第3章 封印の剣 -3-
ブルーローズに乗った葵立夏は、ただ眼前の敵を見据えていた。
どこかで見たようなフォルムの機体だった。しかし、葵の知るいずれの機体とも完全に合致することはない。
名は、サイ・リアファル。解放条件がシビアすぎて、このインターネット隆盛の時代ですら、その機体の全容を示した記述はどこにも見当たらない謎の機体だ。
外見は、白をメインカラーにした翼の生えた騎士だ。色付きではない為、白以外にも赤い色も目立つ。
だが、相手のラティヌスは今まで数字持ちと色付きしかメンバーにしなかったと聞く。だからこそ彼らのチームはつい先日までは目の前のリアファル抜きの二人で戦っていた訳だ。
そこに現れたこの機体もまた、周囲の予想通りの数字持ちだ。
肩に刻まれた刻印は『No.8』
全性能が一・二倍という恐ろしいアドバンテージを持っている。
最大限の警戒を示す葵を余所に、しかし、一本の通信要請が入る。
それは、共通チャンネルの一つ。――つまり、眼前の敵からの通信だ。
「……何の意図があるんだろう?」
この状況下で話しかける必要性を葵はまるで感じない。そもそも対戦中に話しかけたがる方が、実はマイノリティだったりする。それだけアサルトセイヴの操縦が難しく、会話に頭のリソースを避けないということでもあるが。
しかし、通信を遮断する理由もない葵は、とりあえずそれに応えることにし、軽く画面をタッチして応答する。
通信が繋がった瞬間だった。
『いきなり乙女の顔面蹴る!?』
飛んできたのは、ただの怒号だった。思わず、葵は目を丸くする。だがそれに気付く様子もなく、まくしたてるように相手は喚く。
『蹴りよ、蹴り! 足裏で乙女の顔面を踏んだのよ!? 本当に信じらんないんですけど!』
「えぇ……。そんなことで怒られるの……?」
所詮はただのゲーム、それもその機体自体に当然ながら性別はないのだ。そんなお叱りを受けるとは葵も想定外だった。
しかしそのリアクションを聞いた相手から、一気に怒りが冷めたような声がした。
『……その声、もしかして、女の子?』
「うん」
『えー……。何か怒ってた私がバカみたいじゃん……』
急激にテンションが落ちていくリアファルのパイロットに、葵は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「別に女子のプレイヤーは珍しくないよ。ストーリーモードなんかは女子の方に人気が高いって聞くし」
『あー。イケメンの男と男の友情がメインになるルートとかあるしねぇ……』
マイクの向こうでうんうんとうなずく声がする。
『――まぁ、同性だからって手を抜くわけにはいかないんだよね。これでも、一位の褒賞とかチームリーダーの座とか、いろいろかかってるし』
「元々、わたしは誰が相手でも本気だよ。――うちのチームの実力を考えれば、イクスクレイヴもアクイラも勝率は五分五分だろうしね。最低限、わたしが勝たないことには勝機がない」
『……それ、要するに勝利宣言? かわいい声してるけど、ちょっと挑発にしては安っぽくない?』
しかし、そうは言うものの、その声に乗っている感情は紛れもなく『怒り』であった。
『まぁ、うちのチームで私だけ敗北とか格好悪すぎるから、こっちだって意地でも負けられないんだけどさ』
「じゃあ、簡単だね」
そう言って、葵は笑う。
「小細工も交渉も、戦況を鑑みる必要さえない。ただ、全力で戦おう」
『オーケー。分かりやすいのは私も好きよ』
返事を聞いた直後だった。
葵のブルーローズの左腕部の装甲がスライドし、そこから直接砲門が露出した。それと同時、その銃口が火を噴き、無数の弾丸をばらまいた。
MWA-55 アリア 連装機関砲。
ブルーローズの左腕に直接装備された機関砲であり、鈍重なこの機体においてモーション、射撃、着弾までの全てにおいてトップスピードを誇る、速さのみを意識した武装だ。
気取られることさえなければ、ほぼ確実にヒットする。あの桐矢のイクスクレイヴでもなければ、後出しで躱されることはまずあり得ない。
だと、いうのに。
眼前のサイ・リアファルは、その弾丸の嵐をまるで踊るように躱して見せた。
それどころか、反撃とでもいうように左手で腰のビームライフルを抜き払ってさえいた。
「――ッ!?」
