第3章 黒白の翼 -1-
深く、息を吐いた。
操縦桿を握り締め、ペダルの踏み込み具合を確認し、万全の用意を整える。
もう随分乗り込んだコックピットの中である。
真っ白だったトリガーは手垢で薄茶色に汚れているし、操縦桿の根元なんかは塗装が少し剥がれそうになって、銀の下地が見え隠れしているくらいだ。
「俺に、力を貸してくれ」
そっとそれらを撫でて、桐矢はもう一度深呼吸をする。
負けることは許されない。
そのことに臆してはいられない。なにより、今までのプレイだって一度も負けて良かったわけじゃない。
変わらない。平常心を保って、いつものようにただ敵を斬り伏せるだけだ。
パイロットライセンスをボックスに差し込み、全システムを起動させる。
対戦モード〈reword〉を選択、対戦相手はチーム『Palladion』――藤堂剛貴がリーダーを務めるチームだ。
その他の設定は事前に打ち合わせた、代表である葵が行う。桐矢はただ出撃準備を整えるだけだ。
膝と膝の間にあるサブタッチスクリーンに触れると、アサルトセイヴのOSの起動が始まって、頭字語が表示される。
『S-Sham-neural interconnection
A-Almighty
V-Vehicular
E-Endoskeleton-Mechanism』
毎度のように流れていた英語を確認している間に、『ALL GREEN』へと表示が変わり起動シークエンスは終了した。
「桐矢一城、イクスクレイヴ、出撃する!」
幾度となく感じた疑似的な加重を噛みしめながら、桐矢の乗るイクスクレイヴは黄金の砂の舞う中――砂漠〈広域〉ステージへと射出された。
『桐矢君、もしかして毎回その名乗りをやっているのかい? 通信入りっぱなしだったよ』
「ほっとけ。気を引き締めるのにちょうどいいんだよ」
通信を入れていたのは手違いだったが、それでも聞かれて恥ずかしいほどでもない。左のモニターに相馬と葵の顔が映っているが、どちらも桐矢を笑っている様子じゃないからかもしれない。
『いいじゃない。格好良かったよ?』
「そ、そうですか……」
葵が何気なく「格好いい」とか言うものだから、そっちの理由で途端に顔が紅くなる。案外、単純な思考回路だ。
『本気で照れてる場合じゃないだろう。直に戦闘開始だ。――戦術は頭に入っているね?』
「あぁ。俺が前衛で相馬と葵先輩が後衛だろ? いつも通りだ」
言うほどの戦術でもないが、相手のパラディオンの構成が分からない以上は仕方ない。
それに、仮にあらゆる状況を想定した戦術を用意したとしても、このゲームの狭いステージでは大した役には立たないだろう。いくら〈広域〉ステージであっても、敵が乱戦にもつれこませようとすれば容易に成立する距離しかない。
『桐矢君は目の前の敵に集中してね。わたしたちの前に敵が来ても構わないで。元々、三対四の数的不利があるんだから』
「了解です」
後ろの射撃機体の二枚看板は、何よりも安心できる。
桐矢はただこの二本の剣と一対の翼で、敵陣を縦横無尽に斬り払うだけでいいのだから。
『準備は整ってっか?』
ザザ、と音声だけの通信が入る。
敵チームからの公開チャンネルの通信状態だ。
「――あんたは負かすぜ」
『吠えてろよ』
敵の機体が出現したのが手元のレーダーで分かる。その赤い点をタップしロックオン、その後カメラのズーム機能を使って敵の姿を確認する。
表示された名前は『XI-Bastard』
真っ黒い、まるで闇夜のような機体だった。
たったそれだけのことが、今は何よりも恐ろしい。
「黒、だと……ッ!?」
桐矢は目を向いて驚いていた。
葵の乗るブルーローズのような元々のカラーリングではないだろう。単色の機体なら各部位はグラデーションのように、同系の違う色があしらわれるからだ。
だが、これは漆黒に塗り潰されている。――桐矢の乗るイクスクレイヴのように。
『あぁ、黒の色付きだ。まさかテメェも色付きとはな、腰抜けにはもったいねぇ限りだな』
〈reword〉プレイヤーの中でも、あらかじめ専用機体を与えられるプレイヤーがいる。その一つが色付きだ。
機体性能のいずれかが一・五倍になるという、驚異のアドバンテージを持つ。それが色付きなのだ。
『どうだよ、これが俺のクロスワン・バスタードだ。――恐ェだろ?』
「……ッ!」
右ひざの辺りがチクリと痛むのを感じて、桐矢は顔をしかめた。そんな思考をどうにか振り払い、少しでも弱点がないか、と桐矢はじっくりとそのバスタードを見つめる。
どことなくイクスクレイヴにも似ているが、根本がまるで違う。これはどこまでも禍々しく邪悪な機体だ。
コオモリの翼のようなスラスターが四枚あり、二枚は通常通り背中にあるが、もう二枚は付け根からマントのように機体前面を覆っている。
イクスクレイヴのフェイスは騎士の鉄仮面のようだが、このバスタードはそこも異なっている。まるで悪魔のようにカメラアイから漏れる眼光は紅く、口元は牙のような模様がぎらぎらと輝いている。
