第2章 邂逅 -3-
七月最終日の火曜。
それは、アサルトセイヴ・ヴァーサス〈reword〉イベント『封印の剣』の本戦が始まる日でもある。
「私たちは第三試合のスタートになるから、大会が始まったらそう時間はないよ。――準備はいい?」
葵の確認に、桐矢も相馬も無言で頷く。
だが相馬の顔色はあまり良くない。どうやら葵の命令通り、昨日は借金返済に従事させられたらしい。
しかしさして気にする様子もなく、葵は相馬をすっ飛ばして桐矢と向き合う。
「相馬君はさておくとして、桐矢君は昨日しっかり休んだよね?」
その問いに、思わず桐矢はドキリとした。
「――あー、まぁ、ほどほどに」
そう答えた桐矢の声は、ほんの少しではあるが掠れていた。もちろん、それを聞き逃すような葵ではない。
「声、どうしたの?」
「いや、綾野に無理やりカラオケに連れてかれて、条例の時間ぎりぎりまで歌わされまして」
じとっとした目で睨んでくる葵から視線を逸らして、桐矢は答える。
しかも他にメンバーがいたのならまだしも、桐矢と綾野の二人のみだ。多少の色気でもあれば変わるシチュエーションであったが、しかしどちらも完全に異性として見ていない以上はただの歌の殴り合いでしかない。疲れ果て、声が嗄れるのも当然というものだろう。
「……リフレッシュするように、とは言ったけれど、疲れるんじゃ本末転倒だよね?」
「えぇ、まぁ、そうですよねぇ……」
ごごご、という効果音と共に立ちのぼりはじめた葵の怒りに気付かないふりをして、桐矢は必死に目を逸らし続ける。
「そっかそっか。桐矢君は部長の指示を無視して女の子と楽しく遊びたい人だったんだね」
「何か言い知れぬ誤解が!?」
「誤解というよりは半分以上は事実だろうに」
傍で呆れ果てている相馬だったが、葵はすぐに相馬もにらみつけた。
「相馬君も、昨日は途中で借金返済ミッションボイコットしたよね?」
「あ、あれはですね。ちょっと腹痛がですね……」
しらじらしい言い訳に、相馬はだらだらと冷や汗を流している。
じとっと二人を睨みつけた葵は、深いため息をついた。
「よーく分かった。二人とも、わたしのことを舐めちゃってるね?」
「そんなことはないですよ」
軽く否定して見る桐矢だが、葵はその程度では納得しない様子だった。
にっこりと笑顔と共に、葵は大債球の脅しを突き付ける。
「もし初戦敗退したら、全機回しだから」
その言葉に、桐矢も相馬も背筋を伸ばして硬直する。
全機回し。
プレイヤブル機体一五〇〇以上という馬鹿げた数を誇るこのアサルトセイヴ・ヴァーサスで、その全機体とタイマンで勝負、その後、自機をCPUにして、一五〇〇の機体を順に操作して戦っていくという、総当り的なプレイヤー自身のレベル上げ方法だ。
某超長編映画を十本連続で観たとしてもお釣りがくるくらいに時間がかかる、まさに阿呆の極みのような修行だ。
「葵先輩の機嫌が悪い……? カラオケ長時間はそこまでのことだったのだろうか……」
「……いやぁ、部長の不機嫌の原因がそこじゃない気はするけどねぇ」
どこかにやにやした顔で笑う相馬に桐矢は疑問符を浮かべながら、不貞腐れた葵の対処に綾間を悩ませることにした。
「あの、先輩? お茶飲みます?」
「……わたしは別に不機嫌じゃないもん」
「あ、聞こえてましたか……」
とりあえずご機嫌を取ろうと思ったのだが、そもそも失敗していて桐矢は本格的に困りるしかなかった。
しかしそんな些細な喧嘩をしている場合ではない、と思ったのだろうか。
葵は咳払い一つしてその苛立ちを隠し、部長らしく、そしてチーム『エンデュミオン』のリーダーらしく、毅然とした声を出す。
「とりあえず、初戦は腕試し。各々好き勝手動いて、ラティヌスに宣戦布告をするつもりでよろしく」
いつもに比べて随分雑な指令だが、決して悪くはなかった。
あの紅蓮のヴォルフアイン率いるチーム『ラティヌス』の初戦は最後だ。つまり、決勝まで勝ち進まないと桐矢たちとはかち合わない。
「残機システムじゃなくて撃墜されたらその機体はその時点で終了だから、そこだけは注意してね。おまけに、これだと三機しかいないわたしたちのチームはかなり不利になる」
「とは言え、僕たちはベテランですし、色付きのイクスクレイヴ持ちの桐矢君も増えた。負ける道理もないですけどね」
相馬の言葉通り、桐矢たちの実力的にこの本選出場メンバーでは上位にいることはまず間違いない。
桐矢たちのブロックでは強者はほとんどいない。未だAランクに上がろうともしない、あるいはBランクのキーミッションさえ全てクリアできていないようなチームばかりだ。正直、油断さえしなければ勝てない相手ではない。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
その葵の掛け声に、桐矢も相馬も頷く。
「まずは初戦突破だな」