思わず、葵は驚愕から息を呑んだ。
さすがに立て直しは早く、射撃後の隙を突かれる前に動き出してリアファルと距離を取り直していたが、しかし、それでも驚きは消えない。
背の翼は、ただ似ているだけかと思った。
だが、今の速度はごまかしようがなかった。
「今のは、イクスクレイヴの……っ?」
『ざーんねん。知っての通り、私の機体はサイ・リアファル。イクスクレイヴじゃあない』
マイクの向こうで、彼女は笑う。だがこのアサルトセイヴ・ヴァーサスでかなりの知識量を誇る葵が、その判断を間違えるわけがない。
「イクスクレイヴじゃなくても、その背中の翼はまず間違いなく高推力スラスター翼……。でもリアファルが解禁されたのはごく最近。ヴォルフアインの大翼が褒賞だったイベントには参加できない」
『……あれ、もしかしてもうバレた?』
「つまり、サイ・リアファルはデフォルトでその翼をもつ機体。ITS-GWシリーズの機体なんだよね。――でも、それじゃあ説明がつかないよ。イクスクレイヴやその試作機たちは、あまりの速さから射撃管制システムが組めなくて格闘装備に特化した、っていう設定のはず。リアファルの装備は、どう見ても万能型だよ」
『おー、よくやり込んでるね。ストーリーにも詳しい〈reword〉プレイヤーって案外少ないんだけど。――なら少しヒントを上げようかな。本当にGWシリーズは、イクスクレイヴが最後だった?』
「――ッ! まさか!」
その言葉で、聡明な葵は気づいてしまう。
GWシリーズのほとんどは試作機であり、唯一完成した機体はITS-GW10 イクスクレイヴのみである。
だが、後継機の存在がなかったわけでは決してない。
ITS-GW11という、無名の機体。これは高推力スラスター翼と特殊なフレーム装甲の素体までが完成した状態で、対向組織に奪取されてしまっていた。そうしてそれを、本来のものではないイクスクレイヴの設計図を基に無理やりな改造を繰り返し、完成された機体。
それが、AGF-GW01 クロスワン・バスタードだ。
だが考えてみればいい。
このASVにおいて、ストーリーは無限に広がっている。ほとんどのルートではその無名の機体は奪われクロスワン・バスタードとなっているが、果たして、本当にそれで全てか?
例えば。
「たった一つのルートで、バスタードの元になった機体が奪われることなく、最後まで完成されたGWシリーズがいたっておかしくはない……」
『大正解。それが私の愛機、ITS-GW11 XI Lia Failよ』
それはつまり。
イクスクレイヴやバスタードでさえ型遅れと称してしまえる、このASVの中で最も新しい機体だということ。
あらゆる技術が詰め込まれた、当代最強を約束された機体である。
『何世代も前の射撃機体が相手じゃ、このリアファルの相手は務まらないわよ』
言葉と同時。
リアファルの翼が煌めき、一直線にブルーローズとの距離を詰めた。
通常、射撃特化型の機体は高速移動に不慣れだ。それは地上では反動を殺す為に機体の重量が求められる上に、イクスクレイヴのような高機動では弾が流れてまともに当たらなくなるからだ。
だが、それらを全て管理し制御できるシステムがあれば、話は別だ。
目の前のリアファルは、容赦ない速度で突撃しながら、左手のビームライフルを撃つ。それさえ、この速度下では反応さえままならないレベルの必殺の一撃となり得る。
きっと、まともなプレイヤーだったならダウンまで持ち込まれていただろう。高機動の射撃機体など見たこともないのだから、対応できるはずもない。
だが。
「――結局、イクスクレイヴの格闘の間合いが射撃の射程圏内にまで伸びただけ、って思えばさして攻略が難しい訳じゃないよ」
葵はそう呟いて、その射撃をあっさりと躱してみせた。
それだけの実力が、彼女にはある。その上で、イクスクレイヴとの戦闘は嫌というほど積んできたのだ。多少の差異があっても、対応できない範囲ではない。
――はずだったのに。
『そうあっさりと済ませられちゃう訳にはいかないのよね』
声があった。
直後。
完全に躱したはずのブルーローズが、衝撃に包まれた。
「な――っ!?」
アラートが鳴ったとほぼ同時に攻撃を受けていた。しかし、カメラアイに納めている限り、リアファルが射撃モーションに入った様子はなかった。
