第2章 邂逅 -2-
残念ながら、なろうコン2次審査で落選しました。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
当落に関わらず第2部は続きますので、どうか最後までお楽しみください
明けて、月曜日のこと。
「……いい加減に機嫌なおしてよー」
「うっせ」
この上なく不機嫌な顔で、桐矢一城は繁華街を歩く。
傍にいるのはギャルギャルしい格好に身を包んだ綾野世梨那だ。桐矢の機嫌を確認するかのように、さっきからチラチラと下から覗きこんで彼の顔を見ている。
「はぁ。キリ君はこんなに心が狭いから未だに葵先輩と何の進展も――」
「ぶん殴るぞ、お前……」
桐矢の機嫌を損ねる原因を作った癖に一ミリも反省していない綾野に、彼も多少の殺意を覚えるのだった。――まぁその原因もまた桐矢にあるので、どっちもどっちという気はするが。
「しょうがない。ケーキバイキングに行く前にキリ君の大好きなゲームセンターに連れて行ってあげよう。そこでアサルトなんとかをすればいい」
上から目線でたしなめるように綾野は言った。どこか母親っぽいその口ぶりは、ギャルっぽい格好には似合わなかった。
「アサルトセイヴ・ヴァーサスな。――いや、でも別にいいよ」
だが桐矢はそれを断った。正直、ASVはこの数カ月で腐るほどやりこんでいる。楽しくない訳ではないが、疲労度の方が大きいし、何より、葵から休むようにと言われているのにプレイしてしまうのは良くないだろう。
「遠慮しなさんなって。あとキリ君どころかあの葵先輩もハマってるんでしょ? ちょっとくらいプレイしてみたいな、っていうあたしの願望さ」
綾野ははにかみながらそう言った。彼女なりに、やはり桐矢に気を使ってくれているのだろう。
実際、彼女が呼び寄せた藤堂剛貴のせいで、桐矢たちは〈reword〉から退場させられる寸前まで追い詰められている。事実は知らずとも、そして形式的には謝っているとは言え、それでもまだ少しいつものように強気な態度は取れずにいるらしい。
そんな彼女の対応を無下にするのは、普段ぞんざいに扱っている桐矢としても多少の心苦しさを覚えてしまう。
「……まぁ、〈reword〉でプレイしなきゃいいか」
「りわーど?」
「こっちの話だ」
そう言って適当にごまかし、桐矢は渋々といった様子ではあるが綾野に連れられて近くのゲームセンターに寄り道するのだった。
敷地に足を踏み入れた途端、やたら鳴り響いているゲーム音が鼓膜に突き刺さった。だが、それ以上に圧迫感が押し寄せてくる。夏休みに入ったということもあって、平日の昼前でもかなりの人でごった返していた。
「凄い込んでるね……」
うへぇ、とでも言いたそうに綾野が心の底から嫌そうな顔をする。自らここに連れてきたというのに、もう「帰りたい」と思っているのが丸分かりだ。
「そりゃ夏休みだしな。ASVは人気ゲームだし待ち時間とかあるかもよ」
「……やっぱり、あたしはキリ君のを見てるだけでいいや」
「そうですか」
さっそく飽き始めてベンチを探そうとする綾野にため息をつきつつ、桐矢は奥の筺体が立ち並んだブースを目指した。
幸いと言うべきか、並んでいるのはほんの数人だった。更に、待ちがいるときのルールも徹底されているようで、数プレイで筺体から人は降りて、次の人に譲られている。これならさほど待たずにプレイできそうだった。
「あそこの中央モニターにプレイ画面が表示されるはずだ。ちなみに俺のプレイヤーネームは1-toyaな」
「りょーかい。せめてカッコいいところ見せてよ?」
そう言って綾野は桐矢から離れ、その中央モニターの見える位置でベンチに腰かけていた。ゲーム好きな男からはその可愛い容姿に「え? この子なに? 誰かの彼女? 誰かの妹?」だとか「どちらであろうと、連れのアカを見つけてボコれ! 二度とこのブースに足を踏み入れさせるな!」だとかいう声が聞こえてきたのだが、桐矢は気付かないふりをした。
そんなこんなで、カップ麺が出来上がるくらいの時間で桐矢もコクーンに入れた。
見慣れた白い繭の中は、やはり普段桐矢が載っているものと比べても変わりはない。
