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3.レポート用紙の問題

 ちょっと気落ちしながら家に帰って、にーちゃんにメールを入れておいた。

 ご飯を食べてテレビを見て宿題やってお風呂に入って、そろそろ寝ようかって頃ににーちゃんからの反応があった。

 メールじゃなくて、電話で。

「いよう、妹よー」

「兄よ、飲んでますか?」

「いやまったく」

 やたらテンションが高い第一声だったくせに、私が尋ねると冷静な声が返ってくる。

「遅くなってごめんなー。今ようやく家に帰ってきたんだ」

「あいっかわらず忙しいんだねえ」

「俺近い将来過労死するかもだよ」

 軽い口ぶりでにーちゃんは言ってのける。それくらい軽口が叩けるなら充分元気だ。

「で、何あのメール? かぼちゃに邪魔されてたらしいって」

 正確に言うなら件名に「例の件だけど」、本文に「かぼちゃに邪魔されてたらしい」。

「うん」

「いやうんじゃなくって」

「今日思い切って何見てるのって聞いたら、かぼちゃだって言われたわ」

「かぼちゃー?」

 それが何か未知の物体であるような声をにーちゃんは出した。電話先で顔をしかめている様子だって簡単に想像できる。

「うん、かぼちゃ。オレンジ」

「オレンジ?」

「ほら、むかーしにーちゃん乗りたいとか言ってなかったっけ? テレビで見て」

「あぁ、おばけかぼちゃね。でっかいヤツ?」

「近くで見てないから知らない。育ててるんだってさ、坂上」

「っほー」

 感心したんだか馬鹿にしてるんだかわからない声。感心したんだろうな、って思うけど。

「今週末収穫するから見に来ないかって言われた」

「おー、脈あるんだ」

 にーちゃんは私よりもずっと頭がいい。坂上に偉そうに教えるに当たって、私がにーちゃんに相談を持ちかけたこと自体は間違ってなかったと思う。

 わざわざ電話をかけてまで聞いちゃったから、怪しんだにーちゃんが事情を聞いてきた。嘘でごまかすことはできたけど、ちゃんと素直に話しておいた。

 一応にーちゃんは男だし、坂上の心境もわかるんじゃないかなってちょっと思ったし。

「にーちゃんが乗りたがってたって言ったから、気を遣ってくれたのかも」

「そんな過去の汚点を!」

「過去なの?」

 聞いてみたら電話先でにーちゃんはぐっと言葉に詰まった。

「……ごめんなさい、今もちょっと気になります、おばけかぼちゃ」

「素直でよろしい」

「一度でいいから生で見てみたいよ、あれ。相当でっかいんだろ? 人目を気にしなくていいなら上からのしかかるように抱えてみたいと思わないか?」

「思わない」

「うわー、こうやって相談に乗ってる優しいにーちゃんに対して冷たいんじゃないかい、未夏ー」

「はいはいはい」

 俺はそんなに冷たい子に育てた覚えはないよ、なんてぶつぶつにーちゃんはぼやいた。

「育てられた覚えはありません」

「冷たいなぁ」

「そりゃあお世話はしてもらったけどね。にーちゃん、そんな話はいいんだけど」

「いやよくないよ?」

「明日も私は学校なの」

「俺も講義があるよ」

「無駄話はまた今度にしない?」

 私の控えめな提案ににーちゃんはしぶしぶうなずいた。

「仕方ないなあ、今週末、帰っちゃおうかなあ」

「にーちゃん忙しいんでしょ!」

「うっわー、なんでそんな嫌そうな声出すかなあ」

 そりゃもう、にーちゃんを坂上に会わせたくないからに決まってるじゃない。坂上だけじゃなくできることなら誰にも会わせたくない。

 変わってることを差し引いてもにーちゃんはいいにーちゃんだけど、それとこれとは話が別だ。

 これが兄だと堂々と紹介するには、にーちゃんはいろんな意味で微妙すぎる。

「なんでもだよ。それよりも、昨日も今日もぜんっぜん進まなかったんだけど、あと二日でどうにかなると思う?」

「そう聞かれてもねえ。とりあえずどこまで進んだかってことと、例の彼がどんなもんだったか教えて?」

 あー、確かに進み具合をまず話さなきゃにーちゃんも判断しようがないか。

 私は愚痴混じりに経緯を全部説明した。そのあとでにーちゃんに一通りアドバイスもらうと電話開始から一時間以上過ぎていて、とっく日付が超えていた。

 最後に「未夏は魅力的だから大丈夫だ」なんて坂上並みに軽い一言を言ってから、にーちゃんは眠さでダウンした。

 大学生は暇というか自由があるって言うけど、にーちゃんは暇さえあれば趣味に仕事に打ち込んでるから結構忙しい――らしい。

 それなのに妹の相談やら愚痴やらにつきあってくれるにーちゃんは優しいんだよね。

 長々と相談して悪かったかなあって思いながら布団の中でごろごろしてると、そのあとで浮かんでくるのは坂上の顔だ。

 ここ数日見慣れた、窓を見る横顔。

 やっぱり麻衣子の言うとおりだったかなあって後悔と、坂上の新たな一面を知れたって喜びと、どうあがいてもあの人の存在に勝てそうにない悲しみと――複雑な感情に揺られながらごろごろする。

