① What a Wonderful World
この物語はフィクションです。
(これまでのあらすじ)承南高校一年生の舞花 旺時は突然目の前に現れたもう一人の自分を拳銃で撃ち殺し、自身も死のうとするが、メイド服を着た少女S.A.D.に寸前で阻止される。彼女は同校ライト文芸部の部長で、舞花の助力を必要としていた。
「この物語世界はそんな、ごくありふれたライトノベルのような出会いから始まる」
部室のドアをこんこんと叩きながら意味不明な発言をした少女の銀髪が、ぼくがいったい何の事かと問う前に部屋の隅へ遠ざかってゆく。
「アネキは休みか」カーテンをちょっと開けて、窓の向こうを見ながらはっきりと喋る。「そうだな、今はそれでいい」
独り言の多いひとだと思いながら、ぼくも下履きを脱いで入室する。
室内は荒れ果てていた。いや、彼女らライト文芸部員たちからすればこれでも整理整頓されているのだろうか。
常設の書類棚が埋まって置き場に困ったのか、本や書類束が青いカーペットの床にモノクロームの層を作っている。そこに辛うじて獣道みたいなすきまがあって、数人分の事務机の下には丸椅子が用意されていた。
古びた紙のにおい、図書館の本のにおいにほんのりチョコレート臭が混じっていて、なぜかと思うと否応なく目に飛び込んでくるのが上座に置かれた部長専用の机の上、赤いパッケージが特徴的な棒状のチョコ・プレッツェル菓子の山だ。見ると傍のごみ箱にも大量の空き箱が無造作に突っ込まれている。
彼女はチョコ菓子の山を背にぼくへ右手をあおいで「まあ座れ」と言った。お言葉に甘えて手近な丸椅子のひとつに腰を落ち着かせる。
しばし待つと、
「白湯だが」どうぞ、と部長手ずから湯飲みを渡してくれた。
ありがたいが、電気ポットから直に出てきたばかりの熱湯を飲む気にはなれない。ものだらけの机上のどこへ置こうかまごついていると、部長は自分の席にどっかりと座った。
「あらためて、わがライト文芸部にようこそ。舞花旺時くん」新品の菓子袋を破りながら言う。「わたしの名はエス・エイ・ディと書く。気軽にSADと呼んでくれればいい」そしてプレッツェルの先端を口の端に咥えた。……ドヤ顔だ。
「は、はい……」
もしかして……タバコのつもりなのだろうか。そっち向きじゃ指がチョコで汚れるのではないか…………いや、あまり深く考えようとするのはやめよう。きっと、ぼくにはこの人のすることを理解できない。
「自分の身の回りに何が起きているのか、まだ把握しきれていないだろうが……それについては追々話す。まずはこいつを読みながら、同時にわたしの説明を聞いてくれ」
手渡されたのはホッチキスで留められたコピー用紙の束だ。
A4サイズの表紙には「気がつくと、お…わたしは魔法少女になっていた(仮題)」と印字されている。どんな話かはさておき、魔法少女なる人物が登場する物語のようだ。
「わが承南高校ライト文芸部は同校の放送部と敵対関係にあり、つねに戦闘状態にある。……表向きは、そういうことになっている」
そこで一旦ことばを切り、白湯をなめる。とん、と湯飲みの底で軽く事務机を叩いた。
「もしも放送部の手の者がこちらへ直接に干渉してくるようなことがあれば、その時はきみの持つリボルバーが戦術的価値を持つ……かもしれない」そしてプレッツェルをかじる。「だが、その機会はおそらく少ないだろう。奴らのする妨害工作とは、単にきみやわたしたちの創作活動を妨げるだけのものではない――」
すると、湯飲みをぐいとあおった。今度はどん、と鈍い音を立てて机が震える。
「場合によってはわたしたちの存在そのものが消されかねない、恐ろしく危険な敵。それが放送部――」
その物騒な表現に、ぼくは思わず紙面から顔を上げる。ふと、SADさんと目が合う。
彼女の瞳――アメジストカラーの虹彩の奥にちらりと光が差すのを見た。
