■■ 「ホントは伸ばすのが怖いのよね」
〈どうやらちゃんと学校に着いたみたいね〉
ヒトミは公太郎の家の中、二階の四畳半の部屋でふうと大きなため息をついていた。
着衣は下着の上に白い長袖のワイシャツだけである。何ともはしたない姿だがスタイルの良い彼女に似合っていた。
暑さ寒さは感じ無いし日本国内なら全裸であっても動作に異常を起こすことも無い。
〈ともかく衛星は解放しておかないと〉
それよりGPS衛星を五個、ランドサット衛星とどこかの国のスパイ衛星を専門に貼り付けてもわずかに目を離した隙に一八〇度違う方向に走り出す末っ子のサポートに気疲れし、両手をうんと高く上げて背を伸ばしていた。
昨日購入した商品が夕方には届く、それまでにきちんとした服装に着替えなければならないが、その前に片付けておきたい仕事が二つあった。
まず一つ目。ヒトミは腰を上げると部屋を出て公太郎の部屋に入り洋服ダンスをいじると工作室への扉を開いた。
この部屋は誰か入ると自動で照明が点く。大きな作業机の上では公太郎作のロボットが二足歩行の途中でモーションを止めていた。
今朝方まで趣味を満喫していたのだろう。慌てて眠りについたのかロボットの背中にUSBケーブルが繋がったままになっている。
ヒトミがキーボードに触れるとスクリーンセーバーが解除され、ロボットの制御用のソフト画面が表示された。
「……ダメねえ、パスワードロックくらいしないと」
そもそもその部屋に入る方法がパスワードのようなものなのだ。例えパスワードが設定されていても八文字以内なら数秒で突破できる。
彼女は制御ソフトに触れないように注意し、ハードディスクの中のファイル一覧を表示させ『マニュアル・本稿』フォルダを探し出した。
公太郎にとっては隠すまでもないものなので比較的浅い階層で見つかった。
ただヒトミもそれなりに用心深い。ファイル検索を使用し同じ名前のフォルダを探すと、隠しフォルダに同じもののコピーが存在している。さらにフォルダの階層から推測し類似性のあるファイルを探した。
メインのパソコンを検索し終わるとLANで接続しているサブマシンも同様に検索した。こちらは定時にバックアップをおこなう設定になっている。
彼女は棚の上に並んでいる光ディスクケースに目を向ける。ここまで用心深ければこちらにも保存されているだろう。ネットディスクサービスを利用していることも考えられる。
〈フタバに頼めばこんな回りくどい方法を取らなくてもいいのだけど〉
彼女は顎に人差し指を当て少し考えると、ハードディスクにコピーされたフォルダから、いくつかのファイルを削除しはじめた。
もちろんゴミ箱に残らないように完全に削除する。ディスクの管理情報に痕跡が残らないように無駄なファイルの作成と削除も数回繰り返した。
そのあとファイル一覧も閉じ、自分が操作した痕跡を消した。定時起動のタスクリストを見るとあと一時間もすればデフラグ処理が走る、うまくすればそれでファイルの痕跡すら無くなる。
自分も用心深いつもりだがフタバに比べるとやり方が素人だと思う。公太郎が感づく確率は三二.七パーセント……ばれても自分が摂関されるだけだ。公太郎にそんな意気地があればの話しだが。
〈ごめんね……まだ知らなくていいと思うのよ〉
そのあとキーボードから指を離し、ロボットが画面を掃除するスクリーンセーバーが起動するのを待って工作室から出た。
さて二つ目の仕事。
こちらは明らかな当ても無いのだが、気になるので調べておきたいだけだ。
ヒトミは階段を下り祐太郎とかな子の部屋に向かった。この部屋も寝室として使用して良いことになっているが、夫妻のプライベートに配慮し足を踏み入れていなかった。
あえてそこに入ったのは祐太郎の工作室への入り口がこの部屋に作られているからだ。
こちらの部屋はさすがにかな子にも秘密になっていないが、夫婦間の約束で許可無く入らないことになっている。
機械関係にまるっきり弱いかな子もあえて虎穴に入ることはせず、部屋の掃除も祐太郎任せになっていた。
父親の趣味なのか入り方は公太郎の部屋と同じく隠し扉からになる。その入り口は押し入れに作られていた。
収納の扉を開け壁を押し込むと入り口が現れる。そこから急な階段を下って地下に降りるのだが、位置はちょうど駐車場の真下になる。
広さは六畳程度、公太郎の工作室に比べると間取りが広いが測定機器だのパーツだの、その数はこちらの方が数倍あるためとても窮屈である。
