第3章 黒白の翼 -3-
一度撃墜された桐矢だが、その手前で確かに相手の特性は掴んでいた。それもまた、葵との特訓の成果だろう。
バスタードには機動力と格闘の威力を上げる翼の展開と、射撃の威力を上げるバリスタの砲門解放がある。本来ならローテーションで使っても、クーリングタイムがあるパワーアップだが、黒の色付きの性能のおかげでその穴がない状態だ。
あまりに強い。だがそれでも桐矢には諦められない。
葵の流した涙が脳裏を掠める度、諦めなんか消し飛ばされる。
「一つ、答えろ」
アクセルを踏み込み、桐矢はアスカロンを振るう。だが真っ向からバスタードの握るクレラントの斬撃とぶつかり、鍔迫り合いが発生する。
「……ここまでの強さがあるのに、なんであんたは真っ向から勝負しない」
わざわざ挑発してまでコクーンを賭けに引き出させ、それどころか、こうして最も弱く相性のいいイクスクレイヴを連続撃墜する為の陣営を選んでいる。
ルールには違反していない。だがそれでも、良識ある行為とはとても呼べないだろう。
『それはこのゲームのことで言ってんのか? ――それとも、中学時代のバスケの話か?』
藤堂は桐矢の神経を正確に逆なでしてくる。
だが、いちいち逆上している余裕も桐矢にはない。
「どっちもだよ。わざわざあの日、俺を潰さなくたって、俺があんたより上手くなることなんてなかったはずだ」
『ハ。強いなら正々堂々プレイしろ、ってか? ふざけんなよ』
格闘同士がぶつかった際は判定が入り、より速く、攻撃力が高い方に軍配が上がる。
結果、桐矢のイクスクレイヴが競り負け強制的にのけ反らされる。
『これは戦争だ。他人から残機を奪い、他人を出し抜いて、誰よりも先へ行く為のな!』
翼の展開が切れる僅か手前にバリスタの砲門を解放。
全二十門となったバリスタの同時射撃を、どうにかノックバックから回復した桐矢は上昇して躱す。
『被害者面はよせよ。今はテメェもその同類だろうが! 〈reword〉プレイヤー以外が願いを叶える為に努力を積み重ねてる間、俺たちはただ遊んでるだけ。それで願いを叶えようなんざ、卑怯者もいいとこじゃねぇか!』
「――ッ!」
『いいか、このゲームも、現実だって本質はそこだ! 今さら正々堂々だの綺麗事言うのは、自分の黒い部分から目を背けてるだけだって教えてやるよォ!』
躱したイクスクレイヴへ、バスタードは突撃で距離を詰める。
瞬間、バスタードが真紅に光る。
エクストラブースト。すなわち、覚醒だ。
このエクストラブーストの利点は敵のコンボから抜け出せるだけではない。リロードが必要な全ての武装を完全に回復するのだ。
つまり。
今しがた切れた格闘性能上昇の翼の展開が、復活した。
『もう一機、ここで落としてやるよ!』
絶望的な程の性能差が表れる。
――だが。
「落とされて堪るかよ。ここが好機だろ!」
全てのパワーアップを出し切った瞬間こそが勝機。ここでコンボを決め制限時間を削りきれば、後はただの機体へ成り下がる。
『躱せるわけねェ! こいつはテメェの機体速度を超えて――ッ!?』
紙一重でバスタードの大剣を桐矢は躱してみせた。
それは葵が桐矢にやって見せた、タイミングを読んだカウンターと同じだ。機体性能をパイロットの腕のみで覆す反射とテクニックの合わせ技。
「お前は、ここで討つ!」
左のグラムを抜き払い、交互に行う最大五連撃のコンボ。それはイクスクレイヴの持つ通常技で最高の威力を誇る。
左右交互に繰り出し、五回目は同時に袈裟斬でフィニッシュを決める。
強制ダウンの後、桐矢は再度間合いを取り直す。
『やりやがったな……ッ!』
起き上がったバスタードへ、イクスクレイヴは追撃を仕掛ける。
エクストラブースト中は被ダメージも減少する。いまイクスクレイヴの攻撃は、三割届いているかどうかだろう。
だからこそ、最高威力の最も長いコンボを当て続けることで、その時間を削り取る。
エクストラブースト特有の発光現象が去ってなお、二回も五連撃を当て続ける。一度この流れに乗ってしまえば、いくら熟達したプレイヤーでも、そこから抜け出すのは容易ではない。あっという間にバスタードの耐久値は二割を切った。
特にバスタードは武装の種類が貧困だ。たった二種類しかない以上、いくらパワーアップをしたとしても、牽制すらままならない。
これで一気に片をつけようと、最後のコンボへ繋げようとしたときだった。
――ぞくり、と。
背筋が凍るのを感じた。
『切り札は最後まで取っておくものだ、って教わらなかったか?』
