Ⅳ 紫陽花の散る頃。
平成二十七年度七月十三日、「有限個人NO NAME」解体。
同日、個人サークル「NO NAME」発足。
その体系には、「一個人の脳内に存在する企業」から「単なる個人サークル」という認識に改めた以外にさしたる変化はない。
「七峰来駕」から「七峰らいが」を名乗ることにしたサークルリーダーの急な心境の変化と言えば、そうなるだろう。
今、彼とそのキャラクター達は芝生の青々とした広場に居て各々白いテーブルを囲んでいる。
テーブルの上には、焼き鳥と、陽光に照らされて黄金色に輝く飲み物。パーティーと称するには、いささか俗っぽい取り合わせだ。
サークルNO NAMEの副管理人、ディーナ・カルツァが乾杯の音頭を取る。
「さて。この『最後の一葉が散る前に』で長々と書いてきた、いわゆる小説内小説だけれど、この度一区切りが付ける段階までどうにか漕ぎ続けることができたわ。思いつきが長続きしない彼にとって、この半年、飛躍的な進歩があったと考えてもいいんじゃないかしら」
管理人、七峰らいがは彼女の隣にいる。少し照れくさそうにしながら飲み物の入ったジョッキ・グラスを手で遊ばせている。
「この小説内小説……私達が『project NAMELESS』と呼んでいる企画は、当初はゲームのように、読者イコールプレイヤーと想定して進めていた話だったわ。つまり一番最初の怪現象も、正しい動きをしなければ延々とループしてしまう。巨大な怪獣が現れて、それを使役する存在がいる。そういうのと主人公がどんどん戦っていって……というおおまかなストーリー構想があったわけだけれど、正直、ここまでイントロダクションが長くなるとは誰も想像していなかった。そうよね」
振られて、らいがはうなずく。
「加えて、趣味の領域に過ぎないと決め込んでいた自作小説の執筆活動と、現実社会での生活に明らかなねじれが生じてきていて、いずれは人生を棒に振る事態にもなりかねない。週一日と言えども、確かなペースで読者を楽しませるのが難しくなってきているのね。こういう公の場で作者の内情を晒すことがどういう結果を招くか……その線引は難しいのだけれど、まぁとにかく、我々は追い込まれている。もう手遅れかもしれない。苦境に立たされている、そう言えるわけね」
らいがは目を閉じて深く頷いた。
「まぁ、そんな中ですけれど、とにかく……第一章完成、お疲れさま。それと、NO NAMEの新しい門出を祝って…………Salute!!」
「かんぱーい!!」
妄想世界に差す夏の日差しに照らされて、宴が始まった。
「ふふっ。私にも初めてのことで、すこし落ち着かないのだけれど」
いかにもというようなジョッキを片手に、ディーナはらいがに話しかける。
「別に、良かったんじゃない? お酒でも。貴方、もう二十歳なんでしょう?」
「いや……言葉で表現できるほど、飲んじゃいないからさ。」
もそもそと焼き鳥を口に入れながら喋るらいがの表情は暗い。
キャラクターそれぞれ思い思いのグラスに注がれた飲み物は、氷でよく冷やされた麦茶だ。らいがは、暑い日差しのなかを歩きまわった――あれは秋口のことだったが――後に飲んだペットボトルの麦茶の味を思い出していた。それがこの妄想の宴にも反映されているのだ。
「一章が終わったから、宴をやると言い出したのは貴方でしょ。なんでそんな顔をするのよ」
「わからないんだよなあ」冷えた麦茶を飲み込んで、らいがはぼそりと呟く。「俺は何をしたいのか……こうやって人がやることに茶々入れて、かき回そうとして空回りして、足を引っ張ったりするのが、本当に俺のしたかったことかなあって」
くすくすとディーナは笑って、椅子をらいがに横付ける。
「貴方は生きているじゃない。生きて、自分の思いを誰かに伝えようとしている。それを向ける先が、少し違うだけ。……ナマの感情でぶつかるのが、怖い?」
「少しね」カラになったグラスによく冷えた麦茶を注いで、らいがはディーナの目を見て話しかけた。「絶対間違うんだよ。ネットで喋ってて、こんなに他人と口で会話が出来なくなっているなんて思わなかった。偏光するみたいに、正しく意味が伝わらないんだよ。あるいは、自分がそう思い込んでいるのか……」
カラリ、とディーナが氷を揺らす。
「フ、一度や二度の間違いで挫ける貴方じゃ無いでしょうに」
「それは……自然治癒。生きているからだよ。いくら泣いたって、怒ったって……人はそんなに、すぐに変わるもんじゃないよ。むしろ、元に戻ろうとしていく。」
