76 冬 冬虫夏草 21
吹子は、拓や茜の気を、絶対に吸わないようにした。
――でも、水原さんのについては、絶対に吸わないように口を固く閉じていても、どうしても、少し体の中に入ってきてしまうんです。……目や、皮膚から。……こんなことは、初めてです。……仕組みも、理由も、わかりません。……ひょっとしたら、というのはあり
「呼吸みたいなものなんじゃないですか?」
茜が、吹子の言葉を遮り、冷たく言い放った。
「まだ、話の途中じゃないか!」
拓が自分の唇に人差し指を当てて、茜を睨む。
――呼吸……確かに、そうかも、しれません。……以前に、夏彦から、聞いたことがあります。……気は……すなわち生体エネルギーは、異なる人間の間で、自然に循環し合うことがある、と。……ひょっとしたら、それなのかもしれません。
「いい加減にしてください!」
茜が椅子を蹴って立ち上がった。
「呼吸とか自然な循環だったら、気を吸ってもいいとでも? 錦城さんのやってること、殺人や傷害じゃないですか! あなたのせいで、拓はたった数日ですごくやつれて、目の下の隈もずっと消えないんですよ!!」
茜は片手で拓の肩に触れたまま、拳をドン! ドン! とカウンターに叩きつけた。ポニーテールが大きく跳ね上がり、激しく揺れ続ける。
吹子は木箱の蓋を閉め、茜が拳を叩きつけるたびに、木箱を両手で押さえた。
「おい! やめろ! やめろって!! どうしたんだよ茜! 落ち着け!」
拓は、後ろから茜を羽交い絞めにした。歯を食いしばり、全身の力を込める。
――少しであっても、気を吸うのは、よくは、ありません。……水原さんには、申し訳ないと、思っています。……でも。
吹子は、口を小さく開いたまま何回か呼吸をした。それから、瞬きを一つし、茜を見つめた。
――わたしが、絶対に吸わないようにしている限り、そんなに、影響は、ないはずなんです。……例えはよくないですが、こたつのスイッチを消して、コンセントをさしっ放しにしているときの、待機電力みたいな、もので……。自分の中に、入ってくる気の量からも、わかります。
「待機電力って、けっこう電気代食うわよ!」
腕を押さえつけられてもなお、茜は身をよじっている。
――やはり、よくない例えでした。……そうですね、……もし、水原さんがわたしに気を奪われても、水原さん自身の回復力で、元の水準まで、すぐに、戻せる。……そのくらいのエネルギーの量、なのです。シャットアウトしてもなお、入ってきてしまう量、とは。……目の下の隈がずっと残ったり、頬がこけたり、土屋さんの手を、あいている手で払いのけられなかったり……それらは、考えられません。
吹子の目に、潤いが増した。彼女はまた、ゆっくりと瞬きし、眼鏡のフレームを押し上げた。
――水原さんの気や体力を奪っているのは、…………土屋さんの、邪気です。
吹子は、かそけき声で呟いた。
苦しいのに声を絞り出しているような細かく揺れる光が、彼女の目に現れた。
彼女は再び左手の上に右手を重ね、銀色の指輪を、意識的にか無意識的にか、何度もそっとこすっている。
拓は息を飲んだ。
茜は、目と口を開いたまま、固まっている。
「嘘、……でしょ?」
ふっ、と茜の体から力が抜けた。拓の胸や腹にくっついたままぐにゃっとなった小さな背中は、やわらかく温かい。
――いいえ、本当です。
「フフ……、自分のせいにされたくないから、わたしのせい、ってことにしてるんでしょ?」
茜は今まで拓が見たことのないような冷たく、重苦しく、意地の悪げな目で、座っている吹子を見下ろした。
――いいえ。
吹子は無表情に戻っていた。
「なんで、わたしに邪気が? で、どうして、拓の気を奪わなきゃいけないの。全然、理由がないじゃない」
待機電力は確かに電気代を食います。が、もっと痛いのは(お前(色原)の後書きだ! というのは置いておいて)「スイッチの消し忘れ」です。
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