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アサルトセイヴ・ヴァーサス  作者: 九条智樹
第1部 VS. クロスワン・バスタード
25/65

第3章 黒白の翼 -5-


 疑似的なGがコクーンの中に発生する。

 戦闘が仕切り直されたことで部位破壊やその他の傷も完全に修復され、真っ白な装甲を取り戻したイクスクレイヴが宇宙(そら)を舞う。


 暗いカタパルトの中から射出されたイクスクレイヴのカメラが捉えたのは、中と変わらず薄暗い世界だった。

 足元はでこぼことした大地に覆われ、遠くに星々が白や赤、青にまで輝く。そして眼下に映る青い星は、見間違うはずのない地球である。

 数あるステージの中でもボスミッションのみでしか使われない、月面ステージだ。


『逃げずにのこのこ出てきたのは誉めてやるよ』


 まだ桐矢たち以外の機体は姿が見えない。だが藤堂からの通信だけは入ってきた。


「……どうにもあっさり負けたと思ったんだ。この裏技が隠してあったから、慢心があったわけだろ?」


『ほざいてろ。テメェが俺に勝ったのはただのまぐれだ。――まぐれは二度も続かねぇ』


「そうだな。まぐれじゃなくて必然だってこと、見せてやるよ」


 互いの挑発は、ここで終わりを告げる。

 ボス登場時特有の出撃エフェクトが割り込んだからだ。


『――その目に焼き付けろ。これが人の造り出した、絶望の姿だ』


 藤堂の声と共にフィールドの外から悠々と現れたその機体は、禍々しいほどの鎧に身を包んでいた。


 頭上に輝く名は『Ars Magna(アルス・マグナ)


 外見は基本的なアサルトセイヴとほぼ同じで、マスクの意匠も多少のアレンジはあるがバスタードや他の三機のような特殊さはない。カメラアイも二つ、輝くような紅だ。

 その素体の上に葵の乗るブルーローズの装甲のように武骨で巨大な――そして、鮮血のような紅の鎧を纏っている。よく見れば、太ももや前腕部の鎧にはスラスターが付いている。

 背には一本の剣。自身の身長と同じ長さという意味では、イクスクレイヴやバスタードと同じ格闘系の機体だろう。身体を覆うというよりは、背の部分だけを隠す漆黒の外装は象徴的なマントのようで、その実はおそらくイクスクレイヴと同じスラスター翼だ。


 そして、何より。

 それが大地に降り立った瞬間、桐矢は決定的な違和感に気付かされた。


 対比がおかしい。

 アサルトセイヴは、通常九メートルから一〇メートル程度の体躯である。だが周囲のクレーターとの対比を見れば、目の前のアルス・マグナの全長は優に三〇メートルを超えている。


