第2章 邂逅 -5-
月初めの水曜日。
着々と駒を進めたエンデュミオンは、思いのほか苦労もなく準決勝もあっさりと勝利を収めていた。
彼らが勝てた原因は、いくつかある。
一つは、敵が戦略を間違えたことだ。
初戦の戦闘映像を見て、敵は陣形を組むことを諦めほぼマンツーマンで戦うことを選択した。
四対三、という数的有利から、第二回戦では白の色付きであるイクスクレイヴを、練度の高い二機で囲むという流れになった。
しかし、まずはそこが大きな間違いであることに、そのチームは気付かなかった。
葵も相馬も、たった二人でBランクまでの〈reword〉ミッションのほとんどをクリアしている化け物だ。四人の中で下位の二人をあてがったところで、足止めできるはずもない。
ブルーローズとアクイラに付いた二機は瞬く間に撃墜され、数は一瞬にして逆転。もはやそこから立て直せるはずもなく、第二回戦は桐矢たちエンデュミオンの勝利に終わった。
第三回戦。
初戦と第二回戦の反省からか、今度のチームはマンツーマンでありながら、今度は葵の方に二機をあてがった。
だが、それこそが一番の愚行である。
葵に好意を寄せる桐矢と、全世界あらゆる女子とその胸に恋焦がれる相馬が、窮地に立たされた姫を助けない道理がない。かつて藤堂剛貴のクロスワン・バスタードと対峙したときのように、怒りを露わにした二人が葵へ牙を剥いた敵機を爆散させて呆気なく試合は終了した。
そして、今日の準決勝である。
接頭語として『変態』が付くが紳士を名乗っている相馬の、第三回戦での狙撃能力を脅威に感じたか、今度の敵は相馬から攻め落とそうとしてきた。近接戦闘に弱いアクイラ相手にその選択は、確かに理に適ってはいた。
だが、葵は自分の相手がダウンした僅かな隙に、相馬のアクイラごとミサイルポッドからの一斉射撃で二機に着実にダメージを与え、そのマンツーマンの戦闘を撹乱した。
葵の「相馬君だし、別にいいんじゃないかな」という言葉と共に、僚機を巻き込んでの面制圧射撃によって敵軍を壊滅状態に追い込み、決勝進出の切符を手に入れた。――直前に相馬がいつものようにセクハラをぶちかましており、葵の行動にはその制裁が含まれていたことは言うまでもないだろう。
そんな訳で。
「やったね!」
「やりましたね!」
決勝進出が決まり、葵と桐矢は素直に飛び跳ねて喜んでいた。――その横で、相馬はブルーローズによる幾度となく続いた一斉射撃で、アクイラを揺さぶられ軽い乗り物酔いにでもなったか、少々青ざめた様子だった。自業自得である。
「よ、喜ぶのはいいけど、次の相手は想定通りあの『ラティヌス』だよ……?」
水を差すように相馬が言うが、確かに、喜んでばかりもいられない。
元々、格上であることには違いない。その上で彼らはこの大会の間、ヴォルフアインの右腕以外で使用した武装は、平凡なビームライフルだけだ。
手の内の全てを隠した上で、彼らはここまで伸し上がって来た。勝つ為には、入念な策が必要になる。
そんな風に意気込んでいたときだった。
ヴヴヴ、と断続的なバイブレーションの音がした。
見れば、葵のスマホに何かの着信があったらしい。
「何ですか?」
「〈reword〉プレイヤーからASVを介して通信が来てるって。正確には、〈reword〉プレイヤー専用のコミュニティだけど」
そう言いながら、葵はそのままスマホを適当な机に置き、スピーカーモードでその通信に応えた。
「もしもし、聞こえてますか?」
『――あぁ、聞こえているよ。急な通信、失礼したね』
答えたその声に、桐矢は聞き覚えがあった。
忘れる訳がない。
たった二日前、街のゲームセンターでたまたま通信対戦した、あのヴォルフアイン使いだ。
「ユーザーネームは本物ですか?」
『もちろんだよ。僕がチーム「ラティヌス」のリーダー、ユウキだ』
その声に、相馬が驚き目を見開く。確認していた当の葵ですら、まだどこか信じ切れていない様子だ。それだけ、彼が通信してくるのは異常なことなのだろう。
