第2章 聖戦の始まり -7-
「――じゃあ、景気づけに対戦から始めようか?」
筺体のある部室へと続く階段をのぼりながら、葵は提案する。
「対戦ですか? 相馬とはもう腐るほどやりましたよ」
「僕が四十二連勝中だけどね」
「違う。俺は四十二戦、四十一敗だ。勝手に一回増やすな」
「しっかり数えてるんだね……」
ちなみに、勝った一回というのは初日の葵のアドバイスを受けながらの回だけである。あのときは相馬の戦力ゲージも一機分減っていたので、結果としては桐矢の敗北と見てもいいかもしれないが。
「じゃあ、今日は直々にわたしが相手をしてあげようかな」
「先輩が、ですか?」
実を言えば、今まで葵は一度も桐矢と対戦していない。
というのも、桐矢の戦闘を別の筺体から客観的に見て、通信で痛烈なダメ出しを出すのが彼女の仕事だったからだ。
――そもそも、葵のレベルが段違いなのは、初めてゲームセンターで出会ったときに散々見せつけられている。例え誘われたって、初心者の桐矢は戦わなかっただろう。
「そう。最近ずっと分析に回ってたし、肩慣らしにどうかなって」
「……それ、俺をちょっと舐めてません?」
「これでも部長を名乗ってるわけだしね。やる?」
「いいですよ。俺も相馬に負けっぱなしなんで、ここらで格好いいところ見せますよ」
桐矢が応えて部室の扉を開けると、相馬は頭を抱えていた。
「別に何かを賭けるわけじゃないから、止めはしないけどね。……葵先輩は僕より強いよ?」
「お前、先週は下克上だとか言ってたじゃねぇかよ……」
あれほど息巻いていたと言うのに、相馬はやけに弱気だった。
「……君は、部長がずっと桐矢君の試合観戦をしていたと思うかい?」
「ずっと指示は飛んでたし、ダメ出しもされっぱなしだったぞ」
「それ、三分の一くらいは僕と戦いながらだよ。あと僕は部長に勝ったことがないのは変わらないよ」
相馬の衝撃の告白に、桐矢は固まった。
葵の指示は的確だったし、ダメ出しなんかも細部までしっかり見られていた。
――つまり葵は、桐矢の分析の片手間に相馬と戦って、その上で勝利を飾っていたわけだ。いくら桐矢に底力があったって、相馬のときのような奇跡が起きたって、勝てる見込みがないのは確実だ。
「どうしたの、早くやろうよ」
無邪気に葵は笑う。本人にしてみればただの肩慣らし、さほど気負ってもいなければ桐矢を脅す気もないだろうが、その笑みだけでも桐矢は震え上りそうだった。
「……いや、やってみなきゃ分からないのが勝負だ」
そう自分に言い聞かせ、少しでも戦意を奮い起こす。
負けたっていいとは思わない。そんなことを思っていればCPUにすら勝てないのがこのゲームだし、何より、桐矢は負けることだけは大嫌いだ。
「行きますよ、先輩」
「うん」
葵の目を真っ直ぐ見据えてから、桐矢はコクーンに乗り込んだ。
この一週間、散々乗り続けた筺体の中だ。馴染んだどころか、もはや居心地の良さすら感じられる。
そっとモニターを撫でながら、桐矢はシートへ腰かけた。対戦モード〈reword〉を選び、相手には葵のユーザー名である『R-Blue』を選択。自身の機体は当然ながら愛機である真っ白い『イクスクレイヴ』だ。
ファンが高速で回る音しかしないコックピットの中で、桐矢は深く息を吐いた。
朝一番とは言え、コンディションは悪くない。昨日も遅くまで特訓して疲れ切っているが、合宿ということで高揚し多少のアドレナリンが出ているのかもしれない。
「……桐矢一城」
誰に告げるでもなく、桐矢は呟いていた。
ロボットアニメの出撃時はこういう名乗りが定番だ。それに少なくない憧れを抱いていたというのもあって、桐矢はそのセリフを戦うときに口にしようと決めていた。
それはある種の自己暗示のようなもの。負けられない戦いと今までのプレイとを区切り、明確な戦意を自ら駆り立てようという桐矢なりの秘策である。
「イクスクレイヴ――出撃する!」
声を出すと同時、もう慣れた疑似的なGと共にイクスクレイヴが射出された。
出た場所は市街地で、まだ戦闘は開始していない。リアリティを出す為か、同一チームは登録された戦艦から、一機ずつ出撃するという仕様になっている。最後の機体が出てから三十秒後にスタートするのが基本設定だ。
『来たね、桐矢君』
一足早く出撃を終えていた葵が通信で話しかけてくる。桐矢もそれに応えるように望遠機能を使って葵の機体をズームする。
カーソルに表示された名前は『Blue Rose』、初めてゲームセンターで遭遇したときと同じ、見事な青色の重装甲機体だった。