 白鯨(モビー・ディック)に立ち向かう船乗りのように、この体格差は、努力や機転でどうにかなるレベルじゃない。


 瞬間、桐矢は悟る。

 勝てるわけがない。

 三対一だとか、葵と相馬はベテランだとか、そんなアドバンテージが、あまりにちっぽけに思えた。

 葵の為にも負けたくないなんて、そんな気合だけでどうにかなる次元を逸脱している。


『――どォした? リアクションがねぇな』


 嘲るような、藤堂の笑い。

 幾度となくこの勝負を仕掛け、即時撤退するチームを見てきたのだろう。その慣れたような嘲笑には、もはや愉悦以外の感情が見受けられない。


『始めようぜ、桐矢一城。俺を本気にさせた意味を、その身に刻んでやる』


 戦闘が、始まる。

 葵の刺すような指示を受けて、桐矢は出来る限りアルス・マグナと距離を取った。


『気を付けて。アルス・マグナの格闘射程は異常に広い。それに、最大射程はおそらくステージの半分近い……ッ』


『よく知ってんな。さすが社長の妹のチート情報だ』


 桐矢の機体の三倍近い巨躯で、しかし一瞬にして間合いを詰めてくる。

 イクスクレイヴの最大の特徴は、その格闘武装ではない。背の高推力スラスター翼による、最高の機動力こそがそれである。


 だが、このアルス・マグナはそれを優に超える。

 見ることさえままならない。カメラが追いつく前に、その全長四十メートルを超す大剣をイクスクレイヴへ振り下ろされる。

 凄まじい衝撃。火花が散ったかのようなエフェクトと共に、コクーンの内部でさえ激しく揺さぶられる。


 たった一撃で、三割以上も耐久値を失った。


『そこで寝てろ、桐矢一城。俺をコケにしたテメェは、あとでじっくり潰してやるよ』


 強制ダウン状態の桐矢からロックを外し、アルス・マグナは葵の乗る紺碧の重機体――ブルーローズへ迫る。


「やめろ!」


『うるせぇよ!』


 叫ぶ桐矢を無視して、藤堂は葵へ襲いかかる。

 チャージした射撃で足止めしようとしていたブルーローズだが、その程度の攻撃で赤い悪魔は立ち止まりもしない。

 悠々と、その禍々しいほどに紅く輝く大剣を振り下ろす。


『――ッぁああ!』


 葵の高い悲鳴が、桐矢のコクーンの中で響く。

 ブルーローズは倒され、それどころか、斬撃をまともに受けた右脚の膝から下を失っていた。

 部位破壊。

 本来有したアサルトセイヴとしての機能を著しく低下させ、時にはまともな戦闘すら困難にさせる、最悪にして再出撃まで解けないデバフだ。


「先輩!」


 ダウンから回復した桐矢は、すぐさまアルス・マグナへ飛びかかる。

 あのままではブルーローズは何も出来ずに撃墜されてしまう。


『うるせぇよ、たかだか右脚をぶった切ったくらいだ。リアルじゃ痛みも発生しねェっつの』


 羽虫でも払うように、イクスクレイヴを叩き落とす。

 そして右の膝から下を失い立っていられなくなったブルーローズへ、アルス・マグナは更に刃を突き立てる。


『――ッつ!』


 直接コックピットのある胸部を突き刺されたのだ。コクーンに再現された衝撃も相当なはず。それでも葵はどうにか悲鳴は押し殺していた。

 しかし、そんなことをしても、アルス・マグナの攻撃がやむわけではない。

 ブルーローズの美しい青の胸部装甲が火花を散らし、爆炎に包まれる。


『これで右脚、胸部の部位欠損だ。再出撃するまではその場から動けねぇぞ』


『それが目的だったわけかい。胸部の部位破壊はスラスターを使用不可にし、脚部は通常移動を塞ぐ。なるほど、確かにそれじゃ動けないね』


 相馬の通信が割り込んだ直後、狙撃専用の音を置き去りにした光がアルス・マグナを襲う。


 ――だが。


 まるでダメージを受けていないかのように、その機体はただそこに立っていた。


『――なん、だって……ッ!?』


『驚くことじゃねぇだろ。このアルス・マグナの装甲はダウン値が八〇未満のよろけ状態無効の他に、強制ダウンそのものを無効化する性能もある。――で、だ』


 余裕を見せつけるような、かったるそうな声。

 直後、ステージの端に陣取っていた相馬のアクイラの元へ、アルス・マグナは一足飛びで間合いを詰めてみせた。


『テメェも邪魔すんな。――右手と脚、胸部を貰って行くぜ』


 三度、刃を振るう。

 そんな粗雑な動きで、狙撃銃を持つ貴重な右腕と、機動力の要である脚を切断し、スラスターのある胸部に大きな穴を穿っていた。

 遅れて爆炎とスパークを撒き散らし、アクイラが地面に倒れ伏す。

 倒れているブルーローズとアクイラのカメラアイが、不規則に揺れる。バチバチと、血のように紅い火花が二機の傷口から漏れ出ている。


『ふぅ。これで邪魔者はいなくなったわけだ』


 ゆっくりと、一歩ずつ踏み締めるように、アルス・マグナは桐矢の元へ戻ってくる。


『俺を散々コケにしやがったんだ。楽に死ねると思うなよ?』


 この、瞬間。

 桐矢はようやく敗北を知った。

 葵も相馬も、なす術なく倒された。機動力を完全に失い、アクイラにいたっては攻撃の要である狙撃銃まで失った。その気になれば、どちらも一瞬にして首を狩られてしまうだろう。

