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最後の一葉が散る前に  作者: (第一樹)真いかみみ (第二樹)七峰らいが
第一樹
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Ⅲ ディスクをB面にセットしてください その②

 気がかりな夢を忘れて深い眠りから目覚めたとき、部屋の内外は来駕(ライガ)が眠った時と同じ暗闇が支配していた。ライガは寝ぼけ眼のまま頭に着けっぱなしの光学ゴーグルを時計代わりに使って、その光を網膜いっぱいに浴びた。

「……は?」

 時刻は午前一時四十八分を示していた。

「待てよ、寝たのが二時過ぎで……?」

 標準時に忠実な時刻表示に狂いは生じないことを来駕は知っている。けれど、信じられないといった顔のまま窓にかかったカーテンを引くと、冬向きの分厚いカーテンが覆い隠していた青白い光が部屋にどっと注ぎ込んだ。

 窓の向こうで青白い月が妖しげに輝いていた。

「………………」

 ごくり、と生唾を呑む。

 ライガの夜は、まだ始まったばかりだった。


 縁側に据え置かれた地味な色のサンダルに履き替えて、ライガは廃校の方角を眺める。

「やっぱり、戻ってるんだな……」

 廃校は怪鳥に粉砕される前の姿をとどめていた。本当に時間が巻き戻ったということに気づくと、なにやら嫌な予感がして後ろを振り返るとそこには見慣れた顔があった。

「まだ起きていらしたのですか? 朝がつらくなりますよ」

「サクラ……」ライガはうんざりしたような顔をして呟いた。「いや、今起きたから。ずっと起きてたわけじゃあ……はッ!?」

 ()()と一言一句変わらない言葉が自分の口から出たことにライガは絶句する。

「どちらも同じですよ」≪サクラ≫が非難のポーズをとって、彼をいましめる。「こちらで何をしていらしたの? サクラにお聞かせください」

「月だよ」気が狂いそうだった。「うん。月だ」

「月ですか? ……まぁ、すてき」

 ライガは背中に嫌な汗をかきながらサクラと隣り合わせで縁側に座った。


 満月は人を狂わせるというが、この青白い月には人の心を落ち着かせる効果があった。サクラと二人きりで月見をする時間がいやに長ったらしく感じた。

 ぴくりともしないサクラを横目に見て、ああ、とライガは察知した。前回と同じ行動を取らないと展開が先に進まないのだ、と。

「綺麗だね」

 抑揚のないことばが口から流れた。hIEであるサクラの方がよほど人間らしくしゃべる。

「ええ。写真に撮っておきましょうか」

「俺も撮るんでしょう?」

 ライガはうんざりしたような顔でサクラの目を見た。

「こんなにすてきな景色を独り占めするのは良くありませんからね」

 うふふ、と笑ってサクラは行ってしまった。ライガは庭に出て、怪鳥の姿を探そうと辺りを見渡した。

 やがて、風が強まる。

「……来た! 大山から来たのか?」

 大山は、鳥取と岡山の県境を隔てる中国山地の最高峰だ。怪鳥はその大山を背にしてこの夜海町の空に姿を現したのだ。

 ライガの想像通りのタイミングでサクラがカメラを持ってきた。

「カメラをお持ちしました。……ライガさん?」

「ああ……揺れが来るぞ」

 二度目の微震を感じながらライガは考える。あの怪鳥は、その上に建つ廃校を粉砕してまでなぜ、あの丘に降り立つのか。しかし、どれほど考えても答えは出なかった。

 前回と同じようにしてライガは自分の部屋に戻った。

「疲れた……」

「一回目」とは違う疲労感がライガを押し包んでいた。光学ゴーグルを外してしまって、ベッドの上に倒れこんだまま起き上がれなくなった。


 ライガがおもむろに目を開けると、自分が光学ゴーグルを着けたまま布団にくるまって寝ているのが分かった。そしてそれが何を意味するか理解できるようになると、急に自分の部屋になにか恐ろしいものが住み着いているような気がして怖くなった。

「嫌だ……」

 恐る恐るカーテンを開くと、青白い月光が部屋を照らした。

「嫌だぁ……」

 ライガは手で顔を覆った。

 体の震えが止まらない。嗚咽とともに涙が目からこぼれて、喉から音が絞り出された。

 孤独感に苛まれて泣きながら何度も光学ゴーグルの時刻を見る。いくら見なおしても、どれだけ泣き続けても、表示は午前一時四十八分から進まなかった。ライガは寝間着の袖で顔をごしごし拭いた。

