第1章 紅蓮の狼 -5-
雪野星奈は、上履きからローファーへと履き替えて、下ろしていたギターケースを背負い直した。
下を向いたせいでやや乱れたショートカットの茶髪を整える。雰囲気からも内面の快活さが滲みでていて、そのおかげかクラスや部活の中心にいるタイプの女子だった。体型はスレンダー、顔立ちも整っているということもあって普通なら男子受けもしただろうが、残念ながら雪野の学校は女子高で、そういうことに縁はなかった。
「ユッキー、おつかれー」
「うん、おつー」
パタパタと先に駆けていくバンドメンバーを見送り、雪野も帰ろうとする。
雪野が所属しているのは軽音楽部だ。どこかのコンテストに出る訳でもなく、ただ仲間内でわいわい楽しむだけの部活である、自由に音を掻き鳴らせる場所が少ない為、夏休みにもこうして集まっていた、という訳だ。
もちろん仲も良く他のメンバーは揃って帰るようなのだが、今日の雪野は用事があって一人別行動だ。
それが嫌という訳ではないし、むしろその用事の方も楽しみだから構わないのだが、校内で別れる分には少し寂しくも思う。
そうして昇降口を抜けたところで、やや校門近くが騒がしくなっていることに気付く。いつものバンドメンバーもやや遠巻きに、校外に出るのを躊躇っている様子だ。
「どしたん?」
さっと駆け寄って尋ねると、メンバーは困り顔というよりは少し以上に好奇心に満ちた顔していた。
「な、何かね。校門の前にバイクが停まってるんだって。誰かを待ってるみたいに」
「バイク……?」
殴りこみ、とも思ったが偏差値も治安も平均的なこの学校に、そんな一昔前の暴走族のような輩は来ない。そもそもこんな時代では、近隣の低偏差値高校でもそんな話は聞かないが。
ふむ、と雪野は少し考え込む。そんな間も、遠く離れて様子を見ている女子の噂話は絶えなかった。
「も、もしかして誰かの彼氏なのかな」
「えぇ、バイクで迎えに来るとか絶対イケメンじゃん!」
行動だけでイケメンかどうか決めつけるのか……とやや辟易しながら遠くの女子の集団の声にも雪野は耳を傾けていた。
「バイク赤いし、サイドカーつけてるし、絶対今からデートだって!」
「赤いのは関係なくない?」
……赤?
そんなやりとりを聞いて、雪野はピシリと硬直した。
嫌な予感しかしなかった。
「ねぇねぇユッキー。やっぱり誰かの彼氏なのかな」
「あぁ、うん、違うかなぁ……」
そう言って、雪野は遠巻きから見るにとどめている集団を掻い潜り、件のバイクの元へと歩み寄った。
赤と白を基調としたスポーツバイクだ。おまけに、今までアニメやドラマの中でしか見たことのないサイドカーなるものまで本当に着けられている。
バイクに跨っているのは、長身の男だった。フルフェイスのヘルメットをかぶっていて顔までは分からないが、纏っている黒と赤を織り交ぜたライダースジャケットのセンスの良さから、おそらく顔立ちもそれなりにはいいはずだ。
――と、いうよりも。
雪野の知る人物で間違いなければ、それは男女問わず一度は見惚れてしまうような美青年のはずだった。
「……何してるんですか」
極力他人のふりをしていたかった雪野は、冷め切った敬語で声をかける。
それに気付いた彼はさっとヘルメットを取り、清涼飲料水か何かのCMのように爽やかな笑みでこうのたまった。
「あぁ、星奈。おかえり」
その言葉に、取り巻いていた女子の集団が悲鳴を上げる。
こんなことを言われたら、雪野が彼女だと思われたって仕方ない。ましてヘルメットを取った彼は雪野の知っている通り、恐ろしいほどに整った顔立ちの青年だ。
目にかかるくらいに長い黒髪を風になびかせ、しかし少年のようにはにかんだ姿は、いっそ芸術的なまでに美しいとさえ思った。その切れ長の瞳でちらりと見られた雪野の知り合いたちは、くらりと倒れかけているくらいである。
彼の名は、結城蓮。
ついひと月ほど前に知り合ったばかりの、雪野の仲間だった。
「……私、あなたを殴りたい」
「唐突に物騒なことを言うね、何か嫌なことでも?」
「あなたがいきなり学校にまで押しかけてるからでしょ……っ」
明日からどんな顔してバンドメンバーやクラスメートに会えばいいというのか。第一、どうやってこの状況を説明すればいいのか。
そんな面倒なことにいら立ちを募らせている雪野に気付かないで、彼はもう一つのヘルメットを投げ渡す。
「乗りなよ。用件は走りながら話すから」
「……着いたら先に一戦しますから。で、私が勝ったら謝罪ともう二度と迎えに来ないことを要求します」
「構わないよ」
さらりと答え、結城はエンジンをかける。
その変わらない態度に雪野は疲れたようにため息をつき、渋々ヘルメットをかぶってサイドカーに乗り込んだ。
雪野がぎゅっとギターを握り締めたのを確認すると、結城はエンジンを吹かせて颯爽と高校の前から去っていく。遠ざかっていくキャーキャー騒いでいる女の子の声が、どうしようもなく雪野の胃を締め付ける。
むすっとしたまま雪野は愚痴を零す。
「……だいたいサイドカーって何よ」
「僕が取れる免許は年齢的にバイクだけだからね。サイドカーでなく二人乗りするには免許取ってから一年経たないといけないから、まだ駄目なんだよ。それに星奈も荷物があるだろうし」
バイクのエンジン音で聞こえないだろうと思っていた雪野だが、ヘルメットの中にインカムが付いているようで、結城が親切心からさらりと答えてきた。
「そーですか」
素っ気なく雪野は言う。
正直サイドカーなど乗ったこともなく、この低い視線で車の群れを走っていくのはそれなりの恐怖はありそうなものだったが、雪野にはそんなものはなかった。
彼女は普段、これよりも速い速度を体感しているからだ。
「……何か機嫌が悪いね?」
「誰のせいだと……っ」
「ギター重いだろうからバイクで迎えに行った方がいいかと思ったんだけど、徒歩の方が良かったかな」
「……結城さんにギターを持たせて?」
「もちろん持つよ」
気の利いた彼氏か、あんたは!