「放送部という名は外なる敵対者を指す隠喩に過ぎない――真なる名は現世という――そう、現実世界そのものがわたしたちの相手だ」
「現実の世界が……敵?」
彼女はそうだ、と神妙な顔つきで頷いておもむろにプレッツェルをつまむ。
ぼくは彼女のことばと行動の両方にのけぞる。
「いや…………そう急に言われても、よくわからないですけど」
それはそうだろうな、とまた頷いてばりばりとお菓子を食べ始める。もうタバコごっこはやめたのか。しかもそうやって音を立てながら食べるのは癖なのか故意なのか、本人は人の目を気にするそぶりも見せない。
ぼくにはこの人がわからない。
この人はその後も食べながら話を続けて、内容はおよそこう聞き取れた。
「詳細な説明をわたしは意図的に省いている。このセカイがどうこう、などと言ってもきみには理解できないだろうし。だからそういった階層の話は今はこのわたし、S.A.D.に任せてもらえばいい。きみに頼みたいのはだな、舞花。いま我が部で作っている小説に関する意見が欲しいんだよ」
そう言ってしまうとSADさんはお湯のおかわりを取ろうとして立ち上がる。ぼくはというと、まだ熱いお湯をちょっとだけ飲んで舌とのどを湿らせた。
……なぜかその味を苦いと感じながら、手渡された草稿の感想を述べる。
「いや、ちょっと……」何か言おうとしてもやりづらい。「でもこれでいくんですよね?」
「うむ、大筋は変わらん。だから安心してしゃべって欲しい」
「わかりました、では正直に」
「うん」
……ぼくは努めて冷静に、淡々と思ったことを口にした。
SADさんは白湯とチョコ菓子をちびちびやりながら、黙って聞く。……ときどきぼくの発言に文字通り目を光らせる。たとえ表情には出ていなくともどこでムカついたかがわかる。……怖い。
独特な緊張感が走る時間をふたりきりの部室で過ごした。
「……わかった。要点をまとめて聞き直すが、いいか?」
そう言ってやにわに立ち上がるとホワイトボードに水性ペンを立てる。
「は、はい」
「まず第一に、この物語で魔法少女に変身する主人公の目的がわからない、と。それはなぜかと言うと、この主人公の周りには魔法少女に変身する以前のこいつのことを知っている人物がいないからだ。だからこの設定が宙に浮いてしまっているということだな。
次に、この物語の特徴として『異世界トリップもの』と『仮想現実もの』が競合している、と。これはなぜかと言うと物語の舞台となる世界観に現実味を持たせようと考えて工夫を凝らしたのが仇となって、どちらか一つだけでも成り立つ話をダブルのハンバーガーみたいに重ねてしまった……という感じだな。
最後に、読者層について。作者がサービスシーンとして設けたエピソードがニッチすぎて一般層がついていけないのではないか……だったな。シモの話に寄りすぎた、と。これは失礼した。……以上だったか」
「はい、仰る通りです」
ペンをしまうと、SADさんはしばらくの間ホワイトボードを見つめていた。
「うん……ありがとうな、舞花。もういい時間だからきみも家に帰りなさい」
「あれ? もうそんな時間ですか」
「うむ、そういうことになったから。じゃあ、またな」
「はい。また明日」
……なんだかあっという間に放課後が過ぎてしまった。
校門で夕陽を背にしばし、たたずむ。
「旺時くーん!」
校庭から女の子が手のひらを振り振り駆けてきた。
なんだ、早月もいま部活が終わったのか。
「おう、早月。帰るか?」
「うん! ね、聞いて聞いて。きょう先輩からね――」
「うん」
それはいつ、どこにでもある平凡な日常生活の一ページで。
「その人ったらおかしくてね――」
そりゃ、いつまでも続くとは思っていなかったけれど、それでもしばらくは続くと思い込んでいた。
「ね、面白いでしょ――」
「ははっ、ああ。おもしろいな」
「でしょう?」
……続くと、思っていたのに。