第3章 封印の剣 -6-
イクスクレイヴが爆発に呑まれると同時、ブルーローズの砲門が火を吹いた。
僚機を巻き込んでしまう可能性があるうちは、流石の葵にもどうすることも出来なかった。手助けをしたくとも、あのレベルの高速戦闘に割って入るのは、ブルーローズの機体スペックでは無理がある。
だがその制約が解き放たれたれた途端、それはブルーローズとヴォルフアインの死闘が幕を開けた。
『――だが、甘い』
しかし、ヴォルフアインはそれを見越していたのか即座にバックステップで回避行動に映っていた。
無数のミサイルの嵐は、全て虚空へ消えていく。
「……、二度目はないか」
おそらく、サフィロスがやられた原因程度は推察したのだろう。プレイヤースキルや機体スペックを鑑みれば、アクイラ撃破直後のサフィロスを葵が倒したことなど、すぐに分かる。
分かったのなら、自身もそれに警戒するのは当然のことだ。
『その程度かい?』
言葉の直後。
赤い翼が煌めく。
散々っぱらイクスクレイヴと対峙してきた葵だからこそまだ反応できるが、尋常ならざる速度だ。ブルーローズの射程距離ギリギリに立っていたというのに、二基の間にあった距離は瞬く間に詰められていた。
「――っ!」
根本的に、ブルーローズは重装甲機体だ。速度では圧倒的に不利となる。バックステップでの交代を試みるが、そんなものは何の慰めにもなりはしない。
威嚇や牽制としてシンフォニアビームライフルを撃つが、あの巨大な翼が小刻みに震え、最短距離でそれらは躱されてしまう。
対イクスクレイヴ戦で慣れているとは言え、それでもその速度を封じることは出来ない。
サイ・リアファルやイクスクレイヴに対して葵が優位に立てたのは、機体の速度から攻撃力、ダウン値に至るまで全てを網羅する圧倒的な知識量と、それを元に戦いを組み立てるだけのプレイヤースキルがあったからだ。
知識量がどれほどかは分からないが、ユウキのプレイヤースキルはおそらく葵を超えている。数少ない葵の武器が失われた時点で、もはや勝機などない。
巧みなステップで結城との距離を開こうとするのに、差は縮まるばかりだ。
(機体性能が違い過ぎる……っ!)
歯噛みする間にも、その赤い悪魔は迫る。
ヴォルフアインの右腕が、外燃機関じみた音を迸らせる。
刹那。
速度を急激に上げたヴォルフアインの右手は、ブルーローズの左腕に喰らいついていた。
赤い光が溢れ出る。同時、ブルーローズの機体が甲高いアラートに包まれ、激しく揺さぶられる。
見れば、ブルーローズの左腕が消失している。今の一撃で奪われたのだ。
(ツいてなさすぎる……っ)
たった一度の攻撃で二十パーセントの部位破壊を引き当てるなど、最悪もいいところだ。
おまけに、砕かれたのは左腕だ。
大量のミサイルをばらまくセレナーデも、ビームライフルのシンフォニアも、連想機関砲のアリアも、近接戦用のパイルバンカーさえ使えない。
『君の機体が左に武装が偏っていることは、知っていた。そして、この宇宙ステージでは自慢のゴスペルも使えないだろう?』
見透かしたようなユウキの声に、葵は何も言えなかった。
ブルーローズ最大の武器はミサイルポッドのセレナーデではなく、右に背負った五連装ビーム砲――ゴスペルだ。
だが、今回の戦闘中で葵は一度もそれを使わなかった。
否、使えなかったのだ。
ゴスペルはビーム砲でありながら、チャージ射撃は同時に凄まじい反動が生じる。その為、左のパイルバンカーを地面に突き立て支えとしなければ撃てないよう、あらかじめ設計されているのだ。
だが、この宇宙空間に足場となる地面は存在しない。申し訳程度に小さな隕石の小片は浮いているが、あれでは足場とするには心もとないだろう。
通常射撃であればまだ使えるが、それでもリロード時間が長すぎる。チャージを込みでの運用でなければ、まともに使える武器ではない。
