奇跡の戦いの頁
バルトは廊下を通るとき、誰かが話しているのを聞いた。
最初は特に気にしていなかったが、次に聞こえてきた声の主が判った瞬間、思わず立ち止まった。
「まさかだけど、女にも勝てないの?」
───!レシカか…?
声の方向を見るとレシカの姿は死角になっているが、テオが中庭の入口近くで何か青い顔をしているのが見えた。
───なるほどねぇ?
先程の台詞とそこから見えるテオの表情を見て、バルトは全ての察しがついた。
大方──信じられないが──、レシカがテオに手合わせを望んだのだろう。
───とはいえ、あいつが自ら勝負を仕掛けるとは…いやぁ、世の中面白いことがまだまだあるねぇ?
そのままバルトはサーカスのテントに向かうような感覚で、二人のいる方に歩いて行った。
✽✽✽
───槍使い……ね…
レシカは少し特殊な少年の槍を一瞥しながら自身の双剣を構えた。
彼の槍は刃の部分が異様に広く、細長い盾のようだった。
その中心には、何か宝石のようなものが埋め込まれている。
炎をモチーフにしたような形のその槍は何処か異質な存在感を放っていて、正直なことを言えば少年とミスマッチだ。
その少年は…と言うと、まだ顔を少し青くしているが、それでも槍はきちんと構えて、戦闘はいつ始めても問題は無い様子だった。
───でも…自分から攻める気は無いのね
少し期待外れな姿勢に、レシカは心の中で小さく溜息を吐いた。
彼女が戦いを挑んだのは、ただの興味本位でのことであり、特別な理由があったというわけでもない。
ただ、自分の何かを変えてくれる。
そんな予感がしただけだ。
───…でもその直感は外れね
構え方は少し癖があるが、ごく普通の構え方。
とても一風変わった動きをしてくるとは思えない。
レシカが改めて双剣を構え直すと、テオの背後、中庭の入り口辺りに、人の気配を感じた。
──バルトだった。
面白そうにこちらを見物しながらも、レシカの視線に気付くと「俺のことは気にすんな」といった体で肩を竦めた。
───さっさと終わらせよう…
自分で仕掛けた戦いでこんなことを思うのも可笑しいと思いながら、レシカは予告無しに地面を蹴った。
✽✽✽
彼女の作戦は至ってシンプル。
一旦正面から斬りかかると見せかける。
そして刃と刃が接触する直前に少年の背後に回る。
後は刃を相手の喉に突き付ければ、勝負あり。
相手は彼女のスピードを前に成す術無く、一分…いや、三十秒も保たずに試合が終わる。
──はずだった。
「っ…?!」
鳴るはずのない金属音。
まさかの事態に、レシカの目は大きく見開かれる。
「さ、流石に早すぎるよ………」
相手の喉を捕えるべき彼女の二つの刃は、少年の広い刃に阻まれていた。
「やっぱり…強いね」
苦笑いする少年は、刹那、その眼に炎を宿す。
双剣を勢い良く弾き返すと、素早くカウンターを狙った。
それに反応した少女は、空中で一回転しながら後方に飛ぶ。
「っ…!」
少女はそこで、改めて少年の顔を見る。
そして息を飲む。
彼の顔に先程までの臆病そうな表情は欠片も無く、今は一匹の獲物を狙う猛獣、そのものになっていた。
✽✽✽
「…ははっ、ま〜じかよぉ〜……」
レシカも勿論驚いただろうが、それ以上に、二人の様子を見ていたバルトは、氷の刃を心臓に突き立てられたような寒気を覚えていた。
しかしその寒気は、決して気分を害すようなものではない。
───俺は…とんでもねぇ化け物を連れてきちまったか…?