 自分の何十倍もの経験を積んだ二人でさえ、この様だ。

 機体性能の差を前に、力や想いはあっけなく散っていく。


「……、」


 桐矢は、イクスクレイヴを操る操縦桿から手を降ろした。

 膝がずきずきと痛む。それはきっと、あのときの惨めな思いを思い出しているからだろう。

 頑張ったって、足掻いたって、この悪魔は倒せない。

 そういうプログラムが出来ている。


 ならば。

 この場で足掻くことに、意味はない。


 ――端から、勝負にすらなっていないのだ。


「……すいません、先輩」


 通信機越しに、桐矢は謝る。

 その声には、藤堂に喰らいついたときのような力など微塵もなかった。


『何で、謝ってるの? 勝とうよ。まだ――』


「無理ですよ」


 桐矢が答えると同時、アルス・マグナが目の前に現われて、桐矢は三段切りで斬り伏せられ、残された耐久値の全てを失った。桐矢の分身であるイクスクレイヴは、たったそれだけで、爆炎に呑まれて消える。

 リスタートの強制出撃する間も、桐矢はトリガーに指をかけようとはしなかった。


「コイツには、勝てない」


 痛む膝に手を置いて、桐矢は呟いていた。

 まるでなぶり殺すのを楽しむかのように、藤堂はイクスクレイヴへ一撃ずつしか攻撃してこなかった。部位破壊もしない。その必要を感じていないのだろう。


「――だから」


 桐矢は立ち上がり、衝撃に揺れるコクーンの天井からそれを取り出す。

 オプション設定用のキーボード。戦闘中でも機体の改造などを行う為の機器を操作し、桐矢はあるコマンドを呼び起す。


『どういう、つもり……?』


 葵の前には、いま桐矢が見ている画面と同じものが映し出されているだろう。

 すなわち。



『脱退申請』

『From: 1-Toya』

『To: R-Blue; Leader of Endymion』



「戦闘の敗北宣告のコマンドは、予想通り藤堂のハッキングで無効化されてました。けど、これは生きてます」


『何を言ってるか、分かってるの……?』


「分かってますよ」


 戦闘中の脱退申請がどのような効果を生むのか、桐矢はたった一度だが聞かされている。

相馬との戦闘中に、葵が機体改造の際に教えてくれたのだ。


『――戦闘中にチームから抜けた場合、申請を出した人だけが相手との戦闘を続行してね』


 葵は確かにそう言っていた。


 この場合は、おそらく総残機ポイントの三分の一を桐矢が保有し、それを賭け《ベットし》た状態で戦闘を続行、葵と相馬は残りの三分の二を持った状態で離脱する。

 桐矢が敗北したところで、いくらかの総残機ポイントを守ることはできる。


「いいじゃないですか。これで、先輩は希望を捨てなくて済むんですよ?」


『そんなことしたら、桐矢君は――ッ』


 葵は叫ぶ。

 そんなこと言われずとも、桐矢だって知っている。

 総残機ポイントを失った者は、〈reword〉をプレイする資格を失う。資材の尽きた艦は、戦争において敗北し沈むのみだからだ。

 つまり、桐矢と葵の部員と部長という関係はこれで終焉を告げる。


 ――でも。

 桐矢の護りたかった、葵の居場所だけなら、護ることが出来る。


「だって、これしかないんですよ」


『まだ諦めるには――』


「俺なんか、どうでもいいじゃないですか。たった二週間かそこらの仲です。もともとあった形に戻るだけですって。――先輩は、お兄さんに会うんでしょう?」


 イクスクレイヴが爆炎に包まれる。二機目もまた撃墜されたのだ。


「もう時間はないですよ。この戦いの残機ゲージも、あと半分しかありませんから」


 これでいいのだ。

 桐矢は何かを失うわけではない。ただ一度はその手に在ったものが、こぼれて行っただけ。

 葵のことも、相馬のことも。この合宿のことも、二週間続けた部活の全てを、なかったことにしてしまえばいい。

 それで葵はまた夢を掴むチャンスを得る。

 ただそれだけの、単純な足し算と引き算だ。どの選択が一番失うものが少ないか、秤にかけるまでもない。


 今まで桐矢がしてきたことと変わらない。

 何でもかんでも簡単に欲しがって、簡単に諦める。今回は少し規模が大きかっただけで、本質は一緒だ。

 負けることは惨めで辛い。そんなことを、自分以外が背負う必要はないだろう。

 ここで桐矢が諦めれば、それで全ては丸く収まる。


 ――なのに。


『ふざけ、ないで』


 葵の声とは思えない、低い声だった。

 まるで母猫が外敵を見つけたかのような、そんな唸り声にも似た声だ。


