63 冬 冬虫夏草 8
水原拓と土屋茜は、仕事の依頼人である、錦城薬局の錦城吹子にお茶に誘われ、彼女の家に上がることに。
「ううん、別に」
「やっぱりお前、風邪じゃね? なんか表情なくなってるし。せっかくだから漢方の風邪薬、ここで買っていったらどうだ」
「だいじょぶだよ。早く、上がって」
言葉のわりに、茜の表情は硬いままだった。頬と膝がほのかに赤い。
二人が靴を脱いでいる間に吹子はちゃぶ台の周りに座布団を並べ、座って待っていてくれ、と襖の向こうに消えた。
入って右手には窓があるが、手前の障子で、外は見えない。ただぼんやりと薄明るい。
拓と茜は、コートを脱ぎ、用意してもらった座布団に座った。
部屋は、子どもの頃、祖父母の木でできた古い家に遊びにいったときのような少し甘いひなびた匂いがした。拓はスンスン嗅いでしまった。
畳の部屋に座るのも久々だった。
「俺んち今、全部フローリングだからさ、畳ってなんか懐かしいわ」
「そういえば畳ないよね、拓のうち。うちはひと部屋だけあるわ」
「でも正座は苦手だ。既に、ちょっとしびれてきた」
「おばあちゃんが、足の親指を重ね合わせてときどきそれを曲げ伸ばししたり、重ねる上下を組み替えたりするといいって言ってたよ」
「お、そうなのか。サンキュ」
小声で話していると、吹子が盆に白磁のティーポットや、やはり白磁のティーボウルなどを載せて戻ってきた。
「お待たせしました」
ティーボウルはあらかじめ湯を入れて温めてあったようで、湯を捨てたあとが微かに残っていた。
吹子はティーポットから赤みを帯びた琥珀色の茶をティーボウルに注いだ。彼女の白く長い指が、ティーポットのハンドル(取っ手)を握りしめ、もう一方の手の指も、それぞれ微妙に角度を変えて蓋に添えられている。
白磁に比べると、彼女の手や指は蝋のように透明感があった。
……この人の血は、本当に赤いんだろうか。
うっすら透けている緑がかった血管を見ながら、拓はぼんやりと思った。
彼女は茶を、三つのティーボウルに代わるがわる少しずつ注いでいく。
湯気とともにランの花のような香りが立ちのぼった。
それにしても、真剣な表情だ。
茶を淹れているというよりは、漢方薬を調剤したり化学実験をしたりしているみたいだと拓は思った。
「中国の、キーマン紅茶です。どうぞ、召し上がれ」
吹子はティーボウルを拓と茜に差し出した。
えっ、と拓は声を上げた。
「紅茶って、中国でもつくってるんですか? ……いや、紅茶っつったら、イギリス、インド、スリランカ辺りのもんかと」
「やぁねえ拓。イギリスがインドやスリランカで大々的に紅茶を栽培するまでは、中国が紅茶の主な産地だったのよ」
茜がティーボウルをさっそく両手でくるみ込むようにして片眉を上げた。
「そ、そうなのか」
「インドのダージリン、スリランカのウバとともに、世界三大紅茶らしいです」
黒曜石のように艶がある目で、吹子もティーボウルに指を添えた。
「三大紅茶か……でかいっつうことじゃないですよね。いただきます」
拓は意味不明なことを呟きながら、ランに似た馥郁とした香りを鼻から吸い込み、キーマン紅茶を口にした。
苦味がなく、ストレートでもほのかな甘みがある。美味い。
やはりいただきます、と飲み始めた茜も、「おいしいです」と顔をほころばせた。
さっきの表情の硬さからすると、雪解けといったところか。
拓は胸のうちで独りごちた。
吹子は自分もキーマン紅茶を飲みながらわずかに口角を上げていたけれど、少しして
「あ……お砂糖。忘れてました。ごめんなさい」
と盆からスティックシュガーとスプーンを掴み、拓と茜に渡した。
拓は使わなかったけれど、茜は一袋すべてを紅茶に入れていた。
吹子は立ち上がり、また襖の向こうに消えると、透明な袋に入った彩り鮮やかなものと小さな皿を抱えて戻ってきた。
「お茶請けがこれしかなくて。……野菜チップスなんですけど」
少し恥ずかしそうに言いながら、さっそく野菜チップスを皿に出している。
拓と茜はこれもご馳走になった。
キーマン紅茶と野菜チップス。
一見、奇妙な取り合わせにも見える。が、同じ植物からできているということもあるのかないのか、塩気とともにニンジンやサツマイモ、レンコンなどのほのかな甘みがあるそれは、意外と紅茶に合うように拓には思えた。
「何も花だけじゃなくていいと思うんです、庭に雪が降ったみたいにするのって」
体が温まってきたのもあって、拓は急に饒舌になった。
いらしてくださり、ありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます(2015.1.6)。




