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プロローグ
『ぼくのかぞく
四年二組 田中 剣
ぼくのおとうさんは、といいます。一流きぎょうにつとめるサラリーマンです。会社ではなんとかという部しょの、課長をつとめているそうです。
でも、ぼくはおとうさんの会社でのすがたはぜんぜんしりません。ぼくがしっているのは、ボールを見るとこうふんして、うなったり叫んだりしているところだけです。
そうです。おとうさんは狼男なのです。
おかげでぼくは、子供のころからキャッチボールもサッカーも、いっしょにやってもらったことはありません。普段はおんこうでやさしいのですが、満月の、変身して「アウォォーン」と遠ぼえするすがたをみると、少しそんけいの気持ちがゆらいでしまいます。
おかあさんは、せんぎょう主婦で吸血鬼です。名前す。ともだちは「わかくてきれいでいいな」といってくれるけど、外見だけわかすぎるのも、もんだいだと思います。
だって、おかあさんは、ずっと同じすがたのままだからです。ぼくの生まれたころのしゃしんを見たけれど、そのころからぜんぜんかわっていませんでした。
ぼくも、おねえちゃんも、おかあさんがほんとうは何才なのかしりません。じぶんでは十八才だといいはっているけど、そんなはずはないです。だって、ぼくのおねえちゃんが、ことしで二十才だからです。
いちど、夕ごはんのときに、ほんとうの年れいのことをきいたけど、
「まあ、ここだけの話、ぼくよりはぜんぜん上なんだよ」
といったおとうさんが、本気でなぐられていたので、それからはもうその質問をすることはできません。
おかあさんは、笑顔で人をなぐるというとくぎを持っています。しかも、おとうさんよりわんりょくは強いのです。おこったおかあさんは、ほんとうにこわいです。
おねえちゃんはいう名前です。
おかあさんにそっくりですが、おかあさんよりずっときょうぼうです。
おとうさんと同じで、丸いものを見るとこうふんしてしまいますが、さすがに満月に変身したりはしません。
いまは女子大生なのですが、家につれてくるともだちたちに比べて、おねえちゃんはずっとわかく、というよりもおさなく見えます。おかあさんにいわせると「吸血鬼の血のなせるわざ」なのだそうです。
おねえちゃんは、
「幼く見えるからこそおとこにもてるのよ」
といって、腰に手をあててふんぞり返っていますが、ぼくにはよく意味はわかりません。ぼくを相手によくプロレスわざをためしたりするので、こいつのどこがいいのだろうと、よく思ったりします。男女間のふしぎです。
うちにはあと、おじいちゃんもいます。おじいちゃんの名前す。
でも、ふだんはおじいちゃんのすがたを見ることはできません。ぼくの家のリビングには大きな墓石がおいてあって、おじいちゃんの声はそこから聞えてきます。ときどき、半とうめいなすがたで出てくるときもありますが、たいていはそんな感じです。
じつはぼくたちかぞくも、おじいちゃんがなんなのかよくわかりません。本人は「じぶんは死神だ」といいはっていますが、かぞくはだれもしんじてはいません。ひそかにぼくは、ただのゆうれいなんじゃないかとうたがっています。
でも、死者の国にしねんを飛ばして、死んだおばあちゃんとよく話をするというのは、ぜったいにうそだと思います。だって、おばあちゃんの声は、ぼくたちには聞こえないからです。
あとは、かっている雑種の黒い犬のエドをたしたのが、ぼくのかぞくの全員です。
ひとは、ぼくのいえを楽しそうだとうらやむけど、ぼくはふつうのいえに生まれたかったです。
おとなになって、大学しんがくとか、しゅうしょくするときとかに、両親がようかいだとなにかもんだいがないかと、いまからとてもしんぱいです』
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起立をした田中剣が、自分の書いた作文を読み上げると、四年二組のクラス中が、大爆笑にみまわれた。
「いやー、ケンちゃんの家族はやっぱりサイコーだね」
「人の家族を羨ましがるなんて贅沢だぞ!」「ぼくも、ケンちゃんみたいにおもしろい家に生まれたかったなぁ。うちなんか、とうちゃんもかあちゃんも普通で普通で……」
などと、周囲の席の友人たちが声をかけてくる。
しょせん、他人には、おれの気持ちなんてわからないんだ。剣は、友人たちの言葉に、無言で肩をすくめた。
「……どういうつもりだ、田中」
ただひとり、クラスの中でにこりともしていなかった人物が、押し殺した口調でそう言った。
四年二組の担任、教諭二四歳である。
「なにがですか?」
罪のない口調で剣が訊ね返すと、村山はさっきと同じような口調でさらに言った。