『桐矢君を見捨てて、切り捨てて。そんな先にしかない夢なんか、わたしはいらない』


 ブツ、と通信が切断される。

 その声を聞いて、強情な人だ、と桐矢は少し笑っていた。

 せめて葵が決心を変えてくれることを願って、アルス・マグナの攻撃の回避やシールドガードを試みて、僅かな時間稼ぎを狙う。


 だが、そんな生半可なテクニックが通用する相手ではない。たった一撃防いだところで、反撃する気のない桐矢はただ次の攻撃で斬り伏せられる。

 見る見るうちに一二〇〇はあった耐久値がゼロになり、またカタパルトの中へと戻される。


「あと一機か……」


 葵はそれが落ちるまでに決断してくれるだろうか。ただそれだけを桐矢は考える。

 リスタートを遅らせる為にオプション設定をいじったりしているが、それでも一分もすれば強制射出だ。


 ――そして。


 そのたった数十秒の間に、ある違和感に気付く。

 それは小さな音だった。コクーンの外から、ペキ、とか、ミシ、とかそんな小さな音が聞こえてくるのだ。


 だが、それこそが、最も重大な違和感の正体だ。

 このコクーンはASVの効果音その他を外へ漏らさないよう、かなりの防音・防振を誇っている。それも世界のトップ企業であるNICが生み出した技術の粋が詰まっているのだ。つまり外から音が聞こえるはずが――


「諦めたり、しない」


 透き通るような声がした。

 直後、後部の映像に白い穴が開く。――いや、コクーンのハッチが無理やりこじ開けられ、部室の光が漏れてきたのだ。


 その白い長方形の中に。

 彼女は、立っていた。


「……葵、先輩……」


「わたしは桐矢君を、諦めたりしないよ」


 葵はにっこりとほほ笑んでいた。

 けれど、その指先には血が滲んでいる。

 当たり前だ。プレイ中に扉が開くことがないように、コクーンはロックをかけている。ここにはロックが緩いものもあるとは言われていたが、それでも今まで桐矢が触った限りでは、素手でこじ開けるなんて普通は無理だ。


 でも彼女は、その殻を打ち破ってみせた。

 ひび割れた爪から血を流して、それでも彼女は桐矢へと手を差し伸べてくれているのだ。


「お兄ちゃんとはもう一度会いたいよ。――でもね」


 一歩、葵は桐矢へと近づいてくる。

 真っ白く輝くような光を背負って。


「その為に桐矢君と別れたら、きっと、わたしはまた同じことを繰り返しちゃうんだ」


 そして、気付かされる。

 自分は葵にとって、ただの駒なんかではないのだ。

 会いたいと願う兄と同じくらい大切な仲間だと、そう想ってくれているのだ。


「だから、お願いだから」


 透明な滴が、彼女の頬を伝う。

 今日二度目のその涙は、先に見たものより、よっぽど桐矢の胸を締め付ける。まるで、茨のような滴だった。


「わたしを、一人にしないでよ……っ」


 色のないその涙が、桐矢には何色に見えたのだろう。

 護りたい、と思った。

 藤堂に喧嘩を売ったときと変わらない。彼女を護りたいが為に、桐矢は戦っているのだ。

 ここで力を捨てて、葵から遠ざかっても、それでは彼女の流す涙は止められない。


 ――護るんだ。

 ――この刃で。この翼で。

 ――葵先輩を、彼女を傷つける全てのことから。


「……はは」


 桐矢はようやく、理解した。

 自分がこのゲームに求めていた願いが、いったい何なのか。


 そして。

 締めつけるような痛みとは違う、胸に広がるこの暖かさの正体を。


「……すいませんでした」


 キーボードを押し上げ、申請手続きをキャンセルする。その瞳には、さっきまであった絶望などどこにも存在しない。

 揺らめきながら猛る覚悟を、昇華するように桐矢は問いかける。

 簡単に諦めてしまう情けない自分の心に、鎖をかける為に。


「俺は、ここにいてもいいんですか……?」


「もちろん。わたしは、桐矢君にいてほしいんだよ」


 その言葉を、噛みしめる。

 二度と、忘れないように。

 二度と、この手を放さないように。

 滾る覚悟を固め、圧縮し、たった一つの刃と成す。


「……俺は、あなたを護る剣になります。――ただ一振りの、闇を切り裂く白い剣に」


「うん。――だからわたしが君の手を取って、桐矢君を勝利へ導いてあげるよ」


 トリガーを握り締め、桐矢は暗い闇から飛び出した。

 もうどこにも、痛みはない――……


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