73 冬 冬虫夏草 18
多少グロ注意、でしょうか。
――あの……。わたしが下を向き、水原さんと目を合わさないようにすれば、いいですか? 土屋さん。……それでも気が済まないなら、ずっと後ろを向き、方向転換するときは、あらかじめ、お二人に言うように、しますが。
茜に紅茶を差し出したときと同じ、穏やかで淡々とした声で、吹子は言った。
茜に対する怒りや軽蔑は、まったく感じられなかった。
大の大人が高校生に向かってこんなに譲歩していいのか、と思うほどの譲歩だ。
やっぱり、錦城さんは、錦城さんだ……。
拓は涙が出そうになった。
――あ、土屋さんには、声も聞こえないんでしたね。……水原さん、すみませんが、わたしの言葉を、彼女に伝えてください。
拓が言うとおりにしようとすると、「聞こえてます! 拓にさわってれば、聞こえるんで」と茜が少し苦しげな声を出した。
吹子の言葉は、続いた。
――そうですか。……土屋さん、もう、わたしは後ろを向いています。……奥より寒いですけど、ここでよければ、ご説明しますので……パイプ椅子に座って、待っていてくださいませんか。
茜が唾を飲み込む音がした。
「……わかりました」
ようやく、茜の手のひらが拓の顔から離れた。
部屋が眩しくて、拓は顔を顰めた。
吹子の姿はなく、階段を上っていく音が奥の方から聞こえた。小さな音だけれど、間隔があいて、なんだかつらそうだった。
「ったく、馬鹿なことばっかり言いやがって。錦城さんが鷹揚な人で、ほんとによかったな」
パイプ椅子の座面を開きながら拓は茜を睨みつけ、口を尖らせた。
「でも、錦城さん、わたしの言葉を否定はしなかったよね」
茜は、近眼の人が裸眼で遠くを見るみたいに目を歪めて、拓を横目で見た。
「まあ、そうだけど……馬鹿をまともに相手にしてもしょうがない、って感じなんじゃねーの?」
階段を上るときよりももっとゆっくり下りる音、冷蔵庫か何かの扉を開け閉めする音が聞こえた。
そして、下を向き、大きめな木箱を胸に抱え、小さな瓶を二本ほど手に、吹子が戻ってきた。
――あの……これ、紅茶の、代わりです。……どうぞ。
横を向いて腕を伸ばした先で、小瓶が二本、震えている。
CMがよく流れている栄養ドリンクだった。
拓も知っている。
母親が、仕事が忙しい時期にはこれが箱ごと職場に運び込まれ、深夜、皆で夕飯代わりに飲むのだと言っていた。
「ありがとうございます」
拓はそれらを受け取り、一本を茜に渡した。
うつむいたまま、吹子は木箱をカウンターの上に置いた。
茜はさっきからずっと片手を拓の背中に当てていて、彼が立ち上がると、自分も立ち上がってついて回っていた。
――これが、わたしの、本体です。……あ、どうぞ、ドリンクを飲みながら、聞いてください。お二人とも汗をたくさんかいていますから、冬でも、脱水になりかねません。……脱水は、怖いですよ。……そのドリンクは、製薬会社の人が、以前、くれたものです。
「ありがとうございます。じゃ、遠慮なく」
拓は、茜とともに軽く会釈をし、栄養ドリンクの蓋を開けた。
「「いただきます!」」
冷たい。生き返る。
ゴクッ、ゴクゴクゴクゴクゴクゴク……ゴクリ。
二人とも、一気に飲み干してしまった。
「「ご馳走様でした!」」
拓と茜は、カウンターの木箱にゆっくりと近づいていった。
――瓶は、そこに置いておいてください。
吹子が木箱を開けると、綿が敷き詰められた中に、ぴっちりと蓋が閉められた細長いガラス瓶が入っていた。
そこに透明な液体とともに収められていたのは、イモムシみたいなものから生えている、ひょろっとした茶色くて細長いものだった。先の方がやや、膨らんでいる。
茜が、目をぱちぱちさせながら拓を見上げる。
いらしてくださり、ありがとうございます。
拓たちのように体を動かす作業後でなくても、冬は空気も体も乾燥することが。
皆さまもどうぞ脱水にお気をつけください。