敵機の応援かとも考えたが、しかし、違うと葵は否定する。全員がそれぞれをマークしている現状で、こちらに攻撃する余裕を自分の仲間たちが与えるとは考えにくかった。
『さっきさ。あなたは私のリアファルを万能型だって言ったわよね? でも、それは違う。――だって私の機体は、全方位高機動射撃型だもの』
倒れたブルーローズの視界が捉えたのは、宙空を漂う翼の一部だった。――いや、それはおそらく、ただの破片ではない。そこには確かに砲門が存在するのだから。
「自立型のライフル……っ!?」
他のゲームならよくある装備だったかもしれない。
だが少なくとも、このASVでそれが実装された機体はほとんどない。あったとしても、それはいわゆるイロモノの機体で、大した性能はなかったはずだ。
それを、目の前の最新鋭の機体は搭載している。
その意味を葵が理解しない訳がない。
『これならリアファルの高機動に関わらず自由に射撃が撃てる。そして、この自立型ライフルに気を取られていれば、本体の私にハチの巣にされるって訳』
高機動の弱点を埋めた上で、的確に相手を潰すほとんど見たこともないような武装だ。これが相手では、流石の葵も即時の対応は難しい。
高機動かつ全方位の射撃。それを躱しながら、敵機に確実にダメージを与えていかなければいけない。
「……これは、対戦相手を見誤ったかなぁ……」
ショートステップの速度なら、ブルーローズよりアクイラの方が上だ。こう言ったとき、弾丸の雨霰を掻い潜るにはあのスリムで素早い機体の方が向いていただろう。
とは言え、それはもう後の祭りだ。――第一、リアファルの性能がはっきりしていなかった以上は、あの采配が最善だったことにも間違いはない。
「問題は、この特殊で使い勝手のいい装備を、決勝まで温存させていたってことかな。それが出来てしまうだけのプレイヤースキルがあるっていうのは、かなり厳しいかも」
『お褒めに与り光栄、って言いたいけど。その重そうな機体で私の初撃を躱された時点で、あなたの方がよっぽど上手いって言うのは分かってるから』
マイクの向こうの相手に、気を抜いた様子は見られなかった。さすがに、出会い頭に顔面蹴りを喰らっただけあって多少は警戒されているらしい。
「……こっちが受けた攻撃は二発か。とりあえず、そのお返しはしなきゃね」
しかし、その警戒をものともせずに葵は言う。
同時、ブルーローズの左肩に背負われた四角いミサイルポッドが、その装甲を開いて照準をリアファルへと向けた。
瞬間。
無数のミサイルの嵐が、リアファルを襲う。
『――ッ!?』
驚いて回避行動に出ようとするリアファルだが、もう遅い。
葵は大会の間、このミサイルポッド《セレナーデ》から放つミサイルの種類をかなり限定していた。
それも、そうとは悟らせないよう次第に。
セレナーデに装填できるミサイルの種類は、榴弾、徹甲弾、クラスター爆弾の三種。順に発射から弾着までの時間が短くなっている。
最初は三種のミサイルを全て使っていたが、二回戦以降では比較的速度の遅い徹甲弾と榴弾に絞って行き、準決勝では発射から着弾までの時間が最も長い榴弾しか用いていない。
桐矢たちを警戒し対戦映像を見ていればこそ、その速度が目に焼き付いてしまっている。
だからこそ、そのミサイルは全てリアファルの身を貫いた。
『どこが二発分のお返しよ!?』
「喋ってると、また当たるよ?」
ダウンから起き上がったリアファル目がけて、葵はそのままセレナーデの一斉射を連続して放つ。
放ったのは、先程のクラスター爆弾とは違い、徹甲弾と榴弾だ。ほとんど同時に放ったが、元々の速度差によってそれは見事な時間差攻撃となる。
結果、避け損ねたリアファルの身が無数のミサイルに貫かれ、爆ぜた炎に呑みこまれた。
「結構いけたかな」
葵は嬉しそうに呟く。
実際、この攻防だけで既に葵はリアファルの耐久値を三分の二にまで削っていた。
一方で、ブルーローズの耐久値はまだ八割以上残っている。
元々のコスト差から生じる基本耐久値の差や、数字持ちというアドバンテージを鑑みれば、数百は上だったリアファルの耐久値を、ブルーローズと肩を並べるまでには落としたはずだ。
これが、葵立夏の実力だ。