パソコンはやや古びたデスクトップに骨董品クラスのブラウン管式ディスプレイが鎮座していた。試しにディスプレイの電源を入れてみると画像が安定するまでやや時間がかかった。
ヒトミは部屋の中をくるりと見回し腕組みして考えている。
〈……適当な衛星、無いかしら〉
彼女は上空にある衛星リストを走査した。鉱物探査衛星でもあれば楽なのだがちょうど裏側に回っているようだ。こちらから制御をおこなえるようになるのにあと五時間必要だ。
〈フタバがそばに居れば、あたしだけでも徹底的にスキャンできるんだけど〉
しかしフタバが居たとしても頼みづらい。所詮無い物ねだりだ。
ヒトミは鼻を鳴らすと大きな作業机に片手をついて、そこに乗っている作りかけのラジコンカーを見ていた。動力はモーターでは無く小型の内燃機関エンジンである。
〈親子ってこう言うのかな〉
実のところ姉妹の概念も理解しているか危ういが、人間の血のつながりが遺伝子と言うコピー情報を共有していることだけを知識として記憶していた。
だとすれば自分たちもメイドレスとしての規定機能を共有しているのだし、そこは人間の言うところの家族と同じかもしれない……ヒトミは目を閉じて薄く笑った。
〈望んでもいないのにね〉
ヒトミはディスプレイの電源を切るともう一度部屋の中を見た。
一番奥の柱に小さなへこみがあるのを見つけたのはほんの偶然かもしれない。
腕組みしてそこに近づいた。二本の柱が半間(約九〇センチメートル)の間隔に並んでいるが、それ自体変わった配置では無い。
向かって左側の柱、ヒトミの脇腹ほどの高さに少しくぼれたへこみがあった。何かをぶつけたにしては綺麗な凹型をしている。
〈何となく形状が似ているわね〉
試しにヒトミは左手中指の指輪をそこに押し当ててみたが若干隙間がある。
〈同じような形の指輪で叩いたのかしら〉
ヒトミがここに入ったのは今回が初めて、フタバとミカは公太郎の両親の部屋にすら足を踏み入れていないはずだ。
腕組みして柱を見たが今の自分の状態ではどうにもできない。
ヒトミはきびすを返して部屋をあとにし、リビングに向かった。
徹夜で設定した監視網は今のところ警告を伝えてこない。このセキュリティも自分なら突破できることを考えるとヒトミと同程度の性能をもつのであれば築かれずに近づくことも可能だ。
〈あたし用のパソコンも一台注文しておけば良かった〉
毎回ネット通販を利用するのに公太郎の工作室を使うのは気が引ける。
家の中に敷設されているワイヤレス接続に入れば良いのだろうがセキュリティの設定が面倒だった。それをフタバに肩代わりさせる気にはならない。
することが無くなり時間が無駄になる。
一応留守番である、待機状態になるのもやめ、機能を最低限度に落とすエコモードに切り替えようとした時、備え付けの電話が鳴った。
彼女はゆっくりと腰をあげ、それでも三コール以内で受話器を上げた。メイドとしてのたしなみである。
「萌葱です」
『公太郎くんはいるかな?』
ヒトミの中の音声データベースはすぐさまその人物を特定した。
「……教授?」
『おや、わたしの声を覚えていてくれたのかね?』
教授の声は少しうれしそうに聞こえる。逆にヒトミは事務的な対応に徹した。
「本日はどのようなご用件かしら? 公太郎は学校に居るけど」
『うむ、君たちを目の敵にしているロボットの追跡情報が入ったよ。現在末禅高校に潜伏している可能性が高いそうだ』
「……それで」
ヒトミは意図的に声のトーンを落として答えた。
『こちらからもエージェントを派遣しているが、そちらでも注意するように伝えてくれたまえ』
学校には野中がいるのだが、彼を動かすのは難しいのだろうか。
「公太郎の携帯電話に直接連絡を入れればよいのではなくて?」
『その付近の携帯電話網が混乱している。君からのルートの方が確実に伝わると思ってね』
「判ったわ。お礼は言っておくわね」
『そのロボットはまだどこかのメンテナンスを受けている可能性が高い。気をつけたまえ』
電話はそこで切れた。
まさか真っ昼間に人の多い学校で襲撃すると思えないが、教授の警告もあるし筋肉ござるがそう言った常識を持ち合わせているか危うい。
ヒトミは妹たちに向かって回線を開いていた。
§
「ふーん、それでハナちゃん、落ち込んでいるのね」
千代子の間延びした声に華子はゆっくりとうなずいていた。
場所はいつもの『サクラの間』、本日は風も無く太陽もしっかりと働いているので三人はベンチに腰掛け食事していた。ほどなくして可憐が部活のミーティングがあるためその場を離れ、今は華子と千代子が並んでいる。
