ヒトミたちは何度も自分たちがロボットだって言うけど、俺からしてみれば料理が上手なミカちゃん、いつもそばに居て俺を見守ってくれるフタバ、それに……」

「それに?」

「それに俺が口げんかしていても飽きないヒトミだよ。それが人間なのかロボットなのかあんまり関係無いかな、そもそもロボットに見えないんだし」

 笑顔の公太郎に対してヒトミは顔をそむけた。

「さっきフタバを守ろうとした俺を助けるために隠れていたコンテナから出てきたって言っていただろ? それが妹を思う心だって説明していた。それもプログラムの結果だってヒトミは言うかもしれないけど、俺から見れば家族を思う愛情だよ。

 俺がフタバを助けようとしたのだってガキの頃から組み込まれた『女の子を助けるのが男の子の役目です』ってプログラムに忠実に動いているだけかもしれないぜ」

「……あんたへの好感度が下がったら、みんなあんたの目の前から居なくなってしまうかもしれないわ」

「そうだね……じいちゃんに期待されているみたいだけど俺にも実感が無い。だからヒトミたちが俺の前から居なくなるのは何となく納得する。

 居なくなってもきっと今作っているロボットはヒトミたち以上に完成させると思う」

「それって意趣返しのつもり?」

「それもあるけどミカちゃんとの約束だからね、ミカちゃんの妹を造り名前を考えてもらわないと。

 俺、名前とか考えるの苦手だから」

 彼女は小さく笑って見せた。口元をマフラーで抑えて目を閉じる。

 その目元がほんのりと赤くなっているのは北風の仕業では無いだろう。

「公太郎ってお父様に似ているのね」

「そうかな。今は普通の高校生だけどね」

「やっぱり少しだけお父様のことを恨むわ」

 ヒトミはゆっくりと腰を上げた。その足は公園の外に向いている。

 ヒトミの口調に怪しさは無かったのだが、少し気になってコートの背中に語りかけてみた。

「どんなこと?」

「公太郎には教えなーい」

 振り向かない彼女を追うように彼もベンチから腰を上げた。二人並んで公園を歩いてもすれ違う子供は居なかった。

「公太郎、フタバとも約束したでしょ、METAを完成させるって」

 それは昨日、フタバにMETAの説明を聞いた時のことだろう。さすがに繋がっている姉妹なのでこう言うことは筒抜けらしい。

「つまりあんたはあたしたち三人と約束してるのよ」

「約束?」

「あたしとはあんたへの好感度が下げられるようになるまで、フタバとはMETAが完成するまで、ミカとは妹ができるまで……その約束がある以上、どんなに情けないマスターでもそばに居るしか無いわ」

