初作戦の頁 〜1〜
「かわいいな〜ほんとに…」
テオは中庭で雪よりも真っ白な毛並みの狼の腹をひたすらゆっくりした手つきで撫でている。
テオがここに来るようになってから約二週間経ち、本人の中でもこの場所でやることというのがだいたいパターン化してきていた。
そしてそのパターンの中に、いつからかこの狼たちとのふれあいも含まれるようになった。
何しろこの狼達の魅力に、テオはすっかり虜になってしまったのだ。
いや、このモフモフは誰もがやみつきになるだろう。………狼が苦手でなければ。
「ぐるる……」
今テオに撫でられて、気持ちよさそうに喉を鳴らした真っ白な狼。
名をウィンディと言い、その優しく深めの蒼い瞳は聖母を思い浮かべるほど、狼とは思えないくらい穏やかな瞳をしていた。
性格も大人しく、しかしどこか堂々とした雰囲気の持ち主である。
それを少し遠い所で羨ましそうに見ているもう一匹は、テオにちょっかいを出したあの闇よりも真っ黒な狼。
名はシェイド。
金色の双眸は相手を怯ませ、見た目はとても厳つい。
しかし見た目とはギャップのある好奇心旺盛でやんちゃな性格は、時折、いや、よく人を怖がらせる。
「シェイドもおいで?」
テオが手招きすると戦車のような勢いでシェイドが突っ込んできた。
最初の方はテオもその勢いに多少なりとも恐怖を感じていたが、二週間もすれば慣れたものである。
テオが器用に両手で二匹を撫でているとすっと廊下に繋がる扉が開いた。
「あ、テオさん!いつもありがとうございます!」
二匹の餌を持ったリルは、丁寧にお辞儀をしてテオに近づいた。
「いや、癒やされてるのはどっちかって言うと僕の方だから。ほら、行ってきな」
二匹を撫でるのをやめると、二匹は飛び起き、リルの方──正確には餌の方──にまっしぐらに駆けて行った。
「わわわわわ!?ダメです!ダメですよ!お行儀よくしてください!!!」
リルは餌を早く貰おうと飛びついてくるシェイドの攻撃をなんとか躱す。
こういう時のリルはちょっとだけお母さんみたいに見えて思わずテオは吹き出した。
「わ、笑わないでくださいぃ…………」
「ははっ!ごめんごめん!」
顔を真っ赤にして反論するリルを、可愛いなぁと思いながら、テオは立ち上がる。
のんびり過ごしているように見えるが、今日は割と重要な日だ。
「お〜い?狼と戯れんのもいいけどそろそろ始めんぞ〜?」
廊下の奥のほうからバルトの声が聞こえた。
「今行く!先行ってるねリル!」
「え?え?!ま、待ってくださいぃい!!」
流石に気の毒に思えたテオは、リルが狼に餌を与え終わるのを待ってから、駆け足でバルトたちの元へ向かった。
✽✽✽
二人が食堂につくと、既にバルトとレシカはお決まりの席についていた。
「よし、揃ったな。まぁ別に世紀の大作戦ってわけじゃねぇから手短に今日の説明をするぞ」
二人が席につくのを待ってからバルトが話し始める。
彼の手には、以前レシカが盗んできたという分厚い資料があった。
「この資料、全部読んでみたんだが、魔獣について前々から解ってたものからそうでないものまで、随分とご丁寧に記録されていた」
バルトはドンっと軽く机の上に乗っけると、適当にページをパラパラめくりはじめた。
あれをあの日数で彼は読みきったのか、と、テオはやや呆気にとられる。
実はあの資料、テオは気になってそれを一度見せてもらっていた。
しかし余りの字の細かさに三文字目でダウンするような代物だったのだ。
「魔獣の実験を行う日のうち新月の日は必ず…まぁまぁよくバレずにやっているとは思うが、スラスタの敷地内で実験を行っているらしいんだわ」
やれやれと言った感じで、肩を竦めながらバルトは続ける。
敵国に定期的に進入を許しているとは、確かに呆れた話である。
「そして、今日は新月。っつ〜ことで作戦を立てた」
そう言うとバルトは、今度は地図を取り出して机に広げた。
スラスタとアナスタチアの国境付近の地図だ。
一部に赤い点で何か印が付いている。
「実験場所は毎回変わってないらしいから、この赤丸の付いている場所でいいと思うんだよな〜。だいぶ国境に近いから厄介なんだけどよ〜」