ぐるりと内部全てを覆う巨大な球面モニター。中央に鎮座した座席シート、両手の操作レバーに左手の特殊操作レバー。足元にはステップペダルとジャンプペダルが二つあり、膝で挟むような位置にはタッチサブモニターがある。――もちろんペダル操作の邪魔にならないよう、サブモニターは足元ではなく前方のモニター下部に設置面を有している。
少し違うとすれば、普段の桐矢が乗るものに比べて使用頻度や稼働時間に差があるからか、いくらか汚れたり内装の一部が剥げたりしているくらいだ。
そのまま見慣れたような見慣れないような、微妙に落ち付かないシートに腰かけ位置を調整し、起動する。
今回は〈reword〉モードをキャンセルし、ただの一般人としてプレイし始める。〈reword〉や部活の筺体ではお金がかからず、そのおかげで初期に入れた千円がそのままカード内に残っているので、数回のプレイには支障がない。
トントンと何度かタッチパネルを押してフリー対戦モードを選択する。
すると、画面いっぱいに無数の機体の顔が表のようにして映し出された。相手を決める前に、まずはプレイ機体を選ぶ必要があるのだろう。
適当にその画面をスクロールさせながら、桐矢は自分がプレイしやすそうな機体を探していく。そこで、ふと白い機体が目にとまった。
「お、イクスクレイヴあるじゃん」
葵の話ではストーリーモードのある一ルートを進めていないと解放されないらしいのだが、ある程度時期も経ったことで一般解放されたのだろうか。――あるいは、<reword>の方で獲得した機体であるから、解放条件を満たした扱いになっているのかもしれない。
「こんなの、イクスクレイヴ一択だろ」
そもそも桐矢はイクスクレイヴ以外触れたことがない。〈reword〉と違い色付きでもなければ改造もない為、いくらか使い勝手は悪いだろうが、それでも他の機体を選ぶ理由がなかった。
そのまま決定を押し、部屋と呼ばれるサーバーをランダムに選択して、対戦待ち一覧を見る。
「……よく考えたら、俺戦績なしなのか」
初心者のカモだと思われてか対戦申請が山ほど来るが、葵にしごかれ続けた桐矢からすればそんなみみっちい真似をするようなレベルの敵は相手にならない。
気晴らしとは言えそれなりに楽しめるバトルがしたい桐矢はその全てキャンセルして、そのまま自分で対戦相手を探すことにした。
そこで、一つの名前に目が行った。それはまるで、吸い寄せられるかのように。
「ヴォルフアイン……?」
その機体は、イベントで敵対するかもしれないあの赤の色付きの機体と同じものだ。
だが、それは酷く珍しくもあった。
正式なヴォルフアインには、翼はない。あれは〈reword〉のプレイヤーがイベントの褒賞で手に入れたものだからだ。その上で右腕の武装はゼロ距離ビーム砲の一つしかない。ピーキーな機体すぎて、あまり使われることは少ないと聞いていた。いるとしても、機体を見た目やストーリーで選ぶようなタイプだろうと思っていた。
だが、そのプレイヤーの成績を見て桐矢は愕然とする。
「……『Lotus-yuki』勝率、八十三パーセント……?」
それは、あり得ないほどの好成績だった。
上級者で、かつ対戦相手に勝てそうな相手ばかりを選んでいれば、そんな成績の者もいるだろう。だがしかし、このユウキという相手は、使う機体が一般的には扱いづらいとされるヴォルフアインだ。
高い勝率を誇るほとんどのプレイヤーが、バスタードのような『強機体』と言われる部類に固まっているのに対し、そのプレイヤーはあまりに浮いて見えた。
「……イベント前に傾向と対策は練れるか」
あの赤の色付きのヴォルフアインのプレイヤーとは流石に違うだろうが、同機体の上級プレイヤーとなれば戦い方など十分に参考になるはずだ。
勝率八割越えの相手に対し無謀な挑戦だというのは理解した上で、それでも迷わず桐矢はその相手に申請を送っていた。
成績が皆無な初心者の相手をしてくれるかどうか怪しいところではあったが、幸いにもOKの返事が出て、無事に対戦が決定した。
選択された残機ゲージは六〇〇〇。互いのコストを考えれば、どちらも二機撃墜された時点で敗北となる。
ステージ選択は広域砂漠。その他の細かな設定は全てデフォルトだ。
*
