癒やしの少女の頁 〜1〜
中庭で桜の色の髪をした少女がベンチに座っている。
陽気な日差しが差し込む中でただジッと一点を見つめて座っている少女の様子は、額縁に飾られる絵画の住人にも見える。
そしてその少女の足元には、大きい狼二匹がのんびりとくつろいでいる。
日向ぼっこにはもってこいの昼下がりの庭は、狼たちにとって、上出来な布団に感覚は近い。
だがその目の前では男二人が一応決闘の真っ最中で、実はそこまでのほほんとした空気でいられる場所ではない。
しかも二人がこうして刃を交えるのは初めてなので、本当に何が起きるか解らないのだ。
「おいおいどうしたテオ〜?俺にはカウンター戦法を使ってこないのかい?」
「そんな武器で槍を攻撃されたら槍の刃が砕けるよ!!!!」
青年の挑発に、少年は軽々と乗ってしまう。
因みにこの世界の殆どの武器は特別で、『魔力鉄鋼石』と呼ばれる鉱石を使っている。
この鉱石は多少のヒビや傷程度は勝手に自己修復するので、石を砕かれない限り問題はない。
そしてまた、砕くにもかなりの力が必要となる。
超量産型の銃などなら例外が時々見つかるが、そういうものはマジックスチールと比べると非常に脆く、末端の末端の末端兵にしか渡されるようなことはない。
「とか言いながらお前、吹っ飛ばされるとか思ってビビってんじゃねーの〜?」
「僕は!!そんなに!!軽くない!!!!」
聞いてて失笑するような会話をしながら戦っている二人を、少女はこれまた微笑ましげに見ていた。
いや、本人たち──特に少年──的には必死なのだろうが……
「なんだか、決闘と言っていいのかと聞かれたら、ちょっと微妙になってきましたね〜」
しかし、二人が真剣を使っていることを忘れてはいけない。
木刀なら普通の稽古だが、真剣を使う以上、普通の稽古と同類にするのは少し難がある。
「あぁ、因みにこのアックス、多分お前より重いぜ?お望みなら吹っ飛ばすこともできなくは──」
「要らない情報をどうもありがとうございます!!!」
───でもやっぱり会話は微笑ましいですね
リルがその会話を楽しむ間にも槍とアックスは何度も音を立ててぶつかる。
あれだけ過激に動きながら喋るのだから相当体力がいるだろう。
リルにはほど遠い世界だ。
「くう〜ん」
「あ、すみません。今あげますね〜」
リルはクスリと笑った後、狼二匹用の袋から干し肉を取り出す。
二匹はその匂いを嗅いだ途端、行儀良く『お座り』の姿勢をとってリルが干し肉をくれるのを待った。
「今日はウィンディが早かったですね」
リルはそう言って言って先にウィンディに干し肉を与える。
一口でぺろりと干し肉を平らげた白い狼を、シェイドは羨ましそうにしながらも必死に待っていた。
「はい、シェイドも」
黒い狼は干し肉をもらうと、もはや丸呑みといった様子ですぐに食べ終えた。
そして丁度その時、刃と刃のぶつかる音が止んだ。
「死ぬかと思った………」
息の上がった少年は勝ったとは思えないような情けない台詞を吐いているが、きちんと刃の先は相手の喉元を捉えている。
「いやぁ〜!!見事見事!!やっぱすげぇわお前!」
逆に、負けたのにも関わらず余裕をかます青年は、刃を喉から外すと軽めの拍手を相手に送った。
「何でそんな余裕なのさ……」
「そりゃあお前、楽しいことはどんなに疲れてもヨロヨロになるこたぁねぇだろう?」
「はっはっは!」と豪快に笑い出した青年たちに、リルはゆっくりと近付いた。
「お二人とも、お疲れ様です!怪我はしてませんか?」
彼女だって無意味に二人の様子を観戦していたわけではない。
きちんとした役目を持っていた。
「俺はねぇよ〜」
「僕も!ごめんねリル、付き合わせちゃって」
「いえいえ!これが仕事ですから!」
実際、大して苦に思ってない。
寧ろ楽しませてもらっているくらいだ。
「ふぅ!やっぱテオが来てからこういう事もできるようにもなったし、俄然楽しいわ!」
「レシカとは対戦しないの?」
「な〜いないないないない!五秒で終わっちまうし!」
バルトの発言にはリルも頷くしかない。
過去に一度だけ対戦したところを見たことがあるが、確かに勝負はあっという間だった。
勿論、五秒で終わることは流石に無かったが、二十秒あったかなかったかは定かではない。
だが少なくとも、テオの時と比べて圧倒的に早くレシカに軍配が上がったのを、リルは覚えている。
「レシカさんって…ほんとかっこいいです…」
色々思っているうちに、リルはいつの間にか心の声を口に出していた。
…実は密かに、リルはレシカに憧れを抱いていたりする。
戦闘能力の高さは勿論、レシカという少女は炊事、洗濯、掃除、裁縫と全てを満遍なく器用にこなす娘だった。
しかも炊事はかなり得意なようで、栄養バランスの考えられた美味しい食事を毎日作ってくれている。
その料理は並な料理店は超えられるような完成度の高さで、どうしたらあの平凡な材料でここまでの味が出せるのかと毎日疑問に思っていた時期もあった。
しかし、何度か彼女が台所に立つ姿を見て、それが彼女の『まごころ』があるからこそできる味なのだと今は信じている。
表情に乏しく、自分や他人にも厳しい彼女だが、言動から時々チラリとだけ見えるその心はきっと温かい。
そう思っているから、リルはレシカのことを心から尊敬しているし、大好きなのだ。
「かっこいい…か〜…うーん…かっこいいもそうだけど……可愛いし、綺麗だよな〜…」
そう口にしているテオの顔が惚けているように見えるのは気のせいだろうか?