とツッコみたくなった雪野だが、天然でこんな真似をし続ける結城には意味がないとこの一月で悟り、ただ溜め息に変える。
恋愛感情でもあれば話は別なのだが、そんなものが芽生えないのだから、周囲の視線が気になってストレスが溜まるばかりだ。
「で、今日は何の用ですか?」
「イベントの正式な通達が来た」
その結城の言葉に、雪野がヘルメットの下で目を見開く。
イベント。
それは、アサルトセイヴ・ヴァーサスという対戦格闘ゲーム――それも、その特殊な〈reword〉と呼ばれるシステムでの話だ。
結城、雪野、そしてあともう一人がチームを成して、このASVの〈reword〉の攻略に臨んでいるのだ。
「イベント名は『封印の剣』だ。基本的なイベント概要は事前通達にあった通りだけど、褒賞が分かった」
「……一位はやっぱり、剣ですか?」
「ご明察。名前はエクスカリバー。君の乗るGWシリーズのアサルトセイヴの装備の完全後継武装になるね」
「……じゃあ、一位を取らないとですね。それに今回は他の上位チームが出場できないみたいだし」
「そうでもないさ」
バイクを加速させながら、結城は答える。
「一チーム、おそらく今回で一番気をつけなければいけない相手が出場するはずだ」
「……どこですか?」
「チーム・エンデュミオン」
結城の答えに対し、しかし雪野に聴き覚えはなかった。
去年の上位ランカーなどには目を通していたが、そこには名を連ねていなかったはずのチームだ。
「一度対戦したチームは、互いの了承があればミッションの進み具合を確認できるようになる。随分昔、どちらもソロだった頃にやったことがあってね。エンデュミオンのミッションクリア進度は把握している」
「……トップランナーではないですよね?」
「あぁ。――だが一度だけ、誰よりも先頭を走っていたよ」
その言葉で、雪野は気付く。
雪野が仲間に入ったかどうかという頃に、〈reword〉にバグ騒動があった。それにより全チームがAランク昇格ミッションの手前で攻略を止めていた。
だが、ある日突然運営から連絡があり、バグではなくハッキングであり、その対応が済んだと言う。
これにより、ようやく攻略が再開された。
「エンデュミオンはその運営の連絡の少し前に、Aランクへと昇格していた。――あとはただの推測だが、彼らはAランク昇格ミッションに挑むという形でハッキング犯と対峙したのではないかな。そして勝利をもぎ取った」
「……バグ騒動って、総残機ゲージ全賭けでしたよね」
「あぁ。つまり彼らは、その大博打に勝った訳だ。そして、彼らには総残機ゲージに十分な余力がある。今回のイベントに参加するはずだ」
「なるほどね。そりゃ結城さんも思わず楽しそうに笑う訳だ」
「……ヘルメットで見えないはずだが」
「見なくても分かりますよ」
そうって雪野はからからと笑う。
結城蓮という人間は、強者を求めている。
目の前に現われるであろうその強敵の存在に、彼が笑みをこぼさない理由がない。
「今日は、環さんは?」
「彼は県外暮らしだと言っただろう。顔合わせのときに無理してもらっただけで、今後もネット通話オンリーだ。そもそも、色付きや数字持ちが同じ活動圏内で被ることの方が珍しいんだ。僕がバイクで迎えに行ける圏内に君が暮らしていることも奇跡みたいなものだよ」
「よく言うわ」
呆れたように雪野は言う。
「赤の色付きにしてNo.7の数字持ち。そんな最強のアサルトセイヴを持ってるくせに」
その言葉に、結城はそのシールドの下でふっと笑う。
「あぁ、そうだね。だからこそ今回のイベントも僕たち『ラティヌス』が勝って見せよう。エンデュミオンを噛み砕いて、黄金の剣を手に入れる」
「……そのエクスカリバー、装備的には私と結城さんで取り合いになりますよね。賭け勝負しときましょうか」
「君にだって譲らないさ」
結城はそう言って、ハンドルを握る手に力を込めた。
「僕のヴォルフアインは、最強だからね」
笑う。
それはどこか、獰猛な獣にも似ていた。
何かに飢えたように、ただ彼の瞳は、まだ見ぬ強者の影を確かに映していた。