バルトはその印を指差しながら続ける。
「今回はここに行って、俺とテオとリルは魔獣を相手する。ま、囮だな。その間に、レシカと狼二匹にはその付近にいるであろうモンスターの調教師を縛り上げてもらいてぇ。色々聞き出したいんでな。何か質問あるか?」
バルトの問に、リルは小さく口を開く。
「あの……二匹はともかくとして、レシカさん一人で大丈夫でしょうか…?」
「それは平気さ〜。何せレシカから名乗りでたわけだしな?」
「そ、そうなんですか?!」
「寧ろ大人数のほうが邪魔だから、仕方なくよ」
「っか〜!とか言いながら本当はリルやテオが心配で──…で、他には?」
レシカからの睨みを受けて不自然に質問を促したバルトに、テオがおずおずと手を挙げる。
「ごめん、凄く場違いな質問していい…?」
「ん?何だテオ?」
三人からの視線を無数の刺のように感じながら、テオは遠慮がちに言葉を紡いだ。
「モンスターの実験って、何の事………?アナスタチアは何をしてるの………?」
一瞬、場の空気が凍りついた。
テオは頭が真っ白になる。
───あぁ…余計なこと言うんじゃなかった…
しかしその凍った空気は、バルトの盛大な笑い声で簡単に溶けた。
「はっははははは!!そうだそうだ!!テオに言ってなかったな!そりゃ解るわけねぇわ!ははははははっ!!いや〜悪ぃ悪ぃ!」
バルトが一頻り笑っていると、暫く彼が笑いを収められないことを悟ったリルが代わりに口を開いた。
「実は、バルトさんやレシカさんの活躍のお陰で、魔獣の正体というものが一年前に解ったんです」
「え?!!」
実は三年も前に現れたモンスターの正体は未だに解っていない。
世間では突然変異した動物、魑魅魍魎、宇宙生物など、説だけは沢山出るにも関わらず、結論は出せずにいた。
解っていることといえば、アナスタチアとの戦争が始まってから出没するようになったこと。
このことから、戦争で排出される有害物質の影響とも言われていたが、真偽は定かでなかった。
「正体って結局何だったの?やっぱり、突然変異…?」
回答を急かすテオに、今度はレシカが淡々とした口調で答えた。
「あいつらはアナスタチアが動物たちに手を加えて造り上げた、動物兵器に他ならない」
「動物兵器?!!そんなことって…!!」
「そういう奴らなのよ。アナスタチアって国は」
口調とは裏腹に、レシカの目元はこれでもかというほど引き攣っている。
動物兵器のように自然の秩序を捻じ曲げるような行為は、スラスタだけでなく、アナスタチア自身でも最大の禁忌として挙げていたものの一つだ。
流石一時期は全大陸を統べていた王国。
権力の前に、もう秩序や法などあったものではない。
「その『手を加える』という作業が、さっきまで言ってた『実験』ってやつの一つさ」
いつの間にか復活したバルトがそこでようやく話に戻ってきた。
「だが今回は魔獣を意のままに『操る』実験だ。ったく、暇人だよなぁアナスタチアもよぉ」
「操る………」
あまりの恐ろしさにテオは自然と身震いしてしまう。
「ね、ねぇ、そういうのって国に報告はしなくていいの?」
「本来ならそれが筋なんだが、申し訳ねぇけど今の国は少々信用なんねぇからな〜」
バルトは苦笑いをしながら頭を掻く。
この発言にはレシカが無言で頷き、肯定を示した。
「それ以前に、その情報源を疑われるわ。私たちはあくまで、国から見れば一般人でしかないんだから」
「た、確かに…それに無断で国境を跨いだなんて知れたら…」
リルの心配も最もだ。
戦争中の国との国境を行き来するなど、国にどんな疑いをかけられるか解ったものじゃない。
結局、この問題に関しては、国が自分で気付かない限り自分たちしか動けないのだ。
「なんとなくだけど解ったよ」
「おう!」
テオの納得したような声にバルトは頷き、三人を見渡した。
「決行は今日の夜九時だ!それまでに各自準備よろしくな〜」
何とも緩い解散の号令が掛かり、四人はそれぞれの場所に散った。
テオは初めての作戦で足を引っ張るまいと、槍を握って一人中庭へ向かっていった。