 それにしてもかぼちゃのためだけに園芸部に入って、部長になるってすごいよ坂上。普通はそんなことしない。

 ごろごろしながら考えてるうちにいつの間にか寝てしまっていた。




 麻衣子に前日の成果を報告して、

「坂上はアホというか馬鹿というか――空回ってるねえ」

 なんてしみじみとひどいお言葉をもらったあとでやってきた放課後。

「おおおおお」

 にーちゃんとの相談結果といろんな参考書を元に作り上げた問題を見て、坂上は感動したような声を上げた。

 坂上はオーバーアクションが得意だ。問題を書いたレポート用紙を手に持ってうれしそうに振り回す。

「破れるよ、坂上」

「ああ、それはいけない」

 坂上はふっと真顔を作るとレポート用紙を机に置いた。

「すごいねえ、未夏ちゃん。尊敬しちゃう」

「私だけの力じゃないけどね」

「っていうと?」

「兄に相談したの」

 坂上は驚いたような顔をした。

「家に帰ってきてるなら、是非収穫に」

「電話でよ」

「わざわざ俺のために?」

 恩着せがましくなっちゃうかしらとためらいながら、隠すほどの事じゃないから素直にうなずく。

「うわ、悪いなあ。この埋め合わせはいつか必ず」

「いいよ、他にも話があったし」

 恋愛相談とか貴方の態度の愚痴を言ってたんです、とか言えない。

「へー、仲がいいなー」

「麻衣子にはブラコンだってよく言われるわ」

「ああ、そういや前に里中さんそんなこと言ってたな」

「え。麻衣子、坂上にまでそんなこと言ってるの?」

「うん。未夏ちゃん可愛いのに、おにーさんにばっかり目を向けるともったいないよ?」

 私が坂上を好きだとばらされるよりはブラコンって吹き込まれる方がまだましだけど。いつの間にそんなことを坂上に言うくらい親しくなってるんだ麻衣子はー。

「それは麻衣子の誤解だからね!」

「でも、初めて会った頃俺のことを何となくお兄さんに似てるとか言ってなかったっけ?」

「え、言ったっけ?」

 言ったかもしれない。最初はホントにそう思ってたんだから。

「言った言った」

 坂上はきょとんとする私に力強く言い切る。

「とっかかりは雰囲気が似てるなーって思ったから、言ったかも。でも実際はそこまで似てないかなー」

 ふうんと坂上はうなずいて、それから楽しそうに瞳をきらめかせた。

「どう違うの? 俺とおにーさん」

「どう、って。坂上は――にーちゃんより真面目度が高いし明るい、かなあ」

「俺より真面目じゃないのに暗いの、お兄さん」

 坂上は驚いたようだった。

「暗いのとはちょっと違うけど、落ち込みやすいところがあるんだよねえ。って、そんなこと話してる場合じゃないってば。追試は明日だよ」

「う」

「この三日間坂上がかぼちゃに流し目を送ってたせいでろくに勉強してないんだからね。それ、テスト範囲の山かけ問題だから」

 坂上はレポート用紙に再び目を落とした。

「おお、すげー」

「兄も文系だし、そういうカンはよかった方だからまあまあいい線いってると思う。これで駄目だったら」

「たら」

「三日間よそ見ばっかりだった自分を呪いなさい? 私は悪くない」

「うう、はあーい。頑張りますせんせー」

 坂上は神妙にうなずいた。

「じゃ、教科書出して」

「はーい」

「百二十三ページから最後まで読んで、問題ね」

 こくりと真面目に坂上はうなずいた。