熟達した腕を持つ相馬旭をプレイのみで屈服させ続け、同時に、たった二人だけでAランク昇格ミッションの手前まで歩を進めた、紛うことなき猛者の一角なのだから。
だが、そんな状況でも葵は決して楽観視しなかった。
(とは言え、それでも勝機は決して濃くない)
そもそも、機体のスペック差が開きすぎているのだ。
ゲームであるからある程度の調整がなされているとはいえ、それでも最新鋭機と古参機体ではやはり最新鋭の方が性能はいい。その上で、彼女の機体はラティヌスの一角に相応しい、No.8の数字持ち。
チームリーダーであるが故に最も改造ポイントを注いだブルーローズでさえ、おそらくこの機体のスペックには届かない。
(でも、この勝負は残機ゲージシステムを使えない。そして、このゲームは一度負ける方向に流れたら、撃墜されて再出撃するまで立て直すのが困難なのがこのゲーム。それが封じられている以上、押しているのはわたしの方だ)
冷静に、どこまでも客観的に葵は状況を分析する。――だが同時に、最悪の可能性も脳裏をよぎる。
そして、それはいま眼前に。
『……頭は冷えた』
ぞくり、と。
抑揚の消えた声があった。
立ち上がったリアファルへ放った追撃は、全てあえなく躱された。
「――ッ!?」
一度ダウンを取られれば、形成を立て直すのは至難の業だ。それは、立ち上がるという動作が必須であり、その後の数瞬しかダメージ無効の恩恵を得られないから。
となれば、自ずと行動は後手に回ってしまう。ダウンさせた方の機体が、戦局を選択する権利が得られるのだ。
にもかかわらず、目の前のリアファルはその当然を覆した。
『負けっぱなしは性に合わないからさ。次は、私の番だ』
リアファルの四枚の翼のうちの左右一対の翼が、割れるように分解され、先ほどの自立ビームライフルが射出される。
撃ち出されたのは二基。一対は完全なスラスターであるはずなので、いま射出した基幹となる二枚の翼が、この移動型ビームライフルのユニットなのだろう。撃ち出されたライフルの大きさを考えるに、最大数は六基だろうか。
宙を漂うライフルの射線から逃れるために、ブルーローズを小刻みにステップさせつつリアファルと距離を取ろうとする。
だが。
『その程度の速度で、このリアファル・セグメントから逃れられると思った?』
射出された自立ビームライフル――セグメントが、姿を消した。
直後、背後からの衝撃でブルーローズが前へ吹き飛ばされる。あの葵でさえ、回避どころか目視すら間に合わなかった。
「――速すぎる。まさか、このセグメント一つ一つにスラスター翼と同じ機構を搭載しているの……っ!?」
ダウンしたブルーローズを見下ろすリアファルは、顔など動くはずもないのにどこか余裕の笑みを浮かべているようにさえ見えた。
『高機動なのがGWシリーズの売りでしょう? セグメントがリアファル本体より遅いなんて、装備として欠陥じゃない』
当然のようにリアファルの使い手は言うが、それは絶望的な言葉だった。
それはつまり、実質的に七機のGWシリーズの機体を相手にしなければならないということだ。数字持ちでも色付きでもない葵のブルーローズでは、勝ち目などほとんどない。
『さぁ、形勢逆転といきましょうか!』
放ったセグメントが回収され、新たなセグメント二基が射出される。
立ち上がったブルーローズは、既にリアファル本体とセグメントに囲まれていた状態だ。
「――ッ!」
だが流石に葵もタダではやられはしない。背後からの攻撃をほとんど勘だけで回避してのけて、そのままリアファルへと立ち向かう。
だが、リアファルの恐るべきはそのセグメントだけではない。
左に構えたビームライフルは十分な性能を持っているし、右手に構えた大剣はイクスクレイヴの持つアスカロンとほぼ同等だ。
リアファル本体へ攻撃を試みるブルーローズだが、それを躱され、あまつさえ本体からの反撃さえあった。それを捌いていれば、すぐさまセグメントが再射出されて緊急回避を強いられる。
「この戦い方、絶対に玄人だ……っ!」
葵は、呻くように呟いた。
リアファルはごく最近に解禁された機体だ。そして、〈reword〉の数字持ちのような特殊機体はライセンス発行時に付与される。つまり、解禁後に登録しなければ、数字持ちのサイ・リアファルなど手に入れられない。
だから、葵はどこかで彼女の初心者だろうと侮っていた節がある。それは当然の判断とも言えるだろう。
