第3章 封印の剣 -2-
灰色の空間に、白き巨体が立っていた。
背には翼と二振りの剣。
たったそれだけに全てを注いだ結晶が、その目に光を灯す。
「――桐矢一城」
宣言する。
それは、勝利に飢える獣のように。
あるいは、輝きを返す刃先のような鋭さで。
「イクスクレイヴ、出撃する!」
擬似的なGが白い繭の中を包む。
そうしてコクーンの中に映し出されたのは、真っ暗な世界だった。
広域宇宙ステージ。
少ない隕石以外に遮蔽物のない、プレイヤーの腕が試される高難易度ステージだ。
白い翼をはためかせて、イクスクレイヴは適当な位置で滞空姿勢に入る。
横に降り立つのは、紺碧の重機体と狙撃銃を携えた機体。――ブルーローズとアクイラだ。
「俺はヴォルフアインを引き付ければいいんですか?」
『というより、桐矢君はそのままでも向こうから来ると思うよ。うちのチームの中で一番のハイスペック機体は、桐矢君のホワイトカラーのイクスクレイヴだからね』
『だからむしろ、桐矢君には移動してもらった方がいいかもしれない。僕のアクイラじゃ引き付けるような武装はないから』
『そうだね。リアファルの方はわたしで何とかするから、桐矢君も相馬君への協力よろしく』
「了解です」
答える桐矢たちの遠くに、三つの何かが集合する。
そこにカメラを合わせてズームする。
紅蓮にその身を染め翼を得た、破壊の獣と化した機体――Wolf Eins。
深緑に包まれた盾そのもののようにさえ見える重厚な機体――Sappheiros。
白を基調とし、四枚の翼を携えたさながら大天使のような機体――XI Lia Fail。
いずれも色付きか数字持ちの、恐ろしいほどに洗練されたチームだ。ただ姿を見せただけで、思わず身震いするほどの威圧感が合った。
カウントダウンが始まる。
数字がゼロになった瞬間に飛び出して来たのは、白い翼を閃かせたサイ・リアファルだ。
「来た……っ!」
リアファルの狙いは葵のブルーローズのようだ。真っ直ぐに突進し、背中から剣を抜き払う。
思わず桐矢も身構えてしまう。
自分の担当はヴォルフアインだが、しかし、葵が序盤から窮地に追い込まれるのであればマンツーマンなどと言っている場合ではないからだ。
しかし、桐矢のそれは杞憂で、その斬撃がヒットすることはなかった。
いつの間にか前に出ていたブルーローズの蹴りが、そのリアファルの顔面を叩きつけていたからだ。
リアファルとて初心者ではないだろうに、そんな単調な格闘を喰らってしまった理由は一つだ。
「……先輩、端からロックかけなかった……っ!?」
こちらがロックをかけなければ、敵機には警戒表示も映らないし、格闘や射撃前の警告音も鳴らない。事実上、目の前にいたとしてもステルス攻撃が可能だ。
だがそれは、機体を完全に自力で制御しなければならない。そんな真似はそうそう出来るものではない。
だからこそ普通は、カウンターとしての手動化なんていう、一瞬だけ自分で制御し、即座に自動に戻す技を覚えるのだ。初めからロックをかけない機体制御を続けるなど正気の沙汰ではない。
まして、葵のブルーローズは射撃機体だ。完全な主導での機体制御で不慣れな格闘攻撃をヒットさせるとなれば、相当の腕が必要となる。
それこそ、桐矢では足元にさえ届かないレベルに。
『リアファルは予定通りわたしが吹き飛ばして距離は稼いだから。後はよろしくね』
そう言って、葵からの通信は一旦切れた。会話する余裕さえ切って、完全にあの機体に畳みかける気なのだろう。
心配はどこにも要らない。ただ桐矢は、目の前の敵にだけ気を配ればいい。
そう言われたような気がして、思わず笑みがこぼれた。
イクスクレイヴを旋回させ、桐矢はそのままこの戦域から離脱する。アクイラの邪魔にならないよう、早急に戦域を区切らなければならないからだ。
それを知っているのか知らないのか、ヴォルフアインもまたそれに追従するように翼を広げた。
広域ステージというだけあって、六機がばらばらの場所で戦おうとステージの端にぶつかる恐れはなさそうだった。
ある程度距離を置いたところで、桐矢はヴォルフアインと向き合う。
「……始めようぜ、ヴォルフアイン。ずっと待ってたんだ、これ以上焦らすなよ」
『あぁ。僕も楽しみにしていた』
敵機とも通話できる共通チャンネルの一つを用いて、桐矢とユウキは言葉を交わす。
『見せてくれ。君の本気を』
「見せてやるさ。テメェを倒して、俺はあの黄金の剣を手に入れる」