「俺が、なんていう題で、作文を書けと言ったか知ってるか?」
村山は、ここに、今年の春から赴任してきたばかりである。大学受験の際に一浪しているので、今年が教師一年目だ。
頭が固く、熱意が空回りするタイプの村山は、今年度が始まってからまだ一ヶ月とたっていないにも関わらず、すでに生徒の大半から嫌われていた。
彼にはという悪意のこもったあだ名――これは、村山が丸顔で頭が大きく、細身の体型であることに由来する――があるのだが、むろんそのことに、本人はまったく気づいていない。
「……? もちろん知ってますけど」
剣は不審げに眉根をよせて、小首をかしげた。村山はこの国語の授業の始めに、「ぼくの、わたしのかぞく」というテーマで作文を書けと言ったのである。
だからこそ、その話題に触れるのは嫌だったのに、剣は家族について作文を書いたのだ。
だが、村山ことデンキューは、剣の返答を聞くと、いきなり激発した。
「知ってるのなら、いったいこれはなんだ! 俺は、自分の家族について作文を書けといったんだ! 誰が、おもしろおかしくうそをつけといった!」
「そんな、先生、おれはうそなんか……」
まったくもって心外な言葉だった。剣は、正直に家族について告白したのだ。しかし、村山は彼の言葉を聞く耳をもたなかった。
「とにかく、こんなふざけた作文を書くのは問題だ! 明日、お前の家に言って、直接親御さんに話をさせてもらうからな! ちゃんとそう伝えておけ!」
村山がそう言い放ったとき、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。起立、礼もそこそこに、荒々しく村山はクラスを立ち去った。
教室には、呆然とした表情の剣と、気の毒そうに目配せをし合うクラスメートだけが残された。
「いったい、なんだってんだよ、ちくしょー!」
授業が終わり、学校からの帰り道、剣はぶつぶつと文句を言っていた。ときおり、落ちている空き缶やら大きめの石やらを見つけては、おもいきり蹴飛ばしたりしてみる。
「なに、そんなに怒ってんの、田中?」
隣を歩く、剣と同年代の少女がそう声をかけた。幼いながら、目鼻立ちが整っており、充分に美少女と呼びうる外見の持ち主だ。少女特有の三つ編み姿が愛らしい。
彼女は、剣の同級生のである。
剣にとって幼なじみでもある彼女は、剣の家のふたつ隣のマンションに住んでいる。道がほとんど同じなので、だいたい毎日、登下校を一緒にしているのだ。
「だってさあ、なんだよなぁ、デンキューのあの態度。こっちは正直に家族について書いたのにさ」
剣が不満たらたらなのは、例の作文で村山に怒鳴られたことである。おまけに家庭訪問までされることになってしまって、まったく踏んだり蹴ったりというやつだ。
「まあ、しょうがないんじゃない」
さばさばと美香は言った。
「なんで?」
「だってさ、デンキューって、まだあんまり学校のこととかも知らないんだよ? 田中んとこってなんか特殊でしょ。普通、信じられないって。両親が狼男とか吸血鬼とか」
「……そうかぁ?」
剣は首を傾げた。友達たちには、剣の家族が妖怪であることを疑ったものなどいない。ご近所の人々も、おおむね田中家に好意的である。
「それは、みんな昔から田中の家族のことを知ってるからでしょ。あたしだって、田中のおかあさんが吸血鬼だって聞いたのがずいぶん前だから、普通に受け入れられたんだよ。今聞いたら、きっとすぐには信じられないと思うけど」
「ふーん、そうなのか……」
「ま、明日、田中の家に行って見れば、デンキューの誤解もとけるでしょ? それまで我慢しなよ」
それだけ言い残すと、美香は駆け足で自分のマンションへと帰っていった。
「……そうだよなぁ」
家庭訪問は苦痛だが、家に来ればきっとデンキューもわかってくれるはずだ。ひとつ大きくうなずくと、剣も自分の家へと足を向けた。
田中家は、都内では持つことさえ難しいと言われる一戸建てだった。ただし、剣の住んでいるこのという地域では、近年急速にマンションが増えたとはいえ、まだまだ築何十年という建物は少なくない。
剣の住む家も、今年でちょうど築二十年を数える古い建物である。中は、子供部屋がふたつ、両親の部屋がひとつ、あとはリビングにキッチン、物置に風呂、そしてトイレがふたつとそれなりの広さだ。
騒がしい音を立てて玄関をあけると、剣は大声で家の中に言った。
「ただいまーっ!」
「おかえりなさーい」
遠くから返答があった。母、桜子の声だ。どうやら、リビングにいるらしい。
とたとたと廊下を歩き、剣がリビングの前まで行くと、そこには案の定、薫子がテーブルにひじをついてテレビに見入っていた。手にはポテトチップスのガーリック味、番組は二時間ドラマの再放送と、すっかりおばさん定番のスタイルである。
「……かあさん」