画面が、出撃前の灰色のカタパルトの中を映し出す。
「……行くぜ、イクスクレイヴ」
普段の純白のカラーとは違うが、それでも白を基調としたその機体に桐矢は声をかける。
そして、一気にペダルを踏み込みカタパルトから飛び出した。
空中で翼を広げ、イクスクレイヴは右の長剣を抜き払う。
刃の部分が抉れたような構造になっており、そこにグリーンのビームが照射されあらゆる物を切り裂く高熱の刃が形成される。
そのまま砂の地面へとゆっくり着地し、桐矢は敵を待った。
時を同じく敵の戦艦から射出されたその機体は、濃いオレンジをメインカラーにしたヴォルフアインだ。
当然赤くはないし、イベント上位褒賞だったという翼もなく、右腕は金属で出来た義手のように銀色で塗り潰されている。イクスクレイヴと同様に、今は完全に正規バージョンだ。
なのに。
桐矢はその姿を見た瞬間、軽く体が震えていた。
戦闘開始は両機体が出揃ってから三十秒後。それを待つ間は両者の機体は操作できない。それにもかかわらず、桐矢は直感していた。
成績ゼロの桐矢の相手をするのだ。向こうには初心者に対する油断があるのではないか、と桐矢はどこかで思っていた。
だが、それを否定するだけの気迫がモニター越しに伝わってくる。
科学的にはあり得ない。操作できない以上は立ち居振る舞いにも変化はないし、声が聞こえた訳でもない。殺気、などというものが相手のコクーンから光通信ケーブルを通して桐矢のコクーンにまで伝わってくるなど、考えられない。
それでも、桐矢の肌はそれを感じ取ってしまっていた。
だからこそ、気を引き締める。
今までなら敵の方が強いと分かれば逃げ惑っただろうが、桐矢はもうそれを辞めたのだ。
全ては葵の剣となる為に。
自分の些細なプライドなど葬り去ってでも、桐矢は勝利を渇望すると決めた。
「……叩き潰すぞ」
覚悟を、言葉に変える。
それと同時、『GO!!』の文字が映し出されて戦闘が開始された。
左のビームライフルで牽制射撃をするが、それは当然回避される。
だが、しかし。
「――ッ!?」
その動きを見て、桐矢は驚愕に顔を染めた。そして、即座に理解した。
眼前の敵は、あの紅蓮のヴォルフアインだ。
その動きには、確かな見覚えがあった。改造されていないこともあって緩慢ではあるが、それはたった一度だけ、しかし確かに映像で見た。見間違いなどあり得ない。まだまだ初心者とは言え、それでも葵たちとあれだけプレイしてきたのだから。
信じられないと、自分でも思う。だが何よりも自分の直感を疑うことほど馬鹿げていることもないだろう。
「――はっ」
だが、桐矢は笑っていた。
彼がそのラティヌスに所属したヴォルフアイン使いであることは確信した。まさかこんな野良試合であのヴォルフアインとぶつかるなど、奇跡的にも程があるが。
「こんな巡り合わせは二度とねぇよな」
だがそんな驚愕よりも桐矢の心中を埋め尽くす感情があった。
それは。
獰猛なまでの戦意だけだ。
「だから、見せつけてやる。そしてイベントまで忘れんじゃねぇぞ」
通信は切ってある。それでも桐矢はそう呟いて、突撃した。
左の武装を剣に持ち替える。小細工抜きに、イクスクレイヴの全霊を以って叩き潰す為だ。
それを迎え撃つように、ヴォルフアインの銀の腕が光る。
突き出される右腕。
格闘のコマンドを出すのは、桐矢の方が遅れた。ぶつかり合って格闘判定にもつれ込んだとしても、一撃で部位破壊を起こすだけの武装が相手では威力の面でも競り負ける。
だから。
桐矢はその右腕を躱してのけた。
一瞬、ヴォルフアインが驚愕したかのように、確かな隙を作ったのを桐矢は見た。
手動化。通常ロックオンした状態ではアサルトセイヴは互いに向き合ったままで、相手の射線どころか格闘の自動追尾半径からも逃れられないように出来ている。そのロックオンをあえて外すことで機体を自在に操り、敵の攻撃圏からほんの僅かに逸れるというテクニックだ。
代わりに、ロックオン補正による機体制御は完全に望めなくなるというデメリットがある。操縦テクニックだけで機体を完全にコントロールする必要があるのだ。
それを、桐矢は完全にものにしている。これが桐矢一城の得意技だ。
決まったと、桐矢も思った。