 言われたように教科書を開いて読み始める。小学生がするみたいに、真面目に両手でつかんで読むものだから思わず笑みが漏れてしまった。

「ん、なに笑ってんの?」

「真剣だなって思って」

 目敏く気付いて顔を上げる坂上に本当のことを告げる。

「そりゃもー、真面目になりますとも。未夏ちゃんに見捨てられたら俺の追試がヤバイ」

 真剣な顔をくしゃりと坂上は歪めて、冗談めかしてつぶやく。

「それなら、最初の日から真面目にしてくれてれば、もっといい線行ったと思うけどね」

「手厳しいなあ」

 私の皮肉に坂上は苦笑した。

「さ、追い込みがんばれ」

「おー」

 坂上はうなずいて、再び真面目に教科書に向かい合った。

 古典が将来何の役に立つんだ、とかたまに言いながら少しずつ問題を解いていく。

 手書きプリントっていうのはナイスアイデアだった。にーちゃんに感謝しなくては。私がべらべら説明するよりも坂上はよっぽど集中している。

 代わりに私は手持ちぶさただった。読みかけの本を開いてみても坂上のことが気になって集中できない。

 開いて閉じてを繰り返し、坂上の様子をうかがって、あまりまじまじ見るのも悪いんじゃないかと窓の外に視線を移す。

 今日も、あの人の姿はそこにあった。

 問題に熱中している今はさすがに坂上も彼女のことを見る余裕がない。彼女はいつも、何をやっているんだろう。

 坂上はかぼちゃを見ていたと言ったけど、毎日毎日彼女がそこにいるのには理由があると思う。だってそこは校舎裏だし、よっぽど用事がない限り誰も行かないところだから。

 少なくとも、私は入学してから一度も校舎裏に行った事なんてない。

 坂上は彼女の取り巻きだったんだし、その彼女が坂上のかぼちゃを見ているのに理由がないわけはないはず。

「ねえ、未夏ちゃん――」

 坂上が私に呼びかけてきた。

「うん、なに?」

 慌てて坂上を見ると、彼は目をぱちくりとさせて私と私が見ていたあの人を見比べる。

 その様子が、なんだかバツが悪そうに見えたのは気のせいだろうか。

「かぼちゃ、やっぱり気になる?」

 ややして坂上が口にした言葉にはあの人のことは全然出てこない。

「気にならない、っていうと嘘になるかもね。でも」

 普段は見かけない、オレンジ色のかぼちゃは確かにちょっと気になる。それは間違いない。

 でもそれよりももっと気になるのは、あの人の存在だった。

「でも?」

 不思議そうに問いかけてくる坂上はたいした役者だ。

「坂上ってさあ、ずっとあの人のことを見てたんじゃないの? そっちの方が気になるな」

 私はあの人に視線を戻して思い切って口にした。坂上がびっくりしたように息を飲むのが気配でわかる。

「え、いや、それは」

 私に突っ込まれるとは予想外だったらしい。

「いくら私が鈍くっても、坂上が毎日彼女を見てるってことは、気付いてたよ。かぼちゃでごまかされるとは思わなかったけど」

「えー、いやそれはたまたまというか」

 坂上はしどろもどろだった。普段軽口ばかりだから、こんな時こそ軽くごまかせばいいのにうーだのあーだの言って言葉に困っている。

「ほら、小坂ちゃんは去年一緒のクラスだったし。えーと、それにあいつの彼氏を園芸部に巻き込んだってのもあって、気にしてみてくれてるみたい」

 小坂ちゃん、ってのがあの人ことだ。

「そうなの?」

 取り巻きは卒業したものだと思ったけど、彼女の彼氏まで巻き込んであの人の近くにいたかったの?