だが、このプレイはまず間違いなく熟達者のそれだ。
経験と機体に、明らかな乖離が生じている。
『お察しの通り。元々、友達と一緒に一つのライセンスカードでプレイしてたの。半年くらいはそれでプレイしてて、最近になって自分のが欲しくなって作ってみたら、それが〈reword〉だっただけ。あなたの想定通り、私は決して初心者じゃない』
その言葉に、葵の顔に陰りが生じる。
立ち向かったところで、これだけのベテランが相手では即座に反撃を決めることは出来ない。そして、悠長に戦っていれば再度セグメントが射出されてダウンをもぎ取られてしまう。
そして、その懸念は当たってしまう。
何度か攻撃を仕掛けたブルーローズだがそれらは全て躱され、その度に放たれたセグメントの攻撃をどうにか回避してみせていたが、ついにそれを受けてしまったのだ。
激しい衝撃にコクーンが揺さぶられ、ブルーローズが闇に沈む。
『どうしたの? まさか、その程度で終わりじゃないわよね?』
彼女の安易な挑発に、葵は口を尖らせる。
だが、それでも彼女は冷静を保っていた。ダウンしたブルーローズの中で、葵は落ち着いた思考を張り巡らせる。
(今の攻防で分かったのは、セグメントの射出間隔は最短で三秒ってこと。二基ずつ射出、待機が四基って考えれば、おそらくは自動リロードの間隔が一発あたり三秒なんだろうね)
だからこその、このローテーションなのだろう。
そこまで分かれば、葵のすることはただ一つ。
(まずはセグメントを一基でも破壊する。この手の自立武装には、まず間違いなく個別耐久値が設定されているはずだから)
僅かでもこのローテーションにヒビを入れれば、その時点でセグメントの脅威は半分以下に減る。あとは一基ずつ地道にセグメントを破壊すれば、リアファルなどもはやイクスクレイヴ以下になり下がる訳だ。
(同時に、この手の自立武装は使用者が移動をある程度制御できるのは不安要素かな。けどそれは、この膝の間のサブタッチスクリーンを使うはず。セグメントの操作を優先すれば、どうしたって本体の操作が出来なくなる。そこを突く)
この宇宙ステージの為に葵が桐矢に教えたように、このASVは両手で左右の操縦桿を倒すことで移動する。片手を放せばその場で動きを止めてしまうのだ。
つまり、葵がセグメントを狙う限り、リアファルは自機の耐久値かセグメントのどちらかを犠牲にしなければならない。
勝機は見えた。
「行くよ」
静かに、しかし凛とした声と共にブルーローズが立ち上がる。
即座に左右から挟んでくるセグメントの一基へ、照準を切り替える。
『なるほど、そう来たか』
楽しげに笑うリアファル使いを無視して、葵は引き金を引いた。
寸詰まりの砲身を持った短機関銃にも似たビームライフル――シンフォニアが火を吹き、ビームの弾丸がセグメントの一基を潰さんと迫る。
しかし。
すっ、と。
滑らかな動きで、セグメントはその銃撃を躱して見せる。
「――っ。なら、本体だよ」
ステップで射撃後の隙を消し去り、即座に照準をリアファル本体へ切り替え弾丸を放つ。これで確実にダメージを与えれる――はずだった。
『甘いんだなぁ、それが』
言葉と同時だった。
手を放し、最早動けるはずもないというのに、リアファルはその銃弾すら躱してしまった。
「――ッ!?」
『残念でした』
言葉と共にリアファル本体のビームライフルが放った三連射の銃弾を受け、ブルーローズはダウンし、黒い宇宙に無様に浮かぶ。
残り耐久値は四八八。既に半分を下回っていた。
「どうやって……っ!」
『それは企業秘密かな』
はぐらかす相手に、普段は温厚な葵も思わず舌打ちしてしまいそうになる。
今のは完全な作戦だったはずだ。持ち得る知識や経験の中では、最善手だったという自負さえある。
それを目の前で覆されれば、精神的な余裕すら奪われるのは道理だった。
――それが、並のプレイヤーであったなら。
(……落ち着こう)
ダウン中は追撃の恐れはない。とは言えすぐに自動で立ち上がってしまうが、それでもダウンの間は唯一、落ち着いて思考を張り巡らせることのできる貴重な時間だ。
まして、この決勝戦は時間制限がない。
ゆっくり、冷静に。
その言葉を繰り返して、葵は一度目を閉じる。
(どうして、避けられた?)