だがそのタイミングでヴォルフアインはステップで格闘の隙をキャンセルし、イクスクレイヴの斬撃を見事に躱した。
「な――ッ!?」
意表を突いた完璧な攻撃だったはずだ。それでもこのヴォルフアインには届かない。それどころか、反撃と言わんばかりに銀色の腕が伸びる。
それはイクスクレイヴの胸を掴み、そしてほぼ同時に紅蓮の業火を浴びせた。
衝撃にコクーンを揺さぶられ、桐矢は思わずうめく。
その一撃には、そのままイクスクレイヴを強制的にダウンさせるほどの威力を持っていた。幸いにと言うべきか部位破壊は発生しなかったようだが、ただの一撃で耐久値は一〇〇以上削られている。元々〈reword〉と違い無改造の状態で耐久値は六五〇しかない。このまま追い込まれれば、為す術なく大破するだろう。
「これがあのヴォルフアインの実力って訳かよ……っ」
その速度に警戒しながらイクスクレイヴを起き上がらせ、桐矢は一度間合いを取り直す。
今の一撃で、右手から放たれる一撃のタイミングは理解した。それを考慮すれば、まだマシな戦いには出来る。
拳を握った状態で突進し、指を開いて機体を掴む。その後、ゼロ距離でビームが放たれる。
改造されている〈reword〉とは違い、機動力もデフォルトのこの試合では桐矢からすれば全ての動きが緩慢に映る。タイミングを見計らってシールドガードで凌ぐことくらいは出来るはずだ。
だからこそ、まずはその攻撃を誘い出さなければいけない。
不用意に突撃してくれるような相手ではない以上、少なくともスラスターゲージを削り合い、ステップによるキャンセルを妨害するところから勝負は始まる。
イクスクレイヴは左の武装を再度ライフルに持ち替える。ヴォルフアインもま
た同様に左手に銃を握っていた。
完全近接戦闘特化の二機の射撃の威力は高が知れている。ただの牽制でしかないが、それでも確かにスラスターゲージを削る役目は果たせる。
機動力重視のイクスクレイヴの方が、おそらくスラスターゲージは多い。敵の攻撃を誘っているとはいえ、ヴォルフアインのスラスターゲージを先に削れる可能性も視野に入れて、桐矢は動いていた。
だが。
(勝てねぇか……っ。基本テクが段違いだ……っ)
長い長い反復練習を得て、基本的な動作は洗練されていく。それはゲームだろうとスポーツだろうと同じことだ。いくら基本であろうと、そこに注いだ時間が膨大であるなら、その動作は『技』の領域にすら到達し得る。
だからこそ。
イクスクレイヴのスラスターゲージが、あっさりと底を突きそうになる。
その隙をヴォルフアインは見逃さない。
銀の腕を光らせて、その機体はイクスクレイヴに突撃する。
(来た! スラスターゲージはほんの僅かに余裕がある。これなら、シールドガードが使えるはずだ。あとはタイミングだけ――ッ!?)
指先が開くのを待っていた桐矢だったが、それは訪れない。
その銀の腕は固く拳を握り締めたまま、イクスクレイヴの頭部を殴りつけたのだ。
「そんなパターンありかよ!」
ダウン値の高い威力だったかよろけが発生し、桐矢のイクスクレイヴは数瞬、完全に制御を失う。
その隙に銀の腕は爪を開き、その頭部を握り潰すような勢いで掴む。
カメラアイが紅蓮の光に染め上げられ、コクーンが激しく揺さぶられる。
「殴ってからの派生もあるのかよ……っ。しかも、今のは完全に俺がシールドガードするのを読んでないと選ばない選択だぞ……」
機体の動きにそこまでのあからさまな感情を乗せたつもりはない。完全に騙せたとさえ思っていた。
だがおそらくは圧倒的なまでの戦闘経験で、ヴォルフアインはこの戦いを読んでいたのだ。
「マジでどんだけやりこんでんだよ……」
隙がまるで見えないその強者を前に、思わず桐矢は笑ってしまう。
だが、そこに諦観はない。
どの道これは何も賭けていないただの野良試合。負けたところで、一セット二プレイの三〇〇円で敗北感を買った、という程度の後悔しかないだろう。
これに懸かっているものがあるとすればそれは一つ。
桐矢一城の意地だけだ。
「……今度はこっちの番だぜ」
そう桐矢が呟くと同時、イクスクレイヴが跳ね起きる。
そして、そのままイクスクレイヴは左手をもう一度ライフルからグラムに持ち替え突進する。愚直なほどに真っ直ぐに、まるで無策であるかのように装って。
