エピローグ
「やったね! やったよ桐矢君!」
ぴょんぴょんと、狭いコクーンの中で葵は器用に飛び跳ねていた。
藤堂を撃ってすぐ、葵は満面の笑みを浮かべてくれていた。その笑顔を護れたことだけでも、桐矢には十分すぎる賛辞だ。――が。
「あの、嬉しく思ってくれるのもいいですし、俺も飛び跳ねたいんですが――その、スカートをですね……」
いくら健全な男子でも、この密接した距離で、しかも桐矢は座っているので視点が低くなっているのに、目の前でスカートの布がひらひらしているのは、精神衛生上よろしくない。
ピタ、と葵は動きを止め慌ててスカートを抑えたかと思うと、少し赤らんだ頬をして潤んだ瞳を桐矢に向けた。
「……見た?」
「見たかったです」
素直に返答してみたら、ゴツン、と割と強めに頭頂部を殴られた。
「ちょっと相馬君に毒されてきたね」
「かもしれませんね……」
葵が少し不機嫌になったのを見ながら、どうにも自分の頭が上手く回っていないことに気付かされる。
とはいえ、あまりにも集中した戦いだったのも事実だ。
実質たった一機分の耐久値だけで、まだ誰も倒したことのないアルス・マグナを打ち破ったのだ。それはとてつもない偉業である。それを成し遂げてもなお集中力が維持できる方が、おかしな話だろう。
ふぅ、と桐矢は気持ちを落ち着かせる意味で深く息を吐く。
「その相馬が待ってると思うんで、先輩は先に出ててください」
「桐矢君は?」
「俺は……。すげぇ集中してたせいで腰ぬけたっていうか、力が入らないんでもう少ししたら行きますよ」
「そう。じゃあ、すぐにね」
葵は笑いながら小さく手を振り、ハッチを開けて外へ出る。
「部長、まさか鍵を壊したんですか。何て怪力――」
「うるさい!」
そんな相馬と葵のやり取りを聞きながらくすりと笑い、そして桐矢はハッチを閉める。
本当に腰が抜けたわけではない。
ただ、ずっと藤堂の言葉が頭に残っていた。
『このゲームは人が欲望を曝け出し、他者を拒絶し、虐げて! その歪んだ欲を満たす為のモンだろうが!』
果たしてそれは本当なのだろうか。
これを作った葵理人の意志はどこにあるのか。
そこに思考を張り巡らせたとき、桐矢はふと気付いた。
「……そうか」
慌ててオプションメニューを開き、サンプルリワードキーの使用を選択していた。
サンプルリワード。
ASVの〈reword〉プレイヤーに与えられた権利の一つ。正式な報酬なら最終ステージのミッションをクリアしなければ手に入れられない。その報酬をただのデマだと思わせない為にか、現金換算で十万円相当のあらゆる願いを叶えてくれる、文字通り報酬のお試し版だ。
このサンプルリワードで、少しの無理くらいは通すことが出来る。
『希望スル報酬ヲ、口頭デオ伝エクダサイ』
今どきもう少しましな合成音声もあるだろう、と思いながらも雰囲気重視のその機械音に桐矢は答える。
「俺の希望はミーミル――スーパーコンピュータ“葵”に搭載されたAIとの対談だ」
『了解シマシタ。接続シマス』
その合成音声のあと、画面は真っ青になり初めてミーミルと対面した時のように、ポリゴンが画面の中心に集まってくる。
やがて三頭身の眼鏡をかけた少年のキャラが出来上がると、彼――ミーミルは口を開いた。
スーパーコンピュータ“葵”のAI。おそらく世界中でも、技術的に他の追随を許さないNICの全てが注ぎ込まれた、計り知れない演算能力の塊だ。
『――やぁ。また会ったね。桐矢一城君』
「そうだな。俺もまた会えるとは思わなかった」
深く桐矢はシートに腰をかけ直した。
おそらくこのミーミルこそが、全ての鍵を握っている。
そう思ったから、こうしてサンプルリワードを消費してでも対談を開いたのだ。
『まぁサンプルリワードは十万円分の価値がある。対談には十分な時間を割けるだろうね』
「それはありがたいな。――俺は、お前に聞きたいことがいくつもある」
『それがサンプルの範囲を超えなければ、いくらでも答えよう』
化かし合いをしているような気分になりながらも、まずは一つ、質問をする。
「……藤堂剛貴について、NICとしてはどうするんだ?」
『あぁ、それについてはまずお礼を言わせてもらおう。最近、NICのファイアウォールを破る、ハッキングエンジンが出回っていてね。深いところまでは潜れないようだが、穴を開けて楽しむのが目的らしくてね。証拠も残さず撤退していくから、こちらでは手の打ちようがなかったんだ』
ミーミルの声音は、確かに感謝しているように感じられた。
ただのAIとは思えないくらい、どこまでも人間臭い。
『藤堂剛貴はそのエンジンを少々改造して、ASVに使っていたようだね。君たちが長く藤堂剛貴と戦ってくれていたおかげで、そのハッキングのシステムを分析する時間が出来た』
「今までの記録から検証できなかったのか?」
『彼のプレイ記録は、正常なものに書き換えられていたからね。生で戦っている時間が必要だったんだ』
「そうか」
何の齟齬も生じない綺麗なやり取りに、桐矢にあったある疑念は、どんどん明確な形を持っていく。