『まずは、決勝進出おめでとう。君たちと戦えることを光栄に思うよ』
「ありがとうございます。けれど、負けませんよ」
葵もリーダーとして毅然と返す。こんな時期に通信してくるというのは、よほどの余裕の表れだ。それに呑まれることなく声音に針を乗せた様は、仲間の桐矢ですら軽く身震いするほどの威圧感があった。
「それで、何かご用で?」
『単刀直入に行こうか。――僕は、君たちがあのバグ事件の解決に関わったと踏んだんだけどね、それは正しいのかな?』
「……えぇ。バグではなく、ハッキングによる違法な対戦を続けた〈reword〉プレイヤーがいました。彼と対戦したときの通信データが、逮捕の決め手になったそうです」
『やはりそうか。〈reword〉プレイヤーを勝手に代表するけれど、君たちには感謝するよ。君たちのおかげで、僕たちはまた〈reword〉をプレイできる』
「どういたしまして」
そんなことを訊きに来たのか、と思う桐矢だったが、葵のピリピリとした雰囲気はまだ解けない。それは、通信が切れていないユウキも同様だ。
『そして、アルス・マグナを倒したのとほぼ同時期だと見たけれど』
「彼がアルス・マグナを操縦して、総残機ゲージを全賭けしたミッションが強制的に行われましたから」
『……つまり、その勝負に勝ったと?』
「負けたら〈reword〉から退場しているでしょう?」
そう答えた葵に、端末の向こうの男は笑っていた。
『たった一度の勝負で、あのアルス・マグナにか。――いや、あるいは、それだけそのハッキング犯のプレイヤースキルが低かったのかな』
「何とでも。多少ズルした気もしますけど、それでも、あの勝負に勝ったことは、Aランク昇格に見合うことだと思っています。だからこそ、〈reword〉の運営もわたしたちの昇格を認めたんです」
『分かっているさ。何も僕は、そんな嫌味を言いたい訳じゃない。――ただ、〈reword〉プレイヤーの中には君たちをよく思わない者も出てくるだろう、という話さ』
「ご忠告どうも」
『けれど、それも明日までの悩みだ』
そして、桐矢は画面の向こうで男が笑っているような気がした。
『僕たち相手に善戦すれば、君たちの強さを疑う者は現れない。全力で戦ってほしい』
それはきっと、紛れもない事実だっただろう。
このASV〈reword〉の中で最強と名高いあの『ラティヌス』を相手にするのだ。それはおそらく最高の強さの証明になる。
だからこそ、彼は言外にこう言っていた。
――僕を、がっかりさせないでくれよ?
その意図を正しく汲み取っていたからこそ、奥歯を食いしばって桐矢は吠える。
「ふざけんなよ」
それは、獣の唸り声にも似ていた。
「上から目線で、もう勝ったつもりか」
『……その声は、やはりあの白のイクスクレイヴの操縦者は君だったか』
「覚えてるなら、話が早い。――言ったはずだぜ。あんたの首は、俺が斬るってな」
『……本気で、勝つつもりでいるのかい? 一昨日のノーマル対戦とは訳が違う。僕のヴォルフアインは数字持ちで色付き、そして背にはアルバトロスがある。前回戦ったときとは、最早次元が違うぞ』
「負ける訳に行くかよ」
この戦いには、何かが懸かっている訳ではない。
既に二位は確定している。上位褒賞の狙撃銃か対艦隊剣のどちらかが手に入り、『エンデュミオン』としての大幅な戦力増強は得られる。
総残機ゲージが減る訳でもないし、これに勝ったとしても葵の夢――兄との再会に大きく近づく訳でもない。
だが、それでも。
桐矢一城のちっぽけなプライドが、ここで負けることを是としてくれない。
戦う理由は、それだけで十分だ。
「勝利へ導いてくれるあの人を護るのが、俺の役目だ。だから俺は、死んだって負けらんねぇんだよ」
『……その強い言葉がハッタリにならないことを、切に願う』
その返されたユウキの声に、ぞくりと背筋が震えた。
それは紛れもない殺気だ。
彼と通信対戦したときと同じように、この場にいないはずの彼の気迫が確かに桐矢の身を震わせる。