敵が警戒しているのはイクスクレイヴの手動化か、あるいはそう見せかけてそのまま攻撃するか、というところだろう。しばらくは戦いの中でもそこばかりに意識が向いているはずだ。
だからこそ、ヴォルフアインはただの様子見を選ぶ。
手動化は回避しながら攻撃する技術だ。それはつまり、敵機に攻撃されなければ価値はないということになる。イクスクレイヴから仕掛ける以上その選択肢はあり得ないし、下手にヴォルフアインがカウンターを狙えば手動化は使いやすくなってしまう。
そして桐矢の武装は左右共に近接武装だ。遠のいて躱し、間合いを外れれば脅威はない。
その桐矢の思惑通り、イクスクレイヴの斬撃が当たるかどうかというタイミングでヴォルフアインはバックステップを選んだ。
――だが。
そこは確かに格闘の間合いではないが、まだ射程圏内だ。
格闘をステップでキャンセルしたイクスクレイヴの左腕から、即座に小さな何かが射出される。
それは、ワイヤーアンカーだ。
ヴォルフアインの胸部を掴んだそれは、その狼の身体を格闘圏内へ引き寄せた。
「――うぉぉおおお!!」
叫びながら、桐矢はアスカロンとグラムを振るう。
右の袈裟斬り、左の逆袈裟斬り、左薙ぎ、右薙ぎ、そして左右同時の袈裟斬りで締め括る五連撃。イクスクレイヴの持つあらゆる攻撃の中で最も威力の高いコンボだ。
たった一撃で、モニターに映るヴォルフアインの耐久力ゲージは三分の二まで減っている。
こちらも二度のゼロ距離砲撃で、六五〇あった耐久値は三九〇まで減っているが、今の斬撃で同程度のダメージまでは追い付いた。
ここから仕切り直し――になるはずだった。
「――ッ!?」
しかし、ダウンから起き上がったヴォルフアインの挙動に、桐矢は目を剥いた。
このイクスクレイヴですら、動きが追えなかったのだ。
唐突に機体が速くなることはあり得ない。だが、細かなステップとキャンセル、着地を繰り返しイクスクレイヴに攻撃する隙を与えない。事実上、体感速度は一・五倍にはなっている。
牽制射撃する余裕すら当てず、ヴォルフアインは間合いを詰め直す。
「チッ!」
右手のアスカロンで反撃に打って出るイクスクレイヴだが、それは当たらない。
寸前で発動したヴォルフアインのキックがヒットし、一瞬間合いを退けられたのだ。
よろけが発生したイクスクレイヴへ、ヴォルフアインは高周波ブレードに持ち替えた左腕で突進する。
そのまま胸を貫き、ヴォルフアインは一気に切り抜けた。
イクスクレイヴの耐久値が、とうとう三分の一以下にまで減らされる。
「このたった少しの流れの中で、確実に仕留めに――ッ」
即座に反撃しようと、ダウン状態から跳ね起きたイクスクレイヴへ、しかしヴォルフアインは既に突撃していた。
銀の腕が煌めく。
ダウン後一秒はゲームバランスの都合で敵機からの攻撃は無効化される。だが、それはこちらが攻撃しなかった場合に限られる。こちらが攻撃のコマンドを押した瞬間に、その無効化時間は打ち切られる。
それが分かっていながら、桐矢は反射的にカウンターに打って出ようとしてしまった。それはもはや、防衛本能に近かった。
アスカロンの斬撃は、それでもヴォルフアインの腕と激突するはずだった。――格闘判定に持ち込んだところで、それでも桐矢の方が競り負けただろうが。
だが、そもそもその刃はそのオレンジの機体に掠ることさえなかった。
手動化ではない。そもそもの設定として、左右への回避を前提とした突進なのだろう。
全く速度を殺すことなく、格闘後の隙を曝け出したイクスクレイヴの顔面を掴む。
紅の光が爆ぜる。
激しく機体を揺さぶられ続ける。先程までの単発よりも、明らかに時間が長く威力大きい。瞬く間に耐久値がガリガリと削られていく。
そしてヴォルフアインが突き飛ばすかのようにイクスクレイヴを放った直後、イクスクレイヴの耐久値は〇となり、機体がばらばらに爆散した。
「――こっちは、まだ格闘を一回しか決められてねぇんだぞ……」
白い繭の中で桐矢は思わずうめく。それすら、一機撃墜された後の今となってはまぐれにしか思えない。それだけの実力差があった。