「お前ら揃いも揃ってレシカにベタボレかよ〜」
「べ、ベタボレ…?!ち、違うよ!僕は別に恋愛とかの意味じゃなくて単純に美人さんだなって…!!」
リルの耳がボンッという音を少年から拾ったのは、きっと気のせいではない。
「俺別に恋愛感情のことを指していったわけじゃねぇんだけどな〜?」
「ぼっ僕だってそんなつもりは!!」
ニヤニヤ笑うバルトにテオだけが過剰に反応していた。
───テオさん…解りやすいですね…
「ほら、彼女凄く強いから…!それに色んなことを軽々とこなしてるし、凄いなって…!! ただそれだけで!!」
「んな必死になんなよ〜照れんなって〜?」
「照れてない!!断じて照れてない!!」
そう言う間にも少年の頬の赤みは増している。
茹で上がったばかりの蛸のようだ。
無意識なのか、既に意識しているのかは定かではないが、自分の気持ちに気付くのはそう遠い日のことではないだろう。
───とはいえ相手がレシカさんとなると、前途多難そうですね〜……
果たして実る日はあるのだろうか…などと、まだ確定もしてないものを本気で心配してしまっているリルの目に、ふと或る日の光景が浮かぶ。
フラッシュバックの中には、日の光の下でちょっとからかうように笑う、爽やかな少年。
雪の村と、滲む視界………
───なんでしょう??
目の錯覚かと思い、暫く顔をぶんぶんと横に振ったり、目をぱちぱちと瞬きさせていると、いつの間にかテオとバルトがリルのことを面白そうに観察していた。
「…あ、いいよ、僕たちのことは気にしないで続けて?」
そう言うテオの顔に悪意がまるで無いことが、余計にリルの羞恥の火を煽る。
「気にしないわけないじゃないですか!?」
「ぷっ…くっ……くくっ…いやぁ、リル、そのギャグ…最高だぜ…はははっ!」
笑いをこらえられなくなったらしく、バルトはいつも通り遠慮のない大声で笑い出した。
それにテオも珍しくつられて、「プッ」と吹き出す。
中庭に笑い声よりも大きな、怒鳴り声ともとれる甲高い反論の声が響いたのはその直後だった。
✽✽✽
「もううう!!皆さん私のことからかいすぎです!!!」
恥ずかしさの混ざったリルの昼間の怒りは、なんと就寝前まで続いていた。
───まさか普段はフォローしてくれるテオさんにまで笑われるなんて……
恥ずかしさから顔を数回枕に打ち付ける。
そのまま顔を埋めていると、あの時のフラッシュバックを勝手に思い出した。
───もう!勝手に出てくるなんて意地悪すぎます!!
記憶の中から蘇ってきた懐かしい少年の顔にリルは八つ当たる。
記憶の中の少年は「ごめんごめん」と言っているような気がするがそんなことは気にしない。
「……………………」
しかしそんなことをしていると、自然に淋しさが込み上げてくる。
「……皆元気にしているんでしょうか…」
リルはここに来て初めてのホームシックになった気がした。
枕をギュッと抱きしめると、仰向けになって天井を見つめる。
───戦争が終わったら、絶対帰るんです…!それで、お爺様やお婆様に必ず会うんです……!
「あと…あの人とも………………」
そのままリルは目を閉じて、思考の渦に身を沈めていった。