出会いの頁 〜3〜
木に姿を隠せていたのが不思議なほどの巨体。
現れたのは東の方に住むと言われている獰猛な肉食獣のような姿をした魔獣だった。
顔と体は正にそれで、金と黒の特徴的な縞模様が目に煩い。
しかし他の部分はというと、口からはみ出るほどの巨大な牙を持ち、鷲の巨大な羽が生えている。
獅子のような瞳孔でこちらを見下ろしてくるこの魔獣は、テオたちを完全に獲物として捉えている。
「おっもしれ〜!!!こんな奴この世にいんのかよ!!」
隣のバルトは生まれて初めてカブトムシを捕まえた少年のように瞳を輝かせる。
対照的に、テオは槍の柄をより強く握り直した。
「面白いかはともかく、大きすぎるよ。どう攻めていいのか逆に判らないし………」
決して予想外の大きさではなかったが、いざ目の前に現れると圧倒的な存在感を放つ魔獣を前に腰が引けてしまうのが事実。
更に言うと、魔獣狩りをしたことがないわけではないが、ここまで巨大なのは初めてだった。
後ろで震えるリルに至っては恐怖のあまりに足が震えているらしく、とても動けそうにない。
というより、下手をすれば邪魔になる。
「…面白ぇが、やっぱ少々分が悪ぃなぁ〜」
バルトも流石に興奮してばかりではない。
目の前の巨獣を冷静に分析し始めていた。
「正面突破すればまぁ間違いなく喰われるだろうなぁ?あいつの食道で暴れ回るってのもありっちゃありかもしんねぇけど」
「一か八かだけど…僕があいつの腹の下に潜るのは?銛の要領で槍を投げてあいつの急所に当てる…ってのはどう?」
「流石にそりゃハイリスクにも程があるだろ〜?お前の武器は消えるし、あいつがうつ伏せになった時に潰されねぇ程お前は強靭なのか〜?」
「あぁ…その可能性は考えてなか──」
「バルト危ない!!!」
言い終える前に虎の鋭い牙が三人に迫る。
「くっ…!」
「っとぉ!」
男二人でそれをすぐに受け止め、息を合わせて押し返す。
───こんなのもう作戦立ててる場合じゃない!!
すぐにそう判断したテオはそのまま魔獣の口にカウンターを狙った。
しかし、槍先は虚しく空を切る。
その流れが途切れぬよう、後ろにいたバルトは魔獣に近付こうとしたが、虎が飛び退いた時に起こす風に阻まれた。
「近接は厳しそうだね…これじゃ立ってるのもやっとだよ…」
「リル、お前も銃出して応戦してくれ。ありゃ俺達だけじゃ無理だわ」
「ふぇ?!!わ、私上手く扱えないですよ?!!」
「なるようになるって──うぉっ?!」
隙を突いて襲いかかる鷲の爪。
バルトは咄嗟にアックスを振って払い除ける。
「ちっ……リル!頼む!!」
「えーっと、えーっと…はいぃっ!!!」
焦ったリルはよく狙いも定めずに銃を乱射した。
パンパンパンパンッと連続的に乾いた音が空間に反響する。
が、その弾丸たちは味方のすれすれを横切っていった。
「危ねっ?!」
「うわっ?!」
「ご、ごめんなさいい!!」
しかし弾は奇跡的に当たったようで、魔獣は一旦動きを止める。
「────!!!」
羽から黒い煙を上げた虎は、瞳に怒りを孕んでリルを睨みつけた。
「まずい───!!」
「え────」
リルに襲いかかる魔獣の足を受け止めようと飛び出す。
───間に合え!!!
槍と爪がぶつかりあう────と思ったその一瞬前。
「グォアアア!!!」
「え……?」
何かが魔獣の頭に直撃した。
虎は先程よりも多く、ドス黒い煙を吹き上げる。
状況を把握できず、テオはそのまま動けない。
「グォオオオオオオ!!!!」
その間にも痛みに悶える魔獣の体に休みなく線が入っていき、その度に煙が勢い良く吹き出ていく。
線を描く正体を捕まえようと暴れ回る魔獣。
しかし次第に苦痛に悶えるしかなくなっていったのか、次の瞬間にははただただのたうち回り、とうとう地面に突っ伏した。
そして数分と経たない間に、魔獣の姿は完全に煙に飲まれて見えなくなった。
「グルルルォォオオオオ──────!!!!」
心臓すら震わせる獣の断末魔がその場に響き渡る。
そしてそれが絶たれた直後に、存在だけで見るものを圧倒した巨体は呆気無く、煙と共に四散した。
「テ…テオさん…ありがとうございました……」
「いや、僕は何も…それよりも、今のは一体………?」
魔獣の体の四散。
それは、魔獣の命が尽きたことを意味する。
辺りをしっかり確認するが、肉、骨のみならず、血の一滴も残っていない。
気配ですら既に空気に溶けかけていた。
では今、あの魔獣の命を終わらせたのは何だったのか?