再出撃したイクスクレイヴはアスカロンを抜き払い、まだ遠くに立つヴォルフアインの様子を窺った。
しかし、当のヴォルフアインに動き出す様子は見られなかった。やがて桐矢の左のスクリーンに『SOUND ONLY』の文字が表示された。――ヴォルフアイン側から通信が入ったのだ。
『やぁ、はじめまして』
透き通るような、爽やかな男の声だった。相馬にも似た美少年なのだろうかと、そう思わせるような声だ。
「はじめまして」
その声に挨拶を返すが、それでも桐矢は気を抜きはしない。彼の声音に敵意は見られなかったとはいえ、それすら作戦とみて桐矢は身構えていた。
だが、そんな警戒は無意味だった。ついで放たれた彼の言葉は、混じり気のない称賛だった。
『素晴らしい腕前だったよ。あの手動化の布石を打った上でのワイヤーアンカーの流れは、機体の操作テク以上に、戦術を組み立てる才能が必要だ』
「皮肉かよ。褒められたところで、撃ち落とされたのは俺の方だ」
だが、桐矢にはそれに怒る立場にない。
まだこのヴォルフアイン使いには届かない。それは歴とした事実だ。
『悲観することはない、胸を張ればいい。君にはそれだけの実力がある』
「……上から目線で講釈を垂れてんじゃねぇよ」
『そんなつもりはなかったんだが、不快に思ったのなら謝罪しよう』
そんな会話をしている桐矢の視線の先で、残りの試合時間を告げるタイマーが赤く光りはじめていた。
残りはあと三十秒もない。いまさら攻撃を仕掛けようとしても、当たる前に時間が尽きる。
だから代わりに、負け犬だと理解して、それでも桐矢は吠える。
「……覚えてろよ、ヴォルフアイン。テメェの首は、俺が斬る」
『あぁ忘れないよ、イクスクレイヴ。本当の色の君と戦いたかった』
そんな言葉を残して制限時間は尽き、そこで通信は切断された。
桐矢のモニターには、大きく『LOSE』の文字がある。残機ゲージを全て削られはしなかったが、向こうの方が残機ゲージは完全に残っている。判定負け、というところだろう。
「――完全に〈reword〉だってバレてたか。それも、色付きだってことまで」
洞察力の鋭さに舌を巻くが、しかし半ば当然かとも桐矢は思う。
いつものイクスクレイヴの感覚が抜け切らず、スラスターゲージ管理や挙動に傍から見ればおかしな癖のようなものが見えたはずだ。高い機動力に慣れ過ぎて、このイクスクレイヴでは桐矢は物足りなかった。
「けどそれは、向こうも同じだ」
戒めるように桐矢はそう呟いた。
このヴォルフアインもまた無改造だ。色付きや数字持ちとしての性能はなく、背中には上位入賞褒賞の翼――アルバトロスもない。桐矢よりも酷くダウングレードした機体を操っているのだ。
その上でなお、この戦闘力。
映像で見たときはどこか遠くのことのように思っていたが、一度刃を交えてその強さが骨身に染みた。
その実力は、桐矢よりも遥かに上だ。
「……次は勝つぞ」
それでも桐矢は諦めず、そう呟く。
だが流石に今の一試合で気力を使い果たした桐矢は、残りのワンプレイを棒に振ってそのままコクーンを降りた。
その先では、綾野がにやにやと嫌な笑みを浮かべて待っていた。
「負けたねぇ、キリ君」
「うっせーな。これでも善戦してただろうが」
「そうなの? HP的には完敗だったじゃん?」
「ヒットポイントじゃなくて耐久値な。――まぁ、客観的に見ればそう見えるけどな」
初心者相手に含みを持たせたように言うが、実際問題、基本テクニックですら桐矢の方が劣っている。善戦などしちゃいない。それを分かっているからか、綾野はにやにやと笑って桐矢の顔を見ていた。
「まぁ負けて悔しがるのはいいことだよ。前の無気力なキリ君は、勝負事になったら死んだ魚のような目をしていたもの」
「あっそ。それよりさっさとケーキバイキング行って帰るぞー。俺、明日も用事あるし」
「うぉ、待ってよ、キリ君! あとバイキングの後はカラオケだかんね!」
綾野を置いて先を歩きながら、しかし桐矢はまだ現実に帰ってきてはいなかった。
思考はあのヴォルフアインをどう攻略するかに埋め尽くされている。無数のシミュレートが行われ、少しでも勝利を得る為のイメージを作り始めている。
その瞳には、負けてなお諦めの色はなかった。




