出会いの頁 〜1〜
「〜い……お〜い??」
何処からか聞こえてくる声。
聞き取れはするが、頭に霧がかかったように思考が霞んでいる。
体を動かすどころか、声すらまともに出せなかった。
「お〜見事に気絶してやがる」
大人の男と取れるその声は呆れたような溜息交じりのものに変わった。
「やれやれ、どうしたもんかね〜?」
心で反論する前に、霧は男の声すら覆い尽くした。
✽✽✽
どれほど経っただろうか。
鉛のように重かった少年の瞼は、自然と、実に呆気無く開かれた。
「おっ、や〜っと起きたか!」
「あー……んー……えっ?!」
辺りを慌てて見渡せば、そこは全く見覚えのない場所。
清々しい空気が満ちて優しい木漏れ日が差す、本当に小さな空間だった。
「はははっ…!そーんな慌てなくても誘拐とかじゃねぇから安心しな…くくっ…」
笑いを堪えるような声が視界の端から風に乗ってくる。
そこにいたのは、大きな切り株に腰掛けた一人の男。
…その後ろには巨木が倒れているのだが、まさか自分で切り倒したのだろうか?
「えっ…と………??」
「いや~、よくもまぁこんな長い間、昼間っから、それも敵を目の前に寝れるもんだ!肝は座ってるが、賢い行動ではねぇなぁ?」
大袈裟な態度のまま男は少年の目の前までくる。
「ましてやこの『狂気の森』で寝る奴なんて初めて見たぜ!こーいう特殊で安全な『森の間』とかで寝るならまだ分かるが、堂々と森のど真ん中で寝るのは流石の俺でもオススメできねぇなぁ?」
男が言うには、今少年がいる場所は彼が気絶した『狂気の森』であっているらしい。
そして噂の通り…かどうかは定かでないが、このような空間がこの森には沢山存在するのだそう。
妖精や悪魔の存在までは流石に知らないそうだが、空間には不思議と生き物が近寄らないので休んだりするにはもってこいなんだとか。
「…あ、そういえば…すみません、すっかり聞き忘れてたんですけど」
「ん?」
「えと…失礼ですがどちら様ですか…」
「あぁ俺かい?そうさなぁ、通りすがりの放浪重騎士とでも言っとこうかねぇ?」
「は…………?」
掴みどころのない返事に思わず端から男の観察し始める。
彼は少年が思っていたより、と言うよりも寧ろかなり若い方で、恐らく二十代前半だろうか。
青年と呼んでも問題ない。
身長は少年の頭一個分大きい。
そしてその彼の背丈ほどはある巨大な斧を軽々と肩に担いでいる辺り、相当な筋力の持ち主と見えた。
しかし見た目としてむさ苦しい所は無い。
服装はラフに着こなして如何にも都会風。
耳には片方ずつにイヤーカフとピアスをつけ、中のシャツは第三ボタンまで大胆に開け、洒落たネックレスをつけていた。
そして右手親指には銀のリングが光っている。
服こそチャラチャラとしているが、じゃあ顔立ちはというとこちらはスッキリとしていて男でも認められるほど整っていた。
知性的という印象は無いが、雰囲気からしても親しみやすさを感じる。
濃いグレーの長い前髪にはピンをつけていて、八重歯からは悪戯好きの少年みたいな雰囲気が漂っていた。
合計して言うならば、美丈夫と偉丈夫の中間といった印象だろうか
「ククッ…おいおい、そんなまじまじと見ないでくれやぁ!笑っちまうっ…はははははっ!!!」
「あ、え?あぁ、すいませ―――」
「ははははははははっ!!」
「………」
何が彼をここまで笑わせるのか。
何処に彼のツボが隠されていたのか。
重要なところもどうでもいいところもひっくるめてこの男、非常に謎が多い。
なるべく穏便に接して早めのお別れを狙おうと、少年は頭を回しだす。
「あの…とりあえず、助けてくれたんですよね?ありがとうございました」
「ん?あぁ!礼を言われるようなこたぁしてねぇから、そこら辺は気にすんな気にすんな!」
「いや、そんなわけには―――」
「怪我とかはしてねぇっぽかったが…あぁ、そりゃ嘘か。手に傷があったな。大丈夫か?」
「え?」
一瞬何のことか全く解らなかったが、自分の手についた歯型の痕を見て少年はやっと納得した。
「あぁ、これはあの魔獣じゃなくて狼に───」
そこで気が付く。
「あ!!あの狼は?!!」
意識がなくなる直前まで、まるでからかうように側にいた狼の姿は今何処にもない。
───まさかあの狼もこの眼の前の青年に…?