「でも、完全に元に戻ってしまうことはないでしょう?」
「そうかな……いや、俺もそう思うけど」
二人の周りでは、アルコールが入っているでもないのに宴が盛り上がっている。らいががそうさせているのだ。
二人のやや重苦しい空気を、包み隠すかのようだった。
そんな喧騒の中から、二人のほうへ一人の少女が入り込んでくる。
テーブルの上に中型のコップが置かれた。
「父さん……」
「ん、オウカか」
オウカ・ユウギリ。別世界の七峰来駕とディーナの間に生まれたという、宇宙を飛ぶ戦闘機に乗り込む少女だ。少女と言いながらも、年齢は今のらいがよりもやや年上だ。
彼女に似た外見の少女型hIE≪オルトロス≫は、プロジェクトネームレスの目玉とも言うべき存在になっている。彼の創作体系に無くてはならない存在だ。
「なんか、暗い顔してるわね」むす、としてオウカは言った。「ねぇ。そっちって、そんなに大変なの?」
「大変……? 大変ね」らいがはやや考え込んでいからオウカに答えた。「やることばっかり増えてきて、実力が伴って無いっていうかさ。他人任せも、もう限界だ。かといって、逃げ出せない……」
「逃げ出したくない?」
「そう」
オウカの補足に同調した。
「そう。逃げっぱなしじゃ、いかん。だから言ってるんだけどな、頑張るところが違う、ってな」
ディーナが二人の会話の間に割って入る。
「自分の心に嘘をつかないで生きていたい。けれど、貴方の心は『遊び』を求めている?」
「突然だな。……まぁ、そう思うよ。自分の将来の為にやってるのか、周りの機嫌を取るためにやってるのか……みたいなさ。もちろん、前者が正しいよ。なんだけど、■■という立場にあって、基礎を身につけようとしない。自主練習もしないのでは、やっぱり……■■は落ちていく一方だっていうことで。今までずっとしがみついていたイメージを持っていたけれど、本当はもう、崖から落ちている。そう思うんだよ」
「父さんってさ。ツイッターを見ている時もそうなんじゃないかと思うんだけど、『未来のこと』よりも『今起きていること』のほうを知りたがるよね。でもそれって結局、未来につながっていくことじゃないの?」
「うん?」
「なんか、うん。やっぱり、間違ってると思うよ? 父さんの、その……何事も切羽詰まりながら考えるクセ。窮屈なほうが好きだってことはわかるけど、やっぱりそれって、自分を傷つけていくだけだと思うんだけど」
「ああ。……これからどうしていくか、というのを言ってもいいか?」
「いいけど?」
「今まさに切羽詰まってる状況なわけさ。そんな中で出来ることと言ったら、手数を増やして、アタマをフル稼働させるぐらいのことだ。一年や二年寿命が縮まるぐらいのやつだ。正直、そこまでして生きたいか? と俺も思うんだが……俺はまだ、しがみついていたい。」
らいがは麦茶をあおった。
「小説はやめない。なにかを諦めるつもりもない。だからかな……なんもかんも、歪んで、間違っていく。自分が何してるんだか分からなくなって、冷たいことも言われる。わかってる。」
ジョッキの底をテーブルに叩きつける。ハンマーのように。
「だから、スマン。一人に……独りにさせてくれ」
「……くす」
「ふふっ」
二人は笑った。
「今更、言うまでもない……か?」
くすくす、とディーナは笑って応える。
「そうじゃないわ。貴方の、何かを考えているフリ。何も考えていないから無茶をして、咄嗟のことに対応ができない。それを悪いと言うんじゃなくて……むしろ、それをもっと理性と結び付けられたら、貴方は自分の感情をもっとコントロールできるハズだと思うのよ、私は」
「コントロール……ね」
「父さん? 私、楽しみにしてるのよ。今度のこと」
「あぁ……」
テーブルトークRPGのことだ。彼女は、そのプレイヤーキャラクターなのだ。
「その時になって、泣きそうな顔見せないでよ。ね?」
「……スマン。もう一杯」
オウカの手で、臓腑を冷やす麦茶が注がれる。
「ありがとう……」
宴の喧騒が、三人の席にも届いてくる。
七峰らいがという男は、たとえ一人であっても、孤独でありすぎることはない……。
真に勝手ながら「最後の一葉が散る前に」を長期間休載させていただきます。
連載再開は八月中旬と考えております。
今後とも、「最後の一葉が散る前に」をよろしくお願いいたします。