二人とも弁当は食べ終わっているのだが、千代子はフルーツ牛乳をちまちまと飲んでいる。華子は膝の上の小さな弁当箱に視線を落としていた。
「でもさ、ハナちゃんよりおいしいお弁当なんて簡単に作れないし、そんなに落ち込まなくてもハムちゃんに嫌われないって」
「べ、別に公太郎はどうでもいいのよ、問題なのはチビッ子のお弁当にかなわなかったってことなんだから」
そして拳を握りしめる姿は、落ち込んでいるが再起不可能で無いことを臭わせている。
その姿を見て安心したのか千代子はベンチから投げ出した足をぷらぷらと前後に振って見せた。
「まだまだ上が居るものよね、頑張らないと」
「……でも頑張るのはお弁当の方なんだね」
「それ以外何かあるの?」
「今日はお化粧してないでしょ。昨日のハナちゃんはとってもキレイだったのに」
「ええとええと、それはその……」
「本気出したハナちゃんはすごいよねって可憐ちゃんとも話してたのに。ハムちゃんの言うとおりいつものハナちゃんに戻っちゃうんだもん」
つまり華子≒ヒトミの変装のことだが、千代子の様子を見ている限りどうやらばれていないようだ。
ヒトミのベースデザインが自分であるとフタバから聞いている。つまりヒトミがほめられたと言うことは華子もほめられたことになるのだろう。
しかしどうも素直に喜べなかった。
一つは性格的な相違である。顔と体型はほとんど同じなのだが、ヒトミと同じ性格と思われるのはどこか納得できない。
もう一つは外見の差異だ。フタバやミカの言葉を気にするわけでも無いのだが、自分の方が年下に見られるのがくやしいのである。
ヒトミの設定年齢が一八才と言うことは今のところ自分より彼女の方が二つ年上なのだが、再来年の誕生日にあのような容姿になっているか自信が無い。化粧をすればそれこそ化けられるかもしれないが、今のところメイクアップの技術は皆無に等しかった。
千代子は華子のそんな複雑な思いに気がつかないのか笑顔を向けて居た。
「やっぱり髪を伸ばせばいいのに。そんなにクセが激しいの?」
「うんと……ホントは伸ばすのが怖いのよね」
華子は自らの短めの髪に触れていた。
「あたしね、子供の頃に公太郎のご家族と遊びに出かけた時、電車の中で変質者に襲われたの」
「それって痴漢?」
「どうなんだろう、たしか小学校二年生の頃だったから痴漢と言うかロリコンよね。
それでその頃は髪を伸ばしていたんだけど、変質者に髪を掴まれいたずらされそうになったの」
「そんなことがあったんだ」
「その時は公太郎のおじさんに助けてもらったけど、あれを思い出すとね……」
実のところ、助けてくれたのは祐太郎では無く公太郎だった。華子の髪を掴んだ変質者に猛然と体当たりしたのだが、その頃からインドア派だった彼はかなうはずも無くその騒ぎに気がついた祐太郎が犯人を捕まえたのである。
とは言っても祐太郎も一八〇センチを超える大男のわりにインドア派なので、最終的に取り押さえたのは萌葱家の中で唯一の武闘派、身長一六〇センチ空手初段のかな子だった。
「中学に入るまでは一人で電車に乗れなかったわ。今では少し慣れたけど満員電車は緊張するの。
この学校に合格した時は末禅町にアパート借りようかと真剣に考えたのよ。
あれから髪を伸ばすとまた、いたずらされるかもって思うとどうしてもね」
「いろいろあるんだね……でも昨日のハナちゃんの髪は似合っていたよ」
「うん……実感無いけど」
「昨日一日でハナちゃんのファンって確実に増えたと思うな」
「居るのかしら、そんな人」
華子の照れ笑いに千代子が目を細めていやらしく笑って見せた。
「もうハナちゃんは欲が無いよね。ホントハムちゃんのお世話ができれば満足なんだから」
「だ、だからだから、あれはおばさんに頼まれたから……」
「判ってるよ、しかたないのよね」
それ以上何かを言おうとした華子だが、千代子は正面を向いてフルーツ牛乳を飲んでいた。どこにでもありそうな二〇〇ミリリットルの容器なのにまるっきり底なしである。
「でも不思議だよね。ハムちゃんもハナちゃんのお世話にそんなに嫌がっていないみたいだし、あんまりべたべたしてないし」
「……甘えているだけよ。中学に入ったばかりの頃はあいつ、あたしを無視していたのよ」
「でも今は違うでしょ。二人はきちんと友だちに見えるもん」
「友だち……ねえ」
「わたしは二人の関係、とっても自然だからうらやましいな」
どこにそんなことを思えるのだろう……華子は再度膝の上の弁当箱を見て、小さなため息をついた。