 そこまで直接的にはさすがに聞けない。

「そうなの。誤解だよ、俺はむしろ――」

「むしろ、何?」

 動揺しながらぐだぐだ言いつのる坂上は、なんだかかわいらしい。いじめる気持ちでの問いかけは、自虐的だとは理解している。

 坂上がここであの人が好きだってはっきりと口にしたら、知ってはいても私は傷つく。でも一度口にした以上とことん聞かなきゃ気が済まなかった。

「えーとほら!」

 坂上はきょろきょろ視線をあちこちにやって、やがて思い切ったように声を張り上げた。

「それよりもここなんだけど」

 次には風船がしぼむように声を落として、あからさまに話を変えられる。

 レポート用紙の一番下をコツコツやって、ここがわからないんだとすがるように私を見て、本気で困ってるんだと言いたげなふりを坂上はする。

「もう」

 切り替えが素早いよ、坂上。それにそんな目で見られたら、坂上の要望に応えるしかない。

 はっきり聞けなかったことを悔やむべきなのか、聞かなくてよかったことを喜ぶべきなのか。聞いてしまったら冷静に教えるなんてできなかったから、とりあえずよかったことにしておこう。

 私も気持ちを切り替えて、坂上に向き直る。

 わからないところを説明したり、答え合わせをしたりしていると、いつの間にか時間が経っていた。我に返ってみると外は暗くなりかけていて、さっきまで見えていた文字がかすんで見える気する。

 集中してたから、気にならなかったんだろうなあ。いったん周囲が暗いと認識したら、アウトだ。

「電気つけよっか」

 言って立ち上がりかける私を坂上は制した。

「もう遅いし、今日はいいよ」

「でも、まだもうちょっとあるよ」

「それは明日でいい?」

 坂上は有無を言わせない口調で私に同意を求める。

「でも、追試明日だよ?」

「それまでに聞かせてもらうよ」

「それ、一夜漬けよりひどい」

 私の突っ込みに坂上は口の端を持ち上げる。それはらしくない皮肉な笑いで、驚いた。

「どうしたの?」

「いやー、あのさあ」

 でも皮肉な笑いは一瞬だった。坂上はいつもののように笑って、窓の外に視線を移した。

 とっくにあの人はいなくなって、かぼちゃ畑には誰もいない。

「ちょっとは気になるんでしょ、かぼちゃ。初めての割にはいいのができたと思うから、見に来ない?」

 アドバイス聞いてたら暗くなってよく見えないからって坂上は続けた。

「普通のかぼちゃよりもすんげえでかいよ。さすがに何百キロとかはないけど」

「そこまで大きくなってたら、噂になるだろうね」

「でしょ?」

 坂上の声が跳ね上がる。でも私は頭を振った。

「本当にいい出来なんだって」

「駄目だよ。それよりも追試が大事でしょ。また今度見せてもらうわ」

「週末には収穫して持って帰るから、今しかチャンスがないんだよ」

 なぜか坂上は必死だった。

「まだ明日あるでしょ」

「明日は放課後追試だし。案内する時間がないよ」

「場所はわかってるし、一人で見に行くわ」

「えー。俺達がどれだけ苦労して育て上げたか、熱く語りたいのに!」

「今から熱く語る時間があるなら、帰って復習しなさいよ。追試の方がよっぽど大事でしょ」

 それはそうなんだけどとぶつぶつ坂上が呟く。全く納得していない顔で、不満そうに。

「明日は私、用事もないし。追試のあとでつきあう、それでいい?」

 それにほだされたわけじゃないけど、私はそう提案した。坂上がぱっと顔を輝かせる。

「え、いいの?」

「いいわよ。でもそのかわりこれまでのお礼においしいの、何かおごってくれる?」

 図々しいかなと思ったけど、ふっと思いついて続けてみる。口にすると悪くない案だ。さっき埋め合わせはするって言ってたし、坂上とデートの似事ができたら私がうれしい。

 たとえそのあとでむなしさに襲われるとしても、一回くらいデート気分を味わってみたい。

 うん、みたいじゃない?

 坂上は私の提案に一瞬ぽかんとした。

「いいの?」

「それは私が聞きたいよ、坂上」

「いやそーなんだけど」

 坂上は気の抜けた顔でぽつんと呟いた。

「がっつり食べちゃうからね。坂上の財布に余裕があれば、でいいけど」

 突然の提案に驚いているのか、坂上のノリが悪い。普段の様子はなりを潜めて、視線をさまよわせて。

「あー、たぶん大丈夫だと。がっつりって言っても山ほどは食べないでしょ?」

「一応女の子ですから」

 思いつきを反射的に口にするんじゃなかったなって後悔し始めた頃、ようやく坂上はいつもの茶目っ気を取り返した。私も後悔したなんて気付かせないように、いつもの調子でにやりと応じてみせた。

「だったら大丈夫。じゃ、最後まで教えてもらおっかなー」

「もちろん」

 私も上機嫌で答えた。だって、坂上とデートの真似事ができるんだよ。喜ばないわけがないじゃない。

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