■■ 「目覚めよ、我が娘たち!」
古い洋館と言うのは、どこか怪しいものだ。
それも壁全体がつるで囲まれていたり、高い塀が屋敷を取り囲んでいたり、またその上に有刺鉄線が巻き付いていたり、入り口が鉄製の大きな門だったり、その門の上のアーチに等間隔に槍のようなものが突き出ていたら、中に住んでいる人物の素性を疑いたくなるのは無理もないだろう。
それにどういうわけか、その洋館の周りだけ夜になると真っ暗になり、空に厚く黒々とした雨雲が立ちこめ、季節関係なく雷が鳴り響いているとしたらそこの住人は九四パーセントの確率で決まっている(WMA調べ)、
すなわち『マッドサイエンティスト』である!
この屋敷の住人も六パーセントの善良なる一般市民でなく、ちょっとソレでアレな部類に入る人物だった。
門の横にある小さな表札には『萌葱[もえぎ]』と書いてあるが、その横に大人の背丈ほどの看板が立てかけられており、そこには『萌葱超科学万能研究所【有】』と超極太明朝フォントで描いてあった。
ご近所の住民はこの屋敷の主人を「萌葱さんの発明おじいさん」と証しているが、お子様たちは「あのキチ○イじじい」と敬愛をこめて呼んでいた。
もっとも「はだかの王様」にならうまでもなく、子供の感想はある意味残酷なほど素直である。そちらの方が正しい住民感情と言うものだろう。
その日、一二月にも関わらず手に届きそうな高さに悶々と渦巻く雷雲があり、時々雲の内側から小さな光と何かを転がすような音が響いていた。
そしてその屋敷の唯一の住人たる男は地下の研究室で、いくつものブラウン管式ディスプレイに映るグラフに目を向けている。
手には計算尺を握りしめ、ランプまたたく操作盤のトグルスイッチを上下しながらその横にある、馬鹿でかいスイッチに手を伸ばしていた。
一八〇センチを軽く超える長身を白衣で固め、細面の顔に丸メガネをかけている。
ロマンスグレーの髪はぼさぼさでも、それをまとめれば渋い感じの良い男なのだが、今は狂気に歪んだ笑顔がとても不気味だった。
「ついに来たぞ、いよいよ儂の夢が叶うのだ!」
そして部屋中に響き渡る大声で笑ってみせた。年の頃なら七〇以上なのだが、とてもそう聞こえない甲高い笑い声である。
「これで儂を見下した『学会』に復讐してやる!」
掛け声と共にレバーを全力で押し下げる。するとこれまた部屋中に強烈なモーター音が響き机やら戸棚やらがその振動でガタガタと悲鳴を上げた。それに連動した歯車やらピストンやらシリンダーやらが産業革命児の工場のように稼働し、部屋の中央に直立する三本の透明なチューブをせり上がらせた。
レトロなその部屋の中にあってその設備だけは時代を超えたような輝きがあった。チューブは長さが二メートルほど、直径は一メートルほどで透明だが表面は全ての光を反射するように磨き込まれていた。
チューブごとにそれぞれ淡いグルー、鮮やかなグリーン、澄んだレッドの液体を満たしている。それとともに細かい気泡が循環し中に何があるのか判らない。
それを見ながら彼は手にした科学計算用の計算尺の中尺を動かし、透明なカーソルを合わせるとその数値に何度もうなずいていた。
またその結果を見て傍らのアナログコンピュータのダイヤルをいくつか回し、ブラウン管に表示された波形を見てほほえんでいる。
老人は隣にあるさらに大きなスイッチに飛びついて、全体重をかけて降ろした。
より激しい駆動音が重なり、三本のチューブを取り囲むように放電端子がせり上がる。そこから無数の小さな電光がフラクタルな軌跡をしるしながらチューブに向かって飛んだ。
老人が笑う、高らかに笑う。しかしその笑い声も部屋の中で発せられている装置からの騒音にかき消されていた。
「さあ、これで最後だ。天命がおまえたちに目覚めを与えるのだ!」
彼は真顔になるとその隣のさらに大きなスイッチにぶら下がって、体重をかけ懸垂するように下に降ろそうとするがあまりにも巨大で動こうとしない。ついにレバーの上に乗って、何回もはねていたが足を滑らせると股割りの状態のまま股間をレバーに強打した。
男なら判る悲惨な悲鳴のあと、そのレバーが不意に落ちた。それと同時に屋敷の真上で渦巻いていた雲の中から、ひときわ大きな雷が避雷針めがけて落ちたのだ。
研究室全体を揺らす轟音と飛び交うスパークの中、老人の髪も静電気で舞い上がり、目に涙を浮かべながら爆笑していた。もはや人間の声で無くなっている。
「目覚めよ、我が娘たち!」
その叫びに応え三本のチューブが爆発するように発光し輝いた。
室内を覆うような光が消えたあと、チューブの中の細かい気泡も無くなり、透き通った液体の中に現れたのは全裸の少女の身体だった。
いくつものケーブルが彼女らの肌に伸び、その先端に付いた吸盤が胸の先端とかへそとか一番大切な部分とかを隠すように張り付いている。いろいろな方面に対しての考慮と言えるが、どちらかと言うと隠さない方がいっそ爽やかに感じる。
そして彼女らの口が開くとそこから気泡があふれる。さらにチューブを満たしていた液体が排水され、少女の白い肌が露わになった。
「ついに、ついにやったぞ! これで『学会』は儂にひれ伏すのだ!」
老人の笑い声が響く、雷を背景に盛大に響いていた。
そのさなか、チューブの中の少女はゆっくりとまぶたを開き漆黒の瞳を輝かせていた。
やがて小さな声で呟いたのだ。
「MAIDReSS Start up!」