圧倒的な操縦テクニックで、放した手を即座に操縦桿に戻した? ――あり得ない。すぐ傍にある高度操作レバーならまだしも、サブタッチスクリーンと操縦桿は離れすぎている。急いで掴もうとすれば、どんな熟達したプレイヤーでもその勢いで機体制御をミスする可能性が高い。百発百中で掴めない限り、この状況下でそんな方法は選べない。
では、自動で避けるシステムがあった? ――それもあり得ない。それは最早、ゲームバランスを著しく破壊する行為に他ならない。いくら機体性能が高かろうと、ASVの運営がそんな機体を用意するとは考えられない。
(じゃあ、視点を変える。どうすれば、操縦桿から手を放さずにサブタッチスクリーンを触れる?)
その疑問に切り替えた瞬間、葵はハッと気づいて目を見開いた。
「ま、さか……ッ!?」
よぎった答えに、思わず顔をしかめる。そして、ほとんど確信を以って呟くように葵は言った。
「足で動かしてるの!?」
その答えに、リアファルの使い手は否定しなかった。それはほとんど肯定にも等しいものだ。
「本気……?」
通常、膝と膝の間にあるサブタッチスクリーンを足で動かそうと思えば、どんな体勢になるか。少し考えれば分かる話である。ましてそれが、女の子であったなら。
『ちょっと! 女を捨ててるみたいな声で非難するのやめて!』
「いや、でも……」
『画期的じゃない! 足の二つのペダルは同時に踏まない訳だし、だったら車のブレーキとアクセルよろしく片足で操作したっていいし! 空いた足で足りない部分を補ったってさ!』
何故か力説している彼女だが、それはつまり、彼女の中でも「この方法はないわー」と心のどこかでは思っているということの裏返しのような気がした。
「パンツ見えるよ……?」
『コクーンの中は閉鎖空間だしスパッツ履いてるわよ! それでも映像通信は死んでもイヤだけど!』
そういう問題ではないのでは……? と思わなくもないが、しかしあまり追求する気にはなれなかった。何より、重要なことが残っている。
「それに、ばっちい……」
『乙女のおみ足は超絶綺麗だっつーの! それにプレイ前後にちゃんとアルコール消毒してますー!!』
葵の正直な感想に、ほとんど泣きそうな声でリアファルのプレイヤーが返す。
しかしこんな方法とは言え、それでも誰もが考えつかない有効な手段であることは、葵も認めざるを得ない。
まして、それをなす為には相当柔軟な身体が必要だし、足だけでセグメントを操作するのも中々鍛錬の要る行為だ。マナーやらモラル、女のプライドと言ったメンタル的な話を除けば、この戦法は確かにリアファルと非常に相性のいい戦い方ではある。
「……そうまでして勝ちたいんだね」
『哀れむのやめて貰っていい……?』
もはや怒りすらにじみ始めた相手の声に、葵はため息をつく。プレイ法としては非常に残念なものだが、しかし葵には打開策がないのだ。
『どんな手段にしても、私がリアファル本体とセグメントを同時操作できるっていう事実に変わりはない』
「そう、だね」
『セグメントのローテーションを崩せない以上、あなたに勝機があるとは思えない。でも、あなたは善戦した方よ。私がここまで追い詰められたの、〈reword〉を始めてからうちのリーダー以外にいなかったし』
確かに、十分な善戦と言えるかもしれない。機体性能にこれだけの開きがあって、それでも耐久値を三分の二にまで削ってみせたのだ。
エクスカリバーが欲しいと言っても、そこまで切羽詰まった想いはない。元々、このイベントは桐矢に成長を実感させる為に参加しただけで、そこまで戦力増強が必要ではなかった。むしろ、二位の褒賞でも十分すぎるくらいだ。
自然と、戦意が失われていくのが分かった。けれど葵にはもうどうしようもない。
『あなたはよく戦った方だよ。それに、私も甘く見過ぎていた。――もしかして、リーダーはあなた?』
「そうだよ」
『そう。なら安心した』
リアファルを操る女は、その声音に、嘲りにも似た笑みを乗せていた。
『私があなたを倒せば、あなたのところの他のメンバーにうちの面子が負ける道理はないもの』
その言葉は、確かに強者が抱く感想としては真っ当なものだった。
だが。