『件の藤堂剛貴は現在、パトカーに乗せられているよ。まぁ無罪だ放せと喚いてはいるが、不正アクセス禁止法の容疑で実刑は免れないだろう。――で、まさか顛末が聞きたいわけではないだろう? これはサンプルリワードでなくとも、いずれ私から連絡している』
「あぁ。重大なことを聞きたいと思ってな」
にやり、と桐矢は笑う。そこに在った笑みは、意地悪な少年らしいものだ。
「ミーミル」
桐矢は呼びかける。
確信を持って。
「お前は、葵先輩のお兄さんか?」
ミーミルが動きを止めた。
バグや通信が重くなった、という理由ではないはずだ。これはNICとの直通の交信。そんな一昔前の症状を出すわけがない。
『……私はミーミルだよ。スーパーコンピュータ“葵”のAIだ。それ以上でも、それ以下でもない』
「初めてお前と会ったとき」
ようやく答えたミーミルの建前など軽く無視して、それでも桐矢は続ける。
「お前は説明を省いた。葵先輩から既にされた説明を、だ。――でも、何でお前は分かった? 葵先輩がどこまで話すかなんて、所詮プログラムでしかないAIには分かるはずがないのに」
ミーミルは、ただ黙っていた。
眼鏡の奥の瞳は、キャラクターのものとは思えない鋭さを持っているように見えた。
「仮説は二つ。お前は先輩と俺の会話を聞いていたか――あるいは、先輩ならどこまで話すかだいたい予想がつけられるくらい、過去に接触したことがあるか」
言ってはみたもの、前者は成り立たない。いくらミーミルといえど、何でもない部室を監視し、音声を収集するなどメリットがない。それどころか、演算領域を無駄に占領されるだけだ。
しかし後者なら可能性は残る。
なぜなら、NICの設立と共に葵立夏の兄――葵理人は姿を消しているのだから。
彼がこのミーミルと同一の人格である可能性を、捨てることは出来ない。
「まぁお前が理人さんの頭脳をスキャンしたものなのか、あるいは本人がAIのふりをしているのかは分からないけどな。本人が死んでました、っていうオチではないだろうけど」
『……面白い推論だね。では逆に問うが、私が仮にNICの社長と同一だったとしよう。ならば、こうしてASVを作り、葵立夏君と接触した理由は何だい?』
ミーミルは少し笑っていたと思う。
だがその口調は、人並みに上ずっているようにすら感じた。
「俺が知るかよ。けど、藤堂の言う通り、この〈reword〉モードは人の欲が渦巻いてる。それはある意味で正しいことだ。そんなもんに兄が妹を巻き込むとしたら――。それは、それが必要だったからだろうな」
『ほう』
「自分以外に頼れる人を作ってやる為に、あえて過酷な状況を作ったとかさ。この過酷な状況を一緒に乗り越える仲間がいれば、それは自分以外の大切な存在だ。そういう仲間を作らせて成長させることが狙い、とかな」
無言の間があった。
やがて、ミーミルは大きな声で笑い始めた。
『はっはっは。君は面白いね。どうやら一昔前のPCゲームにでも毒されているのかな?』
「自覚はあるさ。それにこの理由だけじゃ、ここまで大規模なことをする理由にはならない。――でも、まったく関係ないとは言わせないぜ?」
鋭い、刃のような瞳で睨みつける。
しかしミーミルは、涼しい顔でそれを受け流すだけだった。
『生憎だが、私はミーミルだ。その正体を教えることも、ましてASVの造られた理由を教えることも、サンプルリワードを遥かに超える重大な情報でね。――もし知りたければ、全てのミッションをクリアしてみせたまえ』
「……そうかよ」
結局、サンプルリワードを消費しても、大した情報を得ることは出来なかった。
だがさっきまでのリアクションが演技でないのなら、おそらく桐矢の見当もそこまで的外れではない、のかもしれない。
『用件は以上かい?』
「あぁ。――最後に一つ、宣言して帰るとするよ」
桐矢は立ち上がりハッチへ手をかける。
外へと続くその扉へ。
「俺は必ず、葵先輩を、お前のところへ連れていくぜ」
『楽しみにしておこう』
桐矢の宣言を聞いたミーミルは、大人のように落ち着いた――しかし、隠し切れない期待のこもった声で返事をしていた。それが狙ってなのか、あるいは、自然と漏れたものなのかまでは、分からないが。
『――では最後に、私からも質問させてくれないか?』
「何だ?」
ハッチを押す手を止めて、桐矢はミーミルを見る。
『君がこのASVで叶えたい望みというのは、いったい何なのだ?』
「……あぁ、それか」
桐矢はその質問を、鼻で笑い飛ばしていた。
散々見失っていた答えは、もう見つかっている。
葵立夏のおかげで、桐矢はそれに気付かされたのだから。
「それはたぶん、もう叶っちゃってるよ」
その言葉を残して、桐矢は外へ一歩踏み出す。
たった数十分前には想像もつかないほど、明るい世界がそこには広がっていた。
真っ白い光が目を突く、その先。
相馬は涼しげな顔で佇んでいて。
葵立夏は、両手を広げて待ってくれていた。
――ここが。
――こここそが。
桐矢が望む、ただ一つの居場所だ。
「おかえり、桐矢君」
「ただいまです、葵先輩――……」
今回で最終話となります。ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!
【追記】
もう少し続けることにしました。詳しくは次話の前書きを参考にしてください。




