夕陽が冷める前に
「最初に書いておきたいんだが、この物語は小説としてあるべきオチまでたどり着かない可能性があるのでちゃんとした話が読みたい読者には申し訳ないと思う」
「きみはメタフィクションに慣れているな」
まぁね、と言いながら買ったばかりのハンバーガーセットをテーブルに並べると、「彼」は二つの筒をそれぞれ縦に引き裂いたような触腕を伸ばして絡めあい、胴から頭にかけて点々とある発光器官を明滅させた。
「いただきます」
これと同じような意味だろう。
「改めて自己紹介をしよう」と、「彼」は言った。「わたしの名はレトロン宇宙人。レトロンとは、きみたちの言葉で『ふるさと』という意味をもっている」
「おれは七峰らいが。地球人だ」
我ながら思いきったジョークのような響きだと思ったが、レトロン宇宙人には通じなかった。
彼はおれの手渡したハンバーガーセットには手を付けずに交渉を始めた。
「わたしは、きみをレトロン宇宙へ招待したいと思っている」
カップに入ったカフェインゼロのお茶をストローで吸いながら、彼の発言の意味を考えて返事をする。
「なぜ、おれなんだ?」
月並みな質問を聞いた。
「きみは、外世論にくわしいだろう。おそらく、この宇宙の中で一、二をあらそうほどに」
「そうかな?」おれは反論する。「聞きかじったことを右から左へ流しているだけだと思う」
確かにおれは外世論のことを知っている。哲学のことだ。その道の人に教えてもらって少し自信もある。しかし、そのこととレトロン宇宙人に何の関係があるのだろうか。
分厚い半熟卵の入ったハンバーガーをかじりながら、おれたちは外世論の話をした。
外世論のスタート地点は「誰(何)がどこにいる」という直観に位置している。つまり哲学的な本質や実存を抜きにして「誰(何)がどこにいるのか、一目瞭然だ」という事実認識を「経験」するところから始まる。
おれたちの「経験」は──今のところは、まだ──それぞれの持つ肉体に依存する。それでいて「経験の出どころ=事実認識」を得る方法は様々ある。この現実世界は言うにおよばず、VRやAR、本やテレビ、ゲームという「経験」の出どころに触れて、それについて「解釈」することができる。
人間は、「経験」によって得た情報に「解釈」を通して物事を考え、理解している。そこまでが、おれの知っている外世論の知識だった。
「レトロン宇宙人は、いわゆるVtuberのことをどう思う?」
「どう、と聞かれてもね。この宇宙のポップカルチャーについて、きみよりくわしいとおごるつもりはないよ」
「そうかな。外世論のことが少しでもわかるなら、この考察はすごくおもしろくなると思っていたんだけど」
「と、言うと?」
彼は身を乗り出して聞く姿勢をとった。
おれは一息ついて、自分の意見を頭の中でまとめながら話す。
「結論から言うと、おれはVtuberに嫉妬している。その技術を開拓した人のことも、最初に美少女キャラクターに自分の声を当てようとした男の人のこともね。だけどおれが一番すごいと感じるのは、そういうキャラクターやキャラクターにいのちを吹き込んでいる人のことを受け入れようとした視聴者だと思うんだよ」
たぶん、そういうことだよなと思いながら茶を一口飲んで話を続ける。
「だって、声だけ聞いてたらおじさんでしかないんだよ。でもその声に美少女キャラクターのビジュアルと動作が加わって、はじめて一つのキャラクターなんだと理解している。そのキャラクターの口から声が発されているんだと『解釈』できている。これはなかなかできないことだと思うんだよ」
「ほむ」
これは彼の特殊なあいづちで、疑問を挟まず受け入れるという意味らしかった。
「ええと……」
吐く息が熱くなるのを感じる。相手が少し受け身なのをいいことに、おれはもう少しVtuberについて語ろうと思った。
「それから人が増えて、ボイスチェンジャーで見た目だけでなく声も美少女になろうとするVtuberも現れるようになった。そういう人のしゃべり方って、その人の女性観が出るんだろうな。美少女の姿をした三次元モデルのアバターを持って、そのイメージに引き寄せられていく人というのは現実に存在しているんだ。なにか頭で考えるときの声がボイスチェンジャーを使った声になってる、アバターを通して自分から可愛くなろうとしてるってね」
「つまり、それが外世の他者表象をともなうことによって成立しているということか?」
「え?」思わぬ返答に面食らいながら、おれは答える。「ああ、うん。ネットでつながる動画配信サイトやVR空間は、一種の外世だといえるんじゃないかな」
「ほむ」
外世他者表象とは、要するに「キャラクター」のことだ。おれに外世論を教えてくれた人は、それを一般的な「虚構上の人物」「架空の人物」の定義に最も近い表現だと言った。
外世とは、ここではないどこかのこと。他者とは自分ではない誰かのこと。表象とは、そう見えるということだ。
話が一段落ついて、おれは少し冷めたフライドポテトに手を付けた。
「で、その外世論がなにか役に立つのかな?」
口をもぐもぐさせながら言ったおれのことばを彼は聞き逃さなかった。
「きみは、少し鈍感すぎるな。外世論についてそれだけ話せるのだから、わたしがきみを招待したい理由もわかってくれるだろうと思っていたのだが」
彼から見て左の触腕をおれにつきつけて言う。
「美少女になりたい、そう思ったことはないか」