そのたった一言で、失われつつあった輝きが取り戻されていく。
それは、まるで燃え盛る業火のように。
「……あのさ」
その代わりとでも言うように、葵から放たれたのは酷く冷たい声だった。
内に滾る熱い業火とは裏腹に、その瞳もまたすっと冷え切っていく。
その声に、マイクの向こうで女が息を呑む音がした。たった一言だけで、それだけの恐怖を与えたのだ。
「わたしは、どう思われたっていいんだけどね。――わたしの何よりも大事な仲間を侮辱することだけは、絶対に許さないよ」
立ち上がったブルーローズが、左の柱――セレナーデを抜き払う。
同時、リアファルは迷いなくセグメントを放ち、ブルーローズを囲んだ。囲んでしまった。
ビームが放たれるよりもわずかに早く、セレナーデの砲門が開放される。
『それくらい、私のリアファルなら――ッ!?』
言葉はそれ以上続かなかった。
何故なら。
目の前で放たれた無数のミサイルは、リアファルとセグメント、計三つを完全同時に狙っていたからだ。
相手の思考が完全にフリーズしたのか、リアファルは回避行動さえ取らずに立ち竦んでいた。冷静でいられれば、セグメント一基を犠牲にすれば本体ともう一基を守ることは出来たかもしれない。だがその判断の余裕を奪われたのだ。
無数のミサイルは、そのままリアファルとセグメントを撃ち貫いた。小さな翼の欠片は、その一撃で爆散し、リアファルもまたまともにダメージを喰らいダウンする。
「わたしのブルーローズは、面性圧力特化の機体だよ。多対一を想定している以上、マルチロックオンはデフォルトだよ」
『……忘れてた、っていうよりは、この戦闘の中で使わないで過ごすことで、私の思考をマルチロックオンを想定しないよう誘導してたでしょ』
「何のことだか」
葵は適当にうそぶいて見せる。
完全にローテーションは崩せた。それでも本当は、この攻撃は最後の局面まで取っておきたかったのも事実だ。これでもうリアファルは、マルチロックオンくらい簡単に躱してしまうだろうからだ。
だが、策がなければ勝てないほど、葵立夏は優しくない。
「おいで。わたしは、何が何でもあなたに勝ってみせるから。わたしが代わりに、わたしの仲間の強さを証明してみせるから」
『……怒っちゃったのは分かったけど、それでも私の勝利は揺らがない。勝っているのは、私の方だ』
相手のその答えは、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
起き上がると同時に放たれたセグメントを、葵は左腕の機関砲で撃ち抜く。いくら相手のプレイヤースキルが高かろうと、最大で三十発放たれ続ける銃弾の全て躱し続けるほど繊細な機動は、足だけでは不可能だからだ。
「もう半分だね」
『舐めないで――ッ!?』
その言葉に確かに焦ってしまったのだろう。
何のことはないセレナーデの爆撃をリアファルは受けてしまう。――セグメントの回避に気を取られ過ぎて、本体への反応が遅れてしまったのか。
「確かに、あなたは強い。けれどそれでもセグメントを操作する限り、頭のリソースは分割されてしまう。戦えば戦うほど反応は遅れて、判断の正確さは欠けていく」
『舐めんじゃないって言ってんでしょ!』
ダウンから立ち上がったリアファルが、即座に手に握ったビームライフルで反撃する。
セグメントを警戒していた葵の反応が遅れ、その三発の銃弾に沈む。
『頭のリソースはあなたも同じでしょう。セグメントに警戒しながら本体にも警戒する、なんていうのは不可能。どっちかに偏った瞬間に、こうしてダウンを取られる』
「分かってる。だけど、それでもわたしの勝ちは揺らがない」
立ち上がったブルーローズが、真っ直ぐにリアファルへと突き進む。
突撃。
射撃機体がそんな行為をすることを、リアファルは想定していなかった。そこに動揺が走り、慌ててセグメントを放って立ち向かおうとする。
そうまでしなくても、近接戦になって有利だったのは、格闘機体の同型だったリアファルの方だっただろうに。
迫る二発のビームライフル。しかし、葵にセグメントを破壊する余裕はなかったし、そのつもりも端からなかった。
緑の閃光が、紺碧の機体を射抜く。
そこでダウンするはずだった。