だとしたら少し気の毒すぎる。
しかし、叫んだ少年に再び吹き出した青年の答は、それとは違うものだった。
「ぷっ───あぁあ、シェイドの仕業か!まぁあいつがお前と一緒にいた時点でなーんかしでかしてる気はしてたけどよ~」
言いながら男はある一点にある木を親指で指さした。
少年がそこを見つめていると、見覚えのある真っ黒な尻尾が木の後ろで一瞬揺れるのを見た。
次いでヒョコリと顔を覗かせたかと思えば、再び木の影に隠れてしまった。
───シェイド…っていうんだ、あの狼。とりあえず無事でよかったぁ…
好奇心で手を振ってみたが説教でも受けたのだろうか。
反応はするが此方に来る気配はなかった。
「いやぁ、あいつが何かしたなら申し訳ねぇ。俺の仲間が飼ってるやつさ。ちゃんと躾けとくよう言っとくわ」
「あ、いや、まぁ…盗られたロケットは返ってきたんでいいです……」
───まぁ勿論返ってこなかったら何してたか分からないけど………
少年の黒い呟きは勿論、青年には聞こえない。
「つったってあの魔獣に追われる原因作ったのもどうせあいつだろ〜?脱走したり、他人にちょっかい出したり、あいつも忙しいやつだなぁ〜」
忙しいというよりも、人騒がせと言ったほうが適当ではないのだろうか。
そう思って顔を顰めて狼に視線を送る間に、青年はごっそりと話題を変えた。
「っつーかお前、よくこの森に武器無しで入ろうと思ったもんだな?俺にゃ無理だわ〜恐ろしすぎて」
「いや、事故に事故が重なっただけなんです。普段なら…ちゃんと槍を持ち歩いてるし…」
まさかロケット一つでこんなことになろうとは誰も思いはしないだろう。
まずまず少年だって、自分がまさか噂の狂気の森に入る日が来るとは思ってもいなかった。
しかもそれが、まさか動物を追いかけるなんていう理由で…
「ふ〜ん?ま、その事故とやらのお陰で腕試しができたからなぁ、俺的には何ら問題ねぇや」
青年はそう言ったかと思えば、自分のアックスをクルクルと、まるでバトンのように手遊びがてらに振り回し始めた。
アックスというのは相当重い武器なはずなのだが、この青年、そんな様子はゴマ粒ほども見せていない。
「ひっ?!ちょっ何して───!!」
「ん?あぁ、ちょっとした手遊びみたいなもんよ!それにこいつ重いからそれなりに鍛えられたりもするんだぜ~?」
冷や汗もののその動作に、少年はアックスから目が離せなかった。
いや、あの虎を一人で倒したというならこれくらいの芸当は当然なのだろうか?
―――いやいやいや!!!ないでしょ!!?
「そういやお前、随分とまぁ軽い格好してるが、軍の兵士じゃあねぇのかい?」
「えっ!?あ、あぁ…はい…恥ずかしい話ですけど…………軍には入りたくないんです」
そう言って少年は軽く目を伏せた。
少年の歳程のこの国の人間は殆どが志願兵として活躍していてる。
最早それが当たり前と言われるくらいなのだから、少年からそんな弱気な態度や発言が出るのも無理はなかった。
しかし青年はそれを聞くと、一瞬だけだが「ほう?」と目を細めるだけだった。
「え、えと…色々理由はあるんですけど───」
「まぁしゃあねぇわなぁ?最近の軍は、何処に走っているのか判りゃしねぇしな。あの中に入るのは勇気いるよな〜」
「え?」
てっきり、腰抜けだとか何とかと軽く罵られるだろうと覚悟していただけに拍子抜けだ。
しかし青年はその反応は予測していたようで、軽く少年を見て笑う。
「ははッ!俺も軍に入ってねぇから、そんなふうに構えなくたっていいぜ?」
「そ、そうなんですか?」
その筋力があれば戦場にいるだけで百人力になるだろうに。
しかも堂々とそれをバラすのだから少々呆気にとられる。
「体を動かすのは好きなんだけどな?俺はこう見えて平和主義なのさ〜」
「へ、へ~…そうなんですか~…」
「でもまぁ体は一人でしょっちゅう動かしてるんだわ。こいつを振り回しながらな〜!ほら、こんな時代だし何時何処で誰を倒すか分んねえだろ~?対人戦は嫌いじゃねぇからウェルカムなんだけどよ~」
「ソ、ソウデスネー…」
対人戦が好きな平和主義。
ますますわけが解らない。
「お前はそーいうことしねーのか?さっき槍とか言ってたが」
「まぁそれくらいなら僕も一応…」
「おっ?!そうなのか!」
それを聞いて青年の目はキラリと瞬く。
それを見た少年の背はゾクリと戦慄く。
「でもよぉ、鍛えられはしてもつまんなくねぇか?稽古っつうのは普通二人以上でするもんだしよぉ?」
「まぁそりゃ当然というか…でも都合のいい相手なんてそうそう…」
「稽古よりかは実戦のほうが楽しいけどな!特に一対一なんて燃えるだろう?しかも命懸けだぜ?真剣勝負ってやつはやっぱり空気からして―――」
───ちょっと待って、本当に平和主義は何処行った…!