『では、明日の戦いを楽しみにしているよ。じゃあね』
「……あんたは俺が討つぜ。絶対に」
互いが宣言を終えたところで、通信は切れた。
葵はスマホをポケットに戻しながら、ふぅとため息をつく。
「いきなりの通信だから緊張しちゃったよ」
さっきまでのひりつくような気迫はどこへやら。いつも通りのふわふわした雰囲気を取り戻した葵が、この短い間で乾いた喉を潤すように、ペットボトルの水に手を伸ばした。
「ちゃんとリーダーらしく、毅然と振る舞えていたので大丈夫ですよ」
「こればっかりは相馬君に散々怒られたからねぇ」
「へぇ。そんなに大事なのか?」
「なめられないのは基本だよ。敵が自分より弱いと思っているとき、敵には油断もあるだろうがそれ以上に緊張がない。そんなリラックスさせてやるくらいなら、少しでも焦らせる為に脅しをかけるのが鉄則だ。――あの藤堂剛貴って人は、素でこれをやってたけどね」
相馬の返答に、桐矢は思わず納得する。
「そんなことよりも」
空気を引き裂くように、葵の声がした。
ユウキとの通信で緊張した空気が解けかけていたが、その言葉で一気に場が張り詰めたのが分かる。
「な、何でしょう?」
「一昨日のノーマル対戦って、何?」
にっこりと。
悪魔のような微笑みで葵は一歩ずつ桐矢に近づく。
「一昨日って確か、綾野ちゃんとデートしてたときだよね? わたしが、ゆっくり休むようにって言ってたときだよね?」
「え、あぁ、いや。そのですね……」
「まさかカラオケで体力全消費なんて真似以外に、野良プレイをしてASVを休んでさえいなかった、なんて言い出さないよね? だって、わたしが休むようにって部活をなしにしたんだから」
「い、いやぁ。その、あの、ほんの少しですよ? すこーしくらいはASVをプレイしないともう落ち着かなくなったっていうかですね……?」
「それで? 野良試合でイクスクレイヴを使って、あのラティヌスのリーダーと戦って、自分の手の内を晒したと?」
「……、」
「まさかと思うけど、桐矢君の唯一ハイランカーに通用する技の、手動化までは使ってないよね? あれは、初心者は使えないはず、っていう油断がないと成立しないんだから。そうほいほい見せつけていい技じゃないって、馬鹿でも分かるはずだもんね」
「ど、どっちにしても、あのユウキの反応速度的に手動化は通用しなかったと思ったり思わなかったり……」
「使ったんだ」
もう視線が痛くて痛くていたたまれない。
「――桐矢君」
やがて葵から出たのは、地獄に突き落とすんじゃないかというくらい、ドスの利いた低い声だった。
「わたし、相馬くんみたいに謝れない子は本当に嫌いなんだけど」
「本当に! 申し訳ございませんでした!!」
そら美しい土下座を披露し、桐矢は魂からの謝罪を葵に向ける。
桐矢としては葵に嫌われる訳にはいかないのだから当然だが、プライドがあまりに無さ過ぎて逆に格好悪かった。
「……まぁ、やっちゃったものは仕方ないよね」
しかしその姿を見て許してくれたか、ふっと葵の怒気が消える。
「そもそもただの野良試合であのラティヌスのリーダーに当たるなんて、本当、あり得ない確率だしねぇ……。事故みたいなものか」
うんうんと、一人納得した様子だった。その落差に桐矢はどっちを信じたらいいのか分からず、まだ顔色を窺っていた。
「……そ、そうでしょうか……」
「もう怒ってないから、そんなびくびくしないでよ」
くすくす笑いながら、葵は言う。
「その代わり、絶対に勝ってよね」
「……先輩が望むのなら」
彼女はただの冗談のつもりで言ったのだろうが、桐矢はそれでも、固く誓いを立てた。
桐矢の欲したものは、彼女が全て与えてくれた。
だから、今度は自分が返す番だ。
どんな些細な望みであろうと、どんな無茶な望みであろうと。
始まる前から些少の諦観を抱くことすら、桐矢は自分に許さない。
それこそが、彼女がくれた何よりも大事な心だから。