つまり、ブルーローズは初めからゴスペルを失った状態で戦っていたに等しいのだ。そこにきて、左の全ての武装が奪われた。
使える武装は、もはやだだ一つ。近接戦闘用の高周波ブレードのみだ。
だがそれは、あの格闘に特化したヴォルフアインに、同じ間合いで勝負を挑むということに他ならない。
挙句、葵は格闘の攻撃力増加の改造はほとんど行っていない。同じ数だけ打ち合うことが出来たとしても、先に耐久値を失うのはブルーローズだ。
はぁ、とため息をつく。
勝機はもうない。
ここで諦めたとしても、もう誰も文句を言わないだろう。何より、あの最強のチーム『ラティヌス』を相手に、ここまで善戦したのだ。賞賛されこそすれ、罵られることはない。
自分に言い聞かせるように、笑ってトリガーから手を放そうとする。
だが。
その寸前で、葵の脳裏に、自分の放った言葉が蘇る。
――諦めたり、しない。
――わたしは桐矢君を、諦めたりしないよ。
あぁ、そうだった。
きゅっと唇を引き結び、葵は前を向く。
自分はこのチーム『エンデュミオン』のリーダーであり、相馬旭を、桐矢一城を率いているのだ。自分を慕い真っ直ぐについて来てくれた二人の前で無様に白旗を上げるなど、あってはならない。
彼らが傍にいてくれることに、甘えてはいけない。
彼らが一緒にいたいと思える人間にならなければいけないのだ。
この場で諦めることは、その道を捨てるということ。彼らの優しさに甘え、自らの努力を放棄する。それは、自ら彼らを手放すのと同義だ。
がしゃりと、ブルーローズの右腕が動く。
腰に差した高周波ブレードを抜き払い、眼前の赤い悪魔と対峙する。
その様子に少し驚いたのか、ユウキは追撃に出る前に声を漏らす。
『……君は、賢い人間だと思っていたんだけどね』
「どういう意味かな?」
『色付きのイクスクレイヴならまだしも、ただの機体ではこのヴォルフアインには絶対に届かない。たとえ君が、僕より優れたプレイヤーであろうともだ。そんなこと、君なら分かっているだろう?』
その通りだ。葵立夏の操るブルーローズでは、逆立ちしたってヴォルフアインには勝てないだろう。長年ASVをプレイしてきたからこそ、桐矢のような奇跡が起こらないことは百も承知だ。
きっとこの場でリザインするのが、正しい選択なのだろう。たとえしなかったとしても、負けるのは葵の方だ。
そんなことは、分かっている。
分かった上で、戦うと決めた。
「諦めたく、ないんだよ」
笑みをこぼして、葵は言う。
――きっと、桐矢君は気付いていないんだろうな。
実は、葵は随分前から桐矢に通信していた。ただ彼はあまりに戦闘に集中していたせいで、そのことには気付いていない様子だったが。
だから、葵は聞いている。
桐矢が『ラティヌス』の誘いを蹴ってまで、自分を選んでくれたことを。
そのことが、どうしてか無性に嬉しかった。分からないけれど、胸がどきどきした。
彼が自分を選んでくれたのなら、それに見合った人間でなければいけない。
そうでなければ、いずれは離れて行ってしまう。自分の兄がそうであったように。
だから、葵立夏は諦められない。
たとえ敗北するとしても、最後のその瞬間までトリガーから指を放しはしない。
「わたしは、最後まで足掻くよ。彼が道を切り開いてくれるなら、わたしはその先を照らす光になる。そう決めたから」
『――そうか。君が羨ましいよ』
そう言って、ヴォルフアインは突進する。
カウンターを狙って、ブルーローズの高周波ブレードも甲高い音を立てる。
刃と腕が交差する。
ブルーローズの刃は、ヴォルフアインの顔面を掠め、後方へ流れていく。
ヴォルフアインの右腕は、ブルーローズのマスクへ喰らいついた。
炎が爆ぜる。
葵の眼前には、空しく光る『LOSE』の文字だけがあった。