背には、たった一本の剣。
イクスクレイヴの持つ大剣とほぼ同じぐらいの長さだろう。それを背骨に沿うようにして背負っている姿は、あまりに雄々しく、荒々しい。
左手に持っているのはボウガンだろうか。手と一体となっている武器らしく、そのトリガーは指にかけられっぱなしだ。
通常、アサルトセイヴは右手と左手二つずつの装備を備えている。ただし特殊格闘や特殊射撃などによって、それを超過する場合もありはする。
だが、このクロスワン・バスタードは逆だ。
背の大剣と左のボウガンだけで、それ以外の武装が存在しない。
『――テメェの機体はイクスクレイヴか。こりゃイイね。しかも白の色付きとは、中々見ない組み合わせだぜ?』
藤堂はクク、と喉の奥で笑い声を洩らしていた。
やがて藤堂の操るバスタードの背後に、三機のアサルトセイヴが出撃した。
『Hades Helm』という機体は機体名の通り巨大な兜をかぶっている。他のアサルトセイヴとは違い、フォルムが全体的に丸めで太いし、何よりカメラアイは一つしかなかった。型式そのものが違うのだろう。
『Kageroh』と『Shinkiroh』は、それぞれが赤と緑メインのカラーリング違いの機体のようだった。どちらもほとんど初期機体の『セイヴ・ゼロ』と同じだが、こちらのカメラアイはゴーグルのようになっていて、装備はむしろ貧弱になっているようにすら思える。
とにかく全機出撃が完了し、モニター上部に三〇のカウントが現れる。一つずつ減っていく間も、桐矢はただ目の前の藤堂――バスタードだけを睨みつけていた。
『……準備は出来てるな? そのコクーン、俺が奪うまで傷つけんじゃねぇぞ!』
カウントが〇になると同時、藤堂のチームは全機突撃してきた。
通常なら考えられない無謀な特攻ではある。だがこちらの前衛は桐矢のイクスクレイヴのみだ。一人で捌くには手が足りない。
「クソ!」
最も前を行くハデスヘルムをロックし、右の大剣――アスカロンを抜き払う。
だが。
唐突にハデスヘルムの両肩から煙が噴射された。
一瞬にしてハデスヘルム――どころかカゲロウ、シンキロウの二機までもが煙に包まれて見えなくなる。
ロックオンはその煙の効果か自動で外され、アスカロンは無情に空を斬るだけだった。
「何だと!?」
『テメェの相手は俺だぜ、桐矢一城ィ!』
煙の中から現れた黒き剣によって、イクスクレイヴは斬り伏せられた。
砂の山へ無様に倒れ込み、耐久値は一気に一割以上を持っていかれていた。
『桐矢君!?』
いきなりダウンさせられたことで、葵が不安の声を上げていた。だが、実際にそこまで心配されるほどのダメージはない。
「こっちは大丈夫ですよ。それより、先輩たちの方は?」
『僕たちなら平気だ。――が、どうにもビーム反射や実弾兵器の回避、果てはさっきのスモークグレネードみたいに、徹底した射撃機体潰しの機体たちだ。桐矢君への援護は困難と言ってもいいだろうね』
『ただ前衛と後衛を分担する以外はやって来ないから、こっちに戦力ゲージ的な被害は出ないけどね。ちょっとこの壁を突破するのは時間かかるかも。――でも安心して。それでも、桐矢君は落とさせないから』
葵の声の直後、射撃の反動音が通信機越しにも聞こえた。
「心強い言葉ですけど、それならそっちに集中してもらって大丈夫です。――こいつは、元々俺の敵なんですから」
後衛が抑えられるのは、戦闘としては痛手以外の何ものでもない。
しかしそれは向こうも同じこと。
藤堂とのマッチアップは、桐矢が心の奥底で望んでいたことでもある。
『さっさと立てよ。あっちの青と緑の機体二つなんかほっといて、テメェを四回落とせば俺の勝ちだ』
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
機体を起こし桐矢は左手の短い両刃の剣を抜き、その双剣を構える。
『――テメェはこのゲームのシナリオはやらねぇタイプみてぇだから、教えてやるか。俺のクロスワン・バスタードはな。元々イクスクレイヴと同シリーズの機体だったんだぜ』
藤堂は余裕を見せつけるように、悠長に口を動かしていた。
『――が、完成前にそれを敵軍が奪い、イクスクレイヴの設計図を基に対イクスクレイヴの改造を施し、イクスクレイヴとほぼ同時期に完成させたのがこの機体だ』
その言葉に、桐矢は声を詰まらせた。
それは、つまり。
イクスクレイヴを徹底して破壊する為の機体ということだ。
「けど、これはゲームだ。バランス調整くらい――」
『してあると思うなら好きにしろよ』
直後、バスタードは動いた。
全長十メートルを超える機体が振り下ろす、破壊の大剣。
シールドガードの得意でない桐矢は、それをステップで回避する。
『甘ェ!』
だがその回避に藤堂は喰らいつく。無茶苦茶な機体制御ではあるが、あらかじめロックオンをかけずに相手の回避後にロックをかければ、格闘の補正が働いて追撃できる。相手が避けることを前提にした高等テクだ。
(イクスクレイヴに追いつけるだと……ッ!?)
