79 冬 冬虫夏草 24
――失礼。
吹子は茜の肩に手を置き、彼女の首筋、耳の少し下辺りにいきなり唇を押し当てた。
「い、いやぁっ!! ちょっと、何すんですか! 変態!」
茜が悲鳴を上げ、身をよじらせても、吹子は顔色一つ変えず、唇を離さない。
ベビーパウダーみたいないい匂いが、拓の鼻にも届く。
拓が必死に目を開けて見てみると、何かを吸っているように、微かに頬がすぼまっている。そのうち、表情が変わってきた。少し苦しそうだ。
ほんの一瞬、吹子と目が合った。
わずかながら眉根に寄せられていた皺が、ぱっとほどけ、あるかなきかの笑顔が現れた。それからはっとしたように目が伏せられ、やがて目が閉じられたまま、行為が続けられた。
茜は、声を失ったまま、茫然としている。
吹子は肩で息をし、頭をときどきふらふらさせながら、なおも茜の首筋を吸い続けた。
そうして突然、彼女から体を離した。
みぞおちの辺りを両手で押さえ床にうずくまってしまった吹子は、そこに転がり、のたうちまわった。
目と口をきつく閉じ、眉根に深く皺を刻んで、体をよじっている。まっすぐに近くなったり、くの字になったりと、彼女の体はめまぐるしく伸び縮みし、体のあちこちから青白い稲妻のようなものが立ちのぼる。
高く細いうめき声が漏れるけれども、彼女はけっして目も口も開けない。
「ちょ、ちょっと錦城さん、大丈夫ですか!」
冷やかな意地悪さが消えた声で、茜が叫んだ。
茜の目にもまた、吹子が見えるようになったらしい。
「拓、離して! あのままじゃ錦城さんが死んじゃう! わ、わたしそんなことまで頼んでないよ!」
「だめだ!」
拓は、渾身の力を込めて茜を制した。
やがて、片手を腹に、もう一方の手を体の脇にだらりと垂らして、吹子は動かなくなった。
白くふわふわしたワンピースのあちこちに、焼け焦げたような穴ができている。
「「錦城さん! 錦城さん!」」
拓と茜は、何度も何度も、彼女の名を呼んだ。
吹子から、茜を近づけるなと言われていなければ、拓は彼女のところに飛んでいきたかった。抱きかかえて、すぐにでも手当てしたかった。
けれども、自分は吹子と約束したのだ。吹子がいいと言うまで、決して、茜を彼女に近づけないと。
吹子が、うっすらと目を開けた。
「もう、いいですよ」
拓と茜は彼女の元に駆け寄った。
「きゅ、救急車を呼べばいいですか!?」
拓が舌を噛みながら言うと、吹子は首を横に振った。
「呼ばないで、ください。……傷は、ここにある薬で、治せます。……お願いします」
拓は、携帯端末を握りしめた手を下ろした。
「ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて」
茜は床にぺたんと座り込み、泣きじゃくっている。
「いいんです。……それより土屋さん、水原さんを、見てください」
茜は言われるままに拓を見た。
「隈が、消えてる! ほっぺたも元どおりで、全然やつれてない!」
茜は口に手を当てて、目を見開いた。
拓は両手を握りしめたり開いたりしてみた。さっきの力の入らなさが嘘のように、体が軽い。どこまでも力を込めることができる。
「ごめんなさい。……どうやら、拓の気を奪っていたのは、本当にわたしの邪気だったみたいですね。錦城さん、それをみんな吸って……それでこんなに苦しんで……。おいしく、なかったんでしょう? 危険だったんでしょう?」
茜は、吹子の手を取った。
「はい。……まずかったです。……危険でも、ありました」
吹子は穏やかに微笑んだ。茜の手を握り返す力はないようだ。
いらしてくださり、ありがとうございます。