「くそ……降りればいいんだろ」

 胃のあたりがむかむかしてきた。今まではあの青白い月も美しいと思っていたが、あれこそ悪の権化ではないかと思うと本当に吐きそうになる。

 あの月に、見下されているようだからだ。


 そんな、三回目の夜。

「離してくれぇ!!」

「いけません。こんな夜更けにどこへ行くんですか?」

「離せッ!!」

 今が深夜であることも忘れて庭先で泣きじゃくるライガをサクラが取り押さえていた。hIEは、標準規格によればたとえそれが児童型であっても一般的な成人男性と同じ力を発揮することができる。hIEに両腕をつかまれて、逃れられる人間はそういない。

「言って聞かないなら、こうです」

 サクラはライガが着ている寝間着代わりのシャツの襟口と袖をしっかりと掴んで、そのまま自分の体に引き寄せた。

「うっ」

 唐突に熟女の胸を押し付けられて面食らうライガの伸びきった左足にサクラの右から振り上げた左足がかかる。だめ押しのように襟口をぐいと押し込んで、ライガの視界がぐるりと右上向きに回転した。

「ひっ」

 彼の生存本能が、むかし体育の授業で軽く習った程度の横受け身の姿勢をとらせる。細かい砂利が右(てのひら)に刺さってじんと痛んだ。

 突然のことに頭が真っ白になったライガの首に手を回したサクラは、抑えこんで見事な袈裟固めを()めた。もとは暴漢対策に作られたカスタムクラウドとはいえ、少々やりすぎにも見える。

「舌を噛まないように注意してください」

 そんなことを言うぐらいなら止めてくれ、とライガは言いたかった。

「かっ、く…………ぉあ」

 どれだけサクラを(はた)いてもギブアップは認められない。息ができず、気張るたび頭に血が上って顔が火照った。

「げ」

 汗と涙と鼻水とでぐじゅぐじゅになったまま、ライガは無力化された。


 四回目。

 ライガは自室の窓のサッシに足をかけて、そのステンレス製の窓枠を握りしめながら家の外を見下ろした。眼下には古ぼけたアスファルトが敷かれている細い道路が横ばいに通っている。

「…………」

 サクラからは逃げられないと思い知ったライガは、もっと簡単にこの狂った家の中から抜け出す方法を探した。すなわち、ここから飛び降りることだ。

「……無理だ」

 たとえ家の二階から飛び降りても死ぬことはないだろうが、しくじれば足か腕か、最悪首の骨が折れる。その上ここから飛び降りたところで何が変わるものだか、ライガはまるで知らないのだ。もしも何も変わらなかったら、言葉通りの骨折れ損だ。

「じゃあ、どうしろって言うんだ……」

 ライガの心は折れかかっていた。

 人間が、それまでの安全圏からすぐ破滅に向かえるほど衝動的になるにはそれ相応の理由が要る。今のライガにとって、四度のループはむしろ安全なものだった。自分を絞め落としたサクラでさえ、何か恐ろしいものから自分を守ろうとしているのではないかと思えてくる。

 いや、サクラのような家事用hIEにそんな達者な芸当ができるわけがない、とライガは首を振る。あれはただ家出しようとする自分を力ずくで止めただけで、人間社会の倫理観にかなったもの、規範のようなものに忠実に従っているだけだ。つまり、サクラはライガの思うように未曾有(みぞう)の危機から救ってくれる都合の良い存在ではなく、このシーンを延々と撮り直し続けることのできるロボット役者であるということだ。