アスカロンを抜き払い、イクスクレイヴはヴォルフアインと対峙する。
静寂。
どこか遠くで、ビームライフルが放たれる音がした。
それが合図だった。
紅と白。二つの機体が、翼から光を放って互いへ向かって突撃する。
赤き腕と白の剣が、眼底を突くほどの火花を伴って激しく衝突した。
アスカロンの切先と、ヴォルフアインの放ったゼロ距離ビームがせめぎ合う。
格闘判定。
格闘攻撃が互いに衝突した際に発生する現象だ。
それに勝つ要素は一つ。威力の高さ、攻撃時間の長さ、発生時間の速さ。この三つのうち二つで相手を超えること。
ヴォルフアインの攻撃力の高さは異常だ。色付き、数字持ち、改造とかけ合わせているせいでおそらくは四倍近くにまで達している。まともにやり合えば、桐矢の方が圧倒的に不利だ。
だが、格闘判定においてその要素で競り負けることは何ら問題ない。
他の二つで圧倒すれば、敵機の攻撃そのものを無効化できるのだから。
「――まずは俺の勝ちだ」
アスカロンの刃が、真紅のビームを切り裂く。
イクスクレイヴはそのまま切り抜け、ヴォルフアインをダウンさせてみせた。
『……なるほど。切り抜け攻撃は、切り抜けが完了するまでは止まらない。攻撃時間の長さはほぼ無限に扱われているだろう。そして、イクスクレイヴの機動力による発生速度の向上。判定に持ち込まされた時点で、僕の負けだったか』
「……次は、判定にまでは持ち込めもしねぇだろうな」
『さすがに同じ手には引っ掛からないさ。――次は、僕の番だ』
跳ね起きたヴォルフアインに、桐矢は全神経を尖らせ警戒する。
しかし、嘲笑うかのように繰り返されるステップを前に、桐矢は対応しきれない。
あっと言う間に作られた隙に、ヴォルフアインの右手が伸びる。
薙ぎ払うような形で左腕を掴まれる。
そのまま、爆ぜる。
「――ッ!」
衝撃がコクーンを揺さぶり、思わず桐矢は呻いてしまう。
一二〇〇あった耐久値は、今の一撃で九〇〇台にまで削られていた。こちらが与えたダメージは、まだほんの数パーセントだというのに、だ。
ただの一撃でさえ、四倍の補正が付いていればこの威力になる。改造されたイクスクレイヴの装甲もほとんど役に立たない。
「……強ぇなぁ……」
思わず桐矢は呟いてしまう。そこには、悔しさのような感情はなかった。
彼我の実力差など戦う前に分かり切っていた。それでも、どこかで勝てるのではないかと思っていた。けれど、ただの一撃すら躱せない自分では、届かないのだと思い知らされる。
それは、どこか憧れにも似た感情だ。
『……リタイアかい?』
「冗談だろ」
それでも、桐矢は即座にその問いかけを切り捨てた。
相手が強いことなど、分かり切っていた。この程度で諦めるのなら、初めから対戦に望んだりはしない。
「俺はもう、諦めないって決めたんだ」
立ち上がったイクスクレイヴは、背からもう一つの両刃の剣――グラムを抜き払う。
左右に大小の剣を構え、イクスクレイヴは動き出す。
元々が高機動に特化した機体だ。その上で、機動力向上のホワイトカラー。
あの赤いヴォルフアインがどれほどの頂点に立っていたとしても、この機体速度は未知の領域にある。
『――ッ!?』
ユウキが息を呑む声がする。
当然だ。
スラストアクセルからの急旋回で翻弄しているのだ。そもそものカメラが追いつかなくなるような速度だ。とっさに回避行動に出ようとしたようだが、遅い。
「同じ手には引っ掛からないんじゃなかったか?」
逃げようとするヴォルフアインの動きが、急に止まる。
それは、イクスクレイヴのワイヤーアンカーに絡め取られてしまったからだ。
右手のアスカロンで、袈裟に斬り払う。
袈裟斬からの左薙ぎ、右斬り上げ、そして刺突で締めくくる四連撃――のはずだった。
「――けどそれじゃあ、威力が足りねぇよな」
桐矢はそう笑っていた。
斬り上げ、刺突へ移行する寸前。
右の片刃長剣と左の両刃剣が、同時に煌めく。
『――ッ! この一撃にそこまでするか!』
驚愕するユウキを余所に、桐矢は想い操縦桿を更に無理やり引き寄せた。
刺突がキャンセルされ、代わりに、グラムで斜めに斬り捨てる。
左右から繰り出される、計五回の連撃だ。イクスクレイヴのあらゆるコンボの中で、最も威力の高いものでもある。
そこへ、桐矢はアスカロンの三連撃から繋いでみせた。