これだけ語るのに軍には入らないというのは余程何かこだわりがあるのだろうか。
「そうさなぁ…なぁなぁ、お前さん、それなりに腕に自信はあるかい?」
「え?そりゃまぁそれなりには―――」
そこまで言ってハッとするがもう遅い。
少年の答を聞いた青年は、ニッと口角を上げていた。
「これも何かの縁だろうし……」
青年は悪戯っぽい光を瞳に写しながら告げた。
「…お前、俺と決闘してみねぇか?」
頭の中でその言葉を反芻していると、意識が飛ぶような錯覚を覚える。
───け……決闘?!!!
この世界で決闘といえば一対一。
ただの対人戦では勿論無く、慈悲の心など一切無用の立派な殺し合い。
それ以前にまず、国の法で厳しく禁止されている事である。
「な…何で命の恩人を殺さなきゃいけないんですか?!意味が解かんないですよ!!!」
少年の言葉に青年は「おぉ?」と更に意地の悪い笑みを強調する。
「いいねぇ、その勝つことを前提にした言い方!男はそれくらいの勢いがなきゃあなぁ?」
「あっ…えとその!!」
───流石に今のは礼儀としてまずかった!!!
この少年、実を言えば、かなり自分の腕には自信がある。
幼い頃から国一の槍の名手であった父の指導を受けた少年は、少なくとも王国の近衛兵と互角の力はある…と思っている。
「んな顔すんなって〜!まぁ勝負は寸止めで終了にすっからさ!決闘なんて名前だけ名前だけ!」
「な…名前……だけ………?」
「そーそ〜!流石に俺も法律犯してまで対人戦したくはねぇわ〜!」
青年の言葉に、少年は全身から力を抜いた。
「それ、先に言ってくださいよ…」
「当たり前だろ〜?ただ決闘と同じくらいの勢いで勝負してみてぇのさ!それくらいじゃねぇと燃え上がんねぇだろ〜?あと使うのは真剣だしな!」
「あぁ、そういうことですか…それならそうだと言ってくれれば……」
「どうだ?乗るか?」
そう言って少年の目を覗いてくる青年の問に、拒否権はきっと存在しない。
少年は無言の圧力に押され、首を縦に振った。
「よっしゃあ!やっぱお前サイコーだわ!!」
肩に腕を回され困惑はしたが、不思議と嫌な気はしなかった。
「それはどうも……」
「じゃあまずそのかたっくるし〜敬語無しな!無し!!」
「あぁ、は…え?!!」
驚く少年に青年は当然だというように返す。
「男同士でそういうのってなーんか固くて嫌なんだわ〜。明日には腕試しで刃を交えるくらいの仲にはなってるわけだしよ〜!お互いもうちょい解そうぜ〜?」
戯けた様子でそう堂々と言われると、少年はもう言葉を失ってしまう。
───いや、もう、なんて言うかこの人………ある意味すごい…
貴族なのか平民なのかも判らないが仮に貴族の出なら軽すぎるし、平民の出ならそれもそれでこの少年の出で立ちに少しも臆してないのがある意味恐ろしい。
しかし少年も、こんな堅苦しい言葉使いはあまりしたくないし、好まない。
見た目こそ貴族に近い少年だが、心は普通の平民なのである。
───相手が良いって言うなら…いっか…
「わかりま…解った。じゃあ遠慮無く」
「おう!そんじゃまぁ後は歩きながらにするか〜。このまんまじゃ日が暮れちまうしな〜」
青年の言葉を聞いて気がつけば、木漏れ日の光には優しい朱色が混じっている。
もう夕方だということを、自然が静かに教えていた。
「うん、そうだね。…でも…歩くって…何処にいくつもり?」
「何処ってお前、一人で帰れんのか〜?いや、帰れんなら別にいいんだけどよ〜」
「ゴメンナサイ、オネガイシマス」
「おうよ!」と言って頷き歩き出した青年だったが、一歩踏み出したところで再び立ち止まった。
「おおっとぉ…忘れてた忘れてた!」
そこまで言って少年の方を向くと、右の手を差し出した。
「名乗り忘れてて申し訳ねぇ!俺はバルトっつうんだ!よろしくな!」
差し出された手を一瞬呆けてみていた少年は、しかししっかりとバルトと名乗った青年の手を握り返した。
「僕はテオ。テオ・ビリーフ。…よろしく」