『――ッ!?』
またしても、リアファルが動揺する。
沈むべきだったブルーローズの巨躯が、僅かによろけただけで立ち向かってきたからだ。
「ずっと、セグメントを二発ずつ使っていた。つまり、二発分でちょうどダウンが取れるようになってるんだろうね」
葵はそう言いながら、ビームライフルの銃口をリアファルへと突き付ける。
「一発でも躱せれば、ダウンまでは取られない。だったら、上手く引きつけてギリギリで一発だけ躱せば、勘違いで隙が生じてくれる。――ちょうど、今みたいにね」
解説と共に引き金を引いた。
間近で放たれた散弾のビームは、全てリアファルへ吸い込まれた。激しく火花を散らしながら、白い機体は崩れ落ちる。
残りのリアファルの耐久値は、二割程度だろう。
「わたしの勝ちだよ」
『まだ全然残ってる。それに、耐久値で言えばあなたも似たようなものでしょう!』
叫びながら、残されたリアファルを一斉に射出し、それが彼女の傍で待機する。
手には、ビームライフルが。
『この攻撃範囲は、流石にその鈍重な機体じゃ躱しきれな――』
「だと思ってたんだよ」
その言葉に、向こうが凍りつくのが分かった。
そう。葵はここまで読んでいた。
追い詰められた相手が、最後の大技を繰り出すことも。
それはおそらく、回避も防御も間に合わないだろうと。
だから。
「わたしの方が早かった。ただそれだけだよ」
待機していたセグメント全てが、ミサイルに撃ち貫かれる。同時、本体と共に爆炎に包まれた。
セレナーデの榴弾の一斉射。それを、リアファルがセグメントを展開させるよりもわずかに早く葵は放っていた。
戦闘モーションに入っていても、ステップでキャンセルは出来る。だが、それは足をペダルに乗せていればの話だ。
セグメントの操作に片足を防がれていれば、いくら何でもとっさに回避は出来ない。車のアクセル、ブレーキの踏み替えにだって空走時間というものが必要なのだから。
そして。
その僅かが、この場において致命的な隙となっていた。
「セグメントは全て破壊した。あなたの耐久値もほとんど残っていない」
一方で、ブルーローズも確かに追い込まれて入るが、それでも耐久値は二百以上残している。まだあと一撃喰らったとしても全損には至らない。
『……認めるわ。あなたは強い。だから、きっとあなたの仲間も強いんでしょうね』
「分かってくれて何よりだよ」
『――けど』
その声に、諦観は見られなかった。
むしろ、その逆。
『勝つのは私よ!!』
跳ね起きたリアファルは、背中から一つの大剣を抜き払った。刃の部分にビームが展開され、それは全てを焼き切る一振りとなる。
同時、背のスラスターを限界まで光らせてリアファルは突撃する。
『GWシリーズの真骨頂は、格闘戦よ! 間合いにさえ入れれば、わたしの勝ちよ!!』
一度格闘の間合いに入られれば、確かにブルーローズに勝機はない。二度ほどコンボを決められれば、あえなく散ってしまうだろう。
そして。
この高機動は、ブルーローズには追いつけない。なす術なく斬り伏せられる可能性は、十二分にあった。
しかし。
「それは、わたしじゃなかったらね」
言葉と同時。
まるで踊るようにブルーローズは身を傾け、簡単にリアファルの刺突を躱してしまう。
『――ッ!?』
「わたしのチームには、あなたよりも速いイクスクレイヴがいるんだよ? ――ついでに、わたしはイクスクレイヴ相手に負けたこともない」
リアファルの数字持ちとしてのアドバンテージは、全性能が一・二倍。しかしチームメンバーのイクスクレイヴの色付きとしてのアドバンテージは機動力が一・五倍だ。単純な速さだけ見れば、イクスクレイヴの方が上だ。
そして、葵はそんな彼と日々戦ってきた。
今さら格闘戦に持ち込まれたところで、葵が負ける理由はない。
『――ここまで追い込まれた時点で、私の負けだった訳か』
突撃でスラスターゲージを使い切ったか、なす術を失くしたリアファルへ、葵はシンフォニアの銃口を向ける。
「もっかい言うね。わたしの勝ちだよ」
『えぇ。――次やるときは、絶対に負けない』
引き金を引いた。
桃色の光線がリアファルの身体を射抜く。同時、機体は炎に包まれ燃え散った。