背負った二つの柱――それぞれ五連レーザー砲とミサイルポッドの砲撃装備が、このブルーローズの外見、性能共に最大の特徴である。
『わたしのブルーローズ、すごいでしょ?』
「青くて確かに綺麗ですけど、まさか色付きとかじゃないですよね……?」
もしそうなら機体の性能のいずれかが一・五倍という、驚異のアドバンテージを持っていることになる。――まぁ桐矢のイクスクレイヴこそ白の色付き機体なのだが。
『あぁ、違うよ。これは元々がこういうカラーリングなだけ』
不安げに怯えている桐矢を和ませる為か、あるいは単に下に見てか、いつも通り笑いながら葵は答える。
『――でも、そんなに性能に差は出させないけどね』
葵の不吉な宣言の直後『GO!!』の二文字が画面に現れ、戦闘が開始された。
今回の制限時間は五分らしく、モニター上部のカウントが三〇〇から始まっていた。
始めは動かない。これは葵に言われたことだ。先にしびれを切らした方が相手に隙を晒すことになる。だからたとえ制限時間が削れることになっても、相手の出方を窺った方がいい。
だからこそ、桐矢は真っ先に動いた。
葵から教わったことを真面目にやっているうちは、絶対に勝てない。
『わたしの教えたことを覚えてる上で先に動いたのなら、合格点だね』
だが葵は余裕の声色を崩さなかった。
『でも残念』
瞬間、左手で腰のビームライフルを抜き払う。寸詰まりの、現実のサブマシンガンのような形状だ。
(あれは始めて見るな……)
桐矢がゲームセンターで葵のプレイを見たとき、彼女が使っていたのは背の二つの砲と左腕の杭、そして右手の剣――これはイクスクレイヴと同じ高周波ブレード――だけだった。
だが通常のビームライフルなら相馬の方が脅威だ。まだ距離はあるし、それを躱すこと自体は容易である。
案の定、放たれたピンク色の一条の光はアラートが鳴ってからでも素直に躱せた。――はずだった。
「――ッ!?」
直後、目の前を無数のピンクの弾が埋め尽くし、けたたましくアラートが鳴り響く。
着地の瞬間ではないので更なるステップは出来る。だが、それだけでは到底避けきれる量ではなかった。
半分の散弾が直撃し、耐久値が一割近く持っていかれる。
『CSのチャージが溜まる寸前でトリガーから手を放すと、通常射撃になるんだよね。でも溜めた分が消える前にチャージを再開すれば、すぐにCSが撃てるってわけ。連射チャージっていう技術なんだけどね』
――が、イクスクレイヴにチャージショットはないので桐矢には教えなかった。
暗に葵はそう言っていた。あるいは、初めから対戦するときを見越してこっそり隠していたのかもしれない。
「……案外いやな性格してますね」
『桐矢君が単純すぎるだけだよね』
さらりと葵は言う。普段は正直先輩らしくなく、むしろ年下にさえ思えるときもあるが、ASVが関わるともはや別人だ。声も凛として、そしてプレイには徹底した強さがある。
『それと、ダウンしてるわけでもないのに呑気にしすぎ。――ゴスペル、セレナーデ!』
葵の優しげな声と同時、右の砲――ゴスペルからピンクの五連レーザーが飛び出し、左のミサイルポッド――セレナーデから鉄鋼弾のミサイルが一斉射された。
「ウソでしょ!?」
あまりの容赦ない攻撃に、動揺した桐矢はゴスペルの攻撃だけは躱したが、セレナーデのミサイルは全弾ヒットしてしまった。
耐久値は更に二割減り、八〇〇まで削られた。
「っく、この!」
ダウンから起き上がってすぐ、桐矢は反撃に打って出た。
このままでは葵のブルーローズを一機も撃墜できないどころか、一ダメージも与えられないかもしない。
『その意気やよし、かな』
葵も迎え撃つ。
――が、桐矢には一つ得意な技がある。
初心者の桐矢のただ一つの必殺技といってもいい。ASVのハイランカーですら中々習得できないその技術を、桐矢は難なく使えるのだ。
相馬のときに見せた、ロックオン解除で射撃線から逃れ、急接近する技術――手動化である。
イクスクレイヴは元々が高機動機体で、しかも機動力上昇型の白の色付きだ。改造と合わせて機動力は二・二五倍。見てから反応するのでは、どんな機体でも間に合わない。
現に相馬はそれで敗北し、以降も相馬に喰らいついたときはこの技がある。
ブルーローズのゴスペルによる五連レーザーを見事に躱し、桐矢は大剣を抜き払い、切先を向けて突撃する。
イクスクレイヴの持つ最速の攻撃。これのタイミングを見切ることは――
『何回、桐矢君のプレイを見たと思っているの?』
葵の声がする。
目の前にまで迫ったブルーローズの背負うミサイルポッド《セレナーデ》が開放される。