コンボの切り替えはタイミングがシビアで容易に出来ることではない。まして、敵に与えたダウン値が切り替え時に一〇〇を超えてしまえば、コンボを切り替えることなく敵機はダウンしてしまう。
使えるタイミングとそうでないときを見極めるのは、並大抵のことではない。
『流石に、ここまでのダメージは想定外だね』
「そうか」
『だからこそ、僕は君を待っていた』
ヴォルフアインが、ゆらりと起き上がる。
その動きに、桐矢はうすら寒い何かを感じた。
それは、ヒトに残された些細な本能だったのかもしれない。
瞬間。
跳ね上がった様な左腕から放たれたビームの散弾に、桐矢は目を剥いた。
「――っく!」
ビームライフルがあることは分かっていた。それでも、初撃で右手のゼロ距離ビーム砲を喰らったせいで、桐矢の警戒はそこにだけ集中させられてしまった。
とっさに回避を試みるが、半分ほどその弾丸に機体が貫かれる。
よろけが発生し制御不能になったイクスクレイヴへ、何よりも警戒していた右腕が伸びる。
掌の中央のジェネレーターが赤く光り、イクスクレイヴの今日へその光線を叩きつける。
瞬く間に耐久値は下がり、とうとう、初期の半分の六〇〇台にまで落ち込んだ。
白い煙を発しながら伏して宙に漂うイクスクレイヴを、勝ち誇ったかのようにヴォルフアインは見下ろしている。その耐久値ゲージは、まだ八割近くを残している。
『こんなにも心躍る対戦は、久しぶりだったよ』
「……もう勝った気か」
『ここから立て直す手があるとでも?』
ユウキの指摘はもっともだった。
この耐久値の差は、そのまま桐矢とユウキのプレイヤースキルの差だ。その上での、機体のスペック差。
勝てると思う方が、どうかしている。
「……お前に負けてから、ずっと考えてたんだ」
マイクの向こうで語りかけるユウキに、桐矢は小さく応える。
「お前は強いよ。俺なんかのスキルじゃ、絶対に届かない。そもそも一朝一夕で届くような簡単なゲームなら、きっととっくに誰かがクリアしてる」
『分かっていて、何故挑む?』
「勝ちたいからだ」
きっと今までなら、桐矢一城は背を向けていただろう。
強者を前に絶対に勝てないと知りながら、惨めな敗北を味わうと分かっていながら、それでもなお立ち向かうだけの勇気が彼にはなかった。
そんな目に合うくらいなら、彼は全てを諦める。
けれど。
「俺は、あの人の笑顔が欲しいんだ」
それが見られる今の居場所を、絶対に失いたくない。
だから、その為に桐矢は剣を手にした。
「きっと俺が勝ったら、あの人はまた無邪気に、すげぇ綺麗に笑ってくれると思うんだよ。それだけで、俺は、どんな惨めな敗北にだって立ち向かえる。百回やって九十九回負けるって分かってても、その一回の為に俺はお前に勝負を挑むさ」
『……君はきっと、綺麗な心の持ち主なんだね』
ヴォルフアインは立ち上がり、そのままバックステップでイクスクレイヴとの距離を取り直した。
『――けれど、この<reword>は欲にまみれている』
「……知ってるよ」
ユウキの言葉に、桐矢は頷いていた。
その欲の化身のような存在に、桐矢は立ち向かっていったのだから。
藤堂剛貴。
己の欲望の糧にする為に<reword>を荒らしまわり、あまつさえ<reword>プレイヤーを強制退場させる窮地にまで追いやった非道だ。
その彼が言った。
――夢だ希望だ、上っ面で塗り固めんな! このゲームは人が欲望を曝け出し、他者を拒絶し、虐げて! その歪んだ欲を満たす為のモンだろうが!
その言葉を桐矢たちは否定した。けれど、心のどこかでは気付いていたのだ。
それは、確かにこの<reword>の側面の一つであると。
『僕はね、このゲームが楽しいんだよ。けれどそんな欲を前に、この楽しさは薄れてしまう』
「……なるほど」
ユウキの言葉を最後まで聞かずとも、桐矢は気付いてしまった。
「要するに、お前は楽しみたいんだな。この欲望の世界で、子供みたいに純真に」
『そうだよ。そしてそれは、君も同じだろう?』
ユウキの笑みを含んだ声音に、思わず桐矢も笑ってしまう。
結局二人は、似た者同士なのだろう。
『さぁ、続けようじゃないか。こんなに楽しい戦いは、ASVをプレイし出して以来初めてなんだ。時間がもったいない』
「あぁ、俺もだよ。こんな強敵を前にして楽しくなるなんて、俺らしくねぇっていうのにな」
既に彼らの頭に、イベントなどという言葉は存在しなかった。
ただ、己が渇きを潤す為に。
翼を煌めかせ、二つの機体が交差する。
 




