第2章 聖戦の始まり -1-
桐矢がIT研究部に入部した、ちょうど翌週。
真夏日の日差しの差し込む昼休みのこと。最近実装されたクーラー装備もあまりに安物すぎて、窓を開けた方がまだ涼しいという残念な教室で、桐矢一城は机に突っ伏していた。
「おーい、キリ」
「お茶のCMのイントネーションにするなよ」
彼の背中をシャーペンで突っついているのは、綾野世梨那。幼さを気にしての派手な制服改造は、暑さに負けることなくむしろ見ている側を暑苦しくさせるスキルを解放していた。
「で、キリ君は暑さにやられて突っ伏してるわけなの?」
「むしろ何でお前は、そのフリルまみれで暑さにやられてないんだよ……。あと俺は別に暑さで倒れてるわけじゃない……」
顔も上げないまま桐矢は答える。もう上体を起こす力すら惜しいほど、桐矢は疲弊しきっているのだ。
「先週の火曜日はあんなに元気だったのに。憧れの先輩の部活に入って、楽しくゲーム出来たんでしょ?」
「楽しかったのは初日だけだよ……。それからは、地獄の特訓の日々だ。習得テクニックだけでも、めくりに手動化、慣性ジャンプにキャンセルにエクストラキャンセル、連射チャージにラストインパクト――……。ふふ、ふふふ……」
「あ、キリ君が壊れた……」
虚ろな目をした桐矢が不気味に笑い声を上げるのを見て、綾野は本気で身震いしていた。
「だいたい、土日なんか朝から晩までぶっ続けで十五時間乗ってたんだぜ……? むしろ今日ここまでの授業を耐え抜いたことを誉め讃えてくれ」
「いったいそれは何の部活なんだろうね……」
心底疲れた様子の桐矢を見ながら、綾野は呆れたようにただ苦笑いしていた。
桐矢のしているゲーム――アサルトセイヴ・ヴァーサスが都市伝説の願いが叶うゲームである、ということを綾野は知らない。〈reword〉プレイヤー以外に情報が広まることは望ましくないから、という葵の指示があったから、桐矢は伝えていないのだ。
結果いま綾野が知っているのは、IT研究部という謎の部活動で日がな一日アサルトセイヴ・ヴァーサスに興じている、ということだけである。
「今日も部活なの? ゲーセンで?」
「あぁ」
綾野は部室が新棟であることまでは知っているが、そこにゲーム筺体があるという情報も規制されている。ずっとゲームセンターに行っていると思っているわけだ。
だがしかし、今回に限って言えば桐矢は嘘をついていない。
今日の活動内容は、桐矢のプレイヤーとしてのスキルアップ以外の特殊なことだからだ。
桐矢も詳しい内容はまだ聞かされていないが、どうやらゲームセンターに行かなければいけないことだけは把握できた。
「分かってるとは思うけど、今週の日曜日はケーキバイキングだからね?」
「あぁ、嘘ついたお詫びだったな……」
あまりの忙しさに、綾野もその予定をすっぽかされるのではないか、と不安になったのだろう。
綾野についた嘘というのは、レポートを写させてもらう代わりに都市伝説を検証する、という例の話である。もちろん桐矢はそんな検証もせず、あまつさえレポートは相馬に手伝ってもらっている。
そんなあまりにも綾野を無下に扱った罪を償うべく示された案が、ケーキバイキングのおごりだったというわけだ。
「部活あっても、上手いこと熱出たとかでごまかしてお前の方に付き合うよ」
「そりゃ当然の対応だね。――でも大変そうだねぇ。そういう忙しいの大嫌いな人でしょ、キリ君」
「ほっとけ」
桐矢は適当に軽口を返したものの、綾野の言葉を聞いて少し疑問を抱いていた。
自分は怠惰な人間である。その自覚はあるし、しかし反省も向上心もない。必要最低限の労力で人並みに生きられればそれでいい、くらいの気概しか持ち合わせていない。漱石いわく、ばかの類だ。
だが今の桐矢はそういうやる気のなさに関した矜持のようなものを、あっさりと破り捨ててしまっている。土日を部活に潰されてもさほど嫌ではなかったし、こうして疲労しきった状態でも、胸の奥には高揚感みたいなものがある。
原因は分からない。
そもそも、何故アサルトセイヴ・ヴァーサスを続けたのか。
桐矢には必死になって叶えたい夢はない。宝くじが当たればいいなと思いながら、宝くじ売り場を素通りするタイプだ。
そんな自分が、どうして?
そう思わざるを得なかった。
葵の為なら、たまたま手に入った願いを叶えるチケットくらいは献上しようと思ったのか? だが、そんなへりくだった精神は持ち合わせてはいないはずだ。
――結論だけははっきりしていた。
ただ桐矢は、何かを叶えたいと思ったのだ。
確かにあの瞬間、葵からこのゲームで願いが叶うと聞かされた瞬間、どうしてもその可能性に賭けたくなったのだ。
その願いが何なのか、ということだけが、自分でも分からないままに。
「――キリ君、またぼーっとして、どしたの?」
はっ、と葵の言葉で桐矢は我に返った。
「むー」
「どうしたんだよ」
何故か脹れている綾野に、桐矢は「だから子供に見られるんだって」という感想はそっと胸にしまいながら尋ねていた。
「あたしと話してるのにぼーっとしてるとか、キリ君のくせに生意気だ」
「何でお前は上から目線なんだよ」
「どうせ葵先輩のことでも考えてたんでしょ。キリ君やらしー」
「どうしてそうなるんだ」
よく分からない内に綾野は不機嫌になっていた。これだから綾野の扱いは面倒なんだ、と思いながら桐矢は冷静にその原因を分析する。
「……、」
そして、そんな不機嫌になる理由に桐矢は一つピンと来て、手を叩いた。
「どうしたのキリ君」
「……ヤキモチなのか?」
「は?」
「幼なじみって恋愛ものの定番だもんな。でも悪い、俺そんな気は――」
「キリ君、マジでキモイ」
どぶに落ちた上に消費期限はとっくに切れて腐った大福を見るような、そんな人を向けるとは思えないくらいの蔑んだ瞳だった。
「あたしはキリ君があたしの手足のように動かないと気が済まないの」
「お前、自分がどれだけ傍若無人なことを言っているか分かってるか?」
「そしてそこに恋愛感情などありはしない! ただただ物としての支配欲さ!」
「前言撤回、傍若無人じゃなくてただのゲスだそれは」
桐矢が物扱いされて傷ついた目でツッコむ。
もっともそんな桐矢を見てドS心が満たされたからか、綾野は少しだけ機嫌を取り直していたが。
「まぁ頑張ってきなよ。いいところ見せようと頑張るけど空回りして、恥ずかしい黒歴史を更新しながら、最終的には葵先輩に見捨てられるといい」
「全くもって励ましてねぇな、お前……」