────答は、案外直ぐに見つかった。
「んん…?おぉ!?レシカじゃねぇか!!」
バルトは目を凝らしながら、誰かに向けて声をかける。
テオにはまだ姿がはっきりと見えない。
しかし、煙の奥にいる何者かの気配を感じ取ることは辛うじてできた。
暗黒の霧が夜明のように霞んでいくと、だんだん声をかけられた人物の姿がはっきりと見えてくる。
「ん?何だ、大丈夫かおい?」
「えっ………」
思わず息を呑んだ。
ポニーテールに結ばれた、月のように神秘的な白銀の髪。
吸い込まれそうな感覚に陥る紫色の瞳は気怠げに伏せられているせいか魔性すら感じる。
肩の辺りを大胆に露出させていて、その肌は真珠のように白い。
そして首には、小さな翠の石を垂れさせた黒いチョーカーを付けていた。
リルを「可愛い」という言葉で例えるなら、このレシカと呼ばれた少女は間違いなく「美しい」という言葉がよく似合う。
テオは少女に、完全に目を奪われた。
「…………………」
地面に崩れている少女へバルトとリルは駆け足で向かう。
少女は肩で息をしていて、少し苦しそうだ。
心配になったテオも、バルトたちの少し後ろからついて行く。
「ま〜た派手に暴れたもんだなぁ!能力使ったんだろう? 」
「………使っちゃ…悪い?」
凛としたその声には疲れからか吐く息が多分に含まれている。
首を動かすのも億劫らしく、視線だけでバルトを捉えていた。
「悪かぁねぇけど無茶すんなって話さ。ましてやそういう風に動けなくなっちまうんだからよ」
「すぐに元に戻るんだから、別に問題無い」
言うが早いか、少女はもう何事もなかったように立ち上がった。
その姿からは先ほどまでの疲れきった様子は微塵も感じず、その復活の早さにテオは唖然とする。
儚く繊細に見えてもそれはあくまで雰囲気だけなのだろうか。
いや、それにしてもさっきまで倒れて動けずにいた人間にしては少々化物じみてはいないだろうか。
「怪我してないですか?レシカさん」
「してない」
それを聞いたリルは心底安心したと言った様子だったが、少女自身はそこまで自分の体の状態に興味がないのだろうか。
特に確認はしていなかったようにも見える。
「そもそも、あんなので怪我するほどとろくない」
何処か突き放すようにそう言うと、そこで初めてテオを視界に入れる。
訝しげな視線には、「誰?」という無言の問が含まれている。
「あぁ、こいつがテオだ!お前と同い年らしいぜ?昨日話しただろ〜?つっても話の途中でお前は出てっちまってたけどさ」
どうやら彼女もバルトの仲間の一人らしい。
───自分よりも遥かに大人っぽいけど、同い歳なんだ……
テオが固まったまま動けないでいると、横にいたバルトは不意に肩を引き寄せられた。
「こいつもメンバーに入れたいと思ってんだ」
「は?」
「え?!」
「メ、メンバーって何の───」
「本人にも今初めて言ったわけだし、まだ確定したわけじゃねぇ。だが…俺的には是非と思ってる」
バルトはニヤニヤという音が付きそうな笑顔を浮かべながら、「悪くはねぇだろ?」と言わんばかりに全員を見渡した。
「…これ以上、人数を増やす意味はあるの?」
「ちょ、まっ、話が見えない───」
「俺達の目的を考えりゃあ仲間はいくら沢山いてもいすぎることはねぇだろう?」
「そうかもね。でも貴方は別として、徴兵が始まったら彼は私達と行動することはできないと思うけど?」
バルトが別というのは多少引っかかるが、彼女の言うことは最もだ。
彼らの住む国は現在こそないが、近いうちに徴兵制が敷かれるだろうと噂されている。
志願兵だけで成り立っていた彼らの国の軍だったが、元帥が変わってから志願するものが大幅に減ってしまったらしい。
「俺の顔が広いことは知ってるだろう?いざって時は徴兵だって、俺といりゃあ回避できるさ」
「は?!!」
─── 一体この人、何者?!
しかしテオの青褪めた反応にさえ、バルトはまるで動じない。
「どうやらこいつは軍に入りたくねぇみたいでな。それを考えりゃ、そう悪くねぇ話だと思うんだが?」
「た、確かに入りたくはないけど───」
───それ本人の意思でどうにかできるの?できないものだよね?!徴兵ってそういうものだよね?!!
勿論この心の叫びも空気的に外へは出せない。
歯痒い思いを募らせながら、話はどんどん少年を置いて進んでいく。
「この人、実力はあるの?」
「あると思うぜ〜?さっきの戦闘でも動きは無駄が無ぇし、肝も据わってやがる。本当は俺が直に戦って確かめるべきなんだが、さっきのを見れれば十分さ」
「ま、まさか…決闘を申し出たのって……」
「察しがいいのは嫌いじゃないぜ〜テオ〜」
「や、やっぱり…!!」
「まぁまぁ。軍には入りたくねぇって聞いてから、俺はちょいと期待してんのさ。俺と同じ考えの持ち主なんじゃねぇかってな。命を捨てるのが怖いっていうような軟な奴でもないようだしよぉ?」
「一体何の話?!」
しかしそれを聞いた少女は、「ふぅん?」と軽く頷いた。
相変わらずテオ少年は置いてけぼりだ。
「なるほど?まぁ確かに、貴方ほど崇高な目標を私達が持っているというわけでもないし」
「そう言ってる割には結構積極的に協力してもらってる気もするけどな〜?てかしてねぇことってあったか?」
「私はあくまでも自分のために協力してるだけよ」
冷たく淡々と少女は返していく。
「リル、お前はどうだ?仲間が増えるのは」
「私は賛成ですよ!テオさん、良い人みたいですし!」
「お〜お〜、なら後はお前だけだぜ〜?レシカ?」
そう言われた少女がバルトに向けた睨みは、メデューサに匹敵する力を持っていたと言っても過言ではない。
それほど強く、彼女の瞳には拒否の色が浮かんでいたのだ。