「俺は、ひとりか……?」

 仮に階下で寝ている父親に助けを求めたところで、まともに取り合ってくれるものかわからない。そしてそれを確かめるには、部屋の扉から出なければならない。

 窓に乗り上げて月を見ていた。飛び降りることは、ついにできなかった。

「……俺は、なんて意気地なしだ!」

 ライガは窓を閉め、涙を服で拭いながら部屋のドアを開けた。

 結論から言って、父来幸は脅威の熟睡を見せた。怪鳥が叫んでも飛び起きなかったわけだと、散々父親の頭を蹴ってサクラに取り押さえられながらライガは思った。


 五回目。

「月が綺麗だねえ」

 ライガはあさっての方向を向いてつぶやく。もう、あの月が美しいなどとは毛ほども思っていなかった。

 サクラのどこか楽しげな顔もそろそろ見飽きてきた。アナログハックが通じなくなると、hIEは人間らしさを失って作り物に見える。

「ええ。写真に撮っておきましょうか」

「月は逃げないから、カメラはゆっくり持ってきてくれ」

 ふふっと笑って歩き去るサクラの背中をまじまじと見つめて、彼女が居間に入っていくのを見て取るとライガは跳ねるように庭先の石塀へ駆け寄った。

「いける――」

 塀に乗り上げた瞬間、光学ゴーグルが通話アプリケーションを開いてポンと一文を寄越した。

<警告:深夜、保護者の許可なしに外出することは県の条例によって禁じられています。>

 ご丁寧に、警察官の格好をしたチワワが二匹、二本足で立って敬礼をしているイラストスタンプまで送られてきた。

「マジかよ……」

 ライガは力なく庭に降り立った。

 入り組んだ道路の交差点や曲がり角には金属製の鉄柱が据え付けられている。その太さ五センチメートルから十センチメートル程度のポールにはカメラやプロジェクターが設置されていて、物陰に隠れて見えない人やモノの姿を立体映像で映し出したり、光学モニターに投影したりすることができる。

 つまり、サクラの居ぬ間に家を抜け出すという手は最初から潰されていたのだ。学校から家に帰るといつも玄関先にサクラがいたのはこういうからくりだったかと、ライガはおのれの無知さと無力さに頭を抱えた。


 四度目の廃校崩壊シーンを前にして、怪鳥の動画を撮りながらライガは思った。

「車を使えば逃げられるんじゃないか?」

 彼の言う車とはすなわち自動操縦(オートクルーズ)機能を持つ全自動車のことで、入り組んだ細道や山道の多い山陰地方では都会より一般家庭での普及率が高い。七峰家も全自動車を二台所有している。

 ライガは庭から逃げようとしてその姿を見咎められたが、あのまま家の外に出ればサクラが追ってきただろう。彼のような十八歳未満の子供が深夜に親の許可なしで家を出ることは県の青少年健全育成条例によって禁じられているからだ。しかし、家庭用のhIEはそのように何か特別な理由がなければ家から外には出ない。つまりサクラが駐機状態のままならば大手を振ってこの家から脱出できる、とライガは考えた。もっとも、深夜に出歩くライガの姿は確実に町中の監視カメラに撮影されてしまうのだが。

 怪鳥が四度目の雄叫びを上げたのち、自分で安全地帯に向かいながらライガは自分の果たすべき使命を悟った。

「あの場所へ行くことが正解なのか……」

「どうかしましたか?」

「いや。警察は怪獣を大きな落し物扱いするって話だろ」

「えぇ、よくご存知ですね」

「いるわけねえのにな、怪獣なんて」

 ぶすっとした顔のライガにサクラが微笑む。

「ふふ、そうですね。でも、ユーモアがあってすてきではないですか」

「ユーモアね」

 ようやく迷路の終わりが見えた気分だった。ライガの表情に、久しぶりに笑顔が戻った。

「じゃあ寝る。おやすみ」


「大人になって一年が早いって言うのは、子供のころよりいろんな"あたりまえ"に気が付いたからだっていうけど」

 布団にもぐって怪鳥の動画を見ながら、ライガは睡魔と闘っていた。

「どんなことでも、簡単になるにはものすごい時間がかかるんだよな」

 人間がそれまで積み上げてきたもの、モノがそれまで積み重ねてきた年月の"かたち"を、怪鳥はあっけなく踏み潰す。

 ライガは多分、この怪鳥の正体を知っていた。だからこそ彼は自分の頭で考え、自分の力であの丘に辿り着かねばならない。

「でも……」

 夢と現が交じり合う。目を閉じているのか開いているのかわからなくなる。自分とそれ以外の境界が曖昧になって、ふと口からこぼれたことばの意味が彼自身にもわからなかった。

「なぜ?」

 動画は最後に青白い月を映したところで止まった。

(15年3/27改定。六回目のループに関する記載が蛇足に見えたため。ここまでのループは五回として次話も進行します)

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