第2章 聖戦の始まり -4-
「――で、まさかお前と帰ることになるなんてな」
「桐矢君、不服を言うなよ。僕だってゲーセンで知り合った可愛い女の子たちと遊びに行くのを諦めて、渋々君と帰っているんだから」
そんな日の帰り道、桐矢と相馬は並んで歩いていた。
桐矢も相馬も今日知ったのだが、ゲームセンターからでは相馬と桐矢は同じ方向、葵は正反対の方向が帰路だったのだ。
「お前な、新人勧誘でナンパするなよ」
「失礼なことを言うなよ。僕は逆ナンしかされたことがない――桐矢君、真剣に殺気のこもった目で僕を睨むのはやめてくれないか?」
男全員を敵に回す残念イケメンを桐矢は視線だけで射殺そうとしていた。
「そんな文句ではなく、楽しい話をしようじゃないか」
「楽しい話って何だよ」
「たとえばおっぱ――」
「あぁ、ゴメン。それ以外で」
平然と下ネタルートと全速力で突っ走ろうとする相馬に、桐矢は呆れたように釘を刺す。
「……そうだな、あとはASVで叶えたい願いとかかな。桐矢君は何か願いはあるのかい?」
「俺か……?」
相馬に聞かれて、桐矢は答えようとしたが言葉に詰まった。
何かを叶えたいという気持ちは、確かにある。そうでなければ、ここまでASVにのめり込むこともなかっただろう。
だが桐矢には、どうしてもその願いが分からない。自分のことだと言うのに、それは深いもやがかかっているように、自分では決して掴めない。
「成り行き……とは違うんだろうけど。いまいちピンとくる願いはないな」
「ふむ。じゃあ僕がしっかり語り聞かせよう」
自分の悩みに気付く様子もなく、爛々と目を輝かせている相馬を見て、桐矢は何となく察した。相馬がASVで何を叶えようとしているのか。
「僕が好きなものは知っているかい?」
「この世のあまねく女性の胸だろ」
「正解だ」
正解なのかよ……、とツッコみたくなるのを堪えて、ただ桐矢は日本海溝を突き抜けるほど深いため息を返す。
「僕はこの世の全ての女性を愛している。巨乳? 貧乳? 痩せている? 太っている? そんなものは関係ないのさ。ただそこにおっぱいがあるならば」
声を出せば出すほど好感度が駄々下がりになっている事実に、彼は気付いていないらしい。
「だから、僕の叶えたい願いはただ一つ。――おっぱい王国の建国のみ」
「二秒で滅亡してしまえ」
そんなけったいでいかがわしい国、しかも党首が相馬の国など、放っておいても勝手に滅ぶ気はするが。
「あぁ桐矢君はおっぱいが好きじゃないのか。なら太ももハーレムでもいいね」
「挟まれて圧死してろよ、お前」
「本望だ」
真顔で答える相馬に桐矢は若干寒気を覚えた。ここまで欲望に忠実で、迷惑防止条例に引っかからずに済んでいるということが奇怪でならない。
「……お前、よく葵先輩と一緒にチーム組んでいられたな」
「ははは。これもひとえに僕のおっぱい愛――」
「お前が見捨てられずに済んだ、って意味だ。何でお前の方が我慢して先輩と組んでた、みたいな話になるんだ」
相馬の余りのポジティブさに辟易して、歩くペースが自然と遅くなっていた。
「……あの人は、寂しがり屋だからね」
ふと、相馬は真面目な口調で呟いていた。
不意に本音が漏れたのを隠すように、相馬は慌てて先ほど前の冗談めいた口調を取り戻していた。
「少し、古い話をしようか。――僕と部長が初めて会ったのは、君と同じゲームセンターなんだ。もちろんそのときにはどちらも〈reword〉プレイヤーだったけれど、黎明期ということもあって互いにソロだった。で、ソロが生き残っていくには、〈reword〉プレイヤーと対戦して総残機ポイントを稼がないと、割に合わないシビアさだったわけだ」
「つまり、先輩と対戦したわけか」
「そう。そして結果は惨敗だ。他の〈reword〉プレイヤーやノーマルプレイヤーを相手にしても、一度だって負けたことのなかった僕が、一機も撃墜できずに負けた。さすがに悔しくてね。でも、部長の美貌を見た瞬間に僕はこう言った」
「『あなたに全てを捧げましょう。――だからそのおっぱいを僕に捧げて下さい』と」
少し真面目になっていたと思ったのは、桐矢の勘違いだったのだろうか。
「……殴られただろ?」
「よく分かったね。もの凄く顔を赤らめながら、空手家級の正拳突きを鳩尾に喰らった」
中学三年の頃から、相馬は一ミリも進歩していないようだった。
「とは言え、何度かアタックしたらチームを組んでくれたよ。――まぁ、今まで一度もおっぱいは触らせてもらえてないが」
「……そう言えば、先輩の叶えたい望みって何だろうな」
相馬の心の底から生じている恨み事にはそっと目を伏せておくとして、桐矢は頭に浮かんだ疑問を口にした。
あの人はNICの社長の妹だ。並の人間では叶えられない望みも、その肩書さえあればある程度は叶うはずだ。
「……これは僕が言うことじゃないと思うんだけどね。――言っただろう、部長は寂しがり屋だって」
「それがどう関係するんだよ」
「部長はね、小学生の頃から軽いいじめに遭っていたそうなんだ。あぁ、もちろん決して陰湿なものじゃない。――NICは今ではお兄さんが社長だけど、元々はお父さんの経営していた中小企業だから、そういう関係でちょっとね」
なるほど、と思う。
親が社長というのは、小学生くらいならきっとからかわれるネタにされやすかっただろう。周りはただのおもしろい話だと思っても、本人にしてみれば不愉快極まりないはずだ。
「そういう経緯もあって、友達は少なかったらしいんだよね。で、部長は家族、とくにお兄さんを溺愛していた」
「――が、兄が社長となって忙しくなってもう会えなくなった……?」
相馬の言わんとしていることを、桐矢は一足先に理解した。
「正解だよ。仕事が大好きなお兄さん――葵理人社長は、社内に自室を設けて暮らしているという噂だ。部長と最後に対面して話したのは、二年も前のことだそうだよ」
葵自身がどんなに努力したったって、どんな力を振り翳したって、葵理人と会うことはもう出来ないかもしれないのだ。
そう分かっていて、それでも、また兄と暮らしたい。
きっと、彼女の願いはただそれだけなのだ。
「分かったかい? 一度家族とバラバラになった彼女だからこそ、他人とでも絆は大事にしているわけだ。――こんな僕でも退部にするわけがない」
「……その上であぐらをかいて堂々とセクハラすんなよ?」
もう一度釘を刺して、桐矢は思った。
葵のあの距離の近さは、きっと彼女が寂しがっていることの表れだったのだ。
まだ話したことのない桐矢を仲間に引き入れたことも、にこにこと笑って近距離で話してくれるのも、何もかも彼女が寂しさを紛らわせたいが為のことなのかもしれない。
桐矢はそれを、嫌だとは思わなかった。
きっと彼女は不器用なだけだ。人との接し方が分からなくて、離れていった兄のようにまた誰かが離れてしまうのが怖くて、必死に繋ぎとめようとしている。
それは健気とは違う。
あれは、怯えだ。
胸が細い鎖で締め付けられるような思いになりながら、桐矢は口にする。
「先輩が怯えなくてもいい場所に、俺が――……」
自分の願いは分からなくても。
きっと彼女の為に頑張ることは、自分の願いの一部なんだと思った。