「いや、俺が生きている内に何とかなるかどうか判らないよ」

 慌てた公太郎に対してヒトミはほほえんでうつむいた。

「いーわよ別に。あたしたちは急いでいないから」

「ヒトミたちに時間があったとしても、俺にじいちゃんみたいな能力があるのか、自信が無いからな」

「……末禅公園であたしに言ったこと、覚えている?」

 ヒトミにたずねられても何のことだろうと小首をひねっていると、

「華子のお料理の腕前はエジソンみたいだって」

「ああ、それか」

 途中が適当に省略されているが話した事はそのようなものだった。

「あなたが華子のことをそう言ったように、お父様だって天性では無くて努力の人かもしれないでしょ。あたしたちと違って人間って極端な性能差が出ないと思うから」

「それはそうかもしれないけど」

「だからあたしたちは公太郎がきちんとしたマスターになるまで待っていてあげるわよ。あんまりぐずぐずされるのは嫌だけどね」

「……努力するよ」

 ヒトミはどこか楽しそうに大きく腕を振っていた。

 公園を出て大通りに戻ると風はやんでおり少し暖かくなっている。ヒトミはマフラーを外すとコートのポケットに収めた。

「あたしも最初どうなるかと思ったけど、あの家での生活もそこそこおもしろいかな」

「それなんだけどさ、気になることがあるんだよ」

 ヒトミの目はどこか不安そうだった。

「三人とも食事はできるんだろ?」

「一応ね。でも食べ物をとったからと言って身体に変化が起きないわよ」

「それでもさ、あの家に四人も居て飯を食うのは俺だけって言うのはどうも不安なんだよ。だから、食事はみんなで一緒に、生活のリズムも同じにできないかな」

「ばっかねえ、あたしたちが食事するなんて無駄以外の何ものでもないのに」

「そうでも無いさ。家族として生活している感じが出ると思うんだ」

 ヒトミはややうつむいて少し考えたあと目を細めていた。

「……マスター、コマンドは?」

「三人とも毎回俺と食事をすること」

「了解! あとでフタバとミカに伝えておくわ」

「でもさ、食べ物がいらなかったり特別な力があったり、ロボットと言うのも結構いいな」

「公太郎もロボットになれば? そうすればずっとあたしたちと暮らせるわよ」

 そのお誘いに公太郎も苦笑いを浮かべていた。

「無理言うなよ。人間に生まれてきたんだし」

 その答えがおもしろかったのかヒトミは笑っている。彼はそんな彼女に聞き返していた。

「ヒトミこそ人間になってみたいとか思わないのか?」

「思わないわ、いろいろと不便そうだし。それにあたしが人間になったようなのがすでにあんたのそばに居るでしょ」

 誰と言わないがそれが華子なのは明白だった。むしろヒトミのオリジナルが華子なのだがそれには突っ込まないでおいた。

「ハナとヒトミは全然違うさ。ただ、顔が似ているだけだよ」

「そうね、中身まで一緒にされたら迷惑かな。あたしもあんなに不器用では無いもの」

「何となくMETAみたいだよな、俺とヒトミとハナって」

「ハア? 何言ってるの」

「どっちが裏表か判らないけど、俺が真空で二人を隔絶しているような。それでも俺が二人に半ひねりされると区別がつかなくなったりして」

「変な例えね。なんだったらフタバに頼んで物理的に半ひねりして差し上げましょうか?」

「それは勘弁だな」

 華子の話題がでたところで、彼は左隣のヒトミの姿をまじまじと見ていた。

「普通に顔出したまま散歩して大丈夫かな? 華子とばったり逢うんじゃないのか?」

「平気よ、この町だってそれなりに人がいるんだし、あたしの計算だとこのまま歩いていても華子に出逢う確率は千二五四万三五四六分の一ってところだから」

 その計算の根拠は判らない。ヒトミは時々事象をきっぱりとした数値で言うので、それなりの計算をおこなっていると思うのだが、あの家事を見ているとどこまで信憑性があるのか疑問だ。

「あたしたちが並んで歩いていても、所詮幼なじみが仲良くしている程度にしか見えないわよ」

 確かにたまに通りかかる顔見知りのご近所さんは二人を見ても会釈するだけで不振に思っていないようだ。

 しいて言えばいつもの華子に比べ大人っぽいのに気がつく程度だが、華子にしても一六歳、お年頃なのは理解しているだろう。足を止めてまで指摘する人は居なかった。

 ヒトミは視線だけ公太郎に向けると口元をほんの少し引き上げた。

「それとももう少し、華子との仲を進めてあげようかしら?」

 伏し目がちに呟いた彼女が何をしでかすのかと思ったら、彼のだらんと下がった左手にヒトミの右手の細い指を伸ばしてきた。

 もどかしそうにその指が公太郎の手の甲をなでるように動いて、少しじらすと手のひらを重ねていた。

 彼女の体温は三六.五度に保たれている。彼にとってとても暖かい。

 公太郎はそれを振りほどかなかった。

「こんなのぐらいだと進まないよ。ガキの時はよく手をつないでいたからな」

「今は子供で無いから」

 より強く体温が伝わってきて彼女の爪がほんの少し食い込んでいた。痛みは無い。

 それどころかとても暖かかった。

 なので二人は、駅前のスーパーマーケットに着くまでその手を放さなかった。


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