――これを喰らったら、流石に格好悪いだろう。
避ける時間はない。完全にタイミングを合わせられた。
『セレナーデ!』
葵の叫ぶ声と同時、ミサイルが放たれる。
瞬間、イクスクレイヴがその場で停止した。――左の前腕で顔を覆うようにした状態で。
グリーンの光が迸り、そこに歪んだ菱形の盾が形成される。セレナーデのミサイルの嵐は、全てそれに弾かれ爆ぜた。
『シールドガード……。タイミング合わせるの苦手だから、それ使ったことなかったよね』
確かに、葵の言うとおり桐矢はシールドガードが苦手だった。タイミングを合わせてガードしなければ防げないどころか、隙を作ってさらなる追撃を許してしまうのがASVでのガード操作だからだ。
「――でも、今回のタイミングは分かり切ってたんでね」
ガード直後、射撃の隙で動けないブルーローズに突きを繰り出し、斬り払う。
どうにかダウンまでもぎ取った桐矢は、ふうと息を吐く。
今回のシールドガードは、つまり自分が攻撃を繰り出す瞬間に合わせればいい。それを狙って葵は射撃を撃ったのだから。
『やられたなぁ。弟子の成長は師匠としては嬉しい限りだけど――ここで終わりは嫌だよね』
葵は言いながら、起き上がりゴスペルの五連レーザー砲をぶちかます。
通常なら隙の大きな技は使わない。それもこれだけ密接した状況ならなおさら、失敗すればリスクが大きい。
だから葵は牽制しながら後方へ距離を取る。――そう考えていた桐矢の裏を見事にかいた一撃だ。
耐久値はとうとう半分以下へ。
起き上がる度にゴスペルのレーザー一斉射。躱すタイミングすら完全に見切られているので、手も足も出ないまま撃墜され、爆炎に包まれる。
「マジ、かよ……」
どうにか与えられたダメージは、アスカロンの刺突から斬り払いへの二連撃のみ。一割程度しか耐久値は削れていない。
カタパルトの中に画面が映り変わり、新たなイクスクレイヴを即座に再出撃させる。
市街地に降り立ったイクスクレイヴは、アスカロンを抜き払ってブルーローズと対峙する。
「でも、再出撃してからが勝負だ」
『――とか思ってるみたいだから、いい経験値を上げるね』
葵の不敵な声がすると同時、ブルーローズが青く発光した。
「エクストラブースト!?」
本来なら敵のコンボを受けた際に、そこから切り抜けるのに覚醒は使われる。その最上位のキャンセル力を無駄に使ってまで、葵は余裕を見せつけていた。
「でもまだ距離が――」
ロックオンマーカーは射程外の緑色だ。相馬の操るアクイラは狙撃銃で射程を遥かに伸ばしているが、ブルーローズにその機能はない。
『EB使用時に、もう一度そのコマンドを押すと残りのEB時間を全消費して、文字通りの必殺技が使えるんだよ』
葵の余裕の声を聞いて、桐矢は戦慄した。
この声色は危険だ。絶対に勝利を確信した者でなければ出せない。
『――行くよ、シリウス』
直後、轟音がした。
地響きのような音だった。
気が付けば、市街地の背の高い建物が次々と薙ぎ倒されていく。
――現れたのは、機体よりも巨大な計四つの砲門の塊。
カメラを合わせれば、それは自分たちが出撃したカタパルト――すなわち特装戦艦から射出されているのが分かる。
『シリウス着脱式主副砲一体型複合兵装。戦艦エンデュミオンに装備されながらもセイヴ用のアタッチメントを有した必殺武装だよ』
まるでクリスマスにもらったプレゼントを自慢する子供のように無邪気な声で、葵はとてつもなく物騒な紹介をした。
シリウスと呼ばれたアサルトセイヴ達を収容する戦艦の主砲群のサイズは、横幅がイクスクレイヴの全長の二倍近いだろうか。それだけで馬鹿げた規模なのが分かる。
ブルーローズが上昇し、主副砲一体型複合兵装とのドッキングを果たす。それは、天使が降臨する瞬間のようですらあった。
そして、桐矢は悟った。
――アカン。これは死んだ。
『さぁ、せっかくだしドカンと合宿開始の祝砲を上げようかな』
直後、市街地の街並み全てを呑みこむ巨大なレーザーが照射された。真上から真下へ杭を突き刺すように、そして徐々に桐矢へと向けていく。まさに掃射だった。
たった数瞬の出来事だった。
それはもはや、完全なる破壊だ。
建造物はおろか、舗装の一片すら残すことなく抉り取り、そこに音や衝撃さえも残さない。大地の傷が晒されこの世が地獄と化すその瞬間を眺めると同時、イクスクレイヴはその破壊の嵐の中に呑まれ、暗闇に消えた。――後にどれほどの破壊の残響が残されたかは、もはや知る由もない。
そうしてイクスクレイヴの耐久値はたった一撃で全損し、合宿ミッションは正式にスタートしたのだった。