そう思った途端、バルトは自然に身震いをしていた。
確かに構えからして何もかも、風変わりなところは何一つ見られなかった。
洗練されてはいるが、癖も微妙にあるように見えたし、ましてや自分から仕掛ける様子を見せない辺り、十秒保つかも怪しいと思っていたほどだ。
だが実際に動き出してみれば、扱いに一苦労しそうなあの槍を瞬時に振り、見事レシカの速攻を受け止めた。
あの彼の反応速度は、確かに常人を超えているだろう。
基盤がしっかりしているだけでは、決してできない業だ。
───いいねぇ?こんな感覚、久々だわ
試合に魅入って思わず前傾になってしまう。
人の試合にここまで興味を示すことはなかなか無いバルトだったが、今回ばかりはこうならざるを得ない。
何しろ今まで、彼の知る限り、レシカの攻撃は誰も止めることができなかったのだ。
敵は勿論、味方として普段の動きを知り、パターンを嫌というほど刷り込まれたバルトも例外ではない。
人の限界に近いであろうスピードと、彼女の剣舞のような動き。
不規則だが無駄が無く、美しくも鋭い、洗練された『舞』そのもの。
それを、あの少年は初めて体験しておきながら、見事その槍で受け止めたのだ。
初めて、そんな逸材に出会えたのだ。
───やっぱあいつ面白ぇえ!!!!
バルトが思考を巡らす間にも、戦いは加速していく。
少年の炎のような槍の刃から放たれる煌きと、少女の双剣の装飾によって描かれる美しい紫の弧が、心地のいい金属音を響かせながら青年の前で絶えずに踊る。
バルトは、そのもはや戦闘狂とも言える闘志を、この戦いによる興奮の熱で更に熱くしていた。
✽✽✽
刃のぶつかりあう音が止まるのに、そこまで時間はかからなかった。
「っ……僕の負け…だね…」
首に刃を当てれたテオは、槍を手から離して降参のジェスチャーをした。
結局その後もカウンターを繰り返し使っていたテオは、途中から完全にレシカのスピードに振り回され、最後は攻撃をカバーするだけで精一杯になっていた。
小型の武器と違い、小回りの利かないこの槍という武器が、そもそも彼女の使う武器と相性が悪かったというのもあったのかもしれない。
…いや、結局は実力差なのだろうか。
決着が着くまで三分も無い、非常に短い戦いだった。
「僕なんかが相手じゃ、手応えも何もなかったでしょ?」
苦笑いしながらも、やりきったというような体のテオに対し、レシカは無表情に剣を収めると、そのまま中庭から出て行ってしまった。
「……お、怒らせちゃったかなぁ…」
テオはがレシカを視線だけで追うと、そこでやっと、観戦者の存在に気が付いた。
「あれ?!いつから?!!」
「いや〜!!!見事だったぜテオ!!あいつを相手にあそこまで粘ったのはお前だけだぜきっと!!」
テオの問には答えず、バルトは軽い拍手を送りながら、テオ近づいた。
「え?!それはないよ!僕より強い人は山ほどいるだろうし…それに僕、凄く狡い事してたから…褒められても嬉しくないよ」
「ん?カウンター戦法のことか?」
テオは首を横に振ると、自分の目を指さした。
よく見ると、少年の水色だったはずの瞳は、今は鮮やかな若草色になっている。
「実は、『能力』を使ってたんだ」
バルトは ほう、とテオの目を覗きこんだ。
「目が変化するってこたぁ、【戦闘用】か」
その言葉にテオは「うーん」と少しだけ首を捻る。
「そうっちゃそうなんだけど、あまり【ソルジャー】って感じじゃあないかな…僕のは感情を色として見たり、一定距離内の人の考えを読むってものだから、日常生活でも普通に使えるんだ。…あ、効果が切れてきた」
少年言う通り、彼の目はゆっくりとグラデーションを掛けながら元の水色に戻っていく。
「時間制限があるからタイミングが難しいんだよね…連発もできるんだけど、疲れちゃうんだ」
「ほ〜う。ってことはあれか、その能力を使っていち早くレシカの攻撃を防いでたってわけか」
「そういうこと。目の変化が微妙だから、日の当り具合によっては能力を使ってるって気付かれないんだよね。…狙ってはないけど」
確かに先ほどの彼の瞳は日の当たるところでは元の色に見えなくもない。
陰に行けばすぐ判るだろうが、誤魔化そうとすれば顔を近づけられない限り判らないだろう。
「なるほどねぇ〜?」
「だからあれは実力じゃない。正直、素で相手してたら一秒も保ってないよ」
あはは… と力なく、どこか自嘲した風にテオは笑った。
「いやいや、能力だって立派な天性の実力だぜ?それに何を使ったって、あいつの攻撃を受け止められる奴は滅多にいねぇさ〜」
笑いながら子供を扱うように、バルトはテオの頭にポンと手を乗せた。
その手は本当に少しだけ、テオの中に自信というものを与えた。