第2章 聖戦の始まり -3-
そんなわけで、桐矢の嫌いな騒々しすぎるゲームセンターの中。
「――ねぇ、桐矢君。このタヌキ可愛いね」
「……そっすか……?」
葵の指差した先――ガラスケースの中に、タヌキのぬいぐるみがあった。
頭でっかちで身体はとても小さく、せいぜい〇・三頭身くらいというデフォルメっぷり。顔も目がやたら小さくマヌケというか、若干腹立たしくもある。
「……取れるかな」
「いや無理ですよ。クレーンゲームって中身を取って楽しむんじゃなくて、あのキャッチャーを動かすのを楽しむゲームですって」
ゲームセンターで堂々と賞品は取れないと言ってしまうのも。問題がある気はする。
だが桐矢は中学時代に、綾野の指令で手に入れなければいけなかった限定の賞品を、七四〇〇円注ぎ込んでも取れなかったという過去がある。それを鑑みれば、そういう言葉が出るのも仕方ないだろう。
「む。それはわたしを馬鹿にしてるね?」
「してないですよ……」
「いいよ。わたしの腕を見せつけてあげる」
ふふん、と鼻を鳴らして、彼女は袖を捲りスマホと筺体の口に当てて金を投入した。
――そして、十五分後。
「……あの、先輩?」
「いま集中してるから」
血走っているようにすら見える目で、葵はクレーンの筺体の奥のぬいぐるみを睨みつけていた。
先程から狙っているそのタヌキは、あざ笑うように一センチ動いただけ。投入した金額は、そのぬいぐるみのクオリティにどう見繕っても見合わないだろう。
「あの、もうやめましょうよ」
「ちょっと黙ってて」
もう一度スマホを非接触型のリーダーに押し当て料金を支払う葵の姿は、もうダメな自称パチプロのようだった。可憐な姿はそのままなので胸のときめきまでは消えはしないが、流石に桐矢も残念な感想を抱かずにはいられなかった。
「来い!」
そう叫んで、後は落ちるだけになったクレーンに葵は祈りを捧げていた。
とは言え、流石にこれは無理だろう。
このタヌキは頭が大きく、それ自体がクレーンのアームの幅を超えている。身体の方は小さく軽そうだが、頭が重いので持ち上げようにも抜け落ちてしまう。
タグは引っかかりそうもない紙をプラスチックの糸で刺して付けたようなもの、服にアームを通すなどとよく言うが、そもそもこのタヌキは裸だ。
熟達した腕を持っていたとしても、この憎たらしいタヌキをゲットするのは、至難の技どころではないだろう。それがまして下手な素人の葵がやっているのだ。三回に一回は的外れなところでアームが上下している。
だがしかし、投入金額に応じてミラクルが起きるような仕組みでもあったのか。
その的外れなところにアームが落ちたとき、それがおかしな止まり方をした。
桐矢も葵も、思わず息を呑む。うるさいゲームセンターの中だと言うのに、その音とクレーンのモーター音だけが耳を占めていた。
やがてアームが持ち上がると、どういう物理法則が働いているのか、アームにタグがギリギリで引っかかっていた。今にも落ちそうなほどふらふらしているが、しかし中々に落ちない微妙なバランスを保っている。
二人とも目を見開き、拳を握り締めて行き先をゆっくりと目で追う。
そして、ことり、と。
そのヘヴンズゲートへとタヌキは落ちたのだった。
「――ッ!」
小さく息を吸い、葵はガッツポーズしていた。
「やったね!」
「やりましたね!」
思わず桐矢もハイタッチしてしまうほど喜んでいた。彼自身はこのぬいぐるみにさほど思い入れがあるわけではないが、場の流れと言うやつだろう。
――だから、少々周りが見えていなかった。
このクレーンゲームはASVのブースのすぐ傍、そこはやはりあまり多くはないが、人通りはある。
つまりそうやって大きな動きをするのは、よろしくない。
こうやって、人の肩にぶつかってしまうのだから。
「あ、すいませ――」
ぶつかった本人である葵は、そこで言葉を詰まらせた。
大きい、と桐矢は思った。
闇夜に見える岩山のように、ぶつかった相手は長身でガタイのいい男だった。その背中を見ただけで、言い知れぬ恐怖が足元から這い上がってくる。
服装は制服だから、まだ高校生なのだろう。詰襟の制服だがまともに着る気はないらしく、Tシャツの上に羽織った程度だった。ホックはおろかボタンすら留めていない。
体格だけでなくこんな校則を無視した格好では、感じる恐怖もなおさらだ。正直、肩がぶつかっただけで体が竦んでしまいそうになった。
「チッ」
盛大に舌打ちして、しかしその男は何をするでもなくASVのブースへと消えていった。
顔は見えなかった。だから、その男がどんな人間なのかまでは分からない。
だが、桐矢は何かが引っ掛かっていた。どこかで見たような気はするが、それがどこだか思い出せない。右脚の方から、まるで火花が散ったかのような微かな痛みと不快感が這い上がってくる。
ただ、分かることは一つ。
あの男は、危険だ。
「――行きましょう、先輩」
思わず、桐矢は葵の肩を抱き寄せていた。
それは格好をつけたかったからとか、そんな次元ではない。
この男の放つ圧倒的なプレッシャーに、彼女を護らなければと本能的に悟ったのだ。
「ゴメンね。わたしがぼーっとしてたから」
「いや、俺は大丈夫ですよ。先輩の方こそ、大丈夫でしたか?」
あの体格差では、軽くぶつかっただけでも結構痛いだろうと桐矢は思う。しかし、葵の方は大して気になるような様子はなかった。
「全然平気だよ。心配してくれてありがとうね」
にっこりと葵は笑顔を向けてくれる。それだけで桐矢の顔面は燃えるように熱くなって、まともに葵の顔を見られなくなってしまう。
「そ、それよりもそろそろ相馬の影響で誰かやってるかもですよ……」
「そうだ、確認するの忘れてたね」
相馬が聞いたら笑顔で怒りそうなことを言いながら、二人はガラス越しにASVのブースを確認した。
幸いといっていいのか、中央のモニターを見て憧憬の視線を送るような、先週の桐矢と同じ初心者は見当たらない。
「初心者、見つかりますかね……?」
「さぁ、なかなか見つからないのは事実だけど……。――あ、相馬君もう出てきちゃった」
そう曖昧に答えていた葵の視線の先の筺体から、ちょうど相馬が出てきた。
何戦かを終え、しかもそれらが魅せることに特化した戦いという制約もあったせいか、いつも通りの美少年の整った顔にも疲労の色が見えていた。
合流し戦果を報告するも収穫のなかった桐矢たちは、結局そのまま今日は解散することとなったのだった。