「んー、どうしたの?」
のんびりとした口調で、目はテレビから離さずに、桜子が答える。黒く艶やかな髪の毛をポニーテールにし、大きな瞳の愛らしい外見の持ち主である桜子は、とてもとてもふたりの子供がいるようには見えない。まして、剣の姉の薫子は、今年で二十歳なのである。だが、外見だけでいえば、桜子自身がせいぜい二十歳前後にしか見えないのだ。
「じつは、学校でちょっと問題があって……」
「んー、なにかしら」
問題、と聞かされても、やはり桜子の目はテレビに釘付けになったままである。
剣もよく知らないのだが、なんでも桜子の父はイギリスの男爵、母は日本の華族だったらしく、それだけにお嬢様育ちのせいか、彼女はひどくのんびりとした性格の持ち主だった。
「授業で作文を書いたんだけど……」
「へーえ、見せて」
「え、いや……」
「いいから見せてよ」
まだおれの話は終わってないんだけどなあ。多少不満に思いつつ、まあいつものことでもあるので、剣は黙ってランドセルから例の作文を取り出した。母にそれを手渡す。
桜子は、ようやくテレビから目を離すと、さっそく作文に目を通しはじめた。
ふんふんとうなずきながら次々と読み進めていくが、ある一点で彼女の動きが止まった。
「……剣ちゃん」
「はい?」
「こんな、おかあさんの年齢がいくつかわからないなんて書いちゃだめでしょう?」
相変わらず、桜子の口調はのんびりとしたものだった。表情にも、やわらかな笑みが浮かんでおり、特にいつもと変わった様子はない。
だが、剣は知っている。作文にも書いたことだが、彼の母は微笑んだまま怒るこという特技の持ち主なのだ。
「それに、光くんのことをわたしが殴るなんて、少し誇張して書きすぎよ? あれは、ちょっと叩いただけなんだから」
そうだったかな、と内心で剣は疑問を感じた。あの時、剣は二メートル以上も吹き飛ぶ父の姿を目撃しているのだ。あれを「ちょっと叩いた」と形容するのは、いささか無理があるのではないだろうか。
しかし、それを言って母の怒りを買うのは嫌だったので、口に出しては剣はこう答えた。
「ごめんなさい……」
「わかればいいのよ? でもこれから気をつけてね。先生に誤解されると困るからね?」
それだけ言うと、さらに桜子は作文を読み進めた。そして、全てを読み終わると満足そうに微笑んだ。
「うん、他のところはよーく書けてるわよ。これなら、皆さんにもうちの家族のことがわかっていただけたんじゃないかしら」
「どこがよく書けてるのかね、桜子さん」
突然、年老いた男性の声が、部屋の中に響いた。しかし、リビングにも、廊下にも、二人以外の姿はない。
桜子はそのことに特に驚くでもなく、姿なき声に返事をした。
「なんですか、おさん? いつの間に覗き見なんかしてたんですか?」
「ふむ、そんなことより、剣。わしのことをただの幽霊とは少しひどいのではないか?」
テーブルの上に、幽霊のような半透明の老人の姿が浮かび上がった。
「だって、どう見てもその姿は幽霊だよ、じいちゃん」
「わしは死神じゃと言っとるじゃないか、ばかもんが。だいたい、わしは嘘なんかついとらんぞ。ちゃんと、ばあさんとだって話をしておるわ」
その幽霊老人こそ、剣の祖父であるであった。彼は、そのままぶつぶつと文句を言いながら、テーブルの脇の、座布団の上に置かれている墓石へと接近し、そしてその中に吸い込まれるようにして姿を消した。
「で、これがいったいどうしたの?」
権之介が墓石に帰るのを確認してから、桜子がそう剣に訊ねた。
「それが、デンキュー……じゃなかった、村山先生がその作文の内容をぜんぜん信じてくれないんだ。おれは、ちゃんと本当のことを書いたのに」
「あらあら。たしか、村山先生って今年赴任なされたばかりだったわよね」
「そうだよ」
「じゃあ、なかなか信じてもらえないかもしれないわね」
「それでさ、村山先生が明日、家に来るって。なんか、おれが作文にうそを書いたのを、かあさんたちにお説教するつもりみたいだよ」
「あらまあ」
言葉とは裏腹に、桜子の表情はまったく驚いてはいなかった。
「それだったら、光くんにもいてもらったほうがいいわね。じゃないと、作文が本当だって証明できないもの。いいわ、晩御飯のときにでも話しておきましょう?」
「うん」
伝えることだけ伝えると、なぜか剣は気持ちがすっきりとした。さきほどまではなかった遊びに行く気が急にわいてきたので、剣は桜子にランドセルを手渡した。
「ごめん、かあさん。おれ、遊びに行く」
「まあまあ。ちゃんと夕御飯までには帰ってくるのよ」
わかった、と答えるとほぼ同時に、剣は玄関に向かって走り出していた。
「まったく、あの子ったら、エドさんにあいさつぐらいしていけばいいのに……」
だから、剣の耳にはそうつぶやく、母の声はまったく入らなかった。