桐矢の乗るイクスクレイヴは白の色付き、すなわち機動力が一・五倍されている。それに勝るとも劣らない機動力をバスタードは誇っていたのだ。
機動力の改造も、取得ポイント的上限といわれている十五まで行われている。バスタードが同等の改造を施していると考えても、機体の速度そのものが通常イクスクレイヴの固有値を超えているのだ。
とは言え、攻撃が当たるのはコンボの二撃目からのみだ。コンボ補正で初撃と終撃の威力は高いが、過程の威力はそこまで高くない。
ダウンまで持ち込まれなければ、反撃の手は――
『ッらァ!』
放たれた斬撃の気迫に、桐矢は身震いした。
――この一撃は危険だ。
察したが回避は間に合わない。ダンプカー同士が衝突するような鈍い音が響き、コクーンが揺れる。
だが何故か、耐久値は減っていない。
『チッ。失敗か』
通常、ASVの攻撃に失敗判定は存在しない。相手が回避か防御したら失敗であり、当たればほぼ必ず耐久値は減少する。
だが一つ、基本的なシステムが存在する。
それが踏み込みによる部位破壊だ。
踏み込みを行うことでその攻撃の威力を一・五倍にし、部位破壊確率を三パーセント得る。部位破壊が発生すれば、破壊された機体は、武装や機動力を大幅に失うことになる。
だが、その代わりに攻撃失敗が二分の一の確率で発生し、失敗した場合はダメージを与えられない。期待値の計算では損しかしない以上、踏み込みを行う者は少ない。
「この状況でそれをやるかよ……っ」
『またあのときみたいに、テメェが無様に這いずり回るのは見たかったんだがな。まぁ失敗したモンは仕方ねぇ』
藤堂の言葉で、桐矢の頭の奥に中学時代の体育館の光景がフラッシュバックする。
痛む膝に、冷たい床。
そして胸に残る、惨めな想いが。
「――ッ」
それを必死に降り払い、桐矢はバスタードとの距離を取り直した。最低限、一足で格闘が当たらない距離を保っている。
『尻ごみしてる場合か?』
再度、バスタードはイクスクレイヴへ突撃する。
しかし桐矢も、伊達に二週間を特訓に費やしたわけではない。
桐矢はそれを紙一重のステップで躱してみせ、アスカロンを振り下ろした。左薙ぎ、斬り上げ、刺突へと繋げる高威力コンボだ。
『――本体を斬れれば、な』
決定的な隙をついたイクスクレイヴの斬撃。
だが、一向に手応えがない。確かに大剣は振るっていると言うのに、火花を散るようなエフェクトもなく素通りしていく。バスタードの耐久値も減りはしないし、よろけもダウンも発生しない。
『隙を作ってくれてありがとよォ!』
コンボを撃ち終えたイクスクレイヴへ、バスタードの凶刃が迫る。
袈裟斬からの左薙ぎで一気にダウンまで持ち込まれる。耐久値は二五〇以上削られて、七割を下回る。
「攻撃が効かない……。ダメージ無効の装備かよ……ッ」
『ご明察。まぁ誇れよ。このバスタードの特殊装甲耐久値を、一撃でここまで削りやがったのはお前くらいだぜ?』
だが、実質バスタードの耐久値は減っていない。
パイロットとしてのレベルに、そこまでの差はみられない。むしろ機体の装甲に頼って特攻を仕掛けるあたり、藤堂の方が素人じみているとも言えるだろう。
だが、それを容易く覆すだけの機体性能において差がある。
それでも桐矢は立ち上がる。
――葵の頬を伝ったあの透明な滴が。
――痛々しく、それでも笑おうとしたあの顔が。
脳裏によぎる度に、血液が沸騰する。
「お前にだけは、負けらんねぇ……ッ!」
アクセルを踏み込み一気に加速すると、アスカロンを正眼に構え、そのまま突き出した。
何かを砕く感触がトリガー越しに伝わる。
アスカロンの切先は、さっきは手応えのなかったバスタードの胸へ深く突き刺さっている。
そのまま左へ薙ぎ払うと、ようやくバスタードの耐久値が僅かだが削り取れた。
「このまま押し切って……ッ」
『おいおい、そんなにアクセル踏み込んで、膝は大丈夫かァ?』
「――ッ」
右ひざが、その言葉に応えるように固まる。とっくに治ったはずなのに、もうあんな惨めな思いは、忘れられたはずなのに。
そうして出来た一瞬の隙に、バスタードの左腕のボウガンから、ほぼノーモーションでビームが放たれる。
――一発ではなく、全十発の真紅の光線が横一列に並んで。
ボウガンのスタイルを取っている理由を、桐矢はようやく知った。
これは全十門のライフルを並べたもの。散弾のように、しかしそれよりも強力な弾丸をいくつも同時に放つことで、回避を許さない。まさに機動力重視の機体を潰す為の武装だ。
十発の内機体に触れる五発を受け、イクスクレイヴは地に伏した。
既にイクスクレイヴの耐久値は半分以下だ。
『どうだ、バリスタの威力はよ。対イクスクレイヴの為の専用武装だぜ? ――まぁ、左手と結合させてる分、装備は一個減ってるわけだが、そんなもんはデメリットにもなりゃしねぇ』
「射撃なんざ、こっちは先輩と相馬を相手に散々やってんだよ」
相馬にいたっては、既に何十戦と繰り広げている。射撃攻撃との間合いの取り方など、嫌というほど心得ている。
『だろうな。そんなもんじゃ、対イクスクレイヴなんざ名乗ってねぇよ』
射線から逃れるようにロックオンを外し、急接近するイクスクレイヴ。
しかしそれを初めから見越していたかのように、バスタードはその大剣を持って待ち構えていた。
イクスクレイヴの斬撃はあっけなく躱され、代わりにバスタードの剣がイクスクレイヴの腹へ突き刺さる。
胸部に近い攻撃は、コックピットを揺さぶる。
激しい衝撃がコクーンの中を暴れ回る。
「――っぐ!」
『この大剣は、テメェの陳腐な二刀流じゃねぇぜ?』
瞬間、刃と垂直になるように、ビームの棘がいくつも飛び出した。
その機能だけで耐久値がガリガリ削られていくというのに、その状態で引き抜かれたことで、機体内部はズタズタにされていく。
「――っがぁ!?」
コクーンが揺さぶられ、モニターに映し出される画像が一時的とはいえ、ショートでも起こしたように乱れる。
残された耐久値は、とうとう二〇〇。
(一個一個の武装が強力すぎる……ッ!)
バスタードは単発の威力があまりに大きい。何より、敵の間合いの設定がいちいちイクスクレイヴの苦手とするゾーンにある。それだけでも戦いにくいことこの上ない。
『テメェの耐久値も残り二割以下。さっさと締めるぜ』
しかしバスタードはイクスクレイヴへ追撃するでもなく、その場で立っているだけだ。
それは、勝者の余裕だったのかもしれない。
『俺の機体は黒の色付きだ。その特性はEB耐久時間の一・五倍。が、効果はEBに留まらねぇ』
「何を言って――」
『まぁ簡単に言えば、装備によるパワーアップだな。――見せてやるよ、これが、バスタードの真の姿だ』
マントのように纏っていた翼が解放され、背に巨大なXの字を背負うような姿で、バスタードは宙に浮いていた。
『バスタード解放。機動力、攻撃力が増加する今の俺に、テメェが追いつけるか!?』
スラストアクセルによる突撃に対して、これだけ距離があると言うのにイクスクレイヴですら反応が遅れた。全機体の中で最速と言っても過言ではないイクスクレイヴが、だ。
禍々しく真紅の棘を迸らせながら、その刃は純白の胸を貫く。