何かを噛み砕くような音がした。
直後、ただの仮面だと思っていたバスタードの口が開く。
「――ッ!?」
『吹っ飛ばせ、ヴァナルガンド!』
口の奥に搭載されたたった一つの砲門から放たれた、火山から立ち昇るマグマのような、真紅の光。
イクスクレイヴの頭部が呑みこまれる。
「――ッァァあ!?」
コックピットが激しく揺さぶられ、たった一撃で二割近く耐久値を奪われていた。
――だが、それだけに留まらない。
「何、だ……?」
モニターが、死んだように真っ黒になっている。
さっきまでのような、衝撃の再現の為の一時的なショートとは、明らかに違う。
「まさか……ッ!」
『今のヴァナルガンドは、頭部部位破壊の補正付きでな。生憎全壊とは行かなかったみたいで顔面半分残ってはいるが、せいぜいレーダーぐらいしか使えねェだろ? 胸部のサブカメラにでも頼ってろ』
藤堂の声の直後、自動でモニターの画像が壊れた頭部カメラから胸部のサブカメラへ移る。
だが視点がまるで変わる上に、サブカメラということもあって画質がかなり荒い。時折砂嵐のように画面の端々の映像が途切れる始末だ。
これでは、得意の高速機動にカメラが追いつかない。
『二機目はここでお終いだな』
クレラントの一撃で、再度ダウンさせられる。
(ここで撃墜されたら、向こうのパワーアップ系のリチャージが完了する。それじゃ振り出しだ……ッ!)
そもそも、今の桐矢は合宿終わりだ。集中力なんてとっくに切れかけている。これ以上戦いを長引かせたとしても、勝機は薄くなるばかりだ。
(何がある、俺のイクスクレイヴには、先輩から貰ったものには……ッ)
必死に思考を繋ぐ。
起死回生、それも、たった一回で全てを蹴散らせるだけの打開策。
無理な要求なのは自分が一番理解している。だがそれでも、こんなところで、少しだって躓いてやるわけにはいかない。
脳裏によぎるのは、たった一つの映像。
葵の放った市街地全てを呑みこむ極太のレーザー。
主副砲一体型複合兵装シリウス――葵の最後の奥儀だ。
(エクストラブースト)
慌てて桐矢は画面の左端を見る。そこではゲージが赤く光っていた。既に一度撃墜されているおかげだろう。つまりもう既にEBの使用だけは出来る。
一度も使ったことのない、桐矢だけの必殺技。コスト三〇〇〇の機体ということもあって一機でも撃墜されないように、と散々覚え込まされた桐矢は、被撃墜ボーナスで大幅に溜まるこのEBを、実戦で使ったことがない。
(賭けるしかないか……。――いや、出来る)
信じるのだ。
自分に望みを託してくれた仲間を。自分に力をくれる、この機体を。
(俺と、このイクスクレイヴなら!)
コマンドを入力。途端、イクスクレイヴ全体を緑の光が包む。コクーンの中に耳が痛くなるくらい、高速で回転しているエンジンやモーターの音が響く。
『何だ? やけくそのエクストラブーストか』
それを迎え撃たんとバスタードが構える。
だがそれを無視して、桐矢は膝の間にあるサブスクリーン、すなわちレーダーを見つめた。
そこには、『You can use MULTI LOCK-ON SYSTEM.』と記されている。
「多重ロックオンが……ッ!?」
機体のロックオンは、通常は一機のみしか行えない。一部の射撃機体は複数同時ロックオンも可能だが、格闘機体で出来るなど聞いたこともない。
だが、このイクスクレイヴは唯一それが出来る。そう、イクスクレイヴが教えてくれた。
「……終わりにするぜ、藤堂剛貴」
小さく、桐矢は呟く。随分と遠くにいる三機――葵と相馬が相手にしているハデスヘルム、カゲロウ、シンキロウそれぞれにまで多重ロックオンをかける。
『んだと?』
「お前の敗因は、一人で戦おうとしたことだ」
緑に発光したイクスクレイヴが、一条の光となってハデスヘルムへ飛ぶ。
ロックオンアラートに気付き、振り返ったハデスヘルム。だが射撃すら届かなかったこの距離を、その動作の間にイクスクレイヴは詰めていた。
両手のアスカロンとグラムによる、最大ヒット六回の斬撃を一秒にも満たない速度で叩きこむ。
二撃で既に耐久値の尽きたハデスヘルムは爆発する。――だが、そのときには既にイクスクレイヴはカゲロウへと六連撃を放っていた。
カゲロウ、シンキロウと続き六連撃を決め、三機とも見事に爆散させる。
敵の残機ゲージの残された幅は、ちょうど三〇〇〇だった。
「これでお前の残機はバスタード一機分だけだぜ」
それでもなお勢い衰えないイクスクレイヴは、バスタードへ迫っていた。