「あぁ。全ては部長の水着の為に」
「……もういいや」
葵自身も相馬のそのやる気にツッコむ気になれず、そのまま三人はそれぞれの白い繭へと乗り込んだ。
既に起動は済ませてあるコクーンの内部では、大会の第二試合の映像が流れている。これが終了したら、桐矢たちの番だ。
今回の対戦相手は、桐矢が普通の機体に乗っていたとしても勝てるであろうレベルの相手だ。いつも通り桐矢が前衛、他二人が後衛に回って攻撃していれば、まず間違いなく必勝パターンに持ち込める。
ある程度の戦術的シミュレートを、イメージトレーニングの要領で頭の中に繰り返しているうちに、第二試合が終了する。
深く息を吸う。
気持ちを『日常』から『戦闘』へと切り替え、桐矢はイクスクレイヴの操縦桿を握り締める。
モニターに映し出されている映像は、既にイクスクレイヴのカメラに切り換わっていた。カタパルトの中の灰色の空間だけが広がっている。
「桐矢一城」
幕を開くように、名を宣言する。
「――出撃する!!」
一気にペダルを踏み込むと同時、イクスクレイヴは戦艦『エンデュミオン』から射出された。
羽を広げ降り立つ桐矢の横では、既に葵や相馬も出撃を終えていた。
葵の機体――ブルーローズは、その名の通り青色に塗られた大型の機体だった。全長そのものはイクスクレイヴと大差はないが、丸みを帯びた分厚い装甲と、背に背負った二つの柱のような巨大な砲を抱えた姿は、威圧感だけで潰されそうだった。
一方の相馬の機体――アクイラは、対照的に平凡なサイズの機体だ。濃い青と緑、そして白の三色で上手く装飾されたその装甲は、迷彩的な役割もあるのだろうか。それに加えて、左肩に接続された半身を覆うマントのようなランチャーガードと、背に携えた長身の狙撃銃が、その特徴的な容姿を生み出している。
そして。
その二機ともが放つ存在感は、まさしく歴戦の猛者のそれだ。
それも当然か、と桐矢は思う。
なにせ彼らは、桐矢がこのASVと出会う前に、たった二人でAランク昇格ミッションの手前まで駒を進めていたのだ。
四人のチームプレイを前提としたこのゲームで、いくらトライ&エラーを繰り返せたからと言って、並大抵の腕前ではそんな真似が出来るとは思えない。
この二人が後ろで控えているからこそ、桐矢は何の気兼ねもなく前に出て剣を振るうことが出来る。
「さて、そろそろか」
既に敵機も出撃を終えたらしく、三十秒のカウントが始まっていた。
ペダルに足を乗せ、開始と同時に突撃する準備を桐矢は整える。前衛の役目の始めに、敵が陣形を作る前に分断することだ。
突撃の格闘でこの開いた距離を詰めようとする輩はまずいないのだが、それを軽々しく成し遂げるだけの機動力が、この白の色付きのイクスクレイヴにはある。
プレイヤブル機体の中でトップクラスの機動力に、色付きとして一・五倍のアドバンテージが上乗せされているのだ。CPUでもなく、まして初見の相手であれば、そのASVでは見たことのないような速度を前に動揺し、硬直する。
それが今回の桐矢の狙いでもあった。
カウントが、残り三を切る。
突撃の為に神経を尖らせる。
そして、全ての数字が消える。
刹那。
突撃した桐矢の後ろから、それを遥かに超える速度で何かが駆け抜けていた。
「――は?」
思わず足を止めたイクスクレイヴの眼前で、まだ機体名すら確認していない敵機四つが無数の銃弾のような何かに押し潰されるように倒れた。
――これは、クラスター爆弾。
ブルーローズの左肩側の四角柱の砲――セレナーデ対セイヴミサイルポッドから放たれた、情け容赦の欠片もない一斉射撃である。
もし桐矢が足を止めていなければ、イクスクレイヴごと巻き込まれていた可能性すらあった。
「ど、どういうこと……?」
今までにない先生攻撃の仕方に動揺する桐矢だが、それは相馬も同じようで、アクイラも銃を構えることさえなく呆然と立ち尽くしている。
やがてダウンから起き上がった敵機四人だが、ダウン直後の無敵時間が切れる寸前で放たれたセレナーデの第二射に巻き込まれる。
今度は榴弾だ。瞬く間に四機は爆炎に包まれ、恐ろしい勢いで耐久値を削られていく。
もはや、桐矢も相馬もやることがないレベルだ。
「……もしかして」
葵が悠々とセレナーデからミサイルを撃ちまくる様を眺めながら、桐矢はある事実に気付く。
「葵先輩、めっちゃ不機嫌なんじゃ……?」
そんな桐矢の思考を裏付けるように、ブルーローズから今度は徹甲弾が打ち出され、四機を撃ち貫いていく。
「お、怒ってるなぁ……。やっぱり昨日遊び過ぎたのが原因かな……? ちょっと、あとで本気で謝っとこ……」
この怒りがそのまま自分に向けられたら、桐矢もどんな目に遭うか分からない。
その憂さ晴らしの相手にされた敵チームを不憫に思いながらも、桐矢も相馬も武器を抜くことさえなくノ―ダメージで勝利を飾ってしまうのだった。