最後の一撃。もともと二割以下になっているバスタードなら、六回も攻撃を受けずに耐久値は尽きる。
『馬鹿が! いくら速かろうが、三機も攻撃してりゃ嫌でもタイミングが掴めんだよ!』
イクスクレイヴの攻撃タイミングで、見事にシールドが展開される。
技は完全に防がれ、イクスクレイヴのエクストラブーストは強制終了となってしまう。
『ここで撃ち落とせば終わりだぜ!』
クレラントが振り下ろされる。
ハデスヘルムたちのせいで葵と相馬は射程圏外、仮に相馬の狙撃があっても、この藤堂ならアラート手前で回避してしまうだろう。
――だから。
「撃てよ、相馬!」
『了解だ!』
クレラントが襲い掛かる僅か手前で、イクスクレイヴを一筋の光が射抜いた。
僚機への攻撃。強制的にダウンさせられたイクスクレイヴへその後に繰り出されたバスタードの攻撃は、ダウン中の判定で無効化される。
『テメェ……ッ!』
「これで終わりにするぜ」
『……ほざけよ。なら先に、あの射撃機体を落とすだけだ!』
イクスクレイヴからロックを外し、バスタードは一直線に葵たちへ向かっていく。
既にリチャージは完了したらしく、翼をX字に展開した状態だ。イクスクレイヴにすら匹敵しうる速度を前に、葵や相馬の射撃は当たらない。
「させねぇよ!」
ダウンから起き上がり、即座に桐矢はバスタードを追う。
僅かに桐矢の方が早いとは言え、それでも差は縮まらない。葵や相馬も、いくら弱小機体と戦っていただけとは言え、多少のダメージが蓄積されている。ここで三機ともが撃墜されれば、状況は悪化してしまう。
『ハッ! テメェじゃ追いつけねェよ!』
相馬と葵が幾度となく牽制射撃をするが、バスタードは見事に躱してしまう。
「――だろうな」
だが、桐矢は不敵に笑っていた。
そう。
エクストラブーストによる起死回生が思いついた瞬間に、桐矢はここまで想定していた。
「藤堂。お前のバスタードが武装を捨ててまで機体強化に走ったなら、俺のイクスクレイヴは、お前が捨てなかった大量の武装を持ってんだ」
『何を言って――ッ!?』
藤堂の声が詰まる。
それもそうだろう。なぜなら、バスタードは正体不明の攻撃を受けて強制的に動きを停止させられたのだから。
否。それだけではない。
バスタードが、強制的にイクスクレイヴへ引き寄せられる。
『ワイヤーアンカーだと!?』
イクスクレイヴの中で、唯一、桐矢がこれまで使わなかった武装だ。威力自体はほとんどない。だが敵を硬直させ、無理やりに格闘の間合いに引きずり込むことくらいは出来る。
「お前が言ったんだぜ。切り札は最後まで取ってくもんだってな」
左腕の装甲から伸びるワイヤーが自動で巻き込まれ、バスタードが間合いに入る。その瞬間に、桐矢はアスカロンを振り下ろす。
「終わりだ、藤堂剛貴。――お前の負けだ」
得意の四連撃。最後の刺突で、バスタードの胸を貫く。
分厚い装甲を貫通する、重い感触がトリガーに返ってくる。
雑みを残したモニター越しに、その風穴から火花を散らす機体が映っていた。装甲の節々からは煙を発し、既に機能を完全に失っている。
アスカロンを引き抜き、背を向ける。
刃についたオイルを払うように振り下ろすと同時、背中のバスタードは、爆音と共に真っ赤な炎を上げて消え去った。
バスタードの頭上に会った耐久値を示すバーは時間差で減少し、ついに消滅する。
『――……じゃねぇぞ』
不吉な声を残し、ブツ、と藤堂からの通信が切断される。
バスタードの撃破により、敵の残機ゲージは尽きた。すなわち勝利である。
画面を覆い尽くすような巨大な『WIN』の文字を見て、ようやく桐矢はそれを実感する。
『やったね、桐矢君!』
葵からの通信が入る。心の底から喜んでいるような顔が映し出され、桐矢もホッとする。
勝ちだ。桐矢は藤堂を倒し、葵の誇りと居場所を護り抜いたのだ。
――なのに。
手が、トリガーから離れない。
胸の奥から、ざわめきが波のように押し寄せる。
勝った。確かに勝利を手にしたはずだ。――なのに、この膝に残る不快感は何だ?
あまりにもあっけない終わりだ。これならザコ機体を一〇〇機撃墜したときの方が、まだ手応えはあった。
藤堂の最後の声が頭の奥でリピートされ、何か見落としているような感覚になる。
だがその正体を掴む前に、モニターは切り替わる。
闇のような真っ黒い待機画面に、白く光る文字があった。
それはまるで、墓標のように。
『ミッションモード〈reword〉Aランク昇格ミッション発生』
『Bet : Gage of Remaining Lives